窮屈さ。○○は精神的な窮屈さを覚えていた。
どうにも、安らがない。特に外に出ている際それを強く感じる。
仕事中、定食屋での昼食、食事の材料を買っているとき、往来を歩いている時。
全ての場面で、○○は視線を感じた。
それは道行く人間とぶつからないように、客の注文を聞くために。
そういった場面での見られているとは明らかに違っていた。
目線の端で追われている様な。そんな感覚だった。
考えすぎの可能性も高かった、しかし。
過干渉に対する不満を口に出してから、何と無しに周りの空気が変わったような。
どう変わったかと聞かれれば、答えには詰まった。



剣呑な空気は長引かせたくなかったから。彼に対して注文をつけた次の日には、その事は忘れて普通に挨拶を交わした。
彼はニコニコといつもの微笑を絶やさず、こちらの目を真っ直ぐと。
そう、真っ直ぐと。絶対に逸らす事無く、日常の会話を○○と行っていた。

その逸らされることの無い視線。昨日とはまた違った剣呑さを、○○は感じざるをえなかった。
そして彼から○○へ注がれた強力に固定された視線は、彼以外の他の物にも見られたから。
どうしても目線の端で追われているような視線を。はっきりと否定できなかった。
昨日とはまた違った剣呑さ。その空気は里全体に漂っているような気がしてならなかった。

目を覗き込まれる。それは命蓮寺で聖白蓮から日常的に行われる行為だった。
この覗き込むと言う行為自体は同じなのに。何のためにという目的の部分がまったく違うように感じられた。
聖白蓮の覗き込み方は、純粋な物だった。言葉は無くとも、自身に対する純粋で、愛おしい物が伝わってきた。
そして、それと違い今の。里の人間からの覗き込まれ方は。
何となく、値踏みされているような。確かな表現は出来なかったが、不快極まりない物には間違いなかった。


不快感と不安感にまとわり付かれる中、○○は逃げ出したくなった。
そう、命蓮寺へ。
その答えは自然と出てきた。この時ようやく、○○は自分の魂が、どちらにより強く引っ張られているかを知った。

うんうんと唸り、考えに考えて考えあぐねいても出せなかった結論が。今ここで出す事ができたのだった。
○○は笑みを浮かべた。それはとても穏やかな物だった。
追い詰められて、やっと見えてきたものだった。



そして、仕事が休みの日の朝。○○は最後の確認をする為に博麗神社へと足を向けた。
値踏みをされているような視線は相変わらずだった。それが嫌で、朝早くに家を出た。
ただ、門の前ではどうしても人目についてしまう。それだけはどうしようもなかった。

二冊の帳面に目を通しながら、ゆっくりと歩を進めてゆく。
この時、○○はもうほぼ答えを決めていた。だから、これはある種の儀式だった。
家族に、友人に、故郷に。自分が関わった全てへの別れを言いに行くと言うべきだろう。
無論、そんな旨の事をここで。例え数少ない出入り口である博麗神社で呟いたとて聞こえはしないだろう。
だから、これは本人の気持ちの収まりの問題であった。他人が見れば何の意味も見出さないであろう。

二冊の帳面に交互に目を通しているせいもあろうが。○○は今までに無くゆっくりとした歩調で進んで行く。
そして、博麗神社の境内へと続く階段の前までたどり着いた。
階段の前に看板が一つ刺さっていた。覗き込むと簡潔な文章があった。

しばらくは結界を開ける事ができません。再開時期は未定。
だから異変が起こるまでお休みします。(お賽銭は随時受付中)


その文章に、○○は安堵感を覚えた。不安要素が消えたとも感じた。
苦笑いに近いような笑みが漏れた。出れますよと言われた方が困る。
事実、○○はこの博麗神社へと続く道を歩きながら。後ろ髪を強烈に引っ張られる感覚を感じた。
ようやく○○は重さを知った。ようやく○○は知る事ができた、自分の魂がどちらに傾いているか。
もう答えは決まっている。ようやく、ようやく○○は答えを出す事ができた。
最後に○○は、外での事を書き記した帳面を。1ページ目から、じっくりと読み進める事にした。
余韻に浸りたかった。○○が思ってしまったいささかロマンじみた行為。
余韻に浸るには、ロマンじみた空気を感じるには。往々にしていささかの時間と段取り必要だった。


その行為、その行為に費やす時間。それが歯車を更に進めてしまった。○○がすぐに帰れば、あるいは―
あるいは、これ以上酷くならなかったかもしれない。





星は決断を迫られていた。既に聖の精神状態は崩壊の一途を辿っている。
聖は正気と狂気の狭間に今たっていた。先だって、聖がナズーリンに対して行った暴挙。
あの時の聖は間違いなく狂っていた。ただ、それは熱病に犯されたかのように。
朝には聖は自分が行った事を思い出し、泣き喚いていた。
それ以前に、聖がこのような姿を見せると言う状態が。もう正常な物ではない。
この状況から果たしてどれだけ回復できるか星には分からない。そしてそれを回復する手立てがあるとすれば。
○○しかいない。○○と聖が幸せな生活を送る、それ以外には無い。
赤子のように泣き喚く聖を抱きかかえながら、星はもはや叶わぬ願いを思っていた。
そう、正攻法では。


○○に何らかの手を加える、特に記憶の部分に。
聖が描いた自分にとって都合のいい“思いで帳”それは今机の周辺に乱雑に置かれている。
あれを元に、○○の記憶を書き換えれば・・・・・・
少なくとも、一瞬でも○○との幸せな生活を夢想ではなく、信じ込んでしまった今の聖ならば。
その方法で、ある程度の平穏が訪れるのではないか?

