齡三つで投げ出され。

齡四つで柄握り。

齡拾二で理不尽に、命一つを試される。



齡拾三只狂い。

それから八年只殺し。

二拾壱年只生きて、初の春さえまた狂気。



春を運ぶは黒鴉。

彼を愛でるは、黒鴉。

軈て心は只濡れて。


共に堕ちるは、暗闇か。












人里のとあるアバラ屋。
必要最低限の家具と数冊の本が積まれただけの簡素な部屋に、寝転がる男が一人。

「○○、いるか!?里の近くで妖怪共が暴れている!!」

そこにけたたましく戸口を叩く音が響き、のそりとした動きで彼は起き上がる。

「あー、眠っ…。またどっかのバカがやらかしたのかよ…。」

彼への来客は、仕事の依頼以外は殆んど無い。
つまりは、今がその時であると言う事なのだろう。

“里にもある妖怪退治屋”としての、彼の仕事の時間の。


博麗の巫女以外にも退魔を請け負う存在は、数は少ないが一応はいる。
彼、○○はそんな里の退治屋の一人である。

異変などの大事こそ巫女の出番ではあるが、些末な物事等は退治屋が請け負う事も多い。
妖怪と人間と言う違いはあれど、例えば相手がチンピラ紛いの男妖怪などであれば、弾幕ごっこではケリが着かない事がある。
基本は少女の遊びである以上、仕方の無い事かもしれない。

そう言った、“下級妖怪による物理的なトラブルの処理”が、主に○○に来る依頼内容だった。

「上白沢の先生がこっちに投げたからそうだと思ったが、案の定野郎共が寄ってたかってか。あー、だる…。」

血の跡と、切り捨てられた妖怪達の破片。
後は復活する前に、適当に違う場所に捨ててしまえば仕事は終わりだ。

彼は腕だけは確かだった。
しかし、巫女の様に重要な立場にある事もなければ、普通の魔法使いの様に人妖問わず友情を持つ訳でも無い。
ましてや、里の人間に尊敬や感謝をされる事も、彼は無かった。


退治屋と言えば聞こえは良いのかも知れない。
だが、彼の様な血生臭い仕事をする人間は、今の“一見は平和になった幻想郷”では、汚れ役でしかない。
結局は、ルールから外れた者を、同じくルールから外れた形で処理している立場だ。

だからこそ彼は孤独であり、彼もそれには余り深い感情を抱かない。
そのはずだった。


“しかしこいつら、何でこんな所に集まって騒いでたのやら…ん?”

ふと近くの茂みを見れば、少女が一人、倒れ伏していた。
茶色い髪を二つに束ね、高下駄を履いている。
所々打撲による痣があるが、服装から見るに、天狗の新聞記者の様だ。

“人間が襲われてるかと思ったら、あの先生の早とちりかよ…。とんだ働き損だ。
下級共にやられるなんざ相当な落ちこぼれだろうが、天狗は流石に敵に出来ねえな。さて…”

そうして○○は、未だに気絶している彼女に手を伸ばした。


これが、彼と鴉天狗の少女・姫海棠はたての出会いだった。


「ん…」

はたてが目を覚ますと、随分と古めかしい天井が目に入った。
近くからは、パチリ、パチリと囲炉裏の火音がする。

「ここ、どこ…?」

“あれ、確か人里に取材に行こうとして…それで変な奴らに絡まれて…”

「やっと起きたか?人様の家でぐーすか寝るなんざ、流石は天狗の肝の太さかね。」

思考の最中に耳に飛び込んで来たのは、低く気だるげな声。
視線を声の方に向ければ、見知らぬ男の姿が映った。

「あなたが助けてくれたの?」

恐る恐るではではるが、声を掛ける。だが返ってきたのは。

「下級共にいじめられる天狗なんてのが、どんな奴か気になってな。
ほっといても良かったが、流石にお前らの山は敵に回せねえ。仕方なくだ。
尤も、あんな雑魚共にやられるなんざ、天狗としちゃあ名折れじゃねえのか?」

