“ねーん…ねーん…ころー…りーよー…”





歌が聴こえる。

何処か遠い昔に聴いた気がする、子守唄の声。
気付いたら真っ白な場所にいて、何処からともなくそれは響いていて。


「ここは…?」


声のする方へ歩いてみる。
だけど、近付く程にその声は遠くなって…やがて、俺の前には一枚の戸が現れた。

戸を開けて中に入ると、真っ暗な闇が広がるばかり。
何も無いと思って戻ろうとすると、後ろにあった筈の戸が無くなっている。


“ジャリ…”


急に足音が変わったのを感じて辺りを見回すと、いつの間にか、そこは夜の森に変わっていた。

少し離れた場所に、気配が1つ。あれは…妖怪だ。

目が光る。
荒い息遣いと、涎を啜る音が聴こえる。
こっちに近付いてくる、まずい。

怖い。
殺されるのか。
俺は死ぬのか。

…何でだ。何で、俺が


ふと腰に手を当てると、固い感触がした。

そうだ、俺は剣士じゃないか。

生きるんだ。
生きて必ず、あのひとの所に帰るんだ。



殺さなきゃ、殺されるんだ…!!





斬ってみれば、妖怪も怨霊と大差無かった。

ただ、大きく違ったのは、柔らかな肉と、固い骨の感触があった事。
切り刻めば切り刻む程、血と肉片が飛び散った事。

だけど…生き延びた今の方が、ずっと怖かった。

初めて知った、斬った者の肉の感触も、浴びた返り血の温もりも。
何より、『殺す事』に対して、言い様の無い喜びも感じていた自分が。


「ふふ…あは…は……うわああああああああ!!!!!!」


泣きながら笑った。
怖くて、気持ち良くて。
もう、あのひとの所には帰れない気がして。


「○…○…。」


すると肉片が散らばっている辺りから、俺を呼ぶ声が聴こえた。


血の気が引いた。
だって、この声は…。


振り向くとそこには、血塗れのあのひとが倒れていた。




身体中に、俺の刀の傷を付けて。








新月に舞うは刀月、満月に咲くは想影~第二章~









まだ夜も明けきらない早朝ではあったが、私はあの子の家に向かっていた。
まともな生活を送れているのか、やはり心配で仕方がなかったからだ。

案の定閂すら掛けられておらず、戸は簡単に開いた。全く…無用心な奴だ。

中を覗くと、布団が一つ敷かれている。
掛け布団が上下している辺り、ちゃんと眠れてはいるらしい。

今日はあの子が眠っている間に、朝食を作っておくつもりで来た。

今まで剣で鍛えられて来たお陰か、あの子は13にしては背が大きく、成長期も半ばに達している様に見える。
しかし、それでもまだ少年だ。
心の傷や不信感を癒す事は出来なくとも、頼りに出来る大人が必要な筈。

居間へと上がり、布団の側へと近付く。
真横に座り覗き込むと、確かに○○が寝息を立てていた。

「…ふふ、こうして見ると、まだまだ子供だな。」

そこにはあの頃と同じように、屈託の無い寝顔があった。
この子は人里に住み着いてからは、化け物と揶揄されているが…やはり、まだあどけなさの残る少年なのだ。

寝癖の付いた髪に指を通し、そっと撫で上げる。
一瞬くすぐったそうに動いたが、それもすぐに止み、心地よさそうに寝息を立てていた。


「ねーん…ねーん…ころー…りーよー…」


無意識の内に、子守唄を口ずさんでいた。
この子と暮らしていた頃は、よくこうして寝かし付けていたものだ。

小声で囁く様に、ゆっくりと唇が旋律を紡いでいく。
この歌声に、気付いてくれなくても良い。せめて、今はこの子の一時の安らぎにでもなれれば、それで良かった。

そうしてそっと髪を撫でていると、○○の頬を、一筋の涙が伝った。
怖い夢を見ているのだろうか?それとも…


「………何で、あんたがここにいる?」


私が物想いに耽っていると、寝起きの瞳と目が合う。
いつの間にか、起きてしまったらしい。

「ちゃんと暮らせているのか心配でな。
駄目じゃないか、閂はちゃんと掛けなきゃ。泥棒がいないとも限らないんだぞ。」

「………。」

○○は身体を起こし、一度目をこすると、布団の傍らに手を伸ばした。
“何か探しているのだろうか?”
そう思い覗き込むと、その手には刀が握られていた。

間近で見て気付くのは、やはり少年の体躯には余る長さである事と、過剰なまでに細工が施されていない事。
ただ斬る事だけを考えて作られた刀である事が、その漆黒の鞘から見て取れる。

一体いつから、○○はこの刀を振っているのだろう?
これから、この子は命懸けの戦いの中で、どれだけ手を汚さねばならぬのだろう?

