前門の狼、後門の虎。行くも地獄、戻るも地獄。
そんなにっちもさっちも行かない。八方塞な状況を現すような言葉が○○の頭にいくつか浮かんでいた。
牛車はもうとっくに竹林の奥まで入っていた。永遠亭まではもうすぐである。
今の絶望に打ちひしがれる永琳と○○を見たら。そしてそれに対して、どす黒い物が見え隠れしている輝夜。
一体この二つを対比させた鈴仙やてゐは何を思うのだろうか。
永琳は生気を著しく減退させ。呼吸と、牛車を引く牛の手綱捌きと言う。必要最低限以外の動きは全くなくなっていた。
○○の方は、輝夜の顔を見続けるのがやっとであった。輝夜はそんな○○がそんな顔をしていても、ただ黙って見ているだけだった。
狼狽を続ける○○とは打って変わって。黙っている輝夜の顔は、一目見ただけでは邪念など感じられない、良い笑顔であった。
「何で・・・?」○○が口に出せる言葉はただ短く、疑問を投げかける言葉だけだった。
ただ、輝夜の邪念の無い様子は。黙っているときしか維持する事ができないようで。
輝夜が○○の言葉に反応しようとすると、ほんの少しだけ。その笑みの中にどす黒い物がぶわっと広がっていくのが見て取れる。
○○はその黒い物を見て、安堵したような表情を浮かべるが。すぐに輝夜は手や扇で顔を隠してしまい。
少しばかり顔面の表情筋を、せわしなく動かしていたかと思えば。覆いを取れば不思議な事に。
先ほどまで合ったはずの黒い物がない顔へと、見事作り変えてしまっていた。
その毒気の無い顔に移り変わる度に、○○は何度も落胆の様子を隠す事無く。
心の底から絶望するかのように、どんよりとした雰囲気と面持ちで。その毒気の無い輝夜の顔を見つめるだけであった
「もぉー。○○ったら、何をそんなにしょんぼりしているのよ。永琳も気が抜けているわよ」
気が抜けているは別として。今の○○の状態を評するのに、しょんぼりと言った軽い言葉で十分なはずは無かった。
唇は震え、肩に力は入っておらず、目は虚ろで泣き出しそうな雰囲気まである。
それら全てを一言で片付けるに値する言葉は。絶望の二文字が一番似合っているのではないか。
輝夜は一体いつから気付いていたのだろうか。一体何が輝夜の逆鱗に触れてしまったのだろうか。
「○○ーこっちにおいでなさいな」
笑顔の繕いが安定していないのか。輝夜はまた○○を自分の胸元に引き寄せた。
あるいは安定はしているが、優しくされる程に絶望の色を濃くする○○を面白がっているのか。
被虐嗜好ゆえに元々薄い抵抗の意思に加えて。知る当てのないはずの自らの心中に、完全に相反した行動を行い続けている。
完全に実力差を知らしめられた格好となった○○には、抵抗する気力など湧こうはずも無い。
○○は少し舐めていたのかもしれない。蓬莱山輝夜と言う人物を。
また、八意永琳の方も。のぼせすぎて普段の思考力を著しく損なっていたのだろうか。
そうでなければ、二人ともが輝夜を半ば蚊帳の外においてしまうような真似。するはずが無い。
輝夜はずっと○○の目の動きを見ていた。
輝夜が○○の顔を見つめ続け、詰問を行っていたあの時。○○の目の動きが何度が動くのを確かに確認した。
目の動きから察するに、○○が見た先は後ろに座っていた永琳の方向だと言うのにはすぐに分かった。
丁度牛車の動きも止まっていた。恐らくは、永琳の顔は今時分の背中と○○を見ているだろうが。確認する必要は無いだろう。牛車の停止がそれを物語っていた。
輝夜は後ろの永琳は気にせずに、○○の顔を。そしてその顔に映し出される表情を凝視していた。
目は口ほどに物を言うとあるように。口をつむぐ事は出来ても、目の色や表情までも黙りきる事が出来る人間はそういない。
○○が素直に自分に対する隠し事を話してくれるとは思わなかった。それは○○の表情の硬さですぐに諦めてもいた。
だから○○への詰問は早々に、○○の目の色と表情を伺い見る為の踏み台と化していた。
○○の視線の動きは輝夜の顔と、後ろで見ているであろう永琳の顔。この二つの間を何度も往復していた。
その間も、○○は奥歯を必死にかんで何かを堪えていた。何かを隠しているのはほぼ間違いのない事だった。
不意に、○○が奥歯を噛む力が強くなったと。輝夜は○○の表情の変化から推し量る事ができた。
その変化が確認できたのは、○○の視線が永琳の方向を向いた時だった。