目覚めて早々に浴びせられる皮肉。
恩人とはいえ、余り良い感情は抱けなかった。

「む。そうは言ってもさー、男共がいきなりあんな剣幕で因縁吹っ掛けて来たら、隙ぐらい出来るわよ。
全く、きっと文の新聞のせいだわ。お前らのせいで恥かいたとか何とか言ってきてさー。
その、け、決して引きこもりがちで勘が鈍った訳じゃ…。」

ついボロを出してしまった。
長く実戦から離れていたせいか、彼女はちょっとした油断を突かれ、集中砲火を浴びてしまったのだ。

「はっ、つまりは実戦を怠けすぎて勘が鈍った挙げ句、人間の退治屋風情に助けられたと?いやー、天狗にも色々いるもんだなぁ。」

「あんたねー、あんまり天狗をナメない方が良いわよ?
…って、あんた人間なの!?いくら下級でも、あいつら8人はいたわよ?」

自分を助けたのは人間。
その事実に、はたては驚愕の感情を隠せずにいた。

「束になっても所詮は名もねえ下級さ。手間ではあるが、幸いあれなら俺でも何とかなる。
おっと、だからって勝負は勘弁な?
博麗の巫女みてえな規格外じゃねえんだ、流石にお前ら相手には手も足も出ねえ。」

「あんたみたいなのでも、仮にも恩人。そんな事しな…」

きゅううううう。

と、そこに可愛らしい音が一つ

「………。
…もしかして、今の聴いた?」

「くくっ、腹減ってんのかよ?天狗は酒で生きてるもんだとばっか思ってたが。ま、メシくらいは喰わせてやるよ。」

「うぅ…あ、ありがとう…。」

“何こいつ、凄く調子狂う…”


「ごちそうさま。あんた料理上手いのねー、美味しかったわ。ありがと。
てっきり生肉でも出てくるのかと思った。」

出てきた手料理は、おおよそ男の印象とは似ても似つかぬ出来であった。
思わずがっついてしまったのはご愛嬌と言った所か。

「そこまで野蛮じゃねえよ、何なら鶏肉でも出してやった方が良かったか?」

「本当皮肉が多いわねー、あんた。
味にうるさいあたしがこれだけ言ってるんだから、感謝と称賛の言葉は素直に受け取りなさい。絶対あんた友達いないタイプよねー。」

目覚めてからずっとこの調子だ。彼はやたらと皮肉が多い。

「…感謝されるのはガラじゃねえよ。
仮にも俺は退治屋だ、少しは警戒したらどうよ?
お前らには毒な霊草でも盛ってるかもなぁ。くくく…」

「ちょ!?あんたまさかあたしも退治しようと!!」

「バーカ、所詮は俺も人間だ。
言ったろ?天狗を敵に回す程強くもバカでもねえよ。」

「こ、こいつ…。」

実に性根の悪い笑みで、○○はからからと笑う。
喰えない男だと、はたては思う。
妖怪を煙に巻く物言いといい、からかいばかりな態度といい。

ただ、どうにも憎みきれない。
それは助けられた身である故か。


「でもいいの?あたしを匿ってて。退治屋なら、バレたら大変なんじゃ…。」

「お前は女だし、別に里を襲う気でも無いだろ?
俺の専門は、話もルールもマトモに聞けねえ下級の男共さ。
それも里に手え出すような真性のバカ限定のな。

ルールから外れた奴らを、ルールから外れた形で始末する。ま、要は汚れ役だ。
だからそのルールから外れてなけりゃ、別に文句は言われねえよ。依頼以外で近付く奴もいねえしな。」

「ふーん…。」

“そっか…平和になったって言っても、ルールを破る者がいれば成り立たないものね。
下級の男共なんて、確かに山賊紛いの奴らが多いし。
…使えるわね、こいつ。”

