三つであの子は投げ出され、この手で守ると決めました。

四つを迎えたその年に、誓いも虚しく奪われて。

それから八年ただ探し、しかして何処にも影は無く。

とある月の無い夜に、血色のあの子が里に来る。


かつて愛した人の里。

わたしが愛した人の里。

それがあの子に押し付ける、狂いの刃のその役目。


わたしは誰を、守る為。

わたしは何を、正す為。

選ぶ事も、出来ぬまま。

全てが過ぎて、行くばかり。








新月に舞うは刀月、満月に咲くは想影~第一章~








私と○○の出会いは、もう十数年以上前になる。

奴の両親が妖怪に喰われ、当時まだ三つだった○○を引き取ったのが切っ掛けだった。


「せんせー、みてみてー。じょうずにおれたー。」

「おお、立派な兜じゃないか。良く出来たな。
そうだ、今度妹紅にも見せてやろう。きっとびっくりするぞ。」

「えへへー。」


寺子屋を運営しているとは言えど、独り身も長く、ましてや私は半人半獣だ。
この仕事をしているからこそまだ人と交流があるが…それでも、やはり寂しさはあった。

そんな時、孤児になったばかりの○○を引き取った。
周囲は反対していたが、そこは無理矢理突っぱねた。

“親がいないのなら、せめてこの子だけでも生かしてやりたい。”

そんな想いで引き取ったが、もしかしたら以前からの寂しさもあったのかもしれない。

○○と過ごす日々は、とても幸せだった。
私が帰ると真っ先に飛び付いてきて、嬉しそうに話しをしてくれる。
一緒に眠ると、いつも私にくっついてくる。

半人半獣となった時点から家族とは離れてしまった私にとって、○○はかけがえの無い存在だった。



だけど…それはすぐに終わりを告げた。



「うわああああああああ!!!!」

「!!」


ある夜、○○を寝かし付け自室へと戻ると、悲鳴が聞こえた。


「せんせ…い…。」

「○○!!」


慌てて駆け込んだ先で私が見たのは、空間の裂目に吸われて行く○○の姿。
手を伸ばして助け出そうとしたが、この手は届く事は無く、あっという間に裂目は閉じられてしまった。

犯人が誰かはすぐに解った。

神隠しを得意とする者など、一人しかいない。
そして…奴は直後に目の前に現れた。

「八雲紫…!」

「美しい愛情ですわね…おやおや、悔しそうに。」

「○○を…どうするつもりだ!?」

「そうカッカなさらないで、神経質は美容の大敵ですわ。

そうね…彼には幻想郷の為に役立ってもらうつもりよ。
何事も、綺麗事だけでは成り立ちませんから…手を汚す専門家に、ね。」

当時はまだ、その言葉の指す意味を知らなかった。
しかし、○○を利用しようとしている事、それだけで身体中の血がざわめいて。


「貴様ああああああああああ!!!!!!!!!」


怒りのままに、ありったけの弾幕を放った。
だけど…

「里の守護者たる貴女が知らされていないとは…皮肉なものね。
…お嬢ちゃん、暫く眠っていなさい。」

一瞬だけ見えたあの胡散臭い微笑みを最後に、衝撃と共に私の意識は絶たれた。



目を覚ますと、頭に冷たい感触がした。
そこに触れると、掌がべったりと私の血で赤く染まる。

身体中が痛く、上手く起き上がれない。
何とか視線だけでも動かして部屋を見回したが…○○は、やはり何処にもいなかった。


「○…○…。」


這う様に身体を起こし、荒れた部屋に置かれていた、一冊の冊子を手に取った。
それは、まだ不慣れな字で書かれた、○○に与えた日記。

一つ一つ頁を捲れば、ここに来てからのあの子との記憶が脳裏に浮かぶ。
そうして最後に書かれた頁に手を掛け、ひらがなばかりのその文字に目を通す。


“せんせいと、ずっとしあわせにくらしたいな。”


