目に映る満月に、赤い花が咲いた。

切り裂かれた慧音から吹き出た、真っ赤な、花びらが。



「…○○。」


まだ、息がある。
倒れ伏した彼女を抱き、俺はそれをじっと見詰めていた。

「あいつらが言っていたんだ…お前を処刑するって。
それを聴いたら、もう私の獣は…言う事を聞かなくなってしまったよ…。」

今にも途切れそうな声で、彼女は淡々と言葉を紡いでいく。
その瞳に、あの狂気はもう宿ってはいなかった。

「何処かで…私は狂ってしまっていたのかもな…。
お前の私を想ってくれている気持ちだって、本当は解っていた…だけど、やはり離れたくはなかったよ…。
いつか二人で…幸せになれると思っていた…。」

「…お前が、自分を責めるべきじゃない。
身勝手なのは、ずっと俺の方だったよ…なのに…この、馬鹿野郎が…!!」

「ふ…確かに、馬鹿だったのかもしれないな。
お前の記憶を書き換えようとした時…見えただろう?あれが…私の夢だったんだ…。
現実を見ようともしないで…逃げ続けた私の…いつか、あの妄想こそが、あるべき姿だって…。」

泣きながら、だけど、愛おしそうに慧音はその理想を口にする。
…俺だって、何度も考えた夢だった。
そうであれたなら、どれだけ良かったのか。何度だって、何度だって考えた夢。

「晴れた夏の日にな…たまにお前が、子供達に剣術を教えるんだ…。
普段は守衛をやっていて、私はその帰りを待って…。
そうしてお前が帰って来て…温かい夕食を囲んで…春には、子供が産まれるんだ…。
…馬鹿馬鹿しい夢だろう?子供じみた…とても遠い、儚い夢だったよ…。」

「………。」

ただ、強く手を握って。
そして、抱き締めた。

もう時間は無いと、下がり始めた彼女の体温で理解出来たから。

「暖かいな…お前は…。」

心地よさそうに、幸せそうに彼女は笑う。
いつだって俺の傍にあった、あの優しい笑顔で。
それを終わらせたのは俺なのに、それでも笑って。

「もう…上手く目が見えないな…そろそろ私にも…罰が下るらしい…。
…○○…お前に会えて、良かったよ…。」

あと少しで、命が途切れる。
…何処までも勝手だな、俺は。
手に掛けておいて、それでも最期に、伝えたい事があるなんて。


「慧音、愛してる。」


彼女の耳元で囁いたのは、今まで回りくどく伝えても、一度も口にする事は無かった言葉。
慧音は、また嬉しそうに微笑んでくれた。

口づけを交わし、やがて力が抜けて行くのが解った。
彼女はその中で、心からの笑顔でこう言った。


「ありがとう、○○。」


眠る様に、静かにその目は閉じられた。
何処までも澄んだ、暖かな頬笑みを湛えたままで。


最期の口づけは、血の味がした。


彼女が生きていたと言う、確かな温度だけを残して。













「紫が“今回は静観しろ”って言ってたけど、そう言う事だったのね…。」

「お前は…博麗の。」

巫女か…異変解決の専門家が出て来ねえと思ったら、八雲紫が噛んでたのか。
…あいつは、こうなるって解ってたのか?

「あいつから伝言よ。
“退治屋の任を解き、今後自由の身とする。”だって。随分いい御身分ね、さすがに呆れるわ。
…慧音、ちゃんと供養してあげなさい。じゃあ。」

「………。」


自由、ね。

今更何をしろってんだ?
俺の行く末なんて、とっくに決めてあるってのによ…。

ふと里に目を遣れば、次々に消された奴らが元通りになって行くのが見えた。
どいつもこいつも、半分寝てたみてえなツラしてやがる。

慧音が死んで、それで力が消えたのか。
…そりゃそうだよな。この手で、俺は慧音を殺したんだから。


「も…元に戻った…やった!!生きてるぞ!!」

「ああ、うちの子供も戻って来た!!」


ああ…まあそうなるか。
いきなり消されて戻ってくりゃ、普通は大喜びだろうよ。


「しかし前からおかしいと思ってたんだ…半獣なんて奴が寺子屋や守護者をやったりして、やっぱり俺達を騙して襲うつもりだったんだな!!」

……!!
こいつら、よくもぬけぬけと…!