「そう言えば、まだ名前を言ってなかったわね。
あたしは姫海棠はたて。花菓子念報って新聞を作ってるわ。改めて、お礼を言わせてもらうね。
あんた、名前は?」

「俺か?一応名は○○で通してる。
退治屋が妖怪に感謝されるってのも変なモンだが…どういたしましてと言っておくぜ。
まあ、例え妖怪でも、倒れてる女を置き去りにするのは目覚めが悪かったからな。気にする事はねえよ。」

「ふ、ふーん…○○ね。覚えておくわ。」

彼の口にする、『女』と言う単語。
些細な事ではあるはずだが、何故かそれは、はたてに彼が男である事を強く意識させる。


「怪我も大した事無いし、そろそろ帰るわ。
あんまり長居しても迷惑掛けちゃうしね。」

「そうか。
ま、せいぜい変な野郎共には気を付けな。仕事増やさないでもらえると助かるぜ。」


そうしてはたては彼の家を出ていき、○○は、そこで彼女との縁も終わりだと思っていた。

“変な天狗を気まぐれに拾って看病した。”

そんな程度の感覚でしかない。

しかし、それは大きな間違いであった。
これから始まるはたてとの物語で、彼はそれを思い知る事となる。



数日を経て、いつも通りの昼下がり。
日課の鍛練と仕事道具の手入れを終え、○○は床に寝転んでいた。

「あー、だりぃ…。」

人里への不可侵協定とスペルカードルールがある以上、依頼もそこまで頻繁な訳では無い。
しかし、街へ出てもあまり歓迎される身分でもない故、彼はせいぜい自宅で暇を潰す他無い。

誰にも会わず無為に過ごすか、独り読書に勤しむか。
それが、彼のいつもの日常だった。

コン、コン。

すると、その静寂を破る、戸を叩く音。

“またバカが暴れてんのかよ。ったく、何の為のルールなんだか…”

どうせまた仕事だ。
そうタカをくくり、○○は乱暴に戸を開く。

「あー、上白沢先生。たまにはご自身で何とかしてくださりやがってはどうでございましょうかねえ?
大体あんた俺よりずっと強いだ…」

しかしそこにいたのは…

「はーい、今時の念写記者、姫海棠はたてちゃんでーす。」

「……うわぁ。」

空気が凍った瞬間であった。



「で、あの痛々しい挨拶は置いといて、何しに来た?」

「ひどーい。あたしが来るなんて取材以外無いじゃん?
あたしの能力でもあんたの写真は殆んど出なかったんだから、こうして直接取材って訳よ。」

「能力だぁ?」

「そ。こうしてカメラに見たいモノの名前を打ち込むと…」

はたての能力の詳細を聞き、○○は納得したような顔を浮かべた。

「なるほどね、要は他人の撮った写真をパクる能力か。」

「ひどいなー、もうちょい言い方ってモンがあるでしょ。
大体何でロクに写真が無いのよー。あんたみたい変なの、他の天狗がほっとく筈無いのに。」

「仕事が無けりゃ何もしてねえ奴なんか、取材してもしょうがねえだろ?
それに俺の仕事は、異変解決みてえに華やかじゃねえんだ。
ただのチンピラ妖怪がやられただけの、それも無駄に血生臭い写真を使おうとは誰も思わねえよ。

そんな事も知らねえとは、引きこもりってのは本当みてえだな。世間知らずの“今時の念写記者”さんよ?」

またしても意地の悪い笑みで皮肉を吐く○○。
ただ、今度ばかりはからかいが過ぎたようだ。

「~~~~~!!!!!
バカーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!!!!!!!」

「うおっ!?」

○○は耳たぶを引っ張られ、耳元で思いっきり叫ばれた。
一方はたての方は目尻に涙を溜め、未だに肩がわなわなと震えている。
些細な事とは言え、何度もはっきりと引きこもっていたが故の現実を突き付けられるのは、来るものがあったのであろう。