ぶちぶちと、自分の心が千切れて行く音が聴こえた。

あの子を、守れなかった。

私は負けたのだ、完膚無きまでに。
守るべき者を、守りきる事が出来ずに。


「○○…すまん…。」


握り締めた掌から、噛み締めた唇から、次々に血が滴る。

何度も壁に頭を打ち付けていた。
傷が開いて余計に血が流れようが、何度も、何度も、何度も、何度も。

私の顔は血塗れだった。
頬から赤いものが滴り落ちて、それが自分の涙と血が混じり合った物だと気付く頃には。

既に夜は明け、日も暮れ果てていた頃だった。





それからは、暇を見付けては手掛かりを探した。

奴は“幻想郷の為に○○を利用する。”と言っていた。ならば、きっと何処かで生きているはず。
それは希望的観測でしか無かったが、そう思わないと気が狂ってしまいそうだった。

しかし、あの女が境界を操れる存在だからであろうか、一向に手掛かりは掴めないまま8年が過ぎ。気付けばもう、何度目かの○○の誕生日の前日。
それは見事なまでの月の無い暗闇が広がる、新月の夜だった。

「明日はあの子の誕生日か…○○、何処にいるのだ。」

もし生きているのなら、あの子は13になる。
きっとあの頃とは見違えるほど大きくなっていて、子供から少年へと変わっている事だろう。

今はどんな風になっているのだろうか?
あの頃は素直だがやんちゃで、将来は快活な男になるのだろうと思っていたが。

「ん?どうしてあんなに行灯が…。」

窓の障子越しに、大量の灯りと里人の声が通って行くのが見える。
何か起きたのだろうか?私の所にはまだ報せが無いが…気になって、聞き耳を立ててみた。

「血塗れのガキが………アレは…んて眼をしてやがる…。」

全ては聴き取れなかったが、子供が関わるのなら、私が動かない訳にはいかない。

最近、里の若い退治屋が消えたと聞いた。
その退治屋は愛想が悪く嫌われ者ではあったが…もしかしたら、同じ妖怪に襲われたのかもしれない。
まだその子供が生きているのなら、助けなければ。

「どうしたお前達、こんな時間に何をしている?」

玄関を開けて集団を追い掛けると、数人の男達がいた。
皆一様に武器を構え、何か恐ろしいモノでも見た様な顔をしている。

「せ、先生…まだ起きてらしたんで?」

「灯りが見えたのでな。何かあったのか?」

「い、いやあ、里の門の所で、血塗れで刀を持ったガキが見付かったんでさぁ。そいつがまた、とんでもない奴で…。」

「…こだ。」

「へ?」



「その子供は何処にいるのかと訊いている!!!」



刀を持った血塗れの子供。
何か嫌な予感を感じた私は、すぐにそこへ向かう事にした。

まさか…まさか!!!




その少年は、里長の家に保護されていた。
いや、正確には、監視されていたと言った方が良い。

身体中が血塗れだったが、それは傷では無く、全てが返り血。
傍らには少年の体躯には不釣り合いな長刀が置かれ、その飾り気の無い鞘が不気味な輝きを放っていた。

何より、その目付きが異様だった。
何処までも暗く、それでいて全てを噛み殺さんばかりの殺気に満ちた瞳。

とてもこの年頃の少年が纏う筈も無い空気を、体中から発していた。
だけど…それでも見間違える事は無い。


「○○…生きていたのか…。」


なりふり構わず、強く彼を抱きしめていた。

温かい。
確かに、生きていたのだ。

「○○…やっと会えたな。今までどうしていたのだ?」

疲れているのだろうか、返事は無い。
それでも抱き締める手を緩められず、私は矢継ぎ早に声を掛けていた。

「なあ、何か食べたい物は無いか?
そうだ、今度から寺子屋で暮らそう!!お前が帰ってくれば、妹紅もきっと喜ぶ。また賑やかになるぞ!!」




「…うるせえよ、さっきから。」




一瞬の事だった。

手が振り払われたと思った時には、私の喉元には、鋭い切っ先が突き付けられていた。
それは少年の剣と呼ぶには余りにも速い抜刀で、どれだけ彼が刀を扱い慣れているのかを示す一瞬。