ふと過った考えに、また胸が重くなるのを感じた。


「随分と大切にしているのだな、眠る時も傍に置くとは。」

「“刀を肌身離さないのは剣士の基本”って叩き込まれたからな。例えば…」


風切り音と、何かが舞う感触。
私の膝の上に数本の青い髪が落ち、頬から血が零れたのが解る。

やはり、ダメなのか…。

「…寝込みを襲う敵や泥棒を、こうして斬る為にとかな。
朝から動かすな、帰れよ。二度とその湿気たツラを見せるな。」

「…ああ、邪魔したな。」

これ以上関わるのは、この子にとっては良くないのだろう。

私はきっと、一番憎まれている。
あの日、この子を守り切れなかった私は…。

だけど…だけど。


「…また来るよ、○○。」


精一杯の笑顔と、努めて優しくした声色を彼に向け、戸を閉めた。
いつか、いつかまた、心を開いてくれると。

そう信じる事しか、今は出来ないから。



それから幾日かは、同じ事の繰り返しだった。

何度あの子の元を訪れようと、向けられるのは刀の切っ先と、殺意の込められた言葉と視線。
懸命に鍛錬に励んでいる様をこっそり覗き見る事でしか、まともにあの子の顔を見る事が出来なかった。

乱雑に丸太を吊り下げ、自らを襲うよう仕掛け、それらを斬る。
掌から血が滴るまで、数え切れないほどの素振りをする。
汗で水たまりが出来るまで、ただひたすらに己の身体を痛めつける。

懸命に、ただ懸命にあの子は鍛錬に励んでいた。
復讐と自由。ただ、それだけを求めて。

私の喉元にはうっすらとだが、あの新月の夜に付けられた傷が残っていた。

強い想いが込められた刀傷は、生涯消える事は無いと聞いた事がある。
そして私の傷は、度合いだけで言えば薄皮一枚程度。
それが半人半獣の私に傷跡として残っているという事は…それだけ、私への憎しみが深いと言う事なのだろう。

私は、卑怯者だ。
結局はあの子に何もしてやれず、こうして見つめているだけ。
守護者と言う立場も捨てられず、かと言って、あの子を見限る事も出来ないままだ。

何が正しいのかも解らず、闇雲に向き合おうとし続けた。
そうして時間ばかりが過ぎて行き、○○に初めての依頼が入ったのは。

彼が里に戻った日と同じ、新月の夜の事だった。





私がそれを知ったのは、たまたま耳に入った里人の立ち話からだった。

あの子の家に駆け込んだ時にはもう遅く、家は既に蛻の殻。
とにかく場所を突き止めねばと思い、すぐに里を飛び出した。

時刻は既に、夜も深さを増した頃で。
妖怪が最も力を増すこの時間では、あの子は生きていられるかどうか…。

片手の行灯の光のみを頼りに、暗闇を探し続けた。


「ぎゃあああああああああああああああああああ!!!!!!」


その時、思わず耳を塞いでしまう程の断末魔が耳に飛び込んできた。
そこに向けて走り出すと、徐々に悲鳴はその数は増して行く。

そして僅かだが、血の匂いも。

想像より距離があり、私が近付く間に悲鳴は止んでいた。
しかし、手掛かりは解らなくなったが、この近くである事は間違いない。
行灯を回し、手当たり次第に周囲を見回る。

「あれは…?」

上手く光が当たらず、影になってしまっているが、森の木に、何かがぶら下がっているのが解る。
手掛かりを求め、そこに近付いた私を待っていたのは…


「ひっ…!?」


果実の様に枝から垂れ下がるそれは、生き物の臓物だった。

血の匂いは先程より格段に濃く、思わず吐き気を催し掛けた。
歩を進めると、水音と何かを踏んだ感触。
足元に光を向けると、夥しい血だまりと肉の山が広がっている。

「○○…まさか…。」

強い不安に駆られ、駆け足で先を急ぐ。
そうしてさらに奥へとへ進み、私の耳に、ぐちゃり、ざくりと、不愉快な音が飛び込み始めた。


「○○!!