永琳が何か行動を起こしたのだろう。それは分かったのだが、どうにも○○の奥歯の噛み方に違和感があった。
奥歯を噛むと言う仕草。輝夜は妹紅との殺し合いで何度も見た事があった。
悔しさ、憤怒、憎しみ。様々な感情を堪える時、その度に彼女は奥歯を噛んでいた。
下手に感情を爆発させても、輝夜を喜ばせるだけだとよく知っていたから。震えるほどに力強く奥歯を噛んでいた。
だが、○○が見せたその仕草は。妹紅が堪えるような感情のどれでもなかった。
数多の記憶の中から探ってみても、輝夜にはピタリと一致する物を見つけることが出来なかった。
合致しているのは、何かを堪えようとしている事と、感情の高ぶりから来る震えくらいの物か。
始めは、○○が遊郭で。やはり春を買わされてしまっていて、その事を思い出していたから。
所謂、恐れや恐怖と言った感情。怒られやしないかと言う感情だろう。
そうだとすれば、○○の前で少し興奮しすぎたか。○○に非などは一切無いのに。
しかし、それとも違う。
もしそうだとすれば、何故永琳の顔を見ると同時に強張りが大きくなったのだろうか。
仮に、春を買わされていても。○○に非がないと言う考えは、永琳も同じのはず。
ふっと。いつの事だったかは、輝夜自身も詳細には覚えていないが。
自分を娶りに来たと言う貴族どもに、無理難題を吹っかけた時の顔を思い出した。
恐怖と言う感情は、あの顔に強く現れていたのに気付いた。
意気地なしと思われたくないのか、どいつもこいつも必死で強がっていた。
最も恐怖の質が違うだろうが。こちらの方は叱責を恐れているだけで、もう一方は命の危機だ。
余り思い出したくない物を、よりにもよって○○と一緒にいるときに思い出して。頭の端で少しばかり癇の虫が蠢いたのが分かった。
すぐに回想する事をやめたが。数瞬想起しただけでも、今の○○とは違う顔をしていた。
その後、輝夜は口を滑らして野をきっかけに。自分がまだ○○に思いを伝えていない事を思い出した。
何か趣のある場面をこしらえて。そこでこの思いの丈を○○に告白しようとしていた輝夜にとっては。
失態も失態、大失態であった。
頭を抱え、天井を見上げ。その果てには永琳にまで茶化されて。
姿勢こそ整えたが、成り行き的に告白と相成ってしまった。
そして、○○は輝夜の告白を快諾した。
その事で、先ほどまでの○○の隠し事。輝夜の中ではその事がまだ頭の端でもやを作っていたが。
晴れて○○と恋仲になれたことの方が嬉しくて。さほど気にならないと言うのが実態であった。
○○が春を買わされていない。これもまた確実なようだったので、妙な表情をするのが癖なのかと。強引に話を片付けようとしていた。
しかし、○○が見せていた。この奥歯を噛むと言う表情の奥に隠された意味。
これを輝夜は、自分の失言からその真相を知る糸口を得たのだった。
「○○!永琳は今日から貴方の側室よ!!」
自分が告白して正室となった後、永琳も側室にしてしまうのは最初から決めていた。
ただし、それも趣のあるもって行き方をしていきたかった。
自分の番がなし崩しだったから、二回目は上手く行かせたいなぁと。頭の端で思えていたのは最初だけで。
○○に抱きついたり、その匂いをかいだりしていると、頭の端程度で留め置いた事など。見る影もなく消し飛んでしまった。
消し飛んだ事に気づいたのは、永琳が○○の側室だと。まだ○○にも説明していないのに一足飛びで会話に出してしまった時だった。
この時の輝夜は、もう完全にヤケッパチだった。
頭を抱えたりして、うだうだやるくらいなら。全部片付けてしまって三人で楽しんでしまった方がいいではないか。
そういう思いから、少々まごついていた永琳を引っつかんで。○○の側に放り投げるようにした。
その放り投げる勢いが強く。永琳と○○は激突して。○○を永琳の下敷きにしてしまった。
やってしまった。最初の方こそそう思った、そう思えた。
○○の顔が・・・また変化するまでは。
「大丈夫?○○」
永琳が○○の体を案じるその言葉を投げかけた後だった。
○○の顔が、場にそぐわないような変化を見せたのは。
ほんの一瞬だったが、輝夜には分かった。○○が笑みを浮かべた事を。
その笑みは・・・・・・何かに喜ぶような。いや、“悦ぶ”と言った表現の方がより的確な笑みだった。
(・・・・・・は?)
