○○「無くなったか……」
小さく息を吐き、目線は電車に揺られながら外を見る。
そこには先ほどまでの喧騒は無く、ただ静かに夕陽の光を浴びる三つの影だけ。
自分の乗っている車両には他には人影はなく、電車のレールから伝わる軽く重い音をBGMとして、時折スピーカーから声が聞こえるのみ。
電車の僅かな揺れは眠気を誘い、疲れた意識を虚ろにさせる。
真っ赤に赤い夕日は昼間とはまた別の世界の様な感じがする。
仮に真っ青な昼間が表ならば、真っ暗な闇の夜は影、そして今自分が視ているこの真っ赤景色、そしてこの真っ赤な世界はそのどちらにも属さない……。例えるならば裏だろう。
生命の海の様な青色をした空が表、生命の証の様な赤色をした空が裏。
まるで表裏一体な空。いや、事実まるでではなく表裏一体なのだろう、きっと此の世界の何処かに此処とは違う場所が在る。
そんな事を思っていると不意に右肩に僅かに重みを感じる…。
赤い夕陽の光に照らされる影は三つ。
それは自分と……、蓮子の二人……そして、空になったココアの缶だけ。
メリーとは家の場所が違う、つまり帰る方角が違うので駅前で別れた。
去り際にメリーが何かを言っていた気がするが思い出せない。
まぁ、きっとその程度のことだったのだろう、その内……思い出す。
気が付けば自分達が降りる駅まであと3つ、短くも長く感じる時間。
自分はその時間を大切に思い、けれども早く終わって欲しいと思った。
自分の右肩に掛る重さはさほど重くはない、されどこの重さの主が問題だった。
肩に体重を掛けて眠る少女、宇佐見蓮子。自分と同じ大学に通う同じ学科の幼馴染。
昔からの自分達を知る人物からは兄妹、あるいは姉弟のようにしか見えないだろう。
主に自分が苦労する側で。
蓮子は頭が良く、自分とは蟻と象どころか公園の砂場の白い砂粒を構成する原子か分子と……木星の様な差だ。
まぁ、慣れ染めは置いておいて、自分がこの重みの主、蓮子をどけたいのには二つの理由がある。
一つは……まぁ、彼女が年頃の女の子であるのが理由で思春期の自分としては結構辛い所もあるのだ、もう少し恥じらいを持って欲しい。
第一なんで幼馴染であるだけの自分にこうも無防備なのだ、きっともし自分じゃなかったら色々大変な事になっているぞ。
もっと……こう…、男性という生物学的な意味で男に対して警戒心をだな……。
そんな事を心の中で呟きつつ溜息を吐く。
そしてもう一つは……。
彼女が自分にとっての……まぁ、とあるモノの象徴なのだ。
他人が聞いたらなんだそりゃとしか言われない様な、そんな事。
しかし自分にとっては結構真剣に辛い、こうしている間にも冷や汗がにじみ出る感覚に襲われている。
コレは一つ目の事とは一切関係が無い。
今となってはマシになったが、昔は酷かった。
それこそ……―――。
いや、自分は結局は耐えるしかないのだ。
どっちの感情も。
自分が耐えて我慢すれば全て丸く収まる。
もう昔のようにはなりたくはない。
だから自分は何も言わない、何もしない。
自分はゆっくり目を閉じた。
…………
………
……
…
いつも無邪気な笑顔で自分を迎える蓮子。
自分はその場所で見れる、その笑顔が大好きだった。
それを想うだけでコレが夢だと気付いてしまう。
コレが夢でなく現であれば……。
何度もそう思う。
鉄棒の上に座る蓮子。
その姿は今の姿よりもとても小さい。
小さい自分はそれを見上げている。
それを自分は横で見降ろしている。
座っていた蓮子は鉄棒から飛び降りて小さい自分に抱きついてきた。
小さい自分はそれを支えられずに後方へ倒れた。
はたから見ても解る。
痛い。
思いっきり頭打った、痛い。
