八意永琳が賢者の式に連れられて遊郭へ赴いたのは、近頃娼夫たちの間で梅毒が流行っているからだ。
どうにも病気を持った妖怪が出入りしたらしく、おまけにたちの悪いことにその妖怪は娼夫をとっかえひっかえして遊んでいたらしい。
結果として外来人たちの間には病が蔓延し、賢者への不満が募っていた。
所詮彼らは烏合の衆、どれほど怒りを溜めこもうとも賢者にかなう道理もないのだが、無用な面倒を嫌ったのか、彼らの治療を依頼してきたのだ。
彼女が○○と出会ったのは、初めて遊郭に出向いたときのことだった。

「先生、俺は死んでしまうんでしょうか」
「遅かれ早かれ、人間はいつか死ぬわよ。でも安心なさい、あなたが梅毒で死ぬことはないわね」

○○の言葉を軽く聞き流しながら永琳は彼の腋下を圧迫し、血管を浮かび上がらせてから抗生物質を注射した。
永琳は賢者が用意したペニシリンを流れ作業のように娼夫たちに投薬していった、○○は最初の感染者にして最後に投薬を受けた男だった。
○○の症状が第二期と分類される状態まで進行していて、手足から広がった発疹は胴体や顔にまで達そうとしていた。

「これからひと月か二月ほど治療が続くけど、熱が出ることもある。でもそれは薬が効いている証拠だから、心配せず寝ていること。いいわね?」
「はい。ありがとうございした」

ふう、と永琳はため息をついて医療道具を片づけ始めたのだが、○○はそれをぼうっと眺めていた。
永琳が何かしら? と尋ねると、○○はもし仕事が終わったのなら、少しの間でも話をしてくれないかと言った。
なんでも最初に発病して以来、客とも外来人仲間とも隔離されて会話らしい会話をしていなかったのだという。
永琳は片手間でいいならとそれに応じ、○○はほっとしたように笑った。
それから○○は色々と話をした。幻想郷に迷い込んだときのこと。この遊郭に連れてこられたときのこと。発病したときのこと。
饒舌に、一方的に永琳に話しかけ、永琳はただそれに相槌を打つばかりだった。

「もしよかったら、今度も話を聞いてくれませんか?」

去り際に○○がそう言ったので、永琳は軽い気持ちで、それぐらいなら、と承諾した。
それから永琳の日々の生活に○○の話を聞くというものが加わった。


「なんだかちょっと前から体がだるくて疲れやすいんですよね。間接も痛いし、もう歳なんですかね?」
「典型的な梅毒の症状よ。直に収まるわ。それで、今日はどんな話を聞かせてくれるのかしら」
「えーっと、それもいいんですけど、たまには先生のお話を聞きたいなあ、なんて」
「私の話?」

治療が進むにつれて永琳は○○に好意を抱いていった。
それは男女間のものではなく姉が弟に向ける感情に近かったが、それでも永遠亭の住人を除けば一番親しい間柄になった。
永琳は少し逡巡して、○○なら口を滑らせることもあるまいと思い、少しだけ身の上話をしてやった。

「じゃあ先生は不老不死の宇宙人ってことなんですか?」
「地上出身だけどね」
「すごいなあ。俺、オカルトとか大好きだったんですよ。まさかこんな所に来るとは思わなかったけど。アポロ13号は月に到着してないって本当なんですか?」

○○は少し驚いたものの、すぐに永琳の話に食いついてきた。
あれこれと月の話に興味を示し、ひいては永琳自身にも興味を示した。
永琳も打てば響くような○○の反応が楽しくて、もっと楽しませてやろうと色々な話をしてやった。
太古の地球の話、竹取物語の真実、遊郭に閉じこもっていた○○が知らないであろう異変の詳細。
そんな話をするたびに○○はもっと話をねだるようになり、ついつい長く居座って、輝夜にからかわれたり鈴仙に心配されたりもした。
しかしそんな楽しい時間も長くは続かなかった。



「おかしい。もう治っていてもいい頃なのに」

遊郭で治療を初めて二カ月と少し、娼夫たちの健康は改善されていなかった。
それどころか症状はゆっくりとだが確実に進行し、彼らの体をむしばんでいった。
当然○○も例にもれず、梅毒は一つ上の段階へ移行し、体の皮膚、筋肉、骨に腫瘍ができていた。
誤診であるとは永琳には思えなかったし、事実彼女の知識の中では彼らの症状は完全に梅毒のそれだった。
身体検査を行ってみても、彼らの体からは梅毒トレポネーマが検出された。