輝夜は呆気に取られるばかりであった。
「えーっと・・・・・・ごめん」
先に、この事態を引き起こした事に対して。謝罪こそしたが。
頭の中では、先ほどの○○が浮かべた。悦ぶような笑みに対する謎で一杯だった。
しかしながら、答えは出なかった。答えを求めて、輝夜は永琳と○○を観察し続けた。
(ん・・・?んん!?)
観察して、あることに気付いた。
(ちょっと!永琳!!貴女の体重が諸に○○にかかってる!!)
とんでもない事態である。永琳程度の体重で骨がどうこうなるとは思わなかったが、呼吸は苦しくなるはずである。
その事を永琳に指摘しようと口を開けようとしたときだった。
(・・・・・・あれ?)
○○は苦しくないだろうか、それを確認する為に○○の表情を注視した時であった。
(同じだ)
そう、○○はまたあの表情を浮かべていたのであった。
奥歯を噛み締めて、何かを堪えるその表情を。
(・・・・・・ちょっと待って。○○ってさっきどんな顔してたっけ)
輝夜の中で、ある仮説が組みあがりつつあった。
○○は、今の何かを堪える表情をする前に。確かに、悦びの表情を浮かべていた。
そして今。○○には、永琳の体重が諸にかかっている。
それなのに、○○は苦しい表情1つ浮かべようとしない。少なくとも、今の○○の表情は苦痛を堪えるような類の物ではなかった。
(どういう事・・・○○・・・・・・痛くて悦んでるの・・・?)
その仮説に行き着いた自分にさえも、理解に苦しむ感情であった。事実とすればなおさら。
そして、その仮説を。仮説ではなく、真実なのであろうと認めざるを得ない事を永琳はしでかしてくれた。
輝夜は永琳の体使いを観察しているうちに。そうしてもその仮設を否定できなくなったのだ。
永琳の体重が○○にもろにかかる事態。始めのうちだけなら、事故と思えた。
しかしながら、どれだけ時間が経とうがその状態は解決されず。
あろう事か、永琳は体重移動をして。○○の体全体へと、くまなくその重さを伝えるような動きを見せていた。
そして何度か、永琳は○○の方へと顔を向ける。
その度に、○○はその何かを堪えるような表情を。より一層強くしたのだ。
全身の力が抜けるようだった。
(・・・んな馬鹿な)
そうは思ったが。また牛車が動き出した辺り輝夜は○○と抱き合う中で、○○の心中にもようやく気付けた。
○○は抱き合いながらも、それとなしに自分が下側に行くように寝返りを打ちたがっていた。
その度に、輝夜は徹底的にそれを回避するような体捌きを。もしそうなってしまっても、すぐにその体勢を崩していた。
抱き合うくらいに近ければ、小さな表情の変化もよく分かった。
明らかに○○は残念がっていた。自分が下側にいられないことを、自分が圧し掛かられないことに対して。
(・・・度し難いわ)
最早完全にこの仮説は実証されてしまったような物であろう。
○○には、虐められて悦ぶ。そう、被虐嗜好があることを
度し難い、そうは思ったが。○○の残念そうな顔を見る度に、輝夜の心の奥で、ゾクリと蠢く物が。1つ、確かにあった。
徐々にではあるが、輝夜はこの○○が持っていた被虐志向。
その倒錯した思いを、満足させない事に、密かな喜びを感じていた。
そして、密かに悦んでいたのは最初だけで。
輝夜は○○に優しくすれば優しくするほどに。実は内心しょんぼりしているであろう○○の心中を想像して。
悦びの笑みを作りつつあった。
(あっ・・・不味いわ)
自分が悦びの笑みを作っている。このことを輝夜が自覚した時だった。不味いと思ったのは。
それは自分の歪んだ感情に自省の念が働いたのではなかった。
○○の顔が一瞬、何かを期待するような表情に変ったから。不味いと思っただけだったのだ。
輝夜はそう思って、○○を何度も自分の胸の中に抱きかかえた。
表情を急いで取り繕う為にである。
(度し難い・・・度し難いわ・・・・・・○○。それだけじゃないわ永琳、貴女もね!)
