目を覚ました場所は彼の私室だった、窓から見る外は明るく雀の鳴き声が聞こえる。
あれだけの体の不調に関わらず寝覚めは非常にすっきりした物だった、だが。
「―ッ!」
あの時脳裏に浮かんだあの映像達を詳細に思い出そうとすると、頭の端に鈍痛が走る。
「○○」
聞き知った声が聞こえた。
勿論その人物とは聖白蓮だった、彼女は○○の横に自分の布団を敷き寝ていたようだ。
自分の回りを見ると何枚ものタオルに水を入れた桶が置かれていた。どうやら一晩中横について看病をしてくれたようだ。
「もう大丈夫なの?」
そう言いながら聖は○○の頬やおでこに手を当てる。
「うん、何とか。有難う聖、一晩中付いていてくれたんだね」
聖が頬やおでこにぺたぺたと触る手を、○○は自分の膝へと誘導する。

「何か、お腹が空いたな。皆朝ごはんはまだ?今からならお味噌汁と昨日の冷ご飯くらいは用意できるよ」
「大丈夫よ、朝ご飯なら一輪が用意してくれてるわ」
「お昼と晩御飯も一輪だけじゃなくて私や星に村紗、ナズーリンが手伝うから。○○は今日一日安静にしてればいいのよ」
聖は立ち上がろうとする○○を抱きしめながらその旨を伝えた。


朝食は一輪が気を利かしてお粥にしてくれた。それだけじゃなく漬物も一切れを更に二つか三つに切り分けてもくれていた。
皆お粥を食べている事に申し訳なく思った、普段命蓮寺での朝食はお粥ではなかったから。
自分の分の漬物も食べやすく切り分けてもくれているし、その優しさが身にしみる。

聖だけではなく、星、村紗、一輪、ナズーリンまでもが優しく接してくれた。
「今日一日といわず二三日寝て過ごしたらどうだ?」ナズーリンは特に優しかった。
ただ「だからと言って聖・・・○○は病み上がりなんだから」小言は無かったが、無言で分かっているよな?と言う視線を聖に送っていた。
この手の浮ついた話が嫌いではない村紗がニヤニヤとして、残りの2人は顔を赤くしていた。

普段○○が命蓮寺で行う雑務を5人が手分けして片付けてくれているため、この日の○○はやる事が何も無かった。
いっその事何か仕事をしていたほうが、彼の中に生まれた疑念は大きくならなかっただろう。
何もやる事がない、ゆっくりと出来る時間があればあるほど。皮肉な事に彼の思考は倒れる寸前に見たあの映像の事になる。
詳細に思い出そうとすればやはり頭に鈍痛が走る。
何故?こめかみを押さえ痛みに抗いながら、どうしてもその事に思考が傾く。
あの時、気を失う直前に抱いた疑念、その方向は明らかに聖の方を。
ひいてはこの命蓮寺全体へと疑念の矢は向いていった。
虎丸星、、村紗水蜜、雲居一輪、そしてナズーリン。皆聖とはとても長い付き合いだ、○○の比ではない。

○○は強い罪悪感を覚えずにはいられなかった。今朝だけじゃない、いつもいつも○○はこの命蓮寺の皆にとてもよくしてもらっている。
その恩を仇で返しているような気がしてならないのだ。

でも、でもこの感覚は何なのだ?記憶に無い、経験した事も無いはずのあの映像たちは何なのだ。
「つきとめよう」
これは何か悪い病気なのだその病根をつきとめ、排除しよう。
これ以上この事で命蓮寺の皆に迷惑をかけるのは、あまりにも忍びない。
そしてもし、その原因を作ったものがいたとすればただでは置かない。そう決心した。


件の広場の前で足を止める。
こめかみがジワジワと痛くなるのを感じる、一体この広場に何があるのだろうか。

「○○」
聖の声がした。振り返るともう○○と聖の距離は異常なほどに近かった。
その近さを感じるのが一瞬早かったかそれとも遅かったか、そのまま○○は聖に抱きしめられていた。
今度の抱きしめられ方は昨日とは違う。胸元に引き寄せるのではなく両手を背中に回して抱きつくような体勢だった。
確かに○○もこの体勢で例の映像が見えた事はない。

