○○は歩く。かつて自分が追い立てられた道を・・・そのはずだった。


里から命蓮寺に続く道は、今○○が歩いているこの一本しか存在しない。
それなのに、本当にこの道で合っているのか?と言う。そういった疑問が何度も○○の頭の中を通り過ぎる。
今の○○の中には2つの記憶が交錯していた。1つは聖白蓮によって封印された記憶。
もう1つは、つい先ほどやっと取り戻す事ができた本当の記憶。
その2つが○○の頭の中で目まぐるしく交錯していた。しかし、時間をかけて考えれば。どれが嘘で何が本物なのかはどうにか判断をつけれた。
嘘の記憶を真実と誤認したくなかったから。真贋の区別は慎重に行っていた。

「もしかして・・・作り変えたのか?」
辺りを見回し、記憶の整理をしながら、○○はある結論にたどり着いた。
作り変えた。自ら発したこの一言に、○○はまた一つの事を思い出すことが出来た。
命蓮寺境内の外観と、本殿の内装。○○の脳裏の浮かぶ映像には、それが二種類あった。

1つは記憶を操られ、修行者と言う偽りの身分で命蓮寺にいた時。もう1つは騙され続けた時の記憶。
その二つの記憶が映し出す映像の間には、大きな齟齬があった。何もかもが違っていた。

「そこまで・・・・・・やるだろうな」
作り変えたとしか思えなかった。命蓮寺の境内、本殿の内装。そして、里と命蓮寺を繋ぐ沿道すらも。
かなりの大仕事のはずである。それでも、そこまでやるかとは思わなかった。ここまでの事をやるのだから。
○○の記憶を封印する上で、それが有効と判断したのなら。あいつ等にその発想を止める考えなど、あるはずも無い。


先ほどまで感じていた、妙な違和感。それは○○が嘘の記憶の楔を葬りされたからだ。
葬り去れたからこそ、違いに気づく事ができた。
この沿道は・・・いや、この沿道も。間違いなく作り変えられている。
実際思い返してみても。操られていた頃は、沿道や境内の風景、本殿の内装にここまで注意を払わなかった。
「あいつら・・・木々まで伐採したのか?」
全てが作り変えられていた。およそ、○○の知る全ての景色が。この沿道すら、印象を変えるために木々の伐採を行ったように感じられた。
道端に生える草の生長に比べれば、木々の生長はもっと遅いはずである。
よくよく思い出せば。道の曲がりくねり方などは覚えがある。しかし、木々の風合いや枝の茂り具合などには雲泥の差があった。

自然に任せて、ここまで変わるには相当の期間が必要なはずである。
時間の経過に考えをめぐらした○○はふと不安になり、○○は自分の顔を触ったり、両手を何回も見比べた。
幸いにも、皺やシミなどと言った物は見当たらない。○○は安堵のため息を漏らした。
相変わらず、○○は一体どれだけの期間、記憶を操られていたのかを分からずにいた。
だが、体を確認する限り。劇的な老化は起こっていない。気づけば浦島太郎のようなおじいさんになっていたなど・・・考えたくも無い。


劇的な老化は起こっていない。ならば、二つの記憶が映し出す映像の間にある齟齬の説明は。
最早そう思うのが自然だろう。全て、彼女たちが手を加えて作り変えたのだ。
○○はむしろ感心すら覚える始末であった。いっそ清清しい位だった、その周到さに。
「見覚えのある景色が一つもないな・・・」
感嘆の呟きと共に、○○は里への歩みを進める。





大広間にはその男と聖の二人だけが残された。
里長を始めとした一同は、部屋を出た後の動作こそ早々としていたが。部屋を出る際のお辞儀だけは、やたらと丁寧な物であった。

二人の目の前には、ここでも気を利かしてくれたのか。一つずつ急須と、茶菓子のお代わりが置かれていた。
緊張から喉が渇くのか。男はしきりに急須の中身を湯飲みに入れ、もう全てを飲み干してしまっていた。飲み干した後は湯飲みを爪でコンコンと弾いたりしていた。
食べる気になれないのか、茶菓子は少し触って皿に戻したきりだった。

そうやって○○がくるまで、ただただ時間を持て余していた。その顔は、先ほどまでと比べるとやはり強張っている印象を聖は受けた。
聖は急須にも茶菓子にも手を付けず、男の顔をずっと観察していた。
何度か目も合った。その際、他の里人に向けたようなわざとらしい微笑を浮かべる。
それでも、ほかの里人と違い。人外の存在と多少の付き合いがあり、肝が据わっているからか。少しぎこちないが、ある程度は微笑み返す事が出来ていた。


その男の顔を見れば見るほど、聖には思う所があった。
何の因果かは分からないが。その男の顔は、死んだ父親よりもまだ存命中の祖父に似ていた。
あの時は。○○の記憶を改ざんする作業の際は、この顔立ちを思い出すだけではらわたが煮えくり返っていた。
それでも、○○の記憶に矛盾を生まない為に。○○に植えた楔の意地の為。
形だけでも里と付き合ううちに、すくなくともあの男の一族に対しては、怒りや憎しみを感じることが無くなった。
今では、道場と哀れみを持った目でその一族を見ることが出来ていた。


そしてそれと同時に、徐々に聖は人里に対する恨みも消えていっていた。
変わりにに出てきたのは、侮蔑と嘲笑だった。里人の、あの男の一族に対する余りにも低い腰。
平身低頭と言う言葉ですら表現しきれないほどの卑屈さ。その卑屈さは、自分達人外のものに向けられる物に、よく似ていた。