○○の胸の中で抱きかかえながら、その頭をいい子いい子と撫で回しながら。
声も上げずに。○○が見れば震えて喜びそうな、黒い笑顔を輝夜は浮かべていた。
(調教してあげるわ・・・二人とも!私が絶対に、修正してあげる!!)
大分時間が経って。イナバもぽつぽつと起き上がり始めた。
徐々にではあるが、永遠亭に普段どおりの状況が戻りつつあった。
遊郭の男は“この人誰だろう“と言うようなイナバ達の視線に晒されて、所在無さげに縮こまるだけであった。
そしてまた鈴仙の高笑い。完全に聞き飽きていたてゐはともかく、イナバ達や男はビクンと体を震わしていた。
「いいから、もうさっさと行きなよ。あの馬鹿笑いは無視して大丈夫だから」
オドオドびくびくとしながら。まだ興奮状態が覚めない鈴仙から立ち上った高笑いに怯える男にてゐは早く帰るように言い放つだけであった。
遊郭の男はてゐに促されてようやく立ち上がり、クルリと背中を向けて帰路に着くだろうと思ったが。
このまま帰ってしまっても大丈夫だろうか。恐らくはそんな余計な心配をしているのか。
遊郭の男は何度も何度も立ち止まり。相変わらず詰まらなさそうにに座り込むてゐの方に顔を向けていた。
それに対して、てゐのほうも何度も何度も。思いっきりめんどくさそうに、そんな雰囲気を全く隠さずに手で払いのける仕草を続けていた。
「アンタの相手してもさ、面白くないの」
てゐに暴言とも取れるような言葉を投げかけられて、男はようやく立ち去る勇気が出たようだ。
深々と一例をしたあとは、一度も振り返らず帰路についてくれた。
「はぁ・・・やっと帰った。めんどくさいのは鈴仙だけで十分だよ」
パンパンとお尻や腰の辺りに付いた土を払っていると。背中の方からドンドンドンと。
立て続けに鳴り響く、床板を飛び跳ねるような音が聞こえてきた。
誰かが走ってきたのだ。この状況で、走れるほどの気力がある者といえば。
「ああ・・・面倒くさいのが行ったら。また別の面倒くさいのがやってきたよ・・・・・・」
鈴仙以外の誰がいると言うのだ。
「てゐいい!!」
逃げようかなと思う間もなく。鈴仙から呼び止められてしまい、またチラホラと見かける事のできたイナバも姿が消えていた。
逃げられたのである。こういう時、イナバ達は非常に白状であった。
鈴仙から大声で呼び止められた事と、置いてけぼりを食らった事。その両方でげぇ・・・と思っている内にてゐの肩は掴まれてしまった。
(あ・・・もう逃げれない)
覚悟を決めて、てゐは出来る限りの笑顔を作って。鈴仙を刺激しないように振り向いた。
(あああ・・・逃げたい)
「○○さんはまだ帰らないの!?」
酷い欲情の表情はまた酷くなっているとしか思えなかった。
そんな鈴仙の小脇には本が何冊も。○○が溜め込んでいた春画本であろう、全部持ってきたのだろうか。