何よりその瞳は、先程以上の殺気を纏っていた。

本気だ。
本気で私を斬るつもりで、○○は剣を…

「そこの老い耄れからさっき説明は受けたよ。今度から、俺が里の退治屋なんだってな。
あんたもこいつらと裏で繋がってんだろ?退治屋用の孤児が野垂れ死んでも困るから、俺が物心付くまで育ててたって所か。」

退治屋用の孤児?
裏で繋がっている?
どういう事だ?

「な、何を言っているんだ?○○…。
ほら、この刀をどけてくれないか。危ないじゃないか。」

「とぼけんなよ。まあいいや…どの道あんたも“対象内”だしな。死ね。」

「…!!」

刃先が首元を撫で、表皮が切れたのを感じた。
そんな…何故だ、○○…




「やめんか!!!小童が!!!」





そこに割って入ったのは、里長の怒声だった。
我に返ると部屋に男達がなだれ込んで来ていて、次々と○○を押さえ付けて行く。

「クソッ、離せ!!」

刀を取り上げられ、彼は後ろ手に縄で拘束された。
それでも尚○○の眼は殺気立ったままで、その殺意は真っ直ぐに私を捉えている。

「くくっ…俺もまだまだガキか…。
だけどな、覚えとけ。妖怪もお前ら人里の奴らも、絶対皆殺しにしてやる!!
先生…あんたも必ず殺してやるよ。」

「黙れこのガキ!!よくも先生に…」

「ぐっ…!!」

縛られたまま、角材で頭や鳩尾を殴られ、○○は気絶させられた。
そして拘束も解かれぬまま、数人の男達に連れ去られていく。

それは、まるで罪人を処刑する時の様で。
私はただ、呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。


「…お見苦しい所をお見せしましたな、慧音殿。」


何事も無かったかのように、里長はいつもの柔和な空気で座るのを促して来た。
私は対面に座り、そして首筋の傷の血を拭き取った。

「里長…どういう事ですか。○○が退治屋になるとは一体…。」

里長は湯呑を一度自身の喉へ傾けると、深く溜息をついた。
いつもと同じその表情には、何処か苦々しい葛藤が浮かんでいる様に見えて。

「あなたは今まで里の為に尽力してくれた。だからこそ、里の闇を教えたくは無かったのですが…お話しましょう。」

「…はい。」

「過去にスペルカードルールや不可侵協定が制定され、確かに表面上は幻想郷は平和になりました。
しかし、所詮はルール。それを破る者がいれば、当然成り立ちませぬ。
ましてや弾幕ごっこは少女の、それも遊びです。腹を空かせた男の妖怪などには、そんなものは関係が無い。」

長老の言う事は、私も理解している。
しかし、だからこそ里を守る私や自警団がいるはずだ。何故…

「あなたも守護者と言えど、本来の意味での殺し合いはした事が無いでしょう。
そして自警団と言えど、結局は里の男達の寄り合い。殺し合いに関しては素人です。

…ですから、昔の里長は、八雲紫と秘密裏に協定を結んだのです。
“直接的にルールを犯そうとした妖怪は、幻想郷のパワーバランスに関わる者でなければ、先手を打って殺しても構わない”と。
それが里に住まう退治屋の役目。そして、これからあの少年が負う役目です。」

何も、知らなかった。
何故巫女以外にも退治を請け負う者がいるのか、その本当の理由など、気にも留めた事が無かった。

「先代は外来の孤児が育て上げられた者でしたが、本来は里から出た孤児がその対象となります。
…孤児は例え死んでも、痛手が無いのですよ。こちらにも、幻想郷にとっても。」

