7月5日、快晴。
今日は○○が寺子屋で剣術を教える日だ。
子供達は今か今かと、彼がやってくるのを待ちわびている。
「ようガキ共、元気してたか?」
青空の下、彼が声を掛けると一斉に子供達が外へと飛び出す。
○○は子供達に好かれていて、彼も嬉しそうに剣を教えていた。
平和だ。
これからも続く、暖かな日常がそこにあった。
夕暮れになれば、私達が共に暮らす離れに笑い声が響く。
彼は普段は守衛の指南役をしていて、仕事で出会った変わった妖怪の話や、部下との酒の席での思い出を話す。
それを見守る様に聞く時間が、私はとても好きだ。
もうすぐ私達の間には、新しい命が産まれる。
「自分が若い頃は偏屈だった分、その子には真っ直ぐ育って行って欲しい。」と彼はよく口にしているものだ。
男の子だろうか?
それとも女の子だろうか?
この家に、また笑い声が増える。
それだけで…。
新月に舞うは刀月、満月に咲くは想影~終章~
一匹、二匹、三匹、四匹。
障子に舞った赤い蝶を数える。
五匹、六匹、七匹、八匹。
醜悪な化け物だろうが、皆血は鮮やかなものなのだな。
真っ赤な彼岸花に舞う、真っ赤な蝶の絵がこの部屋には描かれていた。
里長も里の重役達も、使用人も。この家にいた化け物共は、皆殺した。
…いや、退治したと言った方が良いのだろう。
私の愛する人を喰らおうとした悪い化け物共を、この手で退治してやったのだ。
間抜けな叫び顔のまま、化け物共は転がっている。
内臓をぶちまけて、首がちぎれて。
白目には、蝿が止まっていて。
…様を見ろ、因果応報だ。
私達の歴史に、こんな汚物共は生きていてはいけないのだ。
せいぜい、飾りの為の絵の具になればいい。
私はよく「堅い」だとか、「難しく考え過ぎる」だとか言われていたが、確かにそうだったのだろう。
だって、こんなにも簡単な事だったのだから。
とても、単純な事だったのだから。
豚の首を蹴飛ばしてみたら、壁に当たってまた蝶が増えた。ふえた。フえタ。
けたけた、けたけた。
…さあ、そろそろ行こうか。
新しい歴史を作りに。
「…火事か?」
表が騒がしい。
それに、木が燃える匂いもする。
ここは宅地からは離れてる筈だが…随分派手に燃えてるらしい。
…まあいい、俺には関係無い。
外からの耳障りな騒ぎ声に、無視を決め込もうとした。
「ば、化け物だ!!逃げろ!!」
「!!」
…そうも行かねえか。
敵襲かよ、守衛は何やってんだ。何でさっさと知らせねえ…。
すぐに装備を整え、表に飛び出す。
まず目に入ったのは、逃げ惑う人の群れ。
遠くに目をやると、火事の煙が見える…あそこは里長の家か!?
「チッ、クソッタレが!!」
既に中心までやられてんのか…慧音が危ない!!
人の群れを掻き分け、とにかく走った。
無事でいてくれ、慧音…!!
「あははハははハハハハははははハは!!!!!!!」
豚共も、その巣も、皆燃えて行く。
亡骸さえも残してなるものか!!○○への贖罪は、こんなものじゃ終わらせない!!!!
「ら、乱心だ…!!慧音先生がご乱心されたぞ!!!」
乱心?
…何を言っているのだ、私はお前達に掛けられた呪いを解いたと言うのに。
そうか、まだ解けていないのか。
ならば、解いてしまうまで。
大丈夫だ、私がお前達を『正しい歴史』に戻してやる。
____お前達の様な人でなしなど、最初からいないのだから。
「ひっ…た、助けて…身体が消え…うわあああああああああああ!!!!!!!」
『目の前の男と言う歴史』を、消してやった。
不思議なものだ…ここまでは出来なかった筈なのに、今は力がみなぎる。
○○への想いが、ここまで私を突き動かすのだろう。
里の中心へと進めば、逃げ惑う人々が。
恐れる事など何も無いと言うのに…ちゃんと、後で『元に戻れる』のだから。
幸せな人里と言う、正しい歴史に。
まだ、太陽が高いな…ならば時間は心配ない。
夜までに終われば、後はこの血と月が、私達を導いてくれるはずだ。
さあ…早く○○の元へ行かなくては。
進む程に火の手の大きさが解る。
所々で別の火の手が上がり、燃えている家がちらほら見えた。
…だけどおかしい。さっき逃げてた連中にしても、せいぜい里の5割だ。
これだけの騒ぎなら、とっくに相当死んでる筈だが…死体どころか、血の匂いすらしねえ。
まあいい。何にせよ、見付けたら斬るだけだ。
慧音に手なんか出そうモンなら、塵すら残らなくしてやる。
里の中心が見えてきた。あれは…慧音か?