………!!!」


行灯に照らされ暗闇に浮かんだのは、二つの赫い月だった。

一つは血染めの刀の、鈍い輝き。
もう一つは…人のモノとは思えない程歪められた狂笑の、その裂けた様な口元。

そこにいたのは、返り血に塗れた○○の姿。
顔中を血に染め、唯一目元から顎に掛けてが、まるで涙の跡の様に肌色の線を描いている。

「あんたか…手伝いなら不要だ。今終わっちまったよ。」

辺りには、数えきれぬ程の肉片が散らばる。
一体どれだけの数の妖怪を斬ったのかなど、到底解らない状態だった。

「お前が、これをやったのか…?」

「…ああ。妖怪相手の実戦は二度目だが、俺は相当師匠が良かったらしいな。
楽しいぜ?斬れば斬る程、悲鳴がどんどんでかくなってさぁ…。」

今目の前にいるこの少年は、本当に○○なのだろうか?
俄には信じたくはない。
しかし、目を背けた所で、事実は変わらない。


「う…うぅ…。」


そこに突如、まだ幼いうめき声が響く。
行灯をそこに向けると、妖怪の幼子が倒れていた。

下半身は千切れ、上半身だけで這いずりながら。


「…そう言えば、さっきの連中に子供もいたか。しぶてぇな。」

「う…あ…とう…ちゃ…ん…。」


その妖怪の子が手を伸ばす先には、元がどの様な姿かも解らない肉片。
この中に混じっているのだろうが…恐らく、再生する事は無いだろう。

妖怪は確かに生命力が強いが、同時に精神に依る生き物だ。
代わりに心は脆く、一度自らが『死んだ』と感じてしまえば、二度と元通りにはなれない。

これだけ残忍に切り刻まれれば、再生出来る者はそう多くはいるまい。

「○○…もう充分だろう、里に戻ろう。お前がこれ以上血に汚れる必要など…」

「………。」

物言わぬまま、徐に○○は刀を掲げた。
鞘に納められるかのように見えたそれは、彼の掌の動きでその刃を下に向け。


「あぐっ…!?」


そして真っ直ぐに、妖怪の子の首を貫いた。


「…先生、まだ仕事は終わりじゃねえよ。こいつはまだ死んでない。」


抜き取られた刃先から鮮血が零れ、○○は愉しそうにそれを眺めていた。
妖怪の子は涙を流し、ひゅうひゅうと、悲鳴にもならない呼吸の流れが傷口から聴こえる。

「お前、最後まで抵抗してたあの妖怪の子か?よく見りゃ似てるなあ…。
お前らガキ共喰わせる為に、態々ルール違反してでも人里襲うとしたとか…くーっ、泣けるお話だぜ。
だけどな…俺に見付かったのが運の尽きだよ。」

「○○、やめろ…!」

止めようとした時には、もう遅かった。
刀は迷いなく妖怪の子の首を撥ね飛ばし、夥しい鮮血が吹き出す。

○○はその鮮血を身体中に浴びながら、尚もその手を止めず、次々に残った身体を切り刻んでいく。
狂笑をより歪にし、そして、その頬から涙を流しながら。

「初仕事はこれで終わり、っと…。」


その光景を目の当たりにし、私は動く事が出来なかった。

恐ろしい。

どんな妖怪よりも、今目の前にいるこの子に、ただ恐怖していた。

私の足元に転がるのは、妖怪の子の首。
まだ意識があるのか、その目からは、今も涙が零れて…。

「…ああ、そっちに首が行ってたのか。」

表情を元に戻さぬまま、血塗れの○○が首を見据える。
首の視線は彼へと向いており、最後の力を振り絞る様に、唇が動いた。


“殺してやる。”


