「では、今回の交渉も進展は無しと言う事ですか」
「はい、残念ながら」
「…………ご苦労でした。下がりなさい」
「……はっ」
仙界にある屋敷の中、豊聡耳神子の部屋を退出する道袍を纏い、冠巾を被った導士○○。
千数百年前に神子達に仕え、彼女らの陰謀に付き合わされて霊廟で眠りに付いていた唯一の男である。
主に道教の教え、神学や仙道の研究を旨とする神学者であった為、霊廟が開かれた時の戦いは殆ど傍観していた。
「はぁ……あの寺との対立すら解けないようでは、何時になったら世に正しき道教を広める事が出来るようになるか」
彼は戦いが苦手であったので、主に幻想郷の各勢力との折衝に当たっていた。
数が一番多いのは里での信仰勢力として名高く、こちらに対する隔意と警戒を隠そうともしない命蓮寺だ。
兎に角戦争状態は避けようと努力はしているのだが、相手は外界から増援(佐渡の狸の元締め)すら呼ぶ始末。
幸い、巫女達によって何故か撃墜され事態は落ち着いたが、ちょっとしたきっかけで戦いになる危険性はいまだ高い。
今日も命蓮寺に出かけ、住職との交渉と言う名の水掛け論を延々と行ってきた所である。
彼の主である豊聡耳神子や、直接の上司である物部布都の主張と、妖怪達の主張は全くをもって水平線だ。
幸い住職は話を聞いてはくれるものの、熱が入ると南無三と叫ぶ辺り進展には繋がらない。
術者としての腕は一流だが間の抜けた所の多い布都の指示通りに書面を書いていたら、間違いなく経典が光り輝いていた事だろう。
うん、暴力反対。宗教戦争だなんて冗談じゃない。
「しかし、今の世界は色欲に満ちているのだろうか? こうも男女の諍いが絶えぬとは……」
茶屋の軒先で茶を啜りつつ、○○は通りを眺めている。
そこでは、様々な痴話喧嘩が繰り広げられていた……。
仙界 布都の家
「だから言ったじゃろう。あの輩共とはまともに話しても聴く耳など持たぬと」
「布都様、そうは申しましても戦いとなれば道教の布教も陰陽寮の再興も遅延が生じます。
幸い、首領格の人物とはまだ交渉は可能です。粘り強く妥協の為の交渉を続けるべきでしょう。」
口を尖らせる布都の様子を見て、○○はこう付け加えた。
「それに、全面戦争となればあの巫女達が鎮圧に出て来ます」
「む……」
流石に自分を下した相手の事は苦手なのだろう。
彼女は不機嫌そうに口を噤んでしまった。
布都との話し方は慣れているとはいえ、こうして何度も宥める事になると疲れてくる。
「さ、本日の案件は以上となります。布都様もお疲れでしょう。お休みになられたら……」
「そうだな、のぅ○○、寝る前に……房中術の修行と参らぬか?」
気が付けば、何時の間にか近付いていた布都が自分の手に手を重ね、指を絡めさせている。
普段は無駄な位に勝ち気な目付きも、トロンとした甘い目付きに変わっていた。
「……淫蕩に耽って快楽を追い求めるのは長生術の理に反すると思いますが」
「それを堪え、操るのが房中術じゃろ。ささ、湯浴みにいこうぞ。外回りの労を労う為、我が背中を流してやろう」
無茶苦茶な事を言っているが、結局この押しこそが布都なのだろう。
思えば絶やした一族の中で、例外的に生き残らせ、弟子に取る時も強引極まりなかった。
○○の人生は布都という女が、その基幹に根を張り巡らせていた。
二人の汗の臭いが混ざった寝所で、○○はウトウトと微睡んでいた。
○○は、房中術の教えの通り、布都を充分に楽しませてから眠りに付かせた。
千年を越える昔も、そして復活してからの間も、布都との房中術の修行という名の交わりは珍しく無かった。
布都にとって○○は欠かせなかったし、○○にとってもそれは同じだった。
欠点の多い布都ではあったが術者として一流であったし、命を永らえさせ、自分に道教を目指す切っ掛けを与えたのは彼女だ。
○○にとって布都は手のかかる上司であり、恩人であり、師匠であり、そして当たり前の様に情を交わす事が出来る女だった。
「…………」
ふと、視線を天井に向ける。
寝所の周りにある結界点のギリギリ外側、布都には感知出来ない場所から、視線が向けられていた。
(青娥様……)
澱んだ視線と、虚ろな笑顔を浮かべながら青娥が壁の中から顔だけを出していた。
壁抜けの邪仙、神子の一派に大陸の術をもたらし、計画の発端を作り出した邪仙。
そして、○○の仙術の師でもあり、初めての女でもあった。
「計画を打ち切る!? それどころか全て破棄せよとはどういう事ですか!!」
豊聡耳神子の言葉を前にして、○○は目を剥いて叫んでしまった。
千年以上をかけて自分達を不老不死とし、政の中枢を不変のものとする計画。
それを打ちきると○○の主は言ったのだ。
たった数週間で見る影もない程にうち拉がれた豊聡耳神子が。
「反論は許しません……もはや、私には……豊聡耳神子という存在が、邪魔でしかない」
ガシャンと音を立てて七星剣が放り出される。
彼女の力の象徴たるものが、まるでゴミのように。
側近達が止める暇も無く、彼女の姿は黄金の粒子に包まれ消え去った。
最後に一言だけ呟いた。
「今から行きますよ……全部捨てましたから、ただの私だけなら、受け入れてくれますよね?」
虚ろな目付きと、何かから解放されたような、そんな顔で。
どうしてあんな事に、と○○は悔恨の念が尽きない。
先月までは、神子は今まで以上に充実していた感じがあった。
式神の報告によれば、里に出入りする外来人の1人と交流していたとの事だが……。
何か、その者に唆されたのか? もしくは誑かされたのか?
○○は疑念を確認すべく、滅多にしない完全武装を自らに施して人里外れにある外来人の居住区へと赴いた。
そして、神子が懇意にしていた外来人の若い男が失踪した事を聞き、茫然とする事になるのだった。
千年を超える時間を待ち、仙人になってまで実行しようとした計画は終わった。
目的を失い、どうすればいいか○○は途方にくれた。
計画を進めその頂点に立つべき存在は自ら全てを投げ出して去ってしまった。
ただのお付き学者であり、研究者に過ぎない○○は計画が破綻した後、為すべき事を見失ってしまった。
○○は、布都の屋敷で爛れた生活を送っていた。
廃棄された計画の研究を意味もなく惰性で続け、生活も性活も何もかもかつての上司である布都に依存した。
布都は腑抜けてしまった○○を叱責する事も無く、去ってしまった神子を捜索する事も無かった。
ただただ、○○を己の屋敷で囲い、養い、夜ごと○○の腕の中で嬌声を挙げていた。
そんな布都に、○○は寝物語で問うた事がある。
計画が破綻して、何故貴方は悲嘆する事も無いのかと。
布都は妖艶に笑い、○○の胸板を愛おしげに頬ずりしながら答えた。
「我にとって計画は別に完全なる状態で成功する必要など無かったのだ。
こうしてお主と共に現世に復活出来た地点で、計画に拘る必要はない。
我の欲しいものは既に我が手中へと収まっておる。既に、な」
布都の、歪んだ、しかしとても幸せそうな笑みを前に、○○は何も言えなくなったのだった。
布都エンド
最終更新:2013年01月08日 14:31