「せ、せっかく取材に来たのにそんな言い方…あたしだって、やっと最近引きこもりやめたんだから…。」

気付けば、最早はたての顔面は洪水である。思った以上にダメージは深いようだ。

“め、面倒くせえ…こいつ、マジで引きこもりかよ。まあ、あの能力じゃこうなる…か?
ったく…調子乗り過ぎたか。”

「へ…?」

すると、ぽん、とはたての頭に乗る手が一つ。

「あ、あー…流石にちょっと言い過ぎたわ。
だから泣き止め、な!?引きこもりにはキツかったかもしれねえけど!!
騒がれても困るし!!うるせえし!!」

全くフォローになっていないのは、この男の甲斐性故か。
取り敢えず誤魔化せとばかりに、○○は少々乱暴に頭を撫でていた。

“何なんだよこいつ…あぁもう、調子狂う。”

そんな事を考えていると、上目遣いにギラリと睨んでくるはたてと目が合う。
そのまま彼女の手が彼の襟を掴み、相変わらずの顔面大洪水のまま、はたては口を開いた。

「ぐすっ…。あんだ、絶対取材じでやる…。
ちーーん!!!」

「あーーーーーーーーーーー!!!???」


そして服の襟で鼻をかまれた。




「…ったく、人様の自由時間を邪魔した挙げ句、洗濯物まで増やしやがってよー。このバ鴉天狗は。」

午後の陽射しにはためくのは、哀れにも先程はたてのちり紙と化した○○の服。
額には青筋が2本、3本と順調に増えて行く。

「女を泣かせる方が悪い。」

それに対して、はたては相変わらずむくれっぱなしである。
先程の報復だけでは、まだ怒りが収まらないようだ。

「本当の事言っただけだろうが…。」

「何か言った?」

「いーや、何も。」

○○は煙管に火を点け、縁側に腰を下ろす。
いつも独り過ごす時と同じ様に、淡々と時間が流れる。
隣にいるはたてが、相変わらず半目で睨み付けて来る事以外は、ではあるが。

“本当面倒くせえなこいつ…。
しかし隣に誰かいるなんて、いつ以来だっけか?…やめだ、調子狂う。”

「ねー。」

彼が思考の海に沈んでいると、掛かる声が一つ。

「…何だよ?」

「あんた、歳は?」

不意に始まったのは、何故か個人的な質疑応答。

「…21だな。」

「家族は?」

「いたけど忘れた。」

「普段何してるの?」

「掃除洗濯炊事鍛練と、後はだらだらしてるだけだな。」

「…つまんないわね。」

「態々それを取材してるお前は変わりモンだがな。」

「天狗の取材に答える退治屋の方が、よっぽど変わってるわ。」

「…ちげえねえな。」



「…ふふ。」

「はっ。」



堰を切るように、小さな笑い声が重なる。

「いいわ、さっきの事は許してあげる。」

「そうして貰えると助かるぜ。まあ、出来れば取材も勘弁願いたいが。」

「えー、それは無理。」

ようやくはたての機嫌も直ったようである。
笑い合う二人。
知らない者が見れば、二人はまだ会って二度目とは思えない関係に見えるのかしれない。




「へー、これがあんたの刀なのね。随分使い込んでるわね…。」

「業物でも何でもねえが、妖怪の血ばっか吸ってるせいか、切れ味は年々良くなってるぜ?
こう、たまーに夜中に聞こえるんだよ、もっと血を寄越せってさぁ…。」

「冗談でもぞっとしないわね…。」

取材は淡々と進み、気付けば随分と時間が過ぎていた。
あれから質問を繰り返し、はたての手帳には、数ページに渡り○○に関する事が綴られている。

「しかしつい色々ゲロッちまったが…まさか、下級共に流す気じゃねえだろな?」

「逆よ逆。下級の男共には妖怪の山でも迷惑してるのよ。
あいつら最近山にも出てきて山賊紛いな事ばっかりするから、対策がどーだとか大変なのよね。
あんたならその辺詳しいだろうから、ネタになるかと思ったの。あたしも天狗だから、信用無いのは解るけどさぁ…。」