悪魔じみた考えだった。傍から見ればともかく。裏では必死に取り繕い、歪な形をした幸せな光景。
しかし、その悪魔じみた考え。それが一番マシな選択肢にすら思える惨状であった。


「星・・・里の人達が来たわ」
悪魔じみた考えに乗っかる決断をするか否か。その思考は一輪によって脇に置かれる事となった。
一輪の呼びかけの内容に星は不味いと思った。今ここにいると言う事は、聖の泣き声は間違いなく聞かれてしまっただろう。

「・・・分かりました、一輪。聖をお願いします」
最早強張った顔をやわらかくする気力も無い。
「早くしたほうがいいわ・・・今村紗が外で応対に出てるから」
聖以外では今一番不味い人選ではないのかそれは。そう思ったが、一輪がそんな事をした気持ちも何となく分かるので何も言わなかった。



村紗は、星が出てきたのを確認するといつも来る奴の足を引っ掛けて派手に転ばせた。
「・・・村紗」
褒められた行為ではないが、何となく気分が晴れたのは事実だった。焼け石に水程度の晴れ方だが。
一応、戒める意味を込めて名前だけは呼んだ。

「聖の所に言ってくる」
それ以上の叱責をする気は、星としては毛頭無く。またその事は村紗も感じ取っていた。
村紗は聖の所に行く、とだけ言い残して引っ込んでしまった。

「・・・で、何でしょうか?」
表情を取り繕う余裕も無ければ、転ばされた方の体を気づかう気力も無かった。
ただただ、事務的に。それが精一杯だった、むしろ種々の感情を押し殺しているだけよくやっている方だと自分を褒めたかった。
男の方は、何も反論や怒りの気配など見せず、向くりと起き上がり砂を払っていた。

「○○さんの事です」
そして転ばされた事などお互い話題に上らせる気配も無く、向こうも淡々と話を進め出した。
「・・・○○さんが博麗神社に向いました」
その言葉に星は思わず目を閉じた。何と間の悪い、○○は自分で自分の首をへし折る勢いで絞めているではないか。

目を開けると、男の目線が星の後ろにある命蓮寺の建物に移っていたのを星は見逃さなかった。
当然と言えば当然であろう・・・かなり派手に泣き喚いていたから。
そしてそれは今でも聞こえる。気にするなと言う方が無理な話であろう。
「星様・・・・・・聖様のお加減は?」
「・・・・・・」
上手い返しが思いつかなかった。無言を持って答えとすれば、また悪い方向へ動くだろう。

しかし、ここで何か気の利いた答えを返した所で・・・少しばかり事態の進展が遅れるだけのようにも思える。
もう、乗っかってしまうか?命蓮寺の皆の力を使えば、○○の記憶を操作する事など容易い。

「○○さんがいらっしゃれば・・・まぁ多少は」
「・・・分かりました」
言ってしまった。ついに、動かしてしまった。
星はかつて無いほどの自責の念を抱えた。その自責の念は今後一生星の周りに付きまとい、事あるごとに彼女の心をかき乱すであろう。
星は顔を押さえ、苦々しくなる顔を繕おうとする。その表情に果たして彼らは何を思うか。

思えば、もしかしたら私は最初の一歩目から間違った道を踏み出していたのではないか?
あそこで開口一発、激昂していれば・・・・・・
最初から、自分達はずっと後手後手に回っていたのだが。ろうか。

「出来る限り、荒っぽい事は避けて下さいね」
「はい・・・・・・」
去ろうとする後姿に一言だけ声をかける。律儀にこちらに向き直って殊勝に返事をしてきた
もう十分荒っぽくそして不穏な空気なのに。その一言も焼け石に水だとは分かっている。


「~!―ッ!!」
彼らの背中を見送っていると何かが聞こえてきた。
奇声。その何かに対しての表現方法は、それ以外に無かった。
言いたい事はあるが、感情の昂ぶりを抑えきれず何を言っているかわからない。と言った物ではなく。
本当にただの奇声だった。強いて言うならば、その奇声こそがそれを発する当人の心模様だろうか。

