寅丸星の彼への暴行は止まらなかった。
蹴り飛ばし、倒れた所を掴み上げて殴り飛ばし。また掴み上げて今度は地面に叩きつけ。
取り巻きの者達は土下座の体勢を止めることなく、額を地面にこすり付けて許しを請うていた。
その凄惨さに一部始終を確認することなく○○はそっと扉を閉めた。
○○は恐怖した、そして信じたくなかった。
本当に、本当に自分を捕まえろとの指令を飛ばしたのは、命蓮寺の皆なのだろうか。
降って沸いた疑惑の種。その疑惑の種は、今しがた目にした光景を肥料に芽を生やした。

「この愚図どもが!荒っぽいにも程があるだろう!!」
そして聞こえてきた寅丸星の言葉。それは芽を生やした種に、更に良質な肥料となって降り注いだ。
その一言に○○は体の力が抜け、崩れ落ちるのを感じた。
感情では否定したかったが、目にし、耳にする状況は、確実に命蓮寺への疑惑を濃い物にしていっている。

○○は耳を塞いだ。しかし星の罵声は、耳を塞ぐ手の平を用意に突き抜け、○○の鼓膜へとたどり着く。
全てが変わってしまった。その兆候を感じることのないまま、○○は修羅場に放り込まれてしまった。
○○は声を押し殺して泣いていた。信じたくないし見たくもなかった。いっそ、何も知らない方が幸せだったかもしれない。

そして星も。○○を修羅の道に放り込んでしまった事への自責の念を強く抱えていた。
八つ当たりに近く無為な事、ということは彼女自身嫌と言うほど分かっていた。
しかし、頭では理解していても。感情の部分でこの腹の虫を押さえ切れなかった。
殴りつけ、叩きつけ、投げ飛ばす度に。○○に対する強い自責の念が広がり、それと同時に腹の虫も収まる事無く彼女の心中を蝕む。

しかし、傍から見聞きしている○○には。その心中など推し量れるはずもなく、ただただ疑惑の種を成長させる肥料としかならなかった。


「早く行って捜して来い!!どうなっても知らんぞ!!」
今の行動を見られていたとも知らず、全ての行為が悪循環して○○の身に降りかかっていることなど知る由もなく。
星は苛立ちを全く隠そうとしなかった。全てを知っている命蓮寺の面々は星の心中を推し量れても。
さとり妖怪であるまいし、ただの人間である○○に理解しろと言うのは無茶であろう。

そして、○○の中に存在した最後の希望も儚く崩れ落ちた。事実は別として、少なくとも○○の目にはそう見る事しかできなかった。
孤立無援。最早○○には頼る事のできる人物や勢力は無くなってしまったに等しい。
○○はここから、ひいては幻想郷からも逃げ出す決意を固めた。それは慎重な○○には似つかわしくないほど早い決断だった。


しかし、○○は外に出れなかった。怖かったからだ。今回のように何処かに逃げ込みやり過ごせる状況が沿う何度も続く訳がないと思っていたから。
それに、草木が刈られ整備された以外の地は、何がどうなっているのか○○にも分からない。
ひとたび足を踏み入れれば、もう戻る事のできない魔窟と言っても過言ではなかった。

そして、何の行脚か命蓮寺にはかなりの頻度で人間が出入りしている。それらに見つかる事は○○にとっては死にも匹敵する重大事だった。
さすがに、夜間はその人の出入りも無くなるが。暗闇を移動する手段も能力も持たない○○にとっては夜の闇は危険極まりない物だった。