一瞬見えた、彼の鋭い目付き。
やはり彼は退治屋なのだと、はたてはそれを見て感じていた。

「対策も何も、ぶった切って捨てるだけだよ。尤も俺は封印する力はねえから、後で復活するのが難だけどな。
強いて言うなら、二度と俺に会いたくなくなる程度に痛め付ければ、同じ奴は来ねえ、って所か。
全く、スキマや巫女は何やってんのかね。」

「ふ、ふーん…。」

そうしてまた手帳への記述が増える。
今日の分だけでも、かなりの収穫だった。

「さて、まあこんな所かね。取材は終わりでいいか?」

時刻は既に夜。少々彼も話し疲れたらしく、取材を切り上げたいようだ。

「んー。あ、一つだけいいかな?」

「ん、何だ?」

はたての手には、愛用のカメラが一つ構えられていた。
そのままピロリと電子音が鳴り、続いてシャッターを模した音が響く。
画面に写ったのは、相変わらず無愛想な○○の顔。

「いきなり撮る奴がいるかよ…。」

「あんたの写真は念写でもロクに出ないぐらいだから、あたしの手で一枚撮っておこうってね。
記事には使わないから、心配いらないわよ?あくまで資料用で、ね?」

「あー、その言葉を信じたい所ですねー。」


玄関を開け、二人は外へ出た。
空には三日月。もうすっかり秋の気配だ。

「じゃ、また来るねー。ついでに花果子念報の購読も、是非ともご検討をば。」

「うちは新聞の勧誘はお断りだ。
まあ、間抜け天狗の与太話ぐらいなら、たまには聞いてやるよ。またな、はたて。」

別れ際の、彼なりの皮肉混じりの挨拶。
しかし、はたてはきょとんとした様子である。

「…ねえ、今のもう一回言って?」

「はぁ?だからうちは新聞はお断りだって…」

「違う、その後。」

じっと○○を見つめる視線。
それを見て、彼はため息を一つ漏らした。

「ったく、一体何なんだよ。…またな、はたて。」

「…うん!!またね、○○。」

そうしてはたては帰路についた。
○○の家が見えなくなるまで、彼に向けて手を振りながら。






はたてを見送り、戸を閉めて家へと戻る。
部屋を照らすのは、囲炉裏と蝋燭の光のみ。

“はたて、ね…。何であの時、名前を呼んだんだか。”

煙管に火を点け、すぅ、っと煙を吐き出す。
独りには慣れている筈が、彼の目には、今は妙に部屋が広く見えた。

ふと思い出すのは、ころころと変わるはたての表情と。
彼女をなだめた時に触れた、柔らかな髪の感触。

“ダメだな、あいつといると調子狂うわ…。”

心の中で独りごち、彼は部屋の明かりを落とした。






手帳に書いた内容を改めて見返す。
それらを眺めながら、一度頭の中で記事の骨組みを作るのが、はたてのやり方だ。

“歳は21で、家族は無し。主な暇潰しは昼寝か読書…
…あ、また同じ所見てる。
ダメダメ、まずは最近暴れてる下級達の情報を整理しなきゃ。”

しかし、さっきから同じ箇所ばかりを見てしまい、なかなか作業が捗らない。
それは、彼個人に対する項目ばかりで。

“手、大きかったな…。それに、名前を呼んでくれた時、何か嬉しかった。
…って、ああもう!!調子狂うわー、ダメダメね。”

手足をばたつかせ、ばたりとそのまま床に倒れる。
スカートからカメラを取り出し、開いたのは彼の写真。

“本当に仏頂面ね。笑っても悪どい顔ばっかりだし。
…被写体の本当の笑顔を引き出すのも、記者の腕の見せ所かしら?なんてね。”