はっきりと、その言葉を形作って。


「くく…ガキ、お前おもしれえな。
いいぜ?殺しに来いよ。何度だって殺り直してやるから。」

その直後、私の視界が真っ赤に染まった。
○○の使った妖術により、首が飛び散ったのだ。


「ふふ…ひっ…うぐふっ…ひゃひゃ…。
ひゃははははははははははははははははははははは!!!!!!」


奇声ともつかぬ異常な笑い声で、○○は嗤う。
目の前にいるのは人ではなく、もはや悪鬼だった。

私は何も言えず、やがて○○が去るまで、茫然とへたり込む事しか出来なかった。







暗闇の中を、血塗れの少年が歩く。
身の丈に合わない刀を腰に提げ、ふらふらと、よろめきながら。

「ふー…。」

一つ溜息を付き、疲れ果てた少年は、そのまま地面へと寝転んだ。

見上げた先の空は真っ暗で、何も見えない。
それが自身の未来に見えたのか、少年はまた自嘲的な笑みを浮かべた。

「これで、良かったんだよな…。」

零した言葉は、何を意味するのか。
ただ夜空を見上げ、少年は、やがて朝が来るまでそこに寝転んでいた。

頬から一筋、涙を流しながら。






あれから半月が過ぎたが、あの夜以来、私は○○に関わろうとはしなくなっていた。

私には…無理なのだ。
大人に利用され壊れ果て、そして狂ってしまったあの子を救う事など。
あの時、私があのスキマ妖怪から助け出せていたなら…そう思う程に、日増しに重さを増す後悔が私を責め立てる。

もう、関わらない方が良いのだろう。
私が関わる程、あの子は大人への不信感を増して行く。

あの子は危険だ。
退治屋として生きればいずれは妖怪となり、そうなれば人里へとその憎悪を向けるだろう。
もし、あの子がいつか憎しみを爆発させる時が来てしまったのなら、この首をあの子に差し出そう。

だからせめて、人里の命だけでも…。


「慧音ー、お邪魔するよ。
あれ、どうしたの?浮かない顔して。」

「妹紅か…。」


久しく見ていない顔だった。
考えれば、最後に会ったのは、○○が戻ってくるより前だった気がする。

「妹紅…私は…私は…!」

「ちょ、ちょっと慧音!どうしたの!?」

今はただ、誰かにすがり付きたかったのかも知れない。
久々に会った親友を前に、私は涙を流すばかりだった。


「落ち着いた?全く…何があったのさ?」

「ああ、ありがとう…実は、○○が…。」


洗いざらい、全てを話した。
○○の事も、私の中の葛藤や結論も、洗いざらい全て。
妹紅は私が全てを話終えるまで、ただ黙って話を聞いてくれていた。

「正直死んだとばかり思ってたけど、あの子が、ね…大変だったね、慧音。」

「すまない…私が悪いのだ…。」

「はいはい、あんまり自分を責めないの。
…でも、おかしいね。」

「…何がだ?」

「何で妖怪を殺せる力があるのに、大人しく里の奴らに取り押さえられたのさ?
それだけの腕があれば、簡単に逃げられると思うけど…。」


…確かに、不自然だ。
あの子の実力を目の当たりにしたからこそ、余計に妹紅の指摘する事に違和感を感じた。

いや、だけどそんな都合の良い話が…。

「んー…慧音の考えてる事、当ててあげようか?
“○○は、本当は慧音を斬りたくないんじゃないか。”って所でしょ?」

「!!」

妹紅は悪戯な笑みを浮かべ、一度私の中を過った、ご都合主義な考えを言い当ててみせた。
そうであれば、どれ程良いか…。

「妹紅には敵わないな…しかし、あの時の眼は本気に見えた。それは都合が良すぎるだろう?」

「違う意味では本気かもね。
何かバカな決意をした奴ってのは、得てして自分を誤魔化す為に殺気立つモノさ。
やれやれ、あの子も大人ぶっちゃってまぁ…。」

呆れたように溜め息をつきながら、妹紅はお茶を啜る。
…あの子の気持ちも、妹紅になら解るのかもしれない。

「妹紅。私は、どうすれば良い?私はあの子の為に…。」

「んー、まずは焦らない事じゃない?後、折れない事。偏屈な不良少年は、心を開くのに時間掛かるからねぇ。
まあ、根気よく向き合えば良いのさ。慧音が心配してるような事は、あの子はきっとやらないよ。」

何も心配はいらないと諭すように、妹紅はからからと笑ってみせた。
少しだけ、気が楽になれた気がする。
そうだ、私が諦めてしまえば、あの子は孤独なまま生涯を終える事になる。
私だけでも、あの子を見放さない者がいなければ。