「○○、ここでは例の物が見えやすいんでしょう?」
「それに病み上がりなのだから今日一日くらいはゆっくり休んでも良いじゃない」
ふつふつと、罪悪感が湧き上がるのを感じていた。
この妙な感覚のせいで一体私はどれほど聖に。いや、命蓮寺の皆に迷惑をかけているのか。
それを思うと心がちくちくと痛みを感じて仕方が無い。
だから「聖、俺はあれの原因を元から断ち切りたいんだ」
その決心を聖に話した、勿論あの時生まれた疑念は話せなかった。
話せば聖は悲しむ、想像するだけで胸が締め付けられるのが分かった。

「・・・○○、別に無理に相手しようとしなくても良いんじゃないのかしら?」
「でも、アレのせいで命蓮寺の皆には迷惑を何度もかけている。せめてもう見えなくなるくらいには―

聖の提案に○○は異を唱えた、申し訳なさとこれ以上迷惑はかけれないという思いから。
しかし、その全てを言い切る前に○○の唇は聖の唇によってふさがれてしまった。
「大丈夫よ○○。私だけは最後の最後まで貴方の味方だから」
「穏やかな心で居ましょう、これから先も。無理に嫌な物と付き合う必要なんて無いわ」
聖の手が○○の頬を丁寧に、ゆっくりと、そして愛おしそうになぞって行く。

「あの広場の周りには目隠しのついたてを立てましょう」
聖の行動は早かった。その日の内にどこかから資材を運び込み、件の広場も大きな布で簡単な目隠しをこしらえていた。
次の日の昼にはもうついたては完成していた。
最も○○は布が張られた後の作業を見ていない。聖に手を引かれ彼女の部屋へと招かれ、ずっとそこで戯れていたから。
聖は何処吹く風と言った感じだが。○○は翌朝のナズーリンの顔を見るのが、少しばかり辛かった。


半ば呆然とした表情で○○はそのついたてを見ていた。
ちなみに、ついたてには空を翔ける星蓮船が描かれる予定だという。発起人は村紗らしくかなり張り切っていた。
その日から修練前の準備運動なども借り受けている道場で行う事となった。


「高ぶると言うよりは強張っていますよ。力の入り方も何だかぎこちないし」

広場で修練をしていた際に、聖から言われたこの言葉を時折思い出した。
聖の指摘は恐らく当たっていたのだろう。何となくだが体が軽いような気がする。
しかし、それでも気になる廊下で倒れこんだ時に見たあの映像、あれを思い出そうとすると相変わらず頭に鈍痛が走る。
その鈍痛のお陰で詳細に思い出す事ができないでも居る。
ただ聖の言ったとおり、無理に相手をしない事で気分自体は良かった。
以前ほどあの発作に怯えなくはなった。それはいいのだが。
それ自体はいいのだが。何かを忘れているような、そんな思いがふとしたときに脳裏をほんの少しだけかすめる。




この日は里での祭りの日だった。祭りは毎年盛大に行われ、神輿なども出る大掛かりな物だ。
「はい、熱いから気をつけてくださいね」
勿論命蓮寺の面々も祭りに参加している。この祭りで命蓮寺の面々は毎年炊き出しを行っている。

一輪は子供たちに出来るだけ噛み砕いた表現をした説法を。聖と星は里の上役の人達に挨拶に行ったり。
村紗は説法に飽きた子供達を船に乗っけて豪快に飛び回っている。
祭りの朝に「今日はいい風だぁー!」と息巻いていた、確かに今日の風は少々強く、火を大きくするのに難儀した。
ナズーリンは○○と一緒に炊き出しを引き受けている。
何度かぬえが村紗と組んで更に豪快な船飛ばしをやっているのをナズーリンが止めに入っているので度々○○1人になってしまってはいるが。

「お帰り、ナズーリン」
「クソ!寸でのところで逃げられた」
本日何度目かの捕り物も失敗に終わったようだ。
「ナズーリン、ここ任せていいかな?手伝ってくれてる人達に炊き出しを届けてくるから」
炊き出しの主催自体は命蓮寺だが。
それを運営するのに、例えば火を起こしたり材料を運んだり切ったり。等の仕事は里の人達にも手伝ってもらっていた。
「ああ、任されたよ」


「皆さん今日はお手伝いの方有難うございます。炊き出しを持ってきたので霧のいいところで皆さん召し上がってください」
「これは○○様わざわざ有難うございます」
応対に出てくれたのは里の寄り合いをまとめる、いくつかの班の班長だった。

