ケフと、咳が零れ落ちる。
そのまま咳が続き、ごほごほと咳き込む。
口元を押さえた掌を見ると、紅い染みが付いていた。

「具合はどうかしら、○○」

静かに襖が開き、幽々子さんが姿を現した。
ボクの部屋はこの屋敷の持ち主である西行寺家、その当主たる彼女の隣室だ。
美しい蝶の絵柄の襖を幽々子さんが潜ると、それはもう絵になる。
内側から蝕む、ボクの身体を先天的に蝕む病魔の痛みすら忘れる位に。

「すみません、あまり調子が良くない様で……あまり近付かない方が良いかも」
「あら、私は既に死んでいるから病は怖くないわよ」
「違いますよ、血が、結構飛ぶから、幽々子さんに掛かったら迷惑だと思って」
「そうね、血が出てるわね。肺から出た血かしら……死の色合いが強いのねぇ」

ボクの掌の血をすっと拭った幽々子さんは、指先に粘つく血を暫し見詰めていた。
彼女は死に通じている存在だ。冥界の逗留屋敷を支配する、亡霊姫。死を操る規格外の死霊。

「やっぱり、そうなんですね。いや、解っているんですよ。外の医者達からも匙を投げられましたし。
この病気を治す術が見つかるまで、ボクの身体は持たないって宣告されたんです」

ボクはこの幻想郷と呼ばれる世界にやって来て、直ぐに冥界へとたどり着いた。
幽々子さんが言うには「あなたと言う存在は死に近すぎるからここに来たの」とか。
確かに散々入退院を繰り返し、発作で何度も死にかけたボクだから彼女の言う意味が何となく解る。
看病に疲れた家族の顔を見るのも、死にかけ続けるのも嫌になっていたから、ボクは此処に招かれたのだろう。
外界に残した家族にはちょっと悪い事をしたと思う。さっくりと死んでいた方が思い切れただろうに。

「見て、○○」

幽々子さんが、ボクの血を襖になぞり始めた。
何をしているのかと見ていたら、引き延ばされた赤は小さな蝶々の姿となった。
そして、襖に描かれた蝶々は何と襖から浮かび上がり、ヒラヒラと羽を動かし部屋の中を飛び回り始めた。
紅い鱗粉を撒きながら飛ぶ蝶々は、死に限りなく近いボクの身体から出たものとは思えない程綺麗で力強く飛んでいた。

「元気ですね、ボクから出て来たものとは思えないや」
「それだけ死の気配が強いという事よ。私の力を媒介にしているけど……あなた自身がそれに近しいのもあるわ」

幽々子さんはヒラヒラと大きな和扇子で紅い蝶々と戯れ始める。
何だかみょんに楽しそうなのでちょっとだけ嫉妬した。

「ボクもそういう風になるんでしょうかね」
「普通に幽霊になると思うわよ。ちょっと特殊な、だけのね」
「随分はっきり言うんですねぇ。幽々子さんらしいけど」
「私だってでりかしぃはあるわよ。でも、○○は死を怖がらないから」
「そりゃまぁ……物心ついた頃からのお付き合いだから」

死はボクの傍に常に居た。
何度も縁まで追い込まれ、恐怖と絶望の末、諦観の領域まで達してしまった。

「だから、幽々子さんの事も怖くないんですよ。何度も死にかけている内に、慣れてしまったんです」
「それだけ? 私の事それだけしか見てないの?」
「いえ、このお屋敷に置いてくれた事は感謝しているし……ボクは幽々子さんの事好きですから」
「それってらいく? らぶ?」
「両方ですねぇ。最近は後ろの方が強いかな?」
「ウフフ……○○と私って本当に相性がいいわね。私も○○が好きよ。
私の様な存在を受け入れてくれる事も、死に近すぎるその在り方も」
「男冥利に尽きる言葉ですね……ゲフ、ガハッ…………幽々子さん、ボク、何時まで生きれるかなぁ」
「何時だって良いじゃない。死に近いあなたも、死そのものになったあなたも、どちらでも私は受け入れるわ」
「フフフ、残酷な言い方ですね。なんだか恋人っぽくないなぁ……」
「幻想郷っぽい愛し方でしょ。私は○○の死の形を全て受け入れるの。それはそれは残酷な話だけど……」
「大丈夫、幽々子さん。残酷だけどきっとハッピーエンドになると思う」
「あら、嬉しい事言ってくれるじゃないの。それじゃとことん死を感じさせてあげるわね○○」

部屋に満ちた死蝶の群れの中、ボクと幽々子さんはとても死合わせだった。

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最終更新:2012年02月18日 15:27