「おい、大丈夫か!?」
「…ああ、わざわざ来てくれたのか、○○…。」
「…!!」
振り返った慧音を見て、この目を疑った。
赤い、赤い染みがべったりとこびり付いた姿。
怪我?いや、俺はこれをよく知ってるだろう?
だって、この血の付き方は…。
「ああ、すまない。ちょっと化け物退治をしていてな。汚れてしまったよ。」
___返り血以外の、何物でも無いのだから。
「…嘘だろ?」
「嘘じゃないさ。ほら、前から里に取り憑いていただろう?
__アノ里長達ニ化ケタ化ケ物共ダヨ。」
あんたなのか?
あんたが、この騒ぎを…。
…俺の、せいなのか?
「おとーさーん…おかーさーん…。」
「!!」
…子供?
生き残りだろうか、こっちに近付いてくる。
親は、殺されたのか?
「あ、けーねせんせい…。」
「どうしたのだ?ここは危ないぞ。」
「あのね、おとーさんとおかーさんが“ばけものがでかたらかくれなさい”って…でも、みんないなくなっちゃって…ふぇ…。」
「…そうか。
もう大丈夫だ、悪い化け物は先生が退治したからな。ほら、こっちにおいで。」
「うん…。」
子供が慧音の胸元に飛び付く。
あやす様に、慈しむ様に抱き抱えられて、安心した顔をして。
だけど、子供にも血が付いて。
「せんせー…こわかった…。」
「そうか、少し眠るといい。
すぐに怖い事は忘れられるからな?」
「うん…。」
慧音の手が、子供の瞼をそっと塞いだ。
そして、ゆっくりと身体が透けて。
_____子供が、消えた。
「…お前、『誰』だよ。」
我に帰るより先には、もう刀を抜いていた。
違う。
目の前にいるのは、慧音じゃない。
妖怪か?
それとも悪霊か?
慧音に取り憑きやがって、何をやろうとしてる?
「何を言っているのだ?私は慧音だよ。
○○、冗談でもそれは傷付くなぁ…ほら、刀を仕舞ってくれ。」
「違うな、少なくとも俺の知ってるあんたはそんな事はしねえ。
峰打ちで勘弁してやる、さっさと先生から出てけよ。」
「そうか、お前も操られているのだな。
ならば…すぐに目を覚まさせてやる!!!」
「!!」
弾幕!!
咄嗟に避ける事こそ出来たが、いきなりぶっぱなすとは。
クソッ、斬る訳には行かねえ、どうする…?
妖術にしても、アレじゃ焼き殺しちまう。殺す技術しかねえのが仇になるとは。
殺さずに止めるには、どうすれば…。
「ちょこまかと逃げてばかりでは埒が明かないぞ?これでどうだ!!」
な!?速い…
「うわあああああああああああ!!!!!」
余りにも速い弾幕を受けて、俺は撥ね飛ばされた。
こんな速さ、確か前は無かった筈…力が、増しているのか?