これは痛い。
あ、自分が泣きだした。
オロオロとする小さい蓮子。
その姿はまるで昨日の部室の時を連想させる。
あぁ、昔から蓮子はこうだった。
自分が泣きやめば蓮子は笑顔。
それが見たくて自分が必死に泣きやんだ。
けれども。
いまではその場所も、思い出も無い…。
夢の中でだけ思い出せる…大切な思い出…。
…
……
………
…………
○○「そろそろか……、蓮子……そろそろ降りるよ」
ふと夢から意識が戻り、気が付けば残った駅は自分達が降りる駅だけ。
眠っていた事に気付いたのは夕陽の傾きで理解した。
はて、何の夢を見ていただろうか?そんな考えもすぐに忘れてしまった。
一切のトラブルが無ければおよそ3分ほどで付くだろう。
自分は蓮子の肩をゆすり、目を覚ますように促す。
落ちる夕日の光はとても赤くて、血を連想させる。
まるで車両の中が赤一色の様で眼に悪い。
空になったココアの缶を横に置いて、自分は目を閉じて上を向く。
瞼を通してなおも見える光、諦めて自分は再び目を開けた。
蓮子「……、ん…?」
○○「もうすぐ降りるよ」
蓮子「……うん」
眼を擦りながら欠伸をする蓮子。
釣られて自分も欠伸が出そうになるのを食い縛り我慢をする。
自分はそれを隠すために立ち上がり背伸びをしつつ、今日あったことを確認する。
朝、あの後二度寝をしたら今度はメリーの踵落としに襲われ。
三人で出かけたはいいものの電車を目の前で乗り逃し蓮子がメリーに文句を言い。
昼に二人と昼御飯を食べている最中、メリーがわらかしてくれて気管にモノが入り思いっきり咽て…。
三時に蓮子がアイスを買って来てくれたはいいが、そのまま勢い余って顔面に食べさせてくれた。
もったいないと言って顔を舐めるのはいくらなんでも止めて欲しい。メリーに茶化されるこっちの身にもなって欲しい。
5時に駅前でメリーに何かを言われるがやはり思い出せない、すこし思い出せるか心配になった。
そして今……、電車が駅に到着した。
蓮子「○○、降りるよ?」
○○「……、うん」
口の中に僅かに残るココアの味を思い出しながら空き缶を左手で持ち、小さく息を吐くとココアの香りがした。
蓮子が電車から降りようとする際右手を引っ張ってをきたのを払いのけそうになるのを抑え、切符をポケットから取り出す。
切符には340という機械で打ちこまれた数字が綺麗に刻まれている。
それを眺めつつ蓮子に手を引かれるまま改札へ切符を通す。
そう言えば自分が切符を使うようになったのも蓮子がきっかけだったと思う。
蓮子曰く、「乗らない日もあるんだから使い日にだけ買った方が安くつく。」だそうだ。
まぁ、自分自身乗らない日の分まで金を払って定期券やそれに準じたものに金を無駄に費やすのには抵抗があったから問題はない。
蓮子「ねぇ、○○?」
○○「なに?蓮子」
改札を過ぎてゴミ箱に空き缶を放り込み、同時に背後で電車の扉の閉じる音がなる。
そこからしばらく先に言ったところにある階段を自分の手を引きながら降りる蓮子が、こちらに振り向き見上げた。
少しだけ息を吸い、どこか躊躇いを感じる声音で声を掛けてきた。
自分は蓮子より後ろの壁に掛けられた広告を見ながら聞き返す。
一瞬、握る手に力が込められた気がする。
蓮子「……ううん、やっぱりいい」
○○「そう…」
そういうと手に込められた力が微妙に緩んだのが感じられた。
自分は蓮子から手を離して背伸びをする、背中が僅かに鳴った。
駅を出ると同時に既に出発した電車の音を遠くに聞きながら自分は帰路を蓮子と歩く。
赤い光は黒ずんでゆくのが見て取れた。
○○「寒…」
蓮子「そうだね……」
蓮子に気を取られて忘れそうになっていたが外はやはり寒いのだ。