「妹紅…ありがとう。少しは気が楽になったよ。」

「まあまあ、こう言う事は年の功だよ。じゃ、おいとまするね。」

妹紅が去った後、私はすぐに文を書き始めた。
例え少しでも、あの子との繋がりを途絶えさせない為に。向き合い続ける為に。







「慧音は相変わらずだねぇ…。
さて、やんちゃ坊主にお灸を据えに行きますか。」








誰もいない林に、素振りの音が響く。
その音の主である○○は、今日も無心に鍛練に励んでいた。

「痛っ!?
…クソッ、まだ治らねえか。」

最初の仕事の時、彼は腕に傷を負っていた。
まだ無傷で戦える程の腕は無いと感じた彼は、傷の癒える間も無く鍛練を繰り返す。

その努力の先に何を目指すのかは、誰も知らないままに。


「精が出るねえ、いやー、立派なもんだ。こんなに大きくなって。
どれ、ちょっと私の相手をしてくれない?」

「あんた…生きてたのか。」

そこにふらりと現れたのは、藤原妹紅。
かつては、時折姉の様に○○と遊んでいたその人だ。

「不老不死相手に生きてたのかとは、とんだ皮肉ね。
なあに…ちょっとお説教をしに来たのさ!!!」

「な!?」


挨拶代わりとばかりに、妹紅の炎が○○に飛ばされる。
それを何とかかわした彼は、すぐに刀を抜き、戦闘の態勢に入る。

「てめえ…何しやがる。殺すぞ。」

「おお、こわいこわい。
アレをかわすとは、確かにやるねぇ…だけど、所詮は小童さ!!」

妹紅が放ったのは、巨大な鳳凰だった。
○○は妖術でそれを防ごうとするも、圧倒的な実力差の前に成す術も無く、爆風によってそのまま吹き飛ばされてしまう。

「ぐああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」

纏う服は焦げ付き、火傷と吹き飛ばされた衝撃から、所々が血に染まっていた。
その傷を負って尚、息を切らしながらも、刀を地面に突き刺し彼は立ち上がる。

「ふー…甥っ子同然のあんたがグレてるとは、お姉さんは悲しいわ。」

「く…てめえ、ふざけんじゃねえ。」

先程の一撃により、○○は憔悴していた。
しかし、刀を握る手は降りず、切っ先と視線は真っ直ぐに妹紅を捉えたままだ。

「意地張っちゃってまぁ…そんなに嫌なのかい?慧音を自分に関わらせるのが。」

「…!」

一瞬、彼の刀がその首を下げた。
瞳には動揺が浮かび、戦闘で流れた物とは違う汗が頬を伝う。


「図星かい?素直じゃないねえ、あの頃はこんな偏屈になるなんて思わなかったよ。」

「………い。」

「慧音を巻き込みたくないのは解るけど、そんな意地張ったってあいつが諦めると思う?」

「…るさい。」

「昔はあんたも可愛かったのに…。いい?慧音の為を思うなら…」


「うるせえって言ってんだよこのアマああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!」


激昂と共に振り下ろされた斬撃。
それは確かに妹紅を切り裂き、彼女の命を奪った筈だった。

しかし…


「いたたた…今のはびっくりだわ。
全く…私が不老不死だって事はあんたも知ってるでしょ?キレる若者は怖いねぇ。」


一度激しい炎が上がると、その中から蘇り無傷となった妹紅が現れた。

「チッ…そういやあんたはそうだったか。
ったく、人の気も知らねえでごちゃごちゃと…。」

そう皮肉を吐いた直後、彼は足元にどさりと倒れ込む。
完敗だった。
最早立ち上がる気力も、彼には残されてはいない。

「そうそう、素直が一番。
あんたの事情は慧音から聞いたよ、取り敢えず一発殴らせな。」

「ぐっ…!!
痛えな、まだやんのかよ…。」

一度彼を殴り飛ばし、妹紅はその前に座った。
向き合うように、真っ直ぐに彼の瞳を見つめて。


「はぁ…今のあんたを見てると、鏡でも見てる気分になるよ。昔の私にそっくりだ。
いい?あんたは確かに強いよ、だけど上には上がいる。普通の妖怪は殺せても、それでも私くらいの連中がゴロゴロいるんだ。
解ったら、復讐なんて思っても無い事言うのは止めな。その先には何も無い。」