「ぐ!?クソ…。」
左腕がやられたか…やべえ、意識が…。
刀を突いて立ち上がるろうとするが、膝が笑ってやがる。
何とか気力だけで刀を構え、目の前の慧音に向き直った。
だけど…斬れるのか?俺に。
刀は反したままだが、峰打ちで止めるのは、今のままじゃ…。
「すまないな、怪我をさせてしまって…。
だけど、これもお前の目を覚まさせる為だ。許してくれ。」
ゆっくりと、慧音が俺の方へ近付いてくる。
「あの化け物共の最期は見物だったよ…赤い蝶が部屋中に飛び散って、実に綺麗だった。」
右手は震えていて、刀を反そうとしても、上手く力が入らない。
「そんなに怯えなくても良いんだぞ?お前を虐げるモノは、全て私が消してやるから。」
気付けば慧音は目の前まで来ていて、その白い腕が伸びてきて。
「だから…安心すると良い。ずっと、私が傍にいてやるから。」
いつしか刀を持つ手は力無く下がり、俺はへたり込んでいた。
腕はこの肩を抱き締め、彼女は唇を重ねて来た。
慧音は俺を抱き締めたまま、俺の首筋に一度舌を這わせて。
「…愛しているよ、○○。」
耳元で、その言葉を囁いた。
「ぐぁ…!!」
直後、頭痛と共に様々な景色が目に映る。
再会した日。
初めて身体を重ねた日。
共に星を眺めた夜。
大喧嘩をした雨の日。
そして、いつも傍にあった、花の様な笑顔。
これは…この5年の間の記憶だ。
次々と映像が切り替わる。
笑い合う人々。
退治屋でない俺。
嬉し泣きをする花嫁。
俺に懐く子供達。
これから、産まれる命。
待て、俺は知らない。
いや、そもそも俺は…誰だ?
記憶が融け合って、何かに頭が犯されて行く様な気持ち悪さが走る。
まずい、このままじゃ…。
“ドクン…。”
一度その脈動が聴こえた瞬間、視界が真っ暗になった。
身体の奥から、何か声が聴こえる。
“………の。”
そして映るのは、赤い、どこまでも赤い世界。
悲鳴と、哀願と、命乞いの声と。
“…け…の。”
その赤い世界の中で、刀を振り続ける男の姿が見えた。
長い髪を振り乱し、赤い瞳を携えて。
「よう、俺。
お前、自分が何なのか知ってるか?」
知らない。
解らない。
解りたくない。
見たくない。
「もう遅いぜ?お前は…いや、俺はな…。」
男がにたりと笑みを浮かべると、そこには人の物ではない犬歯があった。
「化け物だ。」
その瞬間、視界は現実へと引き戻された。
真っ先に目に入ったのは、肩に傷を負い、振りほどかれた慧音の姿と。
そして…あの妖怪と同じ鋭い爪を持った、自分の左手だった。
「何故だ○○…何故私の力を受け入れない!?
受け入れさえすれば、私達の幸せな未来を描けると言うのに…。」
肩を押さえ、慧音は俯いている。
今のままじゃダメだ、一度態勢を立て直さねぇと…。
「てめえの胸に手え当てて考えな。
待ってろ、その寝ぼけた頭、叩き起こしてやらあ!!」
妖術の炎を地面に叩き付け、爆煙の中を俺は逃げた。
まだ、信じたくはなかった。
だけど…あれはやはり現実だ。
止められるのか?
斬れるのか?
覚悟を決める事も出来ないまま、ひたすらに林の中を走り続けていた。
「げほっ…ちぃ!何処だ○○!!」
爆煙と共に彼は消え、私はその姿を見付けられずにいた。
何故だ…何故受け入れてくれないのだ!?
お前だって、あんな宿命から解放されたいだろう?
そうか…まだ操られているのだ。
ならば今度こそ…。
「くくく…そうだな、ならば子供の頃の様に、鬼ごっこと行こうじゃないか。」
そうだ、無理矢理にでも捕まえてしまえばいい。
深い呪いなら、荒療治も必要だ。
大丈夫だ、何もかも私達の望み通りになる。
だから…逃げないで、見捨てないでくれ、○○…!!
「待ちなよ。女同士、ここは私と鬼ごっこをしないかい?」
………。
…そうか、○○をたぶらかしかねない者が、もう一人いたな。
「妹紅…お前も私から○○を奪う気なのか?」
「おーおーすっかり頭沸騰させちゃってまぁ。生憎、あんな偏屈は私の好みじゃないわね。」
「…前から気に入らなかったんだよ。
○○に炎の妖術を教えたのはお前だろう?
私の目を盗んで手取り足取り教えながら、彼を厭らしい目で見ていたのを知っているぞ?」
「こっわー、被害妄想もそこまで行くと大概だねぇ。…ここから先は、行かせないよ!!」
「フン…お前もか。
丁度良い、お前の目も覚まさせてやる!!!!」
邪魔だ。
早く○○を探さなくてはならないのに…ならばこうだ!!
