○○の方は相変わらずだった。相変わらず蔵の中から動けなかった。
法力を腹に溜め、かろうじで動いている状態だった。それでも何度地を這う虫を見て唾を飲み込んだか。
もう既に○○の感情は固まっていた。
命蓮寺も里も。全て自身の敵だと認識していた。騙されたという憤りばかりが○○の中を駆け巡っていた。
鞄に残っていた筆記具と、聖白蓮との出会いから今までの事を書き記した帳面。その帳面に全ての恨みつらみを書き記していた。
このままこの蔵にいてもジリ貧だった。危険を冒しても外に出なくてはならなかった。
逃げ切れる自身は無かった。捕まってしまえば何をされるか分からなかった。
だからせめて、せめて自分がこの恨みを抱いていた事を残す。
ガリガリと帳面の余白に思いの丈をつづる音だけが蔵の中にはあった。
種々の罵声やら何やらは書き物の途中にもたくさん聞こえてきた。それが更に○○の筆を加速させる事となる。


星は悪循環を断ち切れずにいた。
手を上げる理由はイラつくから、しかし手を上げればそれはやがて自己嫌悪となり帰ってくる。
そのうち自己嫌悪をもたらす理由を、向こう側のせいではないかと思い始める。
殴りつけた自分にも非がるのは星自身自覚してはいたが、罪の重さは向こうのがはるかに上だという感情を堪える事はできなかった。

そして、彼の前に立つと。自己嫌悪よりも憤怒の感情がはるかに勝ってしまう。星はその憤怒に抗うことなく拳を振り下ろしていた。

ぐったりと木にもたれ掛かり眠りこける彼の前に立つと。また憤怒の感情が呼び起こされる。
“次は出来るだけ手を上げないようにしよう“先ほどまでほんの少しは考えていたそんな感情も憤怒の炎によりかき消される。
今の星は、彼の行動の一挙一動、全てが癇に障っていた。

そしてまた、今回は拳ではなくつま先が彼の腹にめり込む。
「起きろ」
そう短く命令するが、小さくうめくだけで一向に起き上がる気配は無い。
大きな舌打ちが星から漏れる。後ろには他の里人がいるが、もう関係なかった。
そして今度は足を踏みつけようとするが。
「駄目よ星」
その一撃は聖の声により静止された。

「聖!」
まさか起き上がってくるとは思わず。星は面食らってしまった。
聖の顔は、自身が最も知る顔だった。その柔和な笑顔、全てを包み込む柔和な笑顔。この場に全くそぐわない柔らかな表情、そして。
「足を潰したら○○を探せなくなるじゃない」口から出る言葉も表情にそぐわない物だった。
傍らにたたずむ一輪は能面の表情で、村紗は周りを威嚇していた。
それがまた聖から発せられる、乱れた調和をより一層引き立てていた。

だが。「そうでしたね、思慮が足りませんでした」情緒が破綻していたのは聖だけではなかった。
星の方も、この状況になれてしまった。最早この矛盾を当然の物と思っていた。

「焦りは禁物よ。急ぐ必要はあるけれど、焦ったら急がない時より時間がかかるわ」
チラリと目をやり「貴方達は別に怪我とかしてないわね?」言外に伝える。
その言葉に彼らは脱兎の如くどこかに行ってしまった。
「一輪、村紗。貴方達もお手伝いしなさい」
聖に促され二人も彼らの後を追った。星に監視されるのと、どちらが幸せなのだろうか。


「ねぇ貴方起きてる?」
境内に三人だけが残され。聖は彼に向き直り、中腰の姿勢で目線を合わせ語りかけた。
「酷い怪我ねぇ。○○さんの心の傷よりは軽いけど」
彼の腕にある傷の部分をわざとなぞりながら言葉を続ける。彼は小さくうめいた。
「いいわよねぇ。体の傷はうめけば少しは楽になるから」
次に指の腹ではなく、今度は爪でガリガリと。皮が破れ、露出した肉の部分を引っかく。
「本当に・・・・・・息の根を止めないだけマシと思いなさいよ」
聖の様子は徐々に変わっていった。最初の柔和な笑顔も、黒いものがかかっていき。笑顔では合ったが、悪役が見せるような邪悪な物だった。
声色もドスの聞いた太い部分が強調されるようになった。

肉を引っかく勢いは増していき、聖の爪の間には肉の破片が溢れ出していた。
星はその様子になんとも思いはしなかった。気にしていることといえば、聖の服が彼の血で汚れないかが心配。それぐらいだった。
「本当に・・・!本当に!!」
声が大きくなり、今度は腕の傷をしっかりと握りこんだ。特に聖の親指はズブズブと彼の肉にめり込んでいく。