〆切まではまだかなり余裕があり、一先ず今日は眠る事にした。
布団にくるまり、自分の頭を撫でていた手を思い出しながら。






それは誰もが恋の始まりに見る、淡い夢。
互いの違いに目もくれず、無自覚に惹かれ合う頃の、儚い夢。

しかし、その夢もいつかは覚める。

残酷なまでに、高い壁の前に。




「おはよー、○○。」

「はたてか?戸ぐらいはちゃんと叩けよ…。」

あれから数日に一度、はたては○○の元を訪ねていた。
最初は彼も嫌そうな顔を浮かべていたが、それにも慣れたのか、はたての来訪を受け入れるようになっていた。

妖怪が買い物などで里にいる事自体は、然して珍しい事では無い。
ましてや○○の家は外れにあり、咎める者以前に、二人の関係に気付く者すらいなかった。

ある時は彼の鍛練を見物し。
ある時は二人で酒を呑み、何気無い会話に花を咲かせた。
ある時は彼に新聞を読ませて酷評を受け、喧嘩をし。
またある時は、ただ何事も無く部屋で過ごしたりもした。

明確な恋仲にこそ至っていないが、いつの間にか、互いが存在する事が当たり前になっていた。
そんなある日の午後。


「それでさー…ちょっと、聞いてんの!?…って、寝ちゃったの?」

話す事に夢中で気付いていなかったが、いつの間にか、彼は眠ってしまっていたようだ。
壁にもたれたまま、静かに寝息を立てている。

彼の傍らには、愛用の刀が置かれている。
何の細工もない、彼に似て無愛想さを感じさせる刀だ。

“全く…だらけてる時ぐらい台にでも置けばいいのに。
でもこいつの寝顔、初めて見るな…。”

覗き込めば、そこには普段と違う、邪気の無い寝顔。
はたてはそれを見て、思わず息を呑む。

“け、結構ギャップ激しいわね。
今なら大丈夫だよね。その、キ、キスとかしちゃっても…”

そうして顔を近付けようとした矢先。



「!?」



シュッという風切り音の直後、はたての首筋ギリギリの所には、鋭い刃が突き付けられていた。

“え…?”

視線の先で、その刀を抜いた本人である彼と目が合う。
完全に油断していたとは言え、それでも天狗。ギリギリでかわす事は出来た。
しかし、それ以上に彼の目は、はたてに異様な恐怖を感じさせた。

恐怖。
怒り。
殺意。
悲しみ。
狂気。
悦楽。

それら全てが入り交じった双瞼が、ただ刀の切っ先を見据えている。

「はぁっ…はぁっ…」

彼の息は荒く、意識は未だに夢の中から覚めきれていない様子。

「…っ!
はたて!大丈夫か!?」

漸く我に帰った彼は、慌ててはたての無事を確認する。

「あ…う、うん…。」

しかし、ただ茫然とするしか出来なかった。

“妖怪ですら、あんな狂った目の者はそうそういない。”

はたてはそう感じていた。

「…すまねえ、どうも変な夢を見ちまったみてえだ。怪我は無いか?」

「う、うん…大丈夫。」

「そうか…。」

すっと彼の手が伸び、その掌は、はたての髪を撫でた。
それは最初に触れられた時とは違う、優しい手付き。

「ん…。」

はたては目を閉じ、ただその心地好さに身を任せていた。
そして手が離れた瞬間、今度は強く引き寄せられた感触。

“あ…。”

気付けば、彼に抱き締められていた。
何かにすがり付くように、強い力で腕が絡み付く。

「ごめんな…本当に。」

胸元に抱き寄せられている為、はたてから彼の表情は見えない。
ただ、その肩は小さく震えていた。

“泣いてる、の…?”

