「痛い!痛い!千切れる!師匠、兎耳が千切れます!!」
永琳に代わって、牛車の手綱を取るてゐの耳に鈴仙の悲痛な叫びが耳に聞こえてきた。
「あの永琳がねぇ・・・あんなにも我を忘れて飛び出していくなんて」
そうは言っているが、この状況を楽しんでいるというのは、口調と声色で容易に判断が付いた。
輝夜はてゐのように罠を仕掛けたりはしないが、こういった修羅場を安全地帯から眺めて楽しむのが好きだった。
てゐは、よくよく考えればこの性癖は。悪戯好きの自分よりも酷いのではと、度々考えていた。
そんな永遠亭の主。輝夜の姿を、籠の中をチラリと見てその様子を伺った。

籠の中で輝夜は、○○を抱きかかえて、撫で回し。気持ち悪いくらいに猫かわいがりしている。
そして「ふふ・・・・・・」しっかりと目が合ってしまった。どうやら、始めからてゐが様子を確認する為に振り向くのを待っていたようだった。
ぬかった!てゐは自分の野次馬根性とも取れる、軽率な行動を悔いた。
確認するのは、何も今でなくとも構わないはずだ。永琳の感情の触れ方が異常なのは一目見れば分かる。
そんな異常事態においても、主従の関係抜きに考えても一番の付き合いであるはずの輝夜が大した反応を見せない。
何かがあったのは明白だ。それさえちゃんと分かっていれば十分なはずなのに、不用意に刺激してしまうなんて。

「ねぇ、てゐ」
てゐはすぐに前に向き直り、牛車の操作に専念したが。それで輝夜と目が合った事を無かった事に出来る訳ではない。
これが輝夜の常套手段であった。ほんの一瞬でもいいから、相手に自分の目を見させるのだ。
そうして、自分が存在している事を相手に完全に分からせ。尚且つ、その後に声をかけて、何かを問う。
シカトしたり、しらばっくれようにも。先ほど確かに目が合ったという事実が相手にその選択肢を許さない。

「な・・・何?姫様」
輝夜だけでなく、てゐも確かに輝夜の存在を、視線を。その両方に気づいたと言うのが重要なのだ。
輝夜だけが存在を認知し、視線を投げかけていても。それを向けられる相手である、この場合はてゐが、それに気付いていなければどうしようもない。
てゐは、自分が輝夜と視線を合わせる前に逃げ切ってしまって。あの時は気づかなかったと言う論理で、何度も物事をうやむやにしていた。

だが、もう今回はこの手は使えない。そうでなくても、牛車の操作があるので、逃げ出せないと言う大前提があるのだが。
目を合わしてしまった事で、てゐは輝夜に精神的優位まで取られてしまった。
永遠亭の姫と言う権力を輝夜は有している以上。目が合ってしまえば、やはりそれなりの態度と対応で出なければならない。

「ねぇ、てゐ貴女は優しくしてくれる?」
何にという、主語が完全に抜けている。これも輝夜がよく使う手だった。迂闊な返答は自分の首を絞めてしまう。
(あぁー!逃げたい!!)
ただ、永琳から仰せつかった牛車の操作を放り出すわけにも行かない。輝夜も牛車の操作が出来ない訳ではないだろうが。
放り出して、逃げ出してしまえば。完全に何かの尾が切れてしまった、今の永琳の神経に触れることとなる。
輝夜からは逃げたいが、かと言ってそうまでして逃げ出すのも益が無い。
結果論でしかないが、逃げる方向を完全に間違ってしまったようだ。てゐはただただ、歯をギリギリと噛み締め、耐え忍ぶ事しかできなかった。

「姫様・・・優しくって、何に?」
「もぉ・・・分かってるくせに」
そもそも、てゐにとっては始めから負け戦でしかないのだ。
逃げたとしても、それは結果を先送りにするだけでしかない。かと言って、輝夜からの“お願い”に真っ向から対抗できるかと言われても・・・答えは否であろう。


てゐの耳には相変わらず鈴仙の喚き叫ぶ声が聞こえる。
「千切れる!千切れる!!」と絶叫しているから、兎耳はまだ千切れていはいないようだ。
輝夜の顔を見るのが怖くて、真正面だけを頑なに向き続けている為。
誰かが誰かを引きずりまわす光景が、竹やぶが晴れている所から見えてきた。
誰かの部分について、考えをめぐらせる必要は無いだろう。

今の永琳の状態を鑑みれば。てゐにとっては、輝夜からの“お願い”を快諾する以外に道はないし。快諾してしまった方が、後々苦しまずに済んでしまう。
例え、そのお願いを快諾してしまったが故に。今後のてゐの行動に対して、一定の制限。
恐らくは、輝夜の○○への、目に見えて分かるほどの猫かわいがりから察するに。
○○に対しての付き合い方に、かなりの制限が付くのは明白であろう。

良くは無い。決して良くは無い。むしろかなり悪い。
未だ奇天烈で、珍妙な愛情表現を示していないてゐにおいても。○○を好いている事に対しては例外ではない。
そんなてゐに、今まさに○○との付き合い方に対しての。いくらかの制限が課されようとしていた。
本心ではそんな物突っぱねてやりたいが。
突っぱねてしまえば、今てゐの眼前に見える。
永琳が鈴仙の兎耳を引っつかんで引きずりまわすような目に。てゐも合ってしまうのは火を見るより明らかではないか。

死んで花実が咲く物か。
そうだ、生きてさえいればどうにかできる。生きてさえいれば、いくらでも挽回の機会に巡りあえるし、作る事もできるはず。
手綱を握る手がギュッと固くなる。
もう一度だけ、てゐは輝夜の様子を確認する。
輝夜は両手を巧みに使って、○○の全身を、嘗め回すように撫でさすっていた。これは相当な猫可愛がりっぷりと言えよう。