「がぁぁぁぁ・・・!」
「うるさい!!」
うめき声が大きくなる彼に。聖の激昂と共に放たれた拳が顔面にめり込む。

「うめき声すら貴方には贅沢だわ!○○さんは見つからないように今も息を潜めているのに!!」
「何でこんな荒っぽい方法を選ぶのよ!もっとまともな方法は無かったの!?」
「愚図が!馬鹿ですらないわ、愚図よ!お前達なんか!!」

遂に聖の癇癪に火がついた。しかし、何を叫んでいるかまだ判断は出来る。
少なくともあの時の。自分達を認識できなくなる程の癇癪よりは。雲山と共に床に叩き伏せた時よりは冷静だなと思い。
星は、まだ止めようとはしなかった。ここは聖の好きにやらせるつもりだった。

「もっと上手くやりなさいよ!もっと考えて動きなさいよ!!挙句の果てに逃げられるなんて!!」
聖の五指は彼の腕にかなり深くまで食い込んでいた。
「だから貴方達は愚図なのよ!!」
金切り声を上げる聖。掴んだ腕は離される事なく、空いたもう片方の腕でも殴り続けていた。

その腕が彼の首を掴もうかと思った瞬間。聖の動きがほんの少しだけ躊躇し、狼狽の色を見せた。
そして小さく「ナズーリン・・・・・・」と激昂から一転して泣きそうな顔で呟いたのを星は聞き逃さなかった。
「お前のせいよ!!お前達のせいでナズーリンは首を!首を絞められたのよ!!」
そう言い直し空中を掴んでいた腕が、聖の五指が食い込む腕に掴み直された。そして。

「があ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
「うるさい!うるさい!うるさい!!!」
彼の腕が、人体の構造上では、本来動作する方向とは全く逆の方向に折りたたまれた。
その痛みに彼は、星からの暴行でも上げなかった今までで最も大きな悲鳴を上げた。その悲鳴が聖の癇に障り更に深く折りたたまれる事となる。

「ふっ・・・ふっ・・・」
激痛から悲鳴を上げ、次に彼の過呼吸気味の息づかいが鼻から聞こえてきた。
口は真一文字に閉じられ、うめき声の一つも漏れる事はなかった。
逆方向に折りたたまれた腕は未だに聖の手により更に折りたたまれようとしている。
時折彼の体がビクンと跳ね上がるが、声は漏れなかった。歯を噛み締め、呻き声を抑え、豪打から身を守っているようだ。
「疲れるわ・・・何でこんなのに体力を使わなきゃいけないのかしら」
不意に聖の興奮が鎮まった。それでも、彼の腕を痛めつけるのだけは止めなかった。

そのまま何分が経っただろうか。相変わらず聖は彼の腕を放さなかった。
恨み言の一つも呟かず。ただじっと、彼を見つめていた。
時折彼の意識が飛びそうになり、頭が支えを失ったかのようにぐらぐら動いていた。
その様子を見る度に星は、頭を膝で少し強めに小突いて起こしていた。
この状況でもまだ星の注意は聖に向いていた。今は小康状態にあるが、いつまた感情を爆発させるか分からない。
そうなれば彼を殺してしまうかもしれない。流石にそこだけは星も気にしていた。
言い換えれば、死にさえしなければ何をやっても止めるつもりは無かった。

聖は時折ため息をついたり、眼を閉じ何か思案にふけっているように見えた。そして。
「そうね・・・・・・奥で少しお話しましょうか。私と○○さんについての事を」
そして、聖は何か答えを見つけたのだろう。彼の腕を放し、母屋の方に体を向けスタスタと歩いていった。
「星、彼を連れてきて」
「じ・・・自分で、あ・・・・歩けます」
「遠慮するな」
気づかいを断る彼の言葉を無視し、星は手を取った。
先ほどまで聖に痛めつけられていた彼の腕を、思いっきり強く引っ張る形で。
当然ながら、本日二回目の大きな悲鳴を命蓮寺にこだまさせた。


その一部始終を。○○は蔵の中で耳を塞ぎ怯えながら聞くことしか出来なかった。
ペンも帳面も放り投げ、子供のように丸まりながら。聖の言うとおり声を押し殺して。
見つかりませんようにと、祈るばかりであった。

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最終更新:2011年11月26日 10:56