魔法の森に住んでいるのは悪い魔女だから近づいたら駄目だよ。


いつかの雑貨屋の店長はそんな事を言っていた。
ただ、森に迷う事までは想像していなかった。
別段、危険な妖怪が練り歩き侵入者を食い荒らしたりという事は無いのだ。
ただ白黒の魔法使いに聞くと妖精やら、そういった類に魅入られてしまうと言っていた。
「あれは寂しがりだからな」
寂しがりの妖精は、自分の獲物を決して逃がさないんだと。
そんな性癖は無いよと魔法使いを一蹴して、
探し物をしに森に入った。

迷う事までは想定していたが、
日が暮れるまでは考えていなかった。

こうなれば妖精を口八丁でだまくらかして一宿一飯盗んでやろうかと思っていたところで、
森の奥からランプの明かりがゆっくりと近づいて来た。
何か幻覚でも見せられているかと思った。
ランプの主は、美しかった。
上手く表現出来ない辺りやはり何かに幻惑されていたのかもしれない。
ただ、大きな本を抱えたその少女は、
僕の姿を見るとゆっくりと口を開いた。
「ここは」
ゆっくりと口元を緩ませ、
手に持ったランプを捧げる。
「悪い魔女が出るって噂なんだけど、
 家まで送って貰えないかしら」
はっきりと言葉が出ないままにそれを了承した。
下心は勿論あったし、
何より何事も無いにしろ夜道を一人で歩くのは不気味な物だ。
僕は喜んで彼女、アリスを見送る事にした。

見た事も無い木々が生い茂り、
聞いたことの無い鳥の鳴き声が響く。
おかしい、
彼女の家に近づいてるはずなのに、
段々森の奥へと進んで行く。
話の途切れた瞬間、
後ろへ振り返ると今まで通った道筋すらわからない。
聞かなければ良いのに、
なあ、ここは森の奥じゃないのか、
悪い魔女がいて危険じゃあないのかと、聞いてしまった。

アリスはくっくっと笑い、
「大丈夫よ」
掌をぎゅっと絡めて来た。
「私がその、悪い魔女だから」
背中が凍り付く。
まさしく蛇に睨まれた蛙といった所か、
抵抗も、拒絶も出来ないまま、
相手の興が削がれるのを望む事しか出来ない。
不意に、アリスがランプを手放す。
地面に落ちたランプは明かりを失い、
辺りは漆黒に包まれる。
もう片方の手に、彼女の指が絡み付けられた。
「今日はもう遅いから、泊まっていくと良いわ」
ふわり、足元の感覚が無くなった。



アリスに捕まって暫く飛んだ後、
森の奥、自分がどこにいるのか分からなくなった頃、遂に彼女の家に着いた。

生命の危険をうっすら感じながらも、
下手に逃げる方が危ないので彼女に甘えるしか無い。
家に入ると高い声で
「アリスオカエリー!」
人形が飛んでアリスに抱き着いた。
「ええ、ただいま上海」
「ソノヒトタ゛アレー?」
「ああ、○○は……お客さんよ」

狙っているのだろうか、その日の夕飯はシチューだった。
「……食べないの?」
「え、あ、いや、猫舌なんで……」
単純に警戒していただけだが、
アリスはくすっと笑い、
僕のシチューをスプーンで掬い、
暫く息を吹いて冷ました後、
「はい、あーん」
「あ、あーん」
「ふふ、別に変な物なんか入って無いわよ」
優しく笑っていた。


「アリスは、本当に悪い魔女なの?」
食事の後、一緒に食器を洗いながらそんな事を聞いてみた。
「そうね、
 森で迷った可哀相な子供を自分の家に掠っちゃう、悪い魔女じゃなくて?」
彼女は笑っていた。
「寂しかっただけよ、人形はいるけど、
 あんまり好いてくれる人がいないからね」
アリスは悲しい目をしていた。
そんなに人と会う事が無いのだろうか、
白黒の魔法使いや雑貨屋の店主は彼女を知っているようだったが。
「ねえ、○○」
洗い物をしていた手が握られた。
「暫く、ここで暮らさない?」
断る理由は無い。
ただ強いて言うなればついさっき出会ったばかりの相手にそこまで心を許せるものか。?
「帰りたくなったら、
 そう言ってくれたら帰してあげるわ」
肩を掴んだアリスのその一言は色んな意味を含んでいた。
帰りたくなくなる程の待遇をするよ、
都合よく寝泊まりして良いよ、
ただ、
帰りたいなんて言わせないよ?
「わ、わかった……」
いいや違うね。
何も分かっちゃいない。
ただ得体の知れない物への恐怖から条件を飲み込んだだけだった。

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最終更新:2010年08月27日 01:06