全身の血が粟立つのを感じた。
許される事では無い。孤児だからという理由で、そんな過酷な運命に曝され、利用されて良いはずが…

「…退治屋となった者は、最後にはどうなるのですか?」

しかし、まだだ。
まだ怒りを爆発させてはいけない。
見極めて、見付けなければ。○○を救うための術を。

「殺し合う、と言いましたね。

二度と里を襲う気を持たないように、とても残忍な形で妖怪を殺します。
生きたまま切り刻み、骨を砕き、内臓を引きちぎり…まるで妖怪が人間を喰らう時の如く、拷問の様に妖怪を殺すのが決まりです。
そうなれば、返り血や血肉を大量に浴びる。

結論としては…最後には、退治屋自身が妖怪となります…ぐがっ…!?」

頭で考える頃には、もう既に里長の喉を掴み上げていた。
我慢の限界だった。あの子にそんな事など、させてなるものか!!

「貴様、ふざけるな!!何故あの子がそんな役目を負わねばならんのだ!!」


「ふざけているのは…どちらですかな?」


里長は苦悶の表情を浮かべていたが、やがてそれが薄い笑みに変わり、か細い言葉がその喉から漏れ出して来た。
それを聞いて、私は手の力を緩め、里長を床に降ろした。

「げほっ…年寄りに無茶をしますな。怖いお人だ。」

「…言ってみろ。」

「あなたは半人半獣であり、それ相応の力をお持ちです。
ですが、私共はただの人間。付け焼刃の対応などは出来ても、それこそ幼い頃から訓練を受けていなければ、妖怪に太刀打ちなど出来ない。
ルールと言っても、所詮は形に過ぎませぬ。博麗の巫女も結局は結界の管理が主で、異変でなければ動きもしない。
ですから、里には必要なのですよ…殺す事だけに特化した退治屋が。

あなたには解りませぬか!?守るべき者を守れぬ苦しみが!!人の弱さが!!踏みにじられる痛みが!!

…綺麗事だけでは、何も守れませぬ。ましてや、未来ある者にこそ手を汚させる訳にもいかない。
ですから…例え正道を外れようとも、あの様な汚れ役は必要なのです。
奴が死んでも痛手が無い立場なのは、事実ではありますから。」

「…!!」


突き付けられた言葉は、あまりにも重かった。

私は気付きもせず、そして無知だったのだ。
人里と妖怪がこれまで小競り合いで済んでいたのも、平和が長く続いたのも、退治屋の犠牲の元に成り立っていた事に対して。

私だって、何が正しいのかなど解らない。
里長の言葉も、一つの真理である事は間違いないのだろう。

だけど…それでも。


「里長殿、まずは先程の非礼をお詫びいたします。
ですが…私とて、かつてはあの子を守ると決めて引き取った身。
そして、私は教師です。教え子は誰一人として、犠牲にはしたくない。
例え茨の道であろうと、必ずあの子を救い出します。犠牲になって良い子供など、一人もいないと信じております故。」

「…お気持ちは、痛いほど解ります。私とて、本当はあの少年を犠牲になどしたくない。
ですが、無理なのですよ。こうしなければ、里を守る事など…。」

「……。
…里長殿、最後に訊きます。
退治屋としての最期の事は、○○には話したのですか?」

「…話しておりませぬ。
奴は復讐心と狂気でやっと生きている状態。今ここで絶望させて、命を絶たれる訳には行きませぬから。」

「…左様ですか。」


○○は、まだ知らないのだ。
自身の運命が、どこまでも絶望に満ちている事を。

私は、どうすればいいのだろう。

○○を宿命から救いたい。だけどそれをすれば、下手をすれば里が滅びる。
殺し合いとなれば、私とて里を守りきる事は難しいだろう。
何も糸口が見えないまま、ただ茫然と帰路に就く事しか出来なかった。