はたては両腕を伸ばし、そっと彼の背に腕を回した。

「…大丈夫。もう大丈夫だから、気にしないで。」

その言葉は、自己の無事を伝える言葉なのか、それとも彼への慰めなのか。
それは、はたてにしか解らない。

ただ抱き合ったまま、後は無言の時間が過ぎていくだけだった。





「…みっともねえ所見せちまったな。」

「ううん、気にしないで。どうせ変な夢でも見てたんでしょ?
あ、それともやらしい夢でも見てた?」

「…ったく、アレでどっからそんな想像になんだよ?
天狗様は下世話な話がお好きなようで。」

いつも通りの皮肉。
彼も漸く落ち着きを取り戻したようだ。

「ふふ、やっといつもみたいになった。
あんたはそうやって皮肉吐いてるぐらいが丁度良いわ。
畏まられると、こっちが調子狂っちゃうわよ。」

「はっ…ちげえねえ。」


気付けば日も暮れていた。
そろそろはたての帰る時間だ。

「じゃ、またな。」

「うん…。」

いつも通り戸が閉まれば、二人の時間は終わり。
その筈だった。

しかし、今日は違った。


「ねえ、○○。」

「どうし…!?」

唇に、柔らかな感触。
重ねられていたのは、はたての唇で。


「…好きだよ、○○。」


夜の静寂の中に、はたての声が響く。

互いに同じ気持ちである事は、薄々気付いていた。
ただ、それを言ってはいけないとも、これまで二人は思っていた。

人とあやかし。
退治屋と天狗。

しかし、惹かれ合う心と心は、その絶対の距離ですら許せず。


「…寝惚けて女に刀を向けるような、人間の男を、か?」

現実として存在する壁を掲げ、問いかける。
それは彼女の為なのか。
それとも、また孤独の殻で己を守る為か。

「それでも、○○だから。」

頑なな言葉と瞳。
決断を迫る引き金は、容赦なく彼を責め立て。

そして、彼は選んだ。

彼は彼女の肩を抱き、そして己へと引き寄せた。
優しく。
壊してしまわぬように、ただ優しく、強く。


「好きだ、はたて。」


そして、たった一つだけ言葉が響いた。


そこにいたのは、ただ惹かれ合う男と女。
その想いが通じ合った瞬間。
あるのはただ、それだけ。

これから身も心も、より深く互いを知っていく。
幸せな二人は、知る由も無かった。

それが時に、深く絡み付く蔦となる事を。








「…ッ!!」

天井に向けて空を切る切っ先。
彼が見ていたのは、度々見る、かつての記憶の夢だった。

眠る時も、傍らに刀を置く癖が付いたのは、一体いつからか。
その夢を見ると、今も目覚めと共に刀を抜いていた。

結局は、過去の再現でしか無い。
ただ、今はそれが、彼を不安にさせた。

いつか、はたてですらも斬ってしまうような気がして。










○○とはたてが結ばれ、数週が過ぎた。

人とあやかしの恋。
余り大っぴらに出来ない間柄ではあるが、それでも二人で過ごす時間は増えた。

寄り添い、一つ一つ互いを深く知っていく。
こんな時がいつまでも続けばいいと、はたては願う。

ただ、彼女には一つ、気掛かりな事があった。

それは、決して彼が幼い頃の話や、退治屋となった経緯の話をしない事。
いつも口をつぐんでは、適当にはぐらかすばかり。
あの夜の彼の変調の事もあり、はたては彼の過去に対して気を揉んでいた。

“やっぱり、つらい事があったのかな…。
いつもの皮肉も出なくなるし、あいつがあいつじゃないみたいで気に食わないわ。
あ、もしかして、昔女絡みで何か…。”

そう考えた直後、ギリッ、と、固い音が彼女の部屋に響く。

“って、無意識で爪噛んじゃったし。妄想で嫉妬なんて、あたしも大概ね…。”

思わず苦笑が漏れる。
しかし、悪い気分では無かった。

「それだけ、彼に対する想いは強いのだ。」と。

改めて、自覚出来る気がして。


“でも、あいつがあの時みたいに苦しんでる姿なんて、一番見たくないな。
話してくれたら、少しはあんたも楽になれるのにね?”

カメラに映る○○の写真に、そっと心の中で声を掛けた。

“いつか、彼の痛みも癒せる様に。”

そんな願いを込めて。

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最終更新:2012年03月12日 20:56