何とか撒けたか…何処まで逃げたか見当も付かねえ。
木影に寄りかかり、まずは怪我の具合を見る。
先程とは違い、左手の爪は元通りに戻っていた。
火傷で爛れ、ただの人のものでしか無い左腕。
さっきのは幻覚か?そうであって欲しい所だが…。
“ドクン…。”
「くっ…やっぱそうも行かねえか。」
一度激しい脈動に襲われたかと思えば、左腕はすぐに元通りに再生してしまった。
もう手遅れだな…一体、今は何処まで妖怪になっちまってるのか。
左目を隠す包帯を取り、片手で生きている右目を隠す。
よし、視界にブレは無い。
やはり片目のままじゃ反撃なんて無理だ。バレる事にはなるが、今更取り返せる訳でも無い。
感覚を慣らせる為、右目を隠したまま遠くを見る。
木、影、夕暮れ。
あくまでも普通で、何かおかしなものが見える訳でもない。
“たすけて…”
…今のは?
「ぐ、あっ…!?」
左目に本来あるはずのものが映らず、突然目の前に夜の森が広がる。
それにこれは…血の匂い?
“ひいいいいいいいいい!?”
“も、もうしないから…たすけ…ぐびゃああああああああああああああ!!!!”
“お願いします!!命だけは…いやああああああああああ!!!!!“
どれも、見た事がある顔だった。
かつて俺が殺して来た妖怪一匹一匹の、断末魔。
女子供も関係なく、妖怪であれば、依頼であれば、片っ端から切り刻んだ記憶。
それが次々と、左目に映像として飛び込んでくる。
“子供たちだけは殺させないぞ…この、化け物め!!!”
…!!
ああ…そう言えば最初に化け物って言われたのは、あの時だったか。
最初の妖怪退治の、あの夜から。
一通りそれが見えた後は、いつも通りの視界があるだけだった。
へばり付く血の匂いや温もりも、肉を断ち切る感触も、全て生々しく思い出させて。
「くく…あははははははははははははははは!!!!!」
そうだ、おかしな話じゃねえか。
あれだけ残忍に何百匹と妖怪を、生ける者を殺してきて、呪いの一つも受けない筈がねえ。
これはあいつらの呪いだ。
惚れた女を守るだなんて人間らしい大義名分掲げて、おめおめと目先の幸せに縋りついたって、俺は化け物なんだ。
そうさ、お似合いだ。
化け物は化け物らしく、一人ぼっちでくたばるんだ。
…あいつを連れて逃げるなんて、出来る訳がねえんだ。
「何か…面白いものでも見付けたの?」
「妹紅…!?」
目の前には、血塗れの妹紅がいた。
それは火傷の傷で、弾幕勝負の痕だと言うのはすぐに解った。
まさか…慧音が?
「やられたよ…慧音の奴、私の…『不死と言う歴史』を、消したのさ…。
不死にかまけて…捨て身の戦法ばっかりやってきたからね…しくったよ。
あいつ、すっかり力に呑まれちゃってる…。」
「…なんで、止めようとした?お前は直接人里とは…。」
「…目が…泣いてたから、ね…慧音、凄く悲しそうに笑ってたんだ。
どうせあの狸ジジイ共が余計な事言ったんだろ…きっとあんたを守る為に、あんな事を…。」
「………。」
馬鹿だな、あいつは。
俺なんかの為に、気まで触れちまって…だから関わるなって…。
俺の弱さが、全部…。
「またそんな目えして…自分を責めるのは…後にしな?