見上げれば、月の無い夜。


それは私の心にも、○○の未来にも似ていて。
その深すぎる漆黒に、ただ気持ちが沈み続けるばかりだった。









数日を経て、私は里のある場所に足を運んでいた。

中心から遠く、あまり日も照らず、里の中では特に鬱蒼とした場所。
人が好んで住む場所ではないそこに、一軒だけぽつりと建つあばら家がある。

代々里の退治屋の住居とされてきた、古びた家。
ここに○○が住み付いたと聞いたのだ。 

時刻は夕方で、窓から明かりが漏れている。
彼がここにいる事は間違いないが…私の気は、相変わらず重いままだった。

戸を数回叩き、来客を告げる。
しかし返事は無く、閂が掛かっていないのを確認すると、私はその扉を開けた。

「○○…いないのか?」

まず目に入った部屋は、もぬけの殻だった。
中へ入ろうと一歩歩を進めると…


「!!」


あの夜と同じように、私の喉元に刀が突き付けられていた。


「不用心だな…わざわざ殺されに来てくれたのか?」


死角から現れたのは、○○だった。
その笑みにかつての幼子の面影は無く、言いようの無い狂気が浮かんでいた。

「い、いや、様子を見にな…そ、そうだ、何か作ってやろうか?腹が減っているだろう。」

○○は一度私の顔色をじっと伺うと、無言のまま刀を鞘へと収めた。
その表情から、感情を窺い知る事は出来なかったが。

「生憎と、そんな気遣いは不要だ。一通りの家事と炊事は師匠に叩きこまれたからな。」

「そ、そうか。すまない、少し上がらせてもらうぞ。」

「……ああ。」

囲炉裏を挟む形で、彼の対面に座る。
しかし言葉は無く、嫌な汗が背中を伝うばかり。
掛けるべき言葉を、私はなかなか見付けられずにいた。

「よく生きて帰って来たな。攫われていた間、どうしていたのだ?」

しまった。
漸く捻り出した言葉は、恐らく触れてはいけない事。
彼が傍らに置かれた刀を握り、私は戦う事すら覚悟した。

しかし、刀は抜かれる事は無く、ごとりと彼の目の前に立て掛けられただけだった。

「…ずっと、こいつと妖術の修行をさせられてたよ。半人半霊の師匠の所に預けられてな。」

「そ、そうか…その師匠は良い人だったか?」

「さてね。何を考えてるのか解んねえ人だったからよ。
まあ、滝壺に突き落とされたり、手の皮が全部剥けるまで素振りをさせられたりはしたがな。
ああ、独りで100匹の怨霊の相手をさせられた事もあったか。
…ちゃんと妖怪を斬ったのは、この前が初めてだったがな。くく…」

間違いない、あの新月の夜の事だ。

○○は、実に愉しそうな笑みを浮かべている。
何処か張り付いたような、歪で、醜悪な笑みを。

…やっぱり、本当は嫌なんじゃないのか?

「怖くないのか?
まだお前は13だ。里長に話を通せば、きっと守護者の私が代わる事だって…」

「俺に死ねって言ってんのか?それは。」

帰って来たのは、私の考えとは違う答え。
死ぬ?それは一体…

「どういう事だ?何故退治を辞めてお前が死なねばならん?」

「何も知らされてねぇんだな、里の守護者が笑えるぜ。
どうもこうもねえよ、自分の立場を放棄した時点で、俺はスキマ妖怪直々に処刑だってあの老い耄れに言われてる。
他にやる奴もいない以上、それは罪になるんだとさ。」