電車の中の暖房が恋しくなって来るのと同時に、再びココアが飲みたくなってきた。
一瞬駅前の自販機を見やるが其処にココアの文字は一切無く、すぐに視界から除外される。
自分は、自分の家の方向を少し見てから蓮子の後ろの今はほとんど見かけなくなった公衆電話をみる。
○○「どうする?」
蓮子「……どうする?」
○○「聞き返されても…」
自分はこの後、そのまま帰宅するだけ。
昨日と同じ道を辿り、昨日と同じ曲がり角を曲がり、昨日と同じ道路を見るだけ。
その道には特に何も無く、思い入れのある物は無い。
道は舗装され、時折数日前まで無かったモノが在ったり、逆に在ったモノが無くなる、それだけそう考えるだけ。
対して蓮子は、自分とは別の方向に家があり、自分とは当然別の帰り道を辿ることになる。
もし自分と同じ帰り道を辿って蓮子の家に辿り着いたらそれはとてもありえない事だ。
俯く蓮子の頭に軽く手をのせて自分は薄くなったココアの残り香を感じる
蓮子「……お願いして、いいの?」
○○「自分に、拒否権なんて、無いよ」
蓮子「……ありがとう」
それだけの会話の後、自分と同じ方向に蓮子は歩みを進める。
自分は空を見ながら小さく息を吐く度に薄くなるココアの残り香を名残惜しく思いながら、黒く染まりゆく空を眺める。
空を見る自分と俯き地を見つめる蓮子。
対象的なことに一瞬小さく笑いそうになるが、その笑みも次の瞬間には消える。
昨日と同じ道を辿れば当然昨日と同じ曲がり角を曲がる訳で、その先には当然昨日と同じ道路。
自分はソレを一瞬幻視するがそこには何も無い唯の道路。
分かっていることだとしても、虚無感が一瞬心に訪れた。
蓮子「○○?」
○○「―――……、いや…なんでもない」
きっと、蓮子もそれを忘れているだろう。
きっと、自分が根に持っているだけなんだ。
きっと、自分だけが覚えている事なんだ。
きっと、きっと、きっと。
そんな言葉が頭の中で巡り回る。
気付けば遠くには自分の家。
それを認識すると同時に違和感を感じた。
けれども、それがなんなのかはわからない。
蓮子「ごめんね」
○○「なにが…」
蓮子「ううん、ただそう言いたくなったから言ってみただけ…」
○○「……――」
鍵を開けて扉を抜けて、靴を脱いでそのまま進めば其処が○○の家の居間。
私は○○より先に家の中へ入り炬燵の電源をつけてそこを左に曲がり台所に向かう。
玄関では○○が丁度靴を脱ぎ終わって欠伸をしている頃。
私は棚からマグカップを二つ取り出して牛乳を半分入れて、別の棚を見ると……。
○○「あぁ、そういえばココアの粉、もうすぐ切れそうになってるんだった」
蓮子「っ、びっくりした。驚かさないでよ」
○○「ごめんごめん、そういえばあのココアのヤツって何処で買ってるんだ?他の店で探してもどうしても見つからないんだ」
蓮子「内緒、その方がありがたみがあるってものよ」
○○「ん、ありがとう。このココアの粉がやっぱり一番だな」
腕を組みながら唸る○○に私はバッグから○○に瓶を手渡す。
棚のに残っていた方の粉を全部マグカップに入れて少し混ぜてからレンジに入れて温める。
○○は渡された瓶を棚に入れて冷蔵庫の中を見ながら口を開いた。
○○「夕飯、何が良い?」
蓮子「何でもいいよ」
○○「一番悩むリクエストか……」
うんうん唸る○○を横目に空になった瓶を鞄に入れて少し夕飯を考えた。
○○は「まぁいっか」と言って冷蔵庫から肉を一切れ、カゴから人参とジャガイモ、玉ねぎを取りだした。
その手にはシチューとカレー粉、それを見比べてどうしようかと私の方へ顔を一瞬向ける。
今日の夕飯はシチューかカレーかな?