彼の祖父や父親が、何を思っていたかは知らないが。少なくとも彼は、どうやらその卑屈さに気づいてはいないようだ。
彼が里人に向ける表情は、明らかに慈愛に満ちたものだった。
自分はこの里を守る為に働かなければならない。そういった決心も、所々に垣間見える確かな力強さを感じた。
だから余計に。聖は彼のことを可哀想な存在だと思っていた。




聖が自分の顔を覗き込んでいる。
勿論、その男は聖の視線に気づいていた。彼の顔に出来る強張りは、決して憤怒に燃えているであろう○○を待っているからだけではない。
その男の脳裏には1つの気がかりがあった。その気がかりが原因で、○○は記憶を取り戻したのではないか。

そう考えているから。自分は○○だけではなく、聖白蓮にも恨まれているのではないか、そう考えざるを得なかった。
「・・・聖様」
本当はその気がかりが考えすぎかどうかを聞くのも怖かった。
しかし、もしその考え過ぎでなかったら。何としてもその恨みは自分が一身に背負わなければならない。
自分の、子供の為にも。

「何でしょう?」
この緊迫した事態にあるにもかかわらず。聖の表情は柔和で穏やかそのものだった。
その肝の据わり方に。種族の違いをまざまざと実感させられていた。
「1つ・・・お尋ねしたいことがあります」

唇を震わしながら。ゆっくりと、丁寧に。その男は言葉を進める。
「あの祭りの日・・・私は○○様の記憶の蓋に触れてしまいました。もしかしたら・・・」
「大丈夫ですよ。あれは殆ど関係ありません」
あの祭りの日。急な突風で掘っ立て小屋の柱が、彼の息子に一直線に降ろうとした時。
勿論、彼は息子を助けようとした。
しかしその時、間の悪い事に。彼と同じように、助ける為に飛び上がった○○の上に覆いかぶさってしまった。

「多分・・・貴方が気にしているのは。貴方が○○に覆いかぶさったのが、あの蔵でのことに似ているんじゃと思ったからでしょう?」
聖の質問に、コクリとだけ頷いた。
聖の言うとおり、彼はそれを一番気にしていた。彼も勿論、○○が今は無いあの蔵で何をされたかは、よく聞かされていたから。

「ええ、まぁ。確かに似ていますね・・・・・・しかも、その状況を作ったのが他ならぬ貴方ですから」
後半部分を口にするとき、聖はわざとらしく笑って見せた。その視線と笑みに、彼は一瞬さっと顔が青ざめた。
「でも、そうなるかなり前から。○○に植えた楔は取れかかっていたわ・・・経年劣化ってやつかしら」
「だから、殆ど関係ないわ。安心なさい」
自分の行為が直接の原因ではない。そう言われて、強張った肩の力が男から明らかに抜けていくのが見て取れた。

それでも、関係がないのと。許す許さないは別問題のような気がして、チラリと聖の表情を確認した。
「疑ってるの?」
「い・・・いえ!そんな、滅相もございません」
どうやら自分の勘繰りすぎだったようだ。そう思うことにして、この話題は仕舞いにした。
「むしろ、貴方ごときで楔を外せると思ってる方が。思い上がりと言うものよ」
「は・・・申し訳ありません」
安堵と恐縮を入り混じらせながら。彼は相槌を打つ。その顔にはほんの少しだけ、生気が戻っていた。また子供に会えるかもと思い。


「所で、お祖父様はお元気なの?」
聖は話題を彼の祖父に移した。聖にとってはある意味、これは気になる事柄だったから。
聖から祖父の話を切り出され。その男は、明らかに言葉に詰まっていた。
「・・・元気では全く無いですね。もう一日中床に伏せています」
もう長くない。はっきりとそう言っていないが、十分にそう理解できた。

「鬼籍にもう半分名前を書かれてしまっています。明日どころか、今夜いきなりと言うことが合っても、不思議ではありません」
祖父の話をするその男は、明らかに落ち着きが無かった。聖の目も、まともに見れなかった。
恐ろしかったからだ。どんな表情をしているか確認するのが。

「大丈夫よ、もう余り気にしてないから」
「・・・・・・有難うございます、聖様」
「絶対に許さないけど」
深々と礼をしようとするその男に。最後の最後で釘を刺す事は忘れなかった。
礼は途中でピタリと止まった。彼の体も、表情も。寒くは無いはずなのに、ガクガクと震えていた。

余り気にしていないのは本当だった。だがこの恨みだけは忘れさせたくなかった。彼にも、彼の子供にも。






ようやく、里の正門が見えてきた。
正門には、門番らしき人間達が・・・正座の体勢で座っていた。その門番達は、○○の姿を確認すると、サッと頭を下げた。
今までは抑えていた物が、また噴出すのを○○は感じていた。
体はわなわなと震え、拳には力が篭り、顔の方もまたヒクヒクと口角が吊り上る。
だが今度の吊り上がる表情は、命蓮寺の時のような侮蔑と嘲笑ではなかった。怒りに震えながらのものだった。

頭を下げる門番の、震える体を十分に確認できる位置まで歩くと。○○は歩を止めた。
そして、何度か深呼吸を繰り返し。大声を張り上げる準備をした、今のままでは震えてまともに叫べそうに無いから。


「聖白蓮と!!!俺を嵌めた!あの男は何処だぁぁぁあああああ!!!!!」
○○の大声は。恐れおののいた門番達からの悲鳴すらかき消すほどの、轟音であった。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2012年02月16日 12:53