何でか巫女も動かないし…今あんたがすべき事は…慧音を、止めてやる事…げほっ!?」
「妹紅!?おい!!」
吐き出されたのは、大量の赤黒い血。これじゃもう、妹紅は…。
「いい…かい?慧音の力は…満月の夜に変化する…。
あいつは…一度人里の人間全てを消して、書き換えるつもりなんだ…。
あいつの理想とする世界に、人々も、あんたの記憶も、全部書き換えて…。
だけど…そんなの、ひとりぼっちと何も変わらない…止めてあげてくれ…。」
「…ああ。」
「ふふ…良い目をしてるじゃない…後は、頼んだよ…。
そしたら今度こそ…あんたたちは、幸せ、に…。」
「…………!!!」
華奢な掌が力を無くし、地面へと倒れる。
妹紅が息を引き取ったのを見届けると、俺はその瞼を閉じ、刀を握った。
「止める事はするさ…だけど、お前の最後の願いは聞けねえな…。」
俺だって、伊達に幾多の命を奪ってきた訳じゃない。
あの返り血を見れば、慧音が本当に里長達を殺したのは嫌でも解る。
人里で、それも幻想郷に影響を与えかねない異変を起こしたとなれば、八雲紫も黙ってはいないだろう。
人がいて、初めて妖怪は存在出来る。
故に、その囲いが壊されたとなれば…その首謀者たる慧音は、どの道あいつに殺される。
…もう、後戻りは出来ないんだな。俺も、あいつも。
あいつをこの地獄に引き摺りこんだのは、他ならぬ俺自身だ。
なら、せめて。
「妹紅よ、その依頼、確かに受けたぜ…。」
…師匠、俺は今、迷いを絶ちます。
「あいつは…上白沢慧音は…俺が殺る。」
____さあ、行くか。最期の依頼だ。
「た、助けてくれえええええええ!!!!」
一人、二人、三人、四人。
「お前達、早く逃げるんだよ!!きゃあああああああ!!!!」
五人、六人、七人、八人。
次々に、化け物共が消えて行く。
どいつもこいつも間抜け面を晒して、泣き叫んで。
化け物退治とは、こんなにも愉快なものだったのか!!!
空は夕暮れを過ぎて、遠くに透き通った夜が見えてきた。
ああ…今夜はきっと良い月が浮かぶ。
私達の幕開けを飾るに相応しい、素晴らしい満月が。
“がさ…。”
…まだ子供がいたか。
怯えなくて良い、これは子供達にとっても、きっと素晴らしい未来になるのだから。
「ひっ…!!」
「どうしたのだ?そんな所に隠れて…。」
「こないで…ばけもの…。」
化け物とはひどいじゃないか。
真の化け物とは、あの狸共のような者達の事を言うのだから。
きっとこの子も、たぶらかされているのだ。助けてやらなければ。
「大丈夫だぞ?何もしないから。…サア、先生ノ所二オイデ?」
「い、いやあ…。」
「よう先生。教師が幼女趣味とはこれ如何にって話だな。」
この声は…そうか、戻って来てくれたのか。
嬉しいよ、遂に私を受け入れてくれる気になったのか。
「やっと戻って来てくれたのか、○○。
さあ、これから私との幸せな歴史を描こうじゃないか。」
「あ?頭にウジでも涌いてんじゃねえか?
馬鹿は死ななきゃ治らねえってのは本当みてえだな、とっとと治療しようぜ!!」
ああ…本当に素直じゃないな。
つくづく捻くれた男に育ってしまった物だ。ならば…
「力づくでも目を覚ましてもらうぞ、○○!!」
「ちっ…!!」
幻影が見えねえように片目は隠したが、やっぱ視界が狭いか。
さっきより妖怪化が進行したお陰か、見切れない訳じゃない。だが…
「どうした?左側が留守じゃないか!!」
「ぐあっ…!!」
この様だ。
左側を狙われれば弱く、簡単に弾幕を喰らう。
再生こそされてるが…これじゃジリ貧だ。近付けねえなら、何の意味も無い。
クソッ、どうすれば…。
「…そろそろ良い頃合だな、○○。
さあ、時間だ。新しい歴史を作ろう。」
またかよ、今日何度目だその台詞は。
…ただ、それも冗談じゃねえみてえだな。満月か…。
髪と服の色が変わり、尻尾が揺れ、そして角が生える。
それは慧音の、白沢としての姿。
さて…いよいよ厄介な事になってきやがった。
「何を余所見をしている?ダメじゃないか、ちゃんと私を見てくれていなければ…。
…転世「一条戻り橋」。」
「…!!」
いきなり大技かよ!?やべえ、避けきれ…
“シネ…”
!?
くっ…身体が…もう目の前に…!!
硬直したまま、派手に吹っ飛ばされた。
走馬灯の様に視界が動く中、今聴こえた声の正体を思い出していた。
頭の中で聴こえたのは…俺の片目を奪った、あの妖怪の声だ。
「ぐっ…。」
頭を打った衝撃と同時に、視界が開けた。
今ので包帯も外れちまったか…これじゃまた幻影が。
“ひゃはははははは!!ざまあ見ろ!!これが僕達の怨みだ!!!”