○○に、だろうな。
てゐはその様子を一瞥しただけで。輝夜が意図的に省いた主語に思い当たりを。
思い当たりと言うよりは、恐らくそうであろうと言う推論に対する確信であった。

(上等・・・こうなったら根競べウサ!)
表情の変化を見られたくなく、輝夜が○○を猫かわいがりする様子だけを見たら。てゐはすぐに表に向き直った。
「ねぇ、姫様。もしかして優しくって、○○に?」
てゐの答えの後少しだけ間が合った。
その間の後「・・・・・・くふふふふふ!」とやたら嬉しそうに、それ以上にわざとらしく笑っていた。
きっと笑うまでの間に。にんまぁ~、と言った感じに顔を歪ませていただろう。
「そうよ、てゐ。私はてゐもそう答えてくれるとは信じてたわ・・・・・・答えてくれるとはね」
輝夜は“答えてくれる”と言う部分は、妙な力を込めていた。てゐはその様子に鼻で笑った。予想通り、見透かしていたか。

「何も私ほどやさしくしろとは言わないわ、てゐ。でもね・・・・・・」
“でもね”の部分の声の調子が一段下がった。
輝夜はてゐが口だけの従順であると見抜いているだろうが。別にそれで構わない。
「貴女って悪戯が大好きでしょう・・・?○○には絶対やっちゃ駄目よ、絶対に!」
「・・・・・・分かってるよ、姫」
言葉の意味は。確かに分かったが、言う事を聞くかどうかはまた別だ。

「鈴仙は・・・・・・永琳に任せましょうか。ね、てゐ」
「それがいいウサ」
今ここに、冷戦が始まった。







てゐと輝夜が水面下で鍔迫り合いを行っている間に、牛車は完全に竹やぶを抜けていた。

「私が出来ないのに!!私が出来ないのに!!貴女なんかにやらせるものですかぁ!!」
「耳が!耳が!!兎耳がぁ!!!」
相変わらず永琳は鈴仙の兎耳を引っつかんで引きずりまわしていた。
永琳は頭上の帽子を振り落とし、自慢の三つ網のお下げも振り乱し。
怒声を散らし、何故か泣きながら鈴仙を折檻し続けている。
折檻する方も、される方も。涙と汗と土やらで、ドロドロであった。
流石のてゐも「おおぅ・・・」と驚嘆の声を漏らさずにはいられなかった。


「あっ・・・」
牛車が永琳と鈴仙の真横を通り過ぎる際。今まで黙りっぱなしの○○が、声を漏らした。
「ッ!○○、見ちゃ駄目!行っちゃ駄目!!」
その様子を間近で見られる輝夜が、急に慌てだした。
輝夜が大急ぎで籠に取り付けられている、目隠し及び日差し避けのすだれを下ろす。
その音がてゐの背中から聞こえてきた
「あぁっ・・・・・・!」ついでに、何故だかやたらと残念、無念と言った。悲しそうに息を吐く○○の声も。


「大丈夫よ、○○。私も、永琳も、○○にはうんと優しくするから。○○は何にも心配しなくていいから」
(・・・ああ。やっぱり、そう言う事か。姫様がやたらと○○に優しくする事に拘っていたのは)
目隠しを万全にした後は、輝夜が○○をまた思いっきり優しく扱っていた。声で十分に分かる。
そして、てゐの耳に聞こえる限り。反応が何も無い○○の様子で。○○の事にもある程度の察しが付いた。
「・・・てゐ!貴女もよね!?」
「もちろんウサ」
輝夜からの詰問には生返事で答えながら、てゐは頭の中で状況を整理して行った。


(やっぱり○○は・・・・特殊な悦び方をする性質だったって事かぁ)
てゐの頭の中に、鈴仙が見つけ出した春画本が思い起こされていた。
鈴仙が○○の部屋を、文字通り解体して見つけ出した、あの春画本達。その全てに、ある一定の偏った趣が見られた。
その趣とは。男の側が、女の側に虐められていると言う物であった。

流石としか言いようが無かった。輝夜だけではない、恐らく永琳も○○の被虐嗜好には完全に気付いている。
そうでなければ、二人の行動に。特に永琳の暴れっぷりに納得がいかない。

「私は!涙を呑む思いで・・・!姫様に誓ったのよ!!」
時を経るごとに、永琳の涙声は勢いを増していた。
そして、その口から飛び出す言葉から考えて。永琳は○○を虐めて悦ぶ己を見出してしまったのだろう。
度し難いのがもう一人いたなぁ・・・と思いながら。訳も無く天を見上げてしまった。

しかしながら。輝夜は、永琳とはまた違った楽しみ方を見つけてしまったのだろう。
輝夜の見つけた楽しみ方とは・・・被虐嗜好をわざと満足させない事と考えてよかった。
輝夜はてゐにことさら強く。○○に優しくするように迫ってくる。
そして引きずり回される鈴仙を見て、○○は何か行動を起こしたかったのだろう。
きっと、自分も混ぜて欲しかったのではないか。永琳に引きずり回して欲しかったのではないか。それは行動にも現れていたはずだ。
だから、輝夜は「行っちゃ駄目」と言って制止して。見えないようにすだれも下ろしてしまったのだ。

そこで○○から上がった声色は。相当に落胆していた。
もう、笑えてしまうくらいだった。そくらいに分かりやすい反応だった。
そして、その後。輝夜はまた○○を猫かわいがりし始めた。それは今も続いている。
「○○、○○。お風呂に入ったら、私○○の体を綺麗に、思いