俺の爺さんはイギリス人で、狩りの名手だった。
厳格な人だったけど孫の俺にはとても甘くて、老衰で死ぬまで何度も狩りに連れて行ってくれた。
爺さんは何時も俺の前ではニコニコしてたけど、山に入ると厳しい顔付きになった。
「山や森は人間の領域とは異なるんだよ」と俺に何度も言っていた。

そんな爺さんは、何時も数発の銀の弾を持っていた。
山や森に狩りに入る時、決して肌身離さず持っていけ。
もし、山や森の雰囲気がおかしくなったら、銃に込めて何時でも撃てるようにしておけ。
儂の爺さんも腕のいい猟師だった。爺さんは仲間達と一緒にドルイドの禁足地へ入った事があるらしい。
仲間達は生きて帰れなかった。銀で出来た守り弾を持っていた爺さんだけが生きて帰って来れた。
爺さんは傷だらけで帰ってきた後、銀の食器を溶かして守り弾を作り儂に譲った。
そして半年後に衰弱死するまで、こう言い続けた。

山や森は異界だ。異界に居る間、猟師は決してソレを手放してはならない。



(まさか、本当に異界に紛れ込んでしまうとはなぁ)

俺は民家の土間に居た。明治とかの農家の、古めかしい建物のだ。
久し振りに猟をしてて、霧に紛れた後出て来た場所は既に人間の領域ではなかった。

「まぁ、そう悲嘆なさらずに。こうして助かったじゃないですか」

そう言いながら炉端で何やら煮込んでいるのは椛と名乗った女だ。いや、女と言っていいのか解らない。

「もう、そんな警戒しないでくださいよ。私も天狗の妖怪ですけど、人を悪戯に襲う様な存在じゃありませんから」

そう言いつつも、女の視線はチラリチラリと俺が抱えたままの銃に向けられている。
残弾は一発。ここへ椛の誘導で脅し半分で連れてこられるまでに普通の弾はもとより、守り弾まで使ってしまった。
獣のような奴が数匹。最悪だったのが、黒い服を着た金髪の少女の格好をした何かだった。
獣の様な奴らは兎も角弾を撃ち込めば怯んだ。だが、アレには全く通じなかった。
何度か暗闇に包まれそうになり、何とか隙を見て装填した銀の弾を撃ち込んで悶絶している所を逃げ切ったのだ。
逃げている途中で道を塞いだ椛の提案……彼女の家に避難という誘いに乗らざるを得なかったのも、もはやこの異界の山を歩くのが限界だからだ。
意地を張り通して人里か何か安全な場所まで移動するには山の奥深く過ぎた。
たった一発の弾を撃ち尽くしたら、俺は無力なただの餌となる。
この女の言う言葉は正しいのだろう。確かにこの家とこの家の付近は安全だ。
気配で分かる。こっちに来てから、何故か俺は周囲の気配や意識と言ったものに鋭敏になっていた。
猟銃だけでなく、これに目覚めなかったらやはり危なかっただろう


「はい○○さん、どうぞ。猪鍋です」
「ああ、ありがとう……」

女が椀を差し出してくるのを受け取る。もう、2日近く俺は飯を食べてない。
そう返事した途端、彼女は頬を緩め、熱を帯びた目で俺をじっと見詰めてくる。
僅かに俺の指先が触れた自分の指先を加えながら。
ああ、この視線だ。この視線は間違いない。

俺がこの女に対して警戒を緩められないのは、妖怪だというだけじゃない。
この視線だ。俺が異界に迷い込んで暫くしてから、俺をずっと監視し続けていた視線だ。
必死に山中を歩き回っている間も。獣たちと戦いながら逃げ回っている時も。
あの暗闇を操る少女を撃ち、最後の弾を込めた時も、この気配と視線は俺をずっと見ていた。

俺の前に現れたのも、タイミングを計っての事なのだろう。
山中の強行軍で疲弊しきり、武器である弾も使い切ったのを見計らって、だ。
その意味合いでは獣の妖怪もあの暗闇の少女もこの状況を作り出す為の前座に過ぎないって事だ。
勿論、俺が危うくなってたり殺されかけたら即座に出て来ただろう。
実際、俺を連れてこの家に来る途中、彼女の一睨みで獣の妖怪達の気配は即座に逃げ去っていった。
ああ、そうだ。俺は今、そんなそこらの妖怪が裸足で逃げ出すような妖怪の家に上げて貰っているんだ。
唯一にして最後の武器、銀の弾が入った銃弾だけを頼りに。

「ご飯食べたらお風呂に入りましょうね。お風呂が丁度いい具合に沸いているんですよ」

お背中お流ししますね、と言う彼女の顔は……とても綺麗で、とても怖かった。
肉食獣が舌なめずりしてそうな、そんな気配が秘められていて。
俺は銃を手にし……愕然とした。薬室が開いていて、弾がいつの間にか抜き取られている。

「これ、とっても綺麗です。宿賃代わりに頂いていきますね」

嬉しそうに親指と人差し指で最後の弾丸を玩びながら、彼女は襖の向こう側に消えた。
お布団敷かなきゃと嬉しそうな声で鼻歌を歌いながら……。

爺さん、俺、もう墓参りに行けそうにないよ。俺は今、妖怪の舌の上に居るのだから……。







一年後、俺は同じ家で炉端に座り、愛銃の手入れをしていた。
向かいでは俺の妻が産まれて数ヶ月の赤ん坊に乳を飲ませている。
妻の胸の谷間にネックレス代わりにぶら下がっている銀の弾が、キラリと輝いたような気がした。

俺はまだ、異界の中に居る。
恐らくは、これからもずっと。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2013年01月08日 14:16