本当ならばもっと早い速度で歩きたかった。だが、余り浮ついた様子を見られては、何かを隠している事をすぐに見抜かれてしまう。
これが男相手に見抜かれたならともかく。
異性である永遠亭の住人達に「これからちょっと遊郭に」などと言えるはずがない。


これは仕方の無い事かもしれないが。
永遠亭の住人は遊郭はもちろん春画といったものも含めた。
いわゆる性風俗と言った事柄に対しては、あからさまな嫌悪感を隠していない。所蔵していた春画を輝夜に破り捨てられた時も。
あれからしばらくの間、ジットリとした眼付きで「絵だけじゃなくて、そういう所に行きたいの?」と、輝夜だけではなく永琳、優曇華院、てゐ。
つまりは、永遠亭の主要人物全員に。何度か問いかけられた。

無論、行きたいに決まっていた。しかしそのような本音、ぶちまけれるはずも無く「それは少し度胸が出なくて・・・」とお茶を濁すしかなかった。
“行きたくはない”と自分の心に完全に反した答えを。押し通せる度胸も、話術も○○には無い為。その種の質問の度に縮こまるしかなかった。

特に、輝夜は遊郭やそこに住まう遊女の事を、かなり口汚く罵っていた。普段は絶対に見せない、どす黒い感情をあらわにしながら。
春画に対してでさえあそこまでの激情を見せるのだ。遊郭に至ってはさもありなん、別に不思議ではない。
そんな場所に向うと知れれば・・・・・・折檻の一つや二つ。いやもっと苛烈な何かが待っているかもしれない。


ただ、幸いな事に。今この瞬間は、輝夜が絶対に部屋から出てこないという、確証と確信があった。
今日の朝、仕事を始めていくらか時間が経ったころ。輝夜が眠そうな顔でフラフラと帰ってきたのだった。
輝夜が朝帰りをするのは別にそんなに珍しい事ではなかった。彼女は藤原妹紅という人物と度々“殺し合い”をしていると言う。
その闘いは苛烈を極めるらしく。一晩戦うなど、彼女からすればいつもの事だと言う。


しかし、今回は決着をつけるまでに。大分時間が必要だったらしい。
「あ、○○~・・・おはよう。私は今からおやすみだけど、ああ眠たい・・・・・・」
○○の姿を見受けた輝夜は、眠気と疲れでフラフラなのに。くるりと体の向きを変えて○○に歩み寄ってきた。
「○○、ちょっと両肩貸して。眠くて倒れそう・・・」
普段なら、輝夜が○○の近くに寄って行けば、ここから他愛の無い会話を2~3交わすのだが。
「・・・・・・姫様?」

今日の彼女はかなり疲れていた。輝夜は○○の両肩を支えに、○○の胸に顔をうずめて。
「・・・・・・ZZZ」
寝息を立てだした。輝夜は器用にもつっかえ棒のように○○にもたれ掛かっていた。
「姫様、寝るなら自室の布団で。ここでは風邪を引きますよ」
「・・・・・・ZZZ]
もう既に輝夜の眠りは大分深い所までたどり着いていた。あまり安らげない体勢だと言うのに。
「姫様、起きて下さい」
話しかけるだけでは到底置きそうにない。仕方が無いので肩を軽く揺らし続けた。
「あ・・・・・・ごめんごめん。今普通に熟睡する所だったわ・・・・・・・・・」
起きてはくれたようだが、目の方は八割ほどしまったまま。肩にかかる輝夜の重さも相変わらず。1人で立てるかどうかも怪しい状態であった。
「姫様。とりあえず、寝るなら自室で」
この状態では仕事にならない。
「あー・・・・・・○○、もうしばらく肩貸して。部屋まで連れて行っ・・・て」
そう言ってまた輝夜は顔を○○の胸にうずめようとした。
「あー、姫様また眠りそうですよ。お部屋に辿りつくまでは堪えて」


「今回は、どれくらいのお時間戦っておられたので?」
○○は肩を貸しながら、ズリズリとお部屋の方まで輝夜を引っ張っていった。歩くと言う動作は殆ど行わず、起きているのが精一杯だったようだ。
なので、途中また眠ってしまわないように。○○は端々で声をかけながら、輝夜を運んでいた。
それに、何か他愛の無い話しを続けていないと。○○の方も平静を保てなかった。