「…!!」

あの老い耄れめ…黙っていたのか。

怒りで肩が震える。
今にも飛び出して、あの老い耄れの首を引き千切ってしまいたい。
よくも、よくもこの子にそんな宿命を…。

「まあ、代わりに10年耐え切れば、後は自由の身なんだと。
そしたらよ…人里も妖怪も、皆殺しにしてやる。だからこの10年で、俺は今よりも力を付けてやるんだ…。」

○○は刀を手に立ち上がると、台所へと赴く。
徐に籠から取り出したのは、一本の大根。
それを宙に放り投げると、彼は刀で真っ二つにそれを斬り裂いた。

「○○、何を…」

「戻し切りって知ってるか?先生。」

彼が二つに分かれた大根を合わせると、何事も無かったかのようにそれは元に戻った。
話には聞いた事がある。しかし、まだ13の○○がこれを身に付けるまでに受けた過酷な修行など…想像したくはなかった。

「こいつをやるには、正確に筋を断ち切る斬撃が要る。
戻せるほど正確に斬れるって事はな…つまり、確実に壊す事も出来るって事なんだよ…。」

壊れた様に、○○は笑っていた。
本当に楽しそうに、復讐の光景を想像して笑っているのが、手に取る様に伝わってくる。

その復讐の対象には、私も含まれているのだ。
彼を守り切る事が出来なかった、呪われた宿命に彼を叩きこんだ私も。

「○○…ならば、今私を斬れ。
だから復讐なんて馬鹿な事は考えるな!!お前を守り切れなかったのは私だ!私一人を斬れば済む話だろう!!」

「はあ…あんた、本当に何も解ってねぇんだな。

今更あんた一人を斬った所で、俺は復讐を止める気は無いぜ?
それに…それでも俺は逃げらんねえのさ。今の力で、俺があのスキマに勝てると思ってんのかよ?

楽しみは後に取って置くさ。あんたも俺に斬られるまで、せいぜい生き延びな。くく…。」

「………!」


何も言えず、私は彼の家を飛び出す事しか出来なかった。

もう、私の知る○○はいないのだ。
ただ逃げる様に走りださなければ、私の心は押し潰されてしまいそうだった。


「はあ…はあ…うっ、げほっ…。」


走り過ぎた。
走り過ぎて、息も切れてしまって、私はへたり込んだ。

何処まで来たろうか?だけど、ここには見覚えがある。
そうだ…ここは昔、○○を連れて月見に来た場所だ。

伸びた枝の間から、ぽっかりと三日月が見える。
あの子の手を繋いで、こうして月を見上げていたのだ。


「あ…。」


雲が流れて、やがて月を覆い隠してしまった。
辺りは新月の様に闇に染まり、もう何も見えない。

○○が見付かった日は、新月の真っ暗な夜だった。
今も彼の心は、そこに囚われたままなのだろう。

「10年耐えれば自由になれる。」○○はそう言っていた。

だけど、それはきっと、退治屋が妖怪に成り果ててしまうまでの周期。
○○が、本当に人でなくなってしまうまでの時間。

ずっと、あの子は新月の心のままで生を終えるのだろうか?
救いも無く、光も知らず、最期には人を喰らう存在に変わり果てて。

私の手は、あの子の心まで届かなかった。
気付けば雲行きは雨に変わり始め、雷が鳴り、ぽつぽつと肌を濡らして行く。

この先の未来を、嘲笑うかの様に。


「…○○…。
う…あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!。」


雷鳴が一刹那降り注ぎ、雨は大降りに変わる。
ざあざあと激しく降り注ぐ雨の中、私は泣き叫ぶ事しか出来なかった。



止む気配すら見えない雨音に、泣き声を隠して。








慧音が飛び出した後、開け放されていた戸を閉め、彼は部屋へと戻る。

消えかけた囲炉裏の火だけが灯る薄暗い部屋を眺め、彼は刀を抱え込む様に座った。
茫然と炭を眺めるその瞳に映るのは、復讐なのか、それとも、過去の情景なのか。
それは、彼にしか解らない。


「あの頃に戻るなんて、もう無理なんだよ。先生…。」


やがて囲炉裏の火も潰え、暗闇に、彼の鋭い双瞼が浮かぶばかりだった。






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最終更新:2012年03月14日 21:52