「………。」


暫しの沈黙。
やがて幾ばくかの時間が流れ、何かを諦めたかの様に彼は口を開く。


「…あの人は、こっちの事情に関わらせたくねえんだよ。」

「やっぱりか…やっと吐く気になったね。」


頷きだけを返し、俯いたまま彼はその胸の内を語り始める。
一つ一つ、自らと向き合うかの如く。

「あのスキマに拐われてからは、とにかく必死に修行したよ。
師匠の修行はキツいし、死に掛けた事も何度もあった。

何で剣を振らなきゃならないのかは、その頃は教えてくれなくてな。
生きて先生の所に帰るって、そればっか考えてた。」

「ふーん…で、それからは?」

「それが7年続いて、12になった時、師匠がこの刀をくれた。
それから一年経って…俺がここに帰ってきた夜、その前にまたスキマに拐われたのさ。

放り出されたのは夜の森で、そこに飢えた妖怪がいた。
怖かったよ…それまで斬ってたのは味気無い怨霊で、妖怪自体初めて見たんだ。

無我夢中でそいつを殺したが、そこで俺は狂っちまった。」

刀を胸元に抱え込み、彼は何かに脅える様に唇を噛む。
そして息を整え、再び話を始める。

「肉の感触だ…刀を振る度に、それが伝わって来るんだよ。
どうしようも無く楽しかったのさ。この手が命を奪って行くって手応えがな。
どうやって帰ったかは覚えてないが、里に着いた後は、あんたが先生に聞いた通りさ。」

「………。」

「初めは、あのジジイ共を皆殺しにしてやろうと思った。

当たり前だろ?拐われて必死に生き延びて、やっと帰ったと思ったら、全部仕組まれてた事だったんだ。
先生の事だって憎んだよ…“修行に入れるまで、俺を生かす為だったのか”って思った。

だけど先生が駆け込んで来た時、解ったんだ。この人は、本当に何も知らないって。」

「…それが解ってたなら、何で刀を向けたの?」

「言ったろ?関わらせたくなかったんだよ。

あの人は、幸せに生きるべきなんだ。
俺みたいな立場の奴に構って、汚い場所に立ち入っちゃならない。
俺の事なんか忘れて、幸せに生きて欲しくて…だから遠ざける為に、刀を向けた。

だけどしつけえよな、あの人も。
何度脅しで斬り付けたって、何度だって関わろうとしやがって…人の気なんて、少しも気にしねえ!!」

感情のまま、彼は地面を殴り付けた。
叩き付けられた拳から血が流れ、それが地面に赤い滲みを描いていく。

妹紅は無言のまま、ただその拳を見つめていた。

「最初の依頼が入った時、どうせあの人は俺を探すと思った。

だから、見せ付けてやったのさ。俺がどれだけ狂っちまったか、関わるとどうなるか。
もう手遅れなんだよ…妖怪を前にすると、血が騒ぐんだ。“殺せ、殺せ”って。
おかしいよな?楽しくてたまらない筈なのに、斬れば斬るほど涙が出るんだよ。

先生の前で妖怪の子供を殺った時だって、嬉しかったのにな。
ここまで外道になれば、きっと諦めてくれるって…なのに、帰り道でも涙が止まらなかった。」

独白は終わり、力無く彼は肩を落とした。
頬を伝う涙と共に、初めて見せる、本心と合致した苦悶の表情を浮かべて。

「ふーん…。」

妹紅は立ち上がり、一度○○を見下ろすと、その手をゆっくりと伸ばす。
そして。


「…カッコ付けてんじゃないよ、このクソガキが!!!!」


○○の胸倉を掴み上げ、彼女の激しい檄が飛ぶ。
怒りの強さを示すかの様に、ぎりぎりと彼の胸元を締め上げ、強い視線で睨み付けていた。

「あんたね…慧音がどれだけあんたを探してたか知ってる?
関わらせたくない?それで慧音がどれだけ傷付いたと思ってんの?
あんただって、本当は辛かったんだろ?
慧音にもう一度会いたくて生き延びた癖に…ガキが一丁前に気い使ってんじゃないよ!!」

「………。」


妹紅は深く溜め息をつくと、その手を放し、○○の身体は力無くへたり込む。
俯いたその姿には、先程までの威勢は残されていなかった。


「あんたにはまだ解らないかも知れないけどね、慧音が諦める事は、絶対に無いよ。
今だって、あいつはあんたの為に苦しんで…あんただって、慧音の為に苦しんでる。ガキはガキらしく、素直になりな。