自身の雇い主、八意永琳のことを。○○は恐ろしいくらいの美人と認識していた。
そして、その恐ろしいくらいの美人と言う表現と評価は。蓬莱山輝夜にも、当てはめていた。
○○は、時折自分の鼻をくすぐる八意女史の匂いに、心の一部をかき乱されていた。
それと同様に、蓬莱山輝夜から漂う香の匂いでも。神経は刺激された。


「んー・・・昨日の晩御飯の後すぐ外に出て、妹紅にちょっかい出しに行って・・・・・・それからずっと」
昨日の晩御飯は確か七時くらい・・・そう思って壁にかかった時計を見ると、九時を大分回っていた。
つまり、一晩所か半日以上戦っていた事になりそうだ。それならばここまで疲れて当然だ。

「さぁ姫様、到着しましたよ」
○○が開けた輝夜の部屋には、一組の布団が敷かれていた。
恐らく八意永琳が、輝夜が帰ってきたらすぐに眠れるように、昨日の晩からずっと敷いたままにして置いたのだろう。
「ほら、丁度布団も用意されています」
輝夜は布団を確認すると「うー・・・・・・」と小さく唸りながら布団の方に倒れこんでしまった。
そのままもぞもぞと掛け布団を被っていく。寝間着にすら着替えていないが、良かったのだろうか。

(あれ・・・?)
ここで○○はある事に気づく。
(この布団、枕が1つ多いな)
本来、一人用の布団一式の基本的な内容は。敷布団、掛け布団、そして枕。これが1つずつである。
輝夜が潜り込む布団には、枕が1つ多かったのだ。
(多分、この布団を敷いたのは・・・姫様のお世話もやってる八意先生のはずだし)
彼女がそんな失敗を犯すとは思えない。とすれば、この枕はわざと二つ置かれている。

その疑問は、輝夜の行動を見ているとすぐに解けていった。
輝夜は1つ多い枕を抱き抱えながら、眠ろうとしていた。頭の方では通常の枕の使い方をしながら。
どうやら、輝夜本人にしか分からないこだわりがあるのか。始めに掴んだ枕を顔に押し当てたと思ったら。
「違う」と呟いて、頭に敷いてあった枕と取り替えるという動作も見せた。

つまり、1つ余分な枕は。抱き枕として使用するために置いてあったのだ。
普段、輝夜の就寝姿など見る事は無い為。新しい発見として、○○の目には新鮮に映った。
「では、姫様。私は仕事に戻ります。おやすみなさい」
「んー・・・おやすみ○○~・・・・・・・・・ZZZ」
就寝の挨拶もそこそこに。輝夜はすぐに寝息を立ててしまった。
○○は軽く会釈をして、静かに部屋を後にした。ふすまを閉める際、もう何か良い夢を見ているのか。上機嫌に笑っていた。


○○には知る由も無いが。蓬莱山輝夜が抱きしめているあの枕は・・・自分が昨晩、就寝していた時に使っていた枕なのだ。
しかも、今日の輝夜は朝帰りである。その為、輝夜のお世話係もこなす八意永琳は気を利かして。
起床した後、無人となった○○の部屋から。たたまれた布団の中から枕を摩り替えて、輝夜の布団に並べていたのだ。
輝夜が上機嫌に笑っていたのは。新鮮な○○の匂いを嗅ぎ取る事ができたからに他ならなかった。

○○は知らない。永遠亭の住人が、自分の布団に付いた匂いを毎日楽しみにしている事を。
永遠亭で使われている布団は、どれも同じ装丁をしていた。
だから、摩り替えるのは容易だった。装丁が同じならば、そう簡単には気付かない。

毎日、○○が起床し、寝間着から普段着に着替えて、部屋を後にする。
その後朝食を取った後仕事が始まる。それからは、昼休みに入るまではまず自室には戻らない。
その時間に、○○の預かり知らぬ所で。たたまれた布団一式が摩り替えられているのだ。

最も匂いのつく寝具である枕は、輝夜と永琳が。
掛け布団と敷布団は、優曇華院とてゐが使用していた。
この、摩り替える作業は永琳、優曇華院、てゐの三人のうち誰かだった。永遠亭の方々を飛び回っているイナバ達には絶対にやらせなかった。


「うふふふふ・・・○○・・・○○~」
そして今日の輝夜は、○○に肩を貸してもらって部屋にまで来た。
一晩頭を預けた枕ほどではないが。当然、着衣にも○○の匂いが仄かに残っていた。
枕から香る匂いと、着衣から漂う匂い。この二つを感じ取りながら、輝夜は布団の中で悶え喜んでいた。
全てを知らぬは、○○のみであった。

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最終更新:2022年12月19日 23:50