刀を持つ手に力が籠る。
何も知らねえ癖に…お前ら…。


「そうに違いねえ!!あの化け物め…そうだ、誰があいつを倒したんだ?」

「おい見ろ、○○だ!!○○があの半獣を倒したんだ!!」

「○○…ありがとう!!お前が英雄だ!!」

「そうだ、あの化け物を殺し、里を救ったのは○○だ!!」


聴いた事も無い数の、俺の名を呼ぶ声が聞こえ始めた。
どこまでも耳障りな、不愉快な声が鼓膜に届いて行く。

あの妖怪達と同じように、俺に絡み付いて。


「○○。」

「「○○!!」」

「「「○○…。」」」

「「「「「○○さん!!」」」」」


称賛の声など、初めて浴びた。
今なら、良く解る。


ああ、なんて最悪な気分なんだろう、と。


「お前ら…。」


どいつもこいつも、嬉しそうに、神様でも見付けたみたいに俺に笑顔を向けてくる。
吐き気を催す様な、どこまでも狂った笑顔が、俺を取り囲む。

…慧音、お前が好きだった人里は、こんな場所だったのか?


ここからは、俺の自由だ。
死ぬも生きるも、俺次第だ。

だけど、それは俺が人でいられたならの話。
俺の最期の仕事が、終わっていたならの話だ。

まだだ…まだ、俺の仕事は終わってない。
この異変の、そもそもの元凶の妖怪は。


____まだ、ここに生きているのだから。



「よく解ったよ、お前ら…妖怪の方がまだ救えるぜ。お前ら、ただの化け物だ。」


慧音の亡骸を寝かせ、刀を抜き、それを月に向かって構える。
俺が斬るべき妖怪は、決まっている。

そいつを斬って、俺の最期の仕事は終わりだ。

「生きたい」と願えばどうなっても生き残り、「死んだ」と思えば、いつでも死ねる。
…確かに自由だな、妖怪って奴はよ。


「てめえら…今から面白えモン見せてやるよ。」


刀を下に向かって振り下ろす。

真っ直ぐに、俺の腹に向かって。


_____さあ、最期の妖怪退治だ。







「目えかっぽじってよく見てやがれ!!


…これが、俺の自由だ!!!!!!!!!!!」
































とある日の昼下がり。
ここ香霖堂の店主である森近霖之助は、一人読書に勤しんでいた。

久しく鳴っていないカウベルが店内に響き、その音と共に、一人の少女が店へと入る。
白く、長い髪を幾つかのリボンで留めた少女はカウンターへと近付き、店主はそれを見て棚から商品を探し始める。


「お、入ってるのかい?」

「外の煙草を買って行くのなんて、君ぐらいしかいないからね。そろそろ来ると思って取って置いたよ。」

「ありがと、金額はいつも通りでいい?」

「ああ、構わないよ。」


赤い箱の煙草を幾つか手渡し、代わりに代金を受け取る。
後は軽い挨拶を交わし、商談はいつも通りに終わるはずだった。


「そうそう、ついでに供養してもらいたい物があるんだ。」

「おや、珍しいね。それは…刀かい?」


手渡されたのは飾り気の無い、長尺の刀。
それを一度抜き、刀身をじっと見詰めると、霖之助は少女の元へと向き直った。


「…慧音と彼を荼毘に付したのは、君だそうだね。妹紅。」

「あいつを知ってるのかい?」

「ああ、何度かここで買い物をして行ってくれたよ。確か最後に来た時は、ペンダントを買って行ったな。
…尤も、誰にあげるつもりだったのかは、僕の知る所ではないが。」

「…そう。ごめん、ちょっと失礼するよ。」


吐き出された紫煙が舞い、その香りが店内を満たす。
彼女の胸中にも似た、何処か苦い香り。
霖之助はその表情を見ると、無言でカウンターに灰皿を差し出した。


「…せめて死んだ後ぐらい、一緒にしてやりたくてね。
全く、何で限りのある奴ばっかり生き急いじゃうかね。私はこんなにだらだら生きてるってのにさ。
あ、供養って修理と同じ扱いになるっけ?お幾ら?」