故に、○○はこの蔵から動く事ができなかった。水も食料もなく、動こうにも閉塞きわまる○○が最後に頼らざるを得なかったのが。聖より教授された法力であった。

法力の力で、飢えや渇きをしのぐ事ができる。それは聖から教え聞いていたし、イメージとしても持っていた。
もっとも○○は、そこまでの力は別に必要ないと思っていたが。
しかし、いつまでここにいるかも分からず。命を繋ぐ食料や水も、蔵の中をあちこち探したがろくに見つからず。
泥水をすすり虫の類を口にするよりは、まだこちらの方が精神的にも良かった。
この時○○はの心中には良くも悪くも濁りがなかった。
ただ生還する事を第一に考えていたから。かつての○○の中では、法力を扱うのはある種の遊びだった。
しかし、遊びではない本気で扱う。生き残る為に使おうとする法力。その極限状態の中で○○の法力は強まっていった。

寅丸星の里の者達に対する怒声は度々聞こえてきた。その度に○○は自分の心が黒く染まっていくのが分かった。
座禅の体勢を維持し、法力の使用を意識しながら
そしてその黒く染まった心中が、命蓮寺への憎悪を増やしていくのも。


星には自覚があった。自分の行いが無為である事を。
分かっていながら、彼女は彼等が来る度に挨拶代わりに一発殴ってしまっていた。
聖の崩壊を止めれなかった不甲斐なさを。自身の見通しの甘さと失策を棚に上げ、全てを彼らにぶつけていた。
八つ当たりもいいところだった。それでも、心の大部分で元々の元凶はこいつ等だと思っていた。
自己の正当化と言う感情は今の星には希薄な物でしかなかった。
星だけではなかった。命蓮寺の面々全員が星の行動は間違っているとは思いつつも、止めようと言う気になれなかった。
「このノロマどもが!!もういい私も付いていく!早く立て!愚図ども!!」
全部聞かれているとも知らずに。いつの間にか、○○だけではなく。他の物の首も自分で絞めている格好となっていた。

星は焦っていた。丸一日以上経過した辺りから、その焦りは彼女から冷静な思考を失わせた。
法力を聖から教わっているのは知っていた。しかし、あの程度の法力では幻想郷を闊歩するなどどだい無理な話である。
ただの人間に夜の幻想郷は危険極まりなかった。怒声を散らし疲れきった彼等に鉄拳という名の鞭を飛ばし、無理矢理立たせると言った光景が繰り返された。

焦っていたのは里の者達も同じだった。既に何人かは遺書をしたため、死地に赴く覚悟で○○の捜索を続けていた。
特にリーダー格の“彼“は筆舌に尽くしがたい暴行と重労働を星から課されていた。
しかし、何が彼をここまで動かすのか。体は悲鳴を上げていても、意志は死んでいなかった。
○○を追い回したあの時からと同じ、鋭利な刃物のような眼付きだった。
その死なない眼付きは。むしろ、以前にも増す鋭さを持った眼の輝きは、星の癇に障るには十分だった。


日に何度か、しかたなく星は連れ歩いている彼らを命蓮寺に戻して休憩を取る。
死なれても困るから、それと自分の食事を取りたいから。
星自身は、多少は食事を抜いても活動できる体力と自信があった。しかし彼等は違った。
彼等は人間だった。人外の基準で活動させればすぐに事切れてしまうことはギリギリ忘れていなかった。
命蓮寺に戻らず現地で食事を取っても良かったが、そうするとギリギリ覚えている事を忘れてしまいそうで。
だから、お互いのために仕方なく命蓮寺を拠点としていた。

この惨状を誰かが伝えたのだろうか。命蓮寺に戻る度に彼らに与える握り飯や飲み水を持った世話役と思しき少人数の集団が入り口に佇んでいる。
星は目の端で確認はするが。気分をこれ以上悪くしたくなく、確認するだけでさっさと建物の中に入っていってしまう。
それでも、例え星が殆ど自分たちの事を見ていなくても。世話役の者達は星の姿を確認すると。
とんでもない速さで額をこすり付ける、いわゆる土下座の体勢で迎える。
その卑屈さが星の気分を更に害する。だから殆ど無視していた。

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最終更新:2011年11月26日 10:56