「いえ、こちらこそいつも有難うございます」
彼は命蓮寺が里での活動をする際、里と命蓮寺を繋ぐ繋ぎ役として親交があった。
不思議な事だが、初めて彼を見たとき○○は既視感を覚えた。
どこかで会った様なそんな感覚だった。
「今年も朝早くから力仕事だったり火起こしだったり・・・色々働かせちゃって」
「いえそんな!滅相もございません」
彼は初対面のときから非常に礼儀正しかった。○○の倍以上の量と勢いでペコペコと頭も下げる。
「もう炊き出しの方は今釜にある分で終わりですので今日は有難うございました」
「そんな、まだ片づけが残ってます。それにあの釜も洗って命蓮寺にまで送らないと」
「毎年すいません、星蓮船で運ぶとは言えその直前の作業まで手伝ってもらって」

「おっとう。もう食べようよ~」
「まだだから、もうちょっと待ってろ。すいません○○様うちの息子が」
お互い気の使い合いと頭の下げあい。話の終着点が一向に見えなかった。
それに近くに居た彼の息子がぐずり始めた。
「では、器はそこらへんにおいて置いてください。後で取りに来ます、では」
大体話を切り上げるのは○○のほうからだった。それにこれ以上この場にとどまるのは何だが可愛そうだった。
○○が席を立たなければ彼も彼の息子もいつまでたっても食事にありつけそうも無い。
彼のほうは戻ろうとする○○に向かって深々とお辞儀をしていた。

だが今年は戻ろうとする直前で思わぬ邪魔が入った。


○○たちの居場所に一陣の風が吹いた。
朝からの強風はこの特大の風が吹く前触れだったのか、そう思った。
そう考えたがすぐにその事より大事な事に気づく。
○○たちの居場所にはいろんな物が置かれている、この風でその中にある何かが倒れたら大惨事に繋がりかねない。
○○は即座に倒れそうなものが無いか縦横無尽に視界を移動させた。そして―
「危ない!!」
一番恐れていた事だった彼の息子に掘っ立て小屋の支柱が一直線に降ろうとしていた。

辺りを色々な物が崩れる音と砂ぼこりが襲う。
「くっ・・・」背中に重みを感じる支柱が自分に当たったのだろうかいやそれよりも。
○○は子供の方が心配だった。抱きかかえるのは間に合わないと踏んでせめて直撃だけでも避けようと突き飛ばしたのだった。
「「大丈夫か!?」」
「うああああん!!」
真正面には腕や足にすりむき傷を負った彼の子供が泣いていた。頭には怪我が無いようだ。
そして○○は妙な感覚に気が付く。自分以外の誰かがほぼ同時に同じような事を言った。

違和感の正体は別になんて事のないものだった、ついでに重さの正体もたいしたことはなかった。
重さのほうはただ彼が、息子を助けようとする際、一瞬早かった○○の背中に覆いかぶさっていただけで。
声もたまたま偶然重なっただけだった。
「ああなんだ、貴方でしたか」
彼のほうはまさか○○の上に覆いかぶさっているとは思わず、それを確認すると飛び上がった
○○の方はその事には全く気にもせず、子供の無事を喜びながらほがらかな顔で立ち上がった。

それだけの事のはずだった。彼の息子には大事も無く、ただそれだけの事と思った。
これは○○にとっても予想外の事だった、あの映像がまた見えたのだ。
そして今度は始めて感じる感覚が合った。
聖白蓮に見下ろされているあの映像が見えたとき、○○は誰かに組み伏せられているような感覚を味わった。
今までのようなざらつく感情と言った抽象的なものとは違った痛みのようなもの。
そして同時に○○の頭へと襲ってくる鈍痛、○○は思わず顔を歪ませこめかみを押さえる。
彼の方はその様子に○○を気遣う言葉をかけるが。
気遣われていると言うのが理解できるだけでどんな言葉かの判別もあやふやな状態だった。

「い・・・いえ大丈夫ですよ。じゃ、じゃあ・・・私はこれ・・・・・・で」
痛みから来る苦悶の表情が多分に入り混じった笑顔で場を繕い立ち去ろうとするが。
歩こうとする足が絡まり、その場に倒れこんでしまった。
周りの人間が○○の名を呼ぶのが聞こえる。
意識が朦朧としてそんな声もぼやけていく中でも、キリキリと痛みを増す鈍痛だけは鮮やかだった

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最終更新:2011年11月26日 10:59