その奇声の発信者に対する思い当たる節は・・・1人しかいなかった。
星は振り向くが、頬に誰かがスレスレを相当な速さで通り過ぎた証である風を感じるだけで。
星の視界には必死にこちらへと向う一輪と村紗を確認するだけだった。
「星!姐さんを止めて!!」
その声が聞こえる頃にはもう星の顔はもう一度反対方向に、元いた方向へと向き直った。
その視界に一番最初に飛び込んできたのは。取り巻きを地に伏せさせ、いつもくる奴を両腕をもってして締め上げる聖の姿だった


そして聖は奴を地面に叩きつける。ここまで来てやっと星の体が動き出した。
聖は泣いていた。怒りと悲しみ、その二つを混ぜた顔で何かを泣き喚いていた。
相変わらず聖の言葉は何を言っているか判別が付かなかったが。彼女の心中を察するには最早言葉など必要は無かった。

「聖!駄目です!!」
ただ、今の聖は冷静さを失っていた。聖の振り上げた拳は、聖がどう思っているかは分からないが。
ただの人間には、十分すぎるほどの致死的な一撃になる事は明らかだった。

星は聖に飛び掛り無理矢理動きを封じた。
星と聖はお互い掴み合いながら、辺りを転げまわった。村紗が奴を遠くに投げるのが一瞬見えた。
一輪が加勢に入ろうとしてくれたが、勢いに入り込む事ができず弾き飛ばされてしまう


だが、一輪の身は地面に打ち付けられる寸前で白いもやのような物に受け止められた。
そしてそのもやの一部は星と聖にまとわり付いていく。
雲仙である。この異常事態に使役する一輪からの命を待たず、独断で動いてくれたのだ。

雲仙は聖の暴走を自身の体を使い、全身全霊の力で封じてくれていた。
それでも、雲仙の力を持ってしても。正気を失い暴れている聖の力は雲仙の力を破ろうとしてくる。

「うっおおおおアアアア!!!」
星にとって久しぶりに出した妖怪としての本気だった。
気合を入れるために叫びながら、聖を引きずり。
ふすまや障子の類を蹴破り、辺りに飾られている調度品を転倒させる事もいとわず。命蓮寺へと入っていった。
「ヌアアアア!!!」
そしてそのまま星と雲仙は聖の部屋へと向った。

「ハッ!!」
聖の部屋にたどり着いた星は。聖を顔面から敷いてあった布団へと叩き付けた。
無論それくらいで聖が止まるとは思っていなかった。
布団に叩きつける際。星はありったけの妖力を聖に流し込んだ。
それでも、聖はなお暴れ続けた。星は聖にのしかかり、聖を気絶させる為に力を使い続けた。



ようやく聖を強引に寝かしつけた星には、立ち上がる気力は残っていなかった。
膝をつき、両手もつく四つんばい状態。その状態でいるのがやっとだった。
「ふふ・・・・あはははは・・・・・・」
星は力なく笑うことしか出来なかった。

聖も○○も真摯に将来を考え。
自分達も自分達で、外野だと思ったから余計な事は何もせずただ静観をしていて。
皆、思い思いの考えで。最善の方法を選ぼうとしていた。
だが、その選択肢は全く最善ではなかった。むしろ最悪に近い選択しか選んでこなかった。
だから、星には笑うことしか出来なかった。
自暴自棄とも取れる大笑いを、星は止めることができなかった。
「はははは!!何をしていたんでしょうね!私たちは・・・・・・!」


「・・・・・・星」
声をかけられ顔を上げると、一輪と村紗が立っていた。村紗の方は涙を流している。
「あいつらは?」
星はヤケクソに笑った顔のまま問うた。
「里に戻ったわ・・・相当焦ってたわ」
「そうですか、そうですよねぇ・・・・・・くくく」
最早○○の運命も決まってしまった。聖のこの姿を見てしまった以上、奴等は是が非でも○○を連れてくる、どんな手を使ってでも。
そうしないと、自分達のみに危険が及ぶと考えてしまっているから。
「馬鹿どもか!!」
星の滅多に言わない罵倒の言葉に空気は一層重くなる。

「ご主゛人゛」
枯れた声でナズーリンが星を呼ぶ声が聞こえた。
星はナズーリンに数日休めと言っていたが。この騒ぎだ、流石に寝ていられなくなったのだろう。
腹を何発も豪打され、息を吸うのも辛そうで。首をあらん限りの力で絞められた為声帯にもいくらかの傷が見て取れる。
「ナズーリン、構わず寝ていても良かったのに」
星の言葉にナズーリンは何かを言おうとしたが。咳き込んでしまいそれは叶わなかった。
その姿を村紗がいたわった。


「村紗、貴女の言うとおりでしたよ」
「貴女が一番・・・・・・正しかった。今更こんな事をいわれても迷惑でしょうが」
そう言うと、星はまた笑い出した。今度は涙声を混じらせ。嗚咽と笑い声を混ぜた物が辺りに響いた。



そう、最早どうする事もできない。
運命の歯車は、もう戻す事ができない勢いで周り。戻るには遠すぎる場所までたどり着いてしまった。

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最終更新:2011年11月26日 10:57