しかし、どうやら鈴仙はこの春画本を大層気に入ったのは間違いなかった。
鈴仙の中に眠っていた加虐嗜好を呼び覚ましてしまうくらいには。それならば、気に入って当然か。
「んー・・・そろそろだとは思うけどねぇ。須臾の力を使ったから、私たちから見ればこの館を出たと同時に辿り着いてるはずだから」
「そう・・・じゃ余り時間は無いわね。ねぇてゐ、何か縛る物持ってない?」
ピキンと音を立てて、てゐの表情も思考も凍り付いてしまった。
普通に考えれば、何か荷物をまとめるのに必要なのかと思える。出来れば今もそう思いたい。
しかしながら、状況がそんな平時の発想を許してはくれない。
「鈴仙~・・・何に使うのかなぁ・・・・・・」
「当然!おしおきよ!!」
頭を抱えたくなってしまった。それよりも逃げたかった、いやいっそ逃げてしまおうか。
今の鈴仙は自分の悦びを満たす事に夢中で。永琳や輝夜と言った、真に恐ろしいこの二人の事を全く考えていなかった。
今ここで逃げた事に対する鈴仙の怒りよりも。二人がぶち切れる現場に居合わせない事の方がどう計算しても利益となるだろう。
「この本面白いわよねぇ・・・・・・それにしても○○さんったらこんな趣味が合ったなんて」
「ねぇてゐ。あなたはどんなやり方が好み?」
巻き込まれそうだった。
「いや・・・・いやいやいや!私は巻き込まないでよ!鈴仙!!」
そういいながら後ずさりをして、このまま一気に逃げ出したかったが。相変わらず鈴仙の手はてゐの肩をがっちりと掴んでいた。
「だから!姫様と師匠はぁ!特に師匠の方!!滅茶苦茶怖いから!」
そんな事、普段の鈴仙ならば骨身にしみて分かっているはず。
しかし今の鈴仙は。頭上の兎耳をゆっさゆっさと揺らして、顔は紅潮していて、息は荒くて。
およそ冷静な思考回路が形成されているような雰囲気は・・・・・・微塵も存在しなかった。
「だ・い・じょ・う・ぶ・よ!千里眼があるわけじゃないし」
「大丈夫じゃない!!全然大丈夫じゃない!!」
千里眼は無いかもしれないが。その代わりに恐ろしいまでの洞察力があるはずだ。
これのせいで、てゐは何度悪戯を看破された事か。数え上げたらきりが無い。
「んもう。てゐにもお楽しみを、一緒に楽しもうって言ってるのよ」
「いや!だから!!遠慮なさらずに、私はじっくり練り上げる派だから!!先攻は譲るよ、鈴仙に!!」
最早鈴仙を止める事など不可能だろう。ならば目標はただ一つ、全力でこの火の粉から逃げる。
「ええー、そうなのぉ?」
体を左右に揺らして。もう、ノリが悪いわねぇ。と言わんばかりの反応を見せるがお楽しみを独り占めできるのはやはり魅力らしい。
「じゃあ最初は私だけでやるわねぇ。後で泣き言言っても知らないんだから」
(よし!助かった!!)