煙が目に沁みたらしく、目じりを擦りながら彼女は笑って見せた。
それを見て霖之助は溜息を付くと、弾かれないままの算盤を彼女の前に置く。

「…見ての通り、お代は要らないよ。
これは純粋に価値ある刀だからね、供養が終わったら、非売品に加えさせてもらう。」

「そっか…ありがと、よろしく頼むね。じゃあ、また。」

「毎度あり。今後とも御贔屓に。」


少女が去った後、霖之助は刀を抜き、自らの能力をその刀へと向ける。
彼の能力は、『道具の名称と用途が解る程度の能力』

その視線の先には、こう写し出されていた。



『名称:○○の刀
用途:慧音を守る為の刀』




「○○君。君の無念、せめて丁重に供養させて貰うよ。」


再び本を捲る音が店内に響き、やがて日は暮れて行った。










久々に買い物で出向いた人里は、いつも通りだった。
商人が声を上げ、大人は汗水垂らして働き、子供達は笑う。

どこまでも、平和な日常。

つい数ヶ月前の出来事など、一見誰も覚えていないように見えた。


慧音の力が消え、私は再び生き返った。
すぐに里に向かった私が見たのは、手を繋ぎ合う二人の亡骸。

そして、茫然と佇む人々。

二人の最期を聞いた私は、真っ先に亡骸の頬を引っ叩いた。
「馬鹿野郎」って、「何でそんな道を選んだ」ってずっと喚き散らしてた。

だけど慧音も○○も怒らなくて、引っ叩いたって、手に当たる感触は冷たくて。
それが解ったら、後はもうぼろぼろに泣いていた。

「ああ、また置いて行かれた。」って。迷子の子供みたいに。

私は誰とも一緒になれないから、せめてあの二人は見届けたかったんだけど。世の中、やっぱり甘くないね。
どうにもこうにも、上手く行かないもんだ。

人には、二つ死があるって聞いた事がある。

一つは、肉体が死ぬ事。
そしてもう一つは、忘れられる事。

通りを見れば、あいつらの事なんて誰も覚えていない風に見えた。
寺子屋は新しい教師が来たし、新しい退治屋だって来た。
何も、変わりやしなかったよ。

一年もすれば、きっと今以上にあいつらは忘れ去られて行く。

だから、私だけは覚えていようと思う。

私が生きていれば、あの二人は二度目に死ぬ事は無いから。
あいつらが、また何処かで幸せでいるように。

___忘れてなんか、やるもんか。



…って、人!?
やば、ぶつかる…


「いったー…何よ一体…。」

「おいおい、あんた何処見て歩いてんだよ。」

何このガキ、そっちからぶつかっといて…って、刀?

ああ…そういう。
ふふ、こりゃあ張り倒し甲斐のありそうな奴だね。


「あんた、新しい退治屋かい?」

「そうだけど…何、斬り殺されたいの?」

「ふーん…じゃあ、ちょっとお姉さんのお説教に付き合って貰おうか!!」

「はあ!?なにこんなとこで妖術使ってんだよ!!」

「まあ、あんたとは長い付き合いになるだろうからねぇ…取り敢えず一辺燃えときな!!」

「だー!!なんだこのアマ!?」



もうね、沢山なんだ。あんな思いは。

だから、見ててよ。
慧音、○○。

あんな馬鹿な事は、きっと終わらせるから。










その5年後、退治屋の制度は廃止されたと言う。

その実現の為に、ある少年と白髪の少女。
そして、かつて生きていた恋人達の血が流れた事は。


誰も、知らない。







終わり。

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最終更新:2012年03月16日 12:56