命蓮寺の境内。寺の大元となる建物は星蓮船そのものだが。
参拝者や人との付き合いが増えると共に、星蓮船の周りにいくつかの建物や沿道も整備されていった。
その建物群の中に。建物と建物にはさまれる形で、不自然に空いた一つの空間が合った。
建物同士の間にしては大きすぎる。そこに何か一つ、新しく建物を建てれるくらいの幅があるほど広かった。

別に何の目的があってそこに空間を作っているわけではなかった。少なくとも彼が知る限りは。
どういう経緯でここにこんな広い空間が出来たかは知らない。
少なくとも彼の中にある記憶では、自身がこの命蓮寺で世話になった時からこの空間は在ったような気がする。

しかし彼はその空間に対して何かを常に感じていた。

「○○・・・またこんな所で」
彼に声をかけるのはこの命蓮寺の住職。名前を聖白蓮と言う
その顔は酷く悲しそうだった。

彼はこの命蓮寺で修行者としてもう何年もお世話になっている。
「ここで修練を積んでいると。何でか分からないけどいつもより気が高ぶるんです」
彼はいつもこの場所で修練を積んでいる。
勿論この命蓮寺での彼の待遇が悪いわけではない。むしろ良いぐらいだ。

窓も棚もあるちゃんとした部屋も自室として与えられており。聖から好きに使って良いと言われている畳張りの道場も借りている。
しかし彼はそこでよりも、この奇妙な広場での修練の方が身が入るのだ。

どういう訳かは彼自身も分からなかった。
勿論借り受けている道場もありがたく使わしてもらっている。しかしそれでも稽古前の準備運動や黙想は道場よりも、もっぱらこちらで行っていた。

聖はその様子を見る度に、明らかにそうだと分かる悲しそうな表情を浮かべる。
「・・・ここで何かを感じるのですか?」
そんな質問を何度も問いかけられた。
感じないと言えば嘘になる。この空間に立つ度に既視感と違和感。その二つが入り混じったおかしな感覚を強く感じていた。
そして彼はその二つの感覚に、自分自身に関わる非常に大事な何かがあるように感じてならなかった。
妄執に近いとは思っていてもどうにもその妄執をどうにも否定できずにいた。

不意に聖が○○を抱き寄せる。前振れ、予兆のような物を感じられなかった○○はなすがままに抱きしめられる事となった。
「高ぶると言うよりは強張っていますよ。力の入り方も何だかぎこちないし」
背中をさすり頭も軽く押さえ、聖は自分の胸に○○を抱き寄せたまま離そうとしない。
でも、引き剥がそうと思えば出来る程度の力だった。しかし○○は抵抗しなかった。

妙なこだわりを持ち続ける事に対してのいくばくかの罪悪感と、抱きしめられる事に対するよこしまな気持ちが入り混じっていたから。
聖の胸にうずまる彼、よこしまな気持ちを自覚しながらも安らぎを感じていたが。
途端、彼の思考に何かが見えた。

彼の脳裏に、彼が記憶する限り恐らく無かったであろう場面が思い浮かぶ。
薄暗い部屋で聖と思われる女性が自分を見下ろしている場面が。不鮮明ながらも強烈に彼の脳裏をかすめる。
そのノイズのような思考に彼の体はビクンと波打つ。

「○○!?大丈夫?」
「ん・・・ああ大丈夫だよ。ごめん心配かけて」
その薄暗い部屋にも状況にも彼は見覚えは無かった・・・しかし彼は何度もこの場面が頭に浮かぶ。
その度に彼は言いようの無い不安感と不快感に襲われる。
今も立っている事も間々ならないくらいの脱力感に、冷や汗と油汗が混じったような気持ちの悪い何かが体に張り付いている。


「○○・・・今日はもう休んだら?」
力が抜け、地面にへたり込む○○を聖は優しく両肩を持ち支えながら一言声をかけえる。
「今日は外回りも終わったし、他に外に出る用事も無いから」
「毎日動いているんだからたまに休んだからって罰は当たらないわ。だから・・・ね?」
「・・・そうだな」
へたり込む○○の視線にあわせ、○○の目をじっと見つめ、やさしく微笑む聖の提案に彼はうなずいた。

「ごめんね○○・・・私を見上げる体勢が一番アレが見えるって知ってるのに」
聖を始め、命蓮寺の面々は○○が時折味わうこの奇妙な現象を知っている。
「聖には責任なんてまったく無いよ。ホントおかしな話だよあれは」
それに対して彼女達は非常に好意的に彼の事を見ていた。
彼は身に覚えの無いはずのおかしな感覚で迷惑をかけていると考えている為、その事について非常に申し訳なく思っていた。

その日は聖の言うとおりにこれと言った事はしなかった。
庭の見える縁側に座りまったりとする。まだ明るいうちにこういうことをやるのは久しぶりだな、そう
思いながら茶をすすっていた
「ねぇ、○○」

聖が○○の手に指を絡ませてくる。○○の方はそれに対しては抵抗はしなかった。
だが、近づこうとする聖に対して○○はその距離を一定に保とうとしていた。
「・・・まだ明るい」そうやんわりとも伝える。
聖のこういった行動はこれが初めてではない。
聖と○○はもう何度も寝床を共にしている。始めの方は聖の方から誘う事が多かった。
だが居候の身である事にある程度の遠慮を抱いているため。彼から誘う事もあるとは言え数的には稀だった。