覚えときな、まだあんたを見限らない奴らがいる事を。
…甥っ子同然のあんたが生きてて、私だって嬉しかったよ。じゃあね。」


背を向けたまま一つ手を挙げると、妹紅はそのまま彼の元を後にした。
独り残された彼は、刀を手に取り、じっとその飾り気の無い鞘を見つめる。


“○○、お主にこの刀をやろう。”

“いいんですか?こんな上等な刀を…。”

“儂には孫がいてな…其奴はまだ半人前だが、二本の刀を託してある。
その内の一つは白楼剣と言って、迷いを断ち切る為の刀じゃ。

今渡した刀は、飾りを排する事で、迷いを断ち切ると言う願いを込めてある。
お主にとっての、お主だけの『迷いを斬る剣』になるようにな。

…きっと、いつかお主には必要な刀になるはずじゃ。”

“はい…ありがとうございます。”


刀を抜き、刃を空へと翳す。
それを見つめる彼の顔には、やがて乾いた笑みが浮かんだ。



「師匠…俺はまだ、この刀の主には遠いみたいです。」







「慧音先生、これは一体…。」

「文面の通りです、里長。」

里長の家に駆け付けた私は、真っ先にある文を手渡した。

その内容は、

『現在の退治屋である○○はまだ少年であり、また、その思想は里にとって非常に危険である。よって、監督並びに補助をする存在が必要と考える。』
『そして監督並びに依頼の伝達は、立場上、関係上を考えれば、私、上白沢慧音が取り持つべきである。』

私自らこれを役職としてしまえば、少なくともあの子との繋がりは途絶えない。
苦肉の策ではあるが、それでも、あの子を支える事が出来るのならば。

「本気ですか?あの小童は、何よりも貴女を目の敵にしているはず。
身の安全を考えれば、私の小間使いを遣わせた方が…。」

「いえ、○○の力量と心情を考えれば、下手をすれば逆鱗に触れて死人が出ます。
私であれば、少なくとも簡単に殺される事は無い。適任ではないかと。」

「しかし…。もし、断ると言ったらどうしますかな?」

やはり、か…だが、私も生半可な気持ちでここに来た訳では無い。


「もし受け入れていただけないのならば、今ここで、舌を噛みます。…里長殿、何卒お願い申し上げます。」


私は本気だ。
これでもまだ飲まないのなら、それ相応の覚悟だってしている。

里長はその垂れた目の奥を一度光らせると、観念したかのように溜息を付いた。…よし。

「解りました…そこまで仰るのならば、その任はあなたに任せましょう。」

「はい…ありがとうございます。」


嘆願は通った。
本番はここからだ。まずは○○の心を開く事、傷付いた心を癒す事。
そして、退治屋と言う呪いから、○○を救う事。

私には出来ないのかもしれない。だけど、何もしないまま指を咥えている訳にはいかない。
あの子がまだ人である事を捨て切れていないのなら、きっと希望はある。

待っていてくれ、○○。私は必ずお前を…。






“コン…コン…”

簡素なあばら家に、戸を叩く音が響く。
現在の家主である少年は身体を起こし、一度その鋭くなってしまった双瞼をこすると、眠気も隠さぬままに玄関へと向かう。

「おはよう、○○。」

その先には、慈愛に溢れた笑みを向ける慧音の姿。
彼は一度腰に提げた刀に手を添えるが。


“慧音にもう一度会いたくて生き延びた癖に…ガキが一丁前に気い使ってんじゃないよ!!”

「………。」


その手を、すぐに刀から離した。



「…何の用だ?ねみいんだよ。」

「今日からお前の監督と依頼の伝達は、私がする事になった。
お前は少々躾がなっていないからな、私が直々に更生してやるから覚悟しておけ。
さあ、まずはちゃんとした朝食を摂る所からだな…」

「…ったく、勝手にしろよ。用が済んだらさっさと帰ってくれ。」

「ふふ…ああ、勝手にするさ。」


例えるなら、それは曲がりくねった平行線の様な物。
その傾斜と傾斜が、一度くっついた瞬間の様な、心の交わり。

しかし、隣り合う事はあれど、その線は決して交わりはしない。


伸びて行く線。それはやがて…。

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最終更新:2012年03月14日 21:52