すぐにぷいと向こうを向いて。小脇に抱えていた春画本をまた読み漁り始め。
「うふふふふふ・・・・・・」
そして、気持ち悪く笑い出した。
そんな笑い声を背に、鈴仙は脱兎の如く駆けて、永遠亭から、最低でも鈴仙の近くからは、逃げ出した。
「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」
膝をつき手もつき。四つん這いの体制になって、てゐは肩で息をしていた。
「―くぁーはっはっは!!!」
永遠亭の方角、てゐから見れば背中の方からは相変わらず、鈴仙の高笑いが聞こえてきた。
後ろを振り返ると、永遠亭の姿は竹やぶに隠れて、殆ど見えなかった。一体どんな声量だ。
「ぶもぉー!!」
更にまた背中の方から、先ほどまで頭を向けていた位置から。今度は牛の鳴き声が聞こえてきた。
余りの心労から遂に幻聴まで聞こえてきたかと。てゐは自分の精神衛生を気にしてしまったが。
幸い、牛の鳴き声は幻聴などではなく。姫様達が乗る牛車を引く牛の鳴き声だった。
ついに、永遠亭の二本柱が○○を連れて帰還したのである。
どうやら鈴仙の不気味な高笑いに、牛が不安感を刺激されてしまったようだ。
牛を落ち着かせるため、手綱を捌く永琳も。手綱を捌きつつも“何?”といった怪訝な表情を浮かべている。
浮かべて当然だろう。きっと籠の中にいる輝夜も似たような顔でいるはずだ。
「終わったな・・・鈴仙」
しかし。鈴仙の興奮と悦びは今もなお高まりを見せているこの状況である。
なお悪い事に、その主たる原因は。○○を虐める事を夢想して悦んでいるのである。
(死ぬなよぉ・・・鈴仙。割と冗談抜きに)
「そこにいるのはてゐね。今の声は鈴仙じゃないの?何があったの?」
(はいはい、聞きますよね。当然私に聞いて来ますよね、今は私しかいないから)
「えーっとですねぇ・・・まぁなんか非常にあれな状況でして」
心の中で饒舌に呟く恨み言とは打って変わって。現実に口からつむぐ言葉は要領を得る事は出来なかった。
「何?要点だけを話して・・・・・・疲れてるのさっさとして」
疲れていると言うのは・・・・・・多分本当だろう。確かに体全体に入る力が、普段の永琳と比べても非常に弱い。
「大丈夫よ、○○。私がぜーったい守り通すからね!」
そんな永琳の分の覇気を吸い取ったかのように。籠の中から聞こえてくる輝夜の声は、喜色に満ちていた。
何かがあったのは明白だった。普段の輝夜ならこんなにも覇気のない永琳を放っておくはずがない。
「・・・早く!」
「は・・・はい!じゃあ師匠、少しお耳を」
輝夜の喜色に満ちた声に反応するように。永琳は悔しさ悲しさを小爆発させた様子でてゐに当たった。
輝夜と永琳の間で何かが起こるなんて・・・そうは思ったが。輝夜はともかく、永琳の様子を見れば、仔細を聞ける空気などではなかった。
今の鈴仙の興奮の原因を、一番聞かせてはならない人物と言うのはてゐも分かってはいたが。
しかしながら、一気に輝夜にも伝えるよりも。まずは永琳だけに伝えた方が・・・多分マシなはずであった。
大噴火の後に、小さな石が頭に当たるか当たらないかの違いでしかないだろうが。
「早く伝えて頂戴」
てゐは所々省略しながらも、仔細を全て正直に話した。
鈴仙が○○の部屋で春画本を見つけたこと。その春画本の趣が偏っていた事。
その偏った趣に“鈴仙が”刺激された事。刺激された結果“鈴仙が”○○を虐める事を夢想してやたら悦んでいる事。
全て正直に話した。春画本の趣が偏っていた事に関して永琳は、どうしてだがふっと笑っていたが。
問題はそれ以降だった。鈴仙が○○を虐める事を夢想して、悦んでいる事に話が進むと。
永琳の体はワナワナと震えだした。その顔は自分の悪戯が炸裂した時でも見せないような酷い顔に変貌していた。
ほーら言わんこっちゃ無い。そう思いながら、あくまでも“鈴仙が”の部分を思いっきり強調して、てゐは話を続けた。
「てゐ!!牛車の方は頼んだわよ!!!」
そう叫びながら牛車を飛び降りた永琳は、一目散に永遠亭の方へ駆け出した。
その速さたるや。兎ゆえに、足の速さには自身のあるてゐですら目を見張る物であった。
そして「ぎゃあああああ!!!」予想通り、鈴仙の悲鳴が竹林に鳴り響いた。
最終更新:2012年04月08日 00:36