「なら奥で少しだけ・・・皆知っているんだし。ナズーリンも見えないところでなら文句は言わないわ」
○○と聖の関係は周知の事実だった。朝となく昼となく戯れる2人の様子に、ナズーリンが少しだけ眉をひそめているくらいだった。

ただ、聖は女性として非常に魅力的な存在だ、抗いきれる事はほぼ無いといって良かった。
聖が板張りの廊下に手を付く少しばかり大きく響いた。
聖が○○との距離をつめてきた。一応○○は聖の肩に手をやり、これ以上迫ってこないように押さえてはいる。
しかし興奮を抑えることはできない、聖の息遣いが聞こえ生唾を飲み込む。もしかしたらこの音も聖に聞こえているかもしれない

「もはや様式美と化しているな、その姿も」
後ろからの声に振り返ると、そこにはナズーリンがいた。
ナズーリンの顔には明らかに呆れの色が見て取れた。
「やるなら奥のほうでやってくれないか?ここでは不意に命蓮寺以外の者に見られるかもしれない」
度々言われる言葉だった。その言葉を言うナズーリンの顔には呆れの色が見て取れる。


「見えないところでやる分には何も言わないよ」
これも毎回言われる言葉だ。
「ナズーリンも言っているし・・・少しだけ」
ナズーリンの方は手をひらひらさせながらその場を立ち去ろうとしていた。止める気は全くないようだ。



その日も結局奥の方で軽く戯れてしまった。
「そろそろ食事の支度をしないと」そう言って切り上げていなかったら行く所まで行っていただろう。

家賃代わりに命蓮寺での雑務は出来る限り行おうと○○は決めていた。
「・・・なんだこれ?」
炊事場に足を向ける際にある物を目にし、そう声が漏れた。
命蓮寺の所帯とはとても不釣合いな大きさの釜が庭にドカンと置かれていた
「直に祭りがある、そこでうちが毎年炊き出しをやるのは知っているだろう?」
ナズーリンの声で振り返る。
「今の釜は古いし中途半端な大きさだから、新しくこしらえたんだ」
確かに庭に置かれているそれは黒ずみや焦げなど何もないまっさらな風体をしている。
「里の人にここまで運んでもらったんだ・・・表に人の気配がないからどうした物かと思ったら」
「本当に勘弁してくれよ○○・・・今回は見られなかったから良かったけど」
「戯れるのは別に構わないが、見られないようにする気配りは見せてくれ。断りきれないならそれくらいは頼むよ」

ナズーリンの言葉は常々耳に痛かった。
虎丸星や雲居一輪が言わない分を補うように、度々○○に最低限の自制を促してくる。

「断りきれないなら・・・か」
恐らくナズーリンは○○が聖の誘いを断りきれないと思っている。
だから戯れる事に対してはほぼ何も言わないのだろう。
情けない話だ。ナズーリンの言葉を反芻しながら○○は思う。
湯船につかりながらそんな思考にふけっていた。
答えは出なかった。風呂上りだというのに何となく重い気分で廊下を歩く。
視界に例の大釜が見える。
「置く所あるのかな」
そういえばあれの置き場所はどうなっているのだろうと気が付く。
頭の中で運び込めそうな場所を探していたが、そういう所にはもう色々な物が合って置けそうな空間は無かった。

「また新しく倉庫でもこしらえるのかな?」
その方法では物は増える一方だが、捨てれるものというのは案外無い。年に1回程度でも何だかんだで使うものが多かった。

「建てるとすればあそこ―
その感覚は何の前触れも無しに○○を襲うものだった
自身がよく使っているあの奇妙な広場。新しく建物を建てるとすればあそこが適当だろう。
そう考えが付くとほぼ同時に、またあの映像が。○○の脳裏に強烈な勢いと衝撃で襲い掛かってきた。
しかし今度の映像は今までのような短く粗い物ではなかった。非常に鮮明な映像が彼の脳裏に浮かんだ。
建物の詳細な間取りは、何階建てなのか、何が置いて合ったのか。あるはずの無い建物の情報が彼は何故かスラスラと思う事が出来た。
そしてそれらと一緒に、はっきりと聖白蓮が自分を見下ろす映像も見えた。
その映像は毎回見る。しかし不鮮明な物しか見えずそう言いきる事が出来なかったが、今度こそはっきりと言えた。
その表情はとても悲しく今にも泣き出しそうだった。しかし―
「ん!?うぉええ!!」
○○はその映像に言いようの無いざらつく醜い感情と同時に、吐き気悪寒頭痛と言った体の不調に襲われた。

気を失いそうだった、しかし○○は踏みとどまった。
片方の手は爪が手のひらに食い込み、血を流す程握り締め。もう片方は爪が折れる程の強さで廊下の縁を握り締めていたからか。
「何かある・・・絶対に何かある!」
そう確信せざるを得ないほどの異変だった。さっきまで気分の落ち込み以外は全くの健康体だった○○をここまで追い詰めるには絶対に何か理由がある。


バタバタと誰かが廊下を走ってくる音が聞こえてきた。
「○○!?」
その音の主は聖だった。
聖は吐しゃ物を廊下の縁から庭に向かってぶちまける○○を抱きかかえる。
○○の意識はそこで途切れた。途切れる瞬間、いつも聖に抱きしめられるときに感じる安堵感は確かに感じた。
しかし、疑念も生まれた。

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最終更新:2011年11月26日 10:59