○○「うん、今日は肉じゃがでいいかな?」
蓮子「予想通りだわ」
○○「じゃあシチューで」
そう言いつつ何故かシチューを棚に戻す○○。
たとえ想像していなかったとしても私はそう言う。
ここで仮に予想外と言っていたならシチュー、却下と言えばハヤシライス、それでいいと言っていたならそのまま肉じゃが。
これはもはや私と○○の間での暗黙のルールになっている。
そして○○がこう聞く時は大抵疲れている時。
だからわたしはレンジを開けてその中身を取り出して。
蓮子「はい、○○?温かいココア」
○○「うん、ありがとう。蓮子」
熱いから気をつけてと言った私に○○が相槌をうってくれる。
私はそれが嬉しい、○○がの言葉に少しでも反応してくれるのが嬉しい。
でも、それ以上は望めない。だって○○は私のことはあまり好きではないから…。
気付けば私は○○に背中を向けていた。
どうせなのでそのまま居間に向かうと、後ろから。
○○「蓮子」
蓮子「…なに……ぃ?」
頭に違和感を感じてふり向いた。
その瞬間私の体が一瞬で硬直したのを感じた。
声を出そうとするが何故か出ない。
何かが私の頭に乗っている?
視界には○○の顔。
ハッキリと私を見つめるその瞳。
頭の上には何が乗っている?
考えられない、なんで?
何が、頭に、乗っている?
○○「蓮子」
蓮子「……?」
二度目の○○からの呼びかけ。
声が出ない、でも私の表情から察したのか一言。
○○「今日は楽しかったよ」
その一言を聞いてやっと私は理解した。
頭に乗っているのは手だ。
誰の手?私の手じゃなくて……、○○の手。
○○が、私を撫でている。
○○「さて、夕飯っと…」
蓮子「……ぁ」
○○が私の頭から手を下ろした。
なんで?と思うがすぐに○○が言った言葉をなんとなく理解して、残念に思った。
でも、それ以上の収穫があったから、私は満足。
うれしいな、○○。
でもちょっと物足りないかな?
それでもうれしくて、私はマグカップの中身を一気に飲んだ。
蓮子「熱っづぁッ?!」
○○「蓮子ぉ~」
蓮子「ふ~ん…だ」
○○「……全く…」
そう呟く○○の左頬には大きな紅葉が出来あがっていた。
それは数分前には無く、しかし現在は真っ赤に自己主張するそれは頬を膨らませる蓮子によってつけられた物だった。
原因は熱いから気をつけてって言った蓮子本人が一気飲みをして吹き出してしまった事だ。
しかも○○その時の"惨状"を見て思わず別の意味で吹き出してしまったのが原因だ。
自分も悪いけどまさか平手打ちはないだろう。
そうぶつぶつ文句を言いながらジンジンと痛む頬を摩りながら自分はお玉を回し続ける。
カレーは良い香りを漂わせつつ、しかしその香りだけでもう食べる気が微妙に失せてしまう。
どうも自分は疲れていると匂いだけで満足して食欲が失せてしまうらしい。
もっともココアは別だが…。
○○「それでも、蓮子のココアだけは美味しいんだよなぁ……」
背後で蓮子が「何か言った?」と聞いてきたが独り言だと言ってごまかす。
蓮子が替わってと言ったので蓮子と場所を替わり、自分は机の用意、蓮子は焦げないようにカレーを混ぜ続ける。
自分は風呂の用意をするためその場を離れるが……。
○○「昨日の様なトラブルはやめてよ?」
蓮子「今日は鍋が○○に飛ぶかもね?」
自分はそれが嫌なために早足でその場を一旦離れた。
5分後、火を消して皿を用意すると蓮子が皿をかすめ取った。
どうやら蓮子が米をよそいでくれるらしい。
米の炊けた炊飯器の蓋を開けてしっかりと混ぜる蓮子。
時折、熱いなど呟いているが気にしない。いつものことだ。
蓮子「はい、○○」
米の乗った皿を手渡す蓮子。
自分はそれを受け取り、カレーをすくい、皿の中に入れてカレーライスは完成した。
次にもう一皿も同じ動作をして二つのカレーライス、蓮子と自分の分がよそわれた。
実にいい匂いだがやはり食欲が減退する、食べれなくなる前に食べなければ。
自分と蓮子は皿を机に持っていき手を合わせて――。
「「いただきます」」
――カレーは、仄かにココアの味がした――
最終更新:2012年03月05日 22:22