「この前、また一人身請けされてここを出て行ったんですよ。俺も見送ってやりたかったなあ……」

○○は最近元気がなくなったと永琳は思った。体の調子がよくないという理由もあるのだろうが、それ以上に将来のことが心配なのだろう。
自分のことを話さなくなった。永琳の話にあまり興味を示さなくなった。何より笑うことが少なくなった。
永琳にはそれが悲しくてどうにかしてやりたいと思い、反面大口を叩いておきながら結果を出せないことに焦りを感じていた。

「あなたには身請け人の当てはないのかしら?」
「俺ですか? そんなのありませんよ。ここに来てすぐ病気になっちゃいましたから。顔見知りの外の人なんて、先生ぐらいです」

そこまで言って、○○は慌てて気にしないで下さいと言った。身請け人になることを暗に催促していると思われることを避けたかったのだろうか。
外とは遊郭以外の幻想郷を指すのだろう。永琳は○○がこの幻想郷のどこにも足を運んだことがないという事実を今になって思い知った。
それがとても不憫に思えて、いつか○○をここから出してあげようと思ったが、気を使わせたくなかったので永琳は胸にしまっておいた。
まずは○○の病気を治すためにと、永琳は賢者の式を呼び出して訪れたことのある妖怪の調査を始めた。
病気以外に目をつけて、ようやく原因が判明した。娼夫たちは訪れる妖怪たちの妖気にあてられていたのだ。
半ば妖怪と化した彼らの中に潜む病原菌も、同じような状態になったのだろう。
そうとわかれば話は早い、永琳はすぐに別の薬を作り、実験し、彼らに投薬した。
治療が始まって半年ほどが経っていた。



結果として、治療は成功を収めたとは言えなかった。
症状が軽いものは持ち直したものの、自身が妖怪に近づきすぎたせいで菌が力をつけすぎたものには、薬は効かなかった。
妖怪に近づくと言ってもその実情は娼夫たち一人一人千差万別で、個別に対応するにはあまりにも種類が多すぎた。
数多くの妖怪と交わりすぎて正体不明の妖怪になりつつある彼らを、永琳は救うことができなかった。
これ以上の猶予は与えられぬと、賢者は式を通じて彼らを処分することを永琳に伝えた。
狐が○○を処分する様をが脳裏をかすめ、永琳の瀬をうすら寒いものが襲った。
式は踵を返し、彼らの処分に向かう。永琳は慌てて○○の元へ向かった。遊郭のあちこちからは悲鳴が上がった。




「○○!」
「先生……」

○○に宛がわれた座敷へ行くと、そこで布団に横たわっていた。
進行が早かったせいか、第四期にまで達した梅毒は彼の脊髄を、神経を、脳を犯してしまっていた。
中途半端に妖怪へと近づいたため死ぬこともできず、身体が麻痺してしまっていた。
それでも、生きている。○○はまだ生きていた。

「俺、死にたくない……こんなところで、死にたくないよぉ」

聞こえてくる処分の音に、○○はみっともなく泣いた。顔をくしゃくしゃに歪め、がたがたと歯を震わせて泣いた。
永琳はそんな彼を抱きしめて言った。大丈夫、私がここから連れ出して、きっと治してあげると。
彼と出会い、触れ合い、永琳は初めて命の大切さを知った。輝夜に向けるものとはまた違う、愛を今になって実感した。
離れたくない、ずっと一緒にいたい。心からそう思った。

「私、あなたを失いたくないわ。教えたいもの、見せたいもの、たくさんあるの!!」
「先生……俺も、もっと色々知りたいです! 話がしたいです! ずっとずっと、先生と」

永琳は○○の言葉で喜びに打ち震えた。彼女が彼を大事に思っているように、彼もまた彼女を大事に思っているのだと。
だからこそ、死なせたくないという思いはさらに強くなった。○○を抱えたまま遊郭を飛び出し、永遠亭へと急ぐ。
とは言うものの、このままでは○○は死んでしまうことは明らかだった。○○だけの薬を作る時間が足りない。
ならどうすればいいのか。どうすれば彼を生きながらえさせることができるのか。どうすれば死から彼を救えるのか。
そこまで考えて、永琳ははっとした。死を克服するなんて、彼女にとって簡単なことだった。
永琳は自分のお腹を見て


最近永遠亭のイナバたちの間で妙な噂が流れている。
なんでも八意永琳の部屋から夜な夜なうめき声と謝る声が聞こえてくるのだ。
まるで拷問にあっているかのよな声もさることながら、壊れたテープのように謝り続ける声が不気味で不気味で仕方がなく、日が落ちてから彼女の部屋に近づくものは誰もいなくなった。

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最終更新:2012年03月15日 14:28