唐突に頭の中で響いたのは、あいつの声だった。
これは、俺の血の中からか?
「うあ!?」
強烈な頭痛と共に、目の前の視界が暗転する。
暗闇の向こうには、何百もの影が立っていて、それが俺を見下ろしていた。
こいつら…全部俺が斬った奴らじゃねえか!!
“気分はどうだい?僕らは死んだ後も、こうやってお前を呪い続けてる…お前が壊れるのを、ずっと待ちわびてる!!
全部見てたよ。
守るモノだなんて笑わせるねえ…その守るモノを自分で壊して、挙句にお前はそいつに壊されるんだから!!”
脈動が早まる。
伸びた牙が唇を傷付け、血の味が口に広がる。
爪が伸び、掌にその痕を刻んで行く。
やがて痛みは右目にも拡がり、そして何かが変わって行ったのが感覚で理解出来た。
“これでお前も、僕らと同じさ…さあ、化け物同士殺し合え!!楽しい見世物を見せてくれ!!あはははははははははは!!!!!!”
幻影が消え、元通りの暗い森が映る。
だけど…俺の身体の変化は、幻影じゃないらしい。
ちっ…とうとう、完全に妖怪になっちまったらしいな。
何処までも、後戻り出来なくなりやがる…。
「どうしたのだ?このままじゃ私の勝ちになるぞ?
ほら…次はちゃんと、私を捕まえていてくれ…。」
近付いてくる慧音は、何処までも楽しそうに笑っている。
気が触れんばかりに笑みを浮かべ、その両目から、涙を流しながら。
ああ…確かに妹紅の言ってた通りだな。
でも、悲しいを通り越して…
「…滑稽だよ、あんた。」
改めて見ると、随分無様なモンなんだな。
自分と同じ状態の奴ってのはよ…。
猛烈な眩暈と頭痛の中、刀を杖代わりに立ち上がる。
正常な視界と幻影が交互にちらついて、その度に殺して来た妖怪達の顔が見えた。
はは…次しか、もう持たねえだろうな。
“死ね”
頭の奥から、妖怪達の声がする。
““死ね””
それは、一つ、二つと次々に増えて、その言葉を俺に向けて行く。
“““死ね!!!”””
…ああ、解ってるよ。てめえらの怨みぐらい、殺した張本人の俺が一番知ってる。
正面を見詰め、慧音へとその切っ先を向ける。
刀を返す事はしなかった。
峰打ちなら、もうしたって無駄だろうから。
「お前、その目は…!!
遅かったのか…大丈夫だ、ならばその歴史ごと書き換えてやる。
さあ、鬼ごっこは終わりにしようか…「無何有浄化」!!」
光しか解らない。
もう、形なんか見えやしない。
はっきりと見えるのは、妖怪達の幻影だけだ。
ふらふらと、だけどそれでも踏み出した。
どうせこれで終わりだ。だったら馬鹿に一発くれてやっても良いだろ。
「死ね」と吐かれ続ける呪いの言葉は、鳴り続けている。
聴き飽きたぜ、いい加減よ。
…解ってるさ。呪いでも何でも、後で甘んじて受け入れてやる。
だけど所詮は、お前ら、俺の血の中の幻影じゃねえか。
生きていた頃のお前らとは違う、ただの残りカスじゃねえか。
この血も、心も、俺の物だ。
俺は、俺でしか無いんだ。
俺は自分の遺志で、勝手な我儘で。
慧音を止めると、殺めると決めたんだ。
だからよ…今は、今だけは…。
「…てめえら、黙って俺の血として『生き』やがれえええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!」
視界が、晴れた。
見える。
弾幕の弾筋も、俺が突っ込んで行くべき場所も。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!」
もう、迷いは無い。
こんなバカげた茶番も、クソみたいな生涯も。
願いも。
積み上げた、僅かな幸せも。
何もかも、終わらせる。
刃は真っ直ぐに、慧音へと向かって行く。
届く、届く。
そして、最後に見えたのは。
「_____ありがとう、○○。」
俺が好きだった、花の様な笑顔だった。
“さいたさいた、想いの影が。
ぽっかり浮かんだ、あの満月に。
あかい、あかぁい。はなびらあけて。”
最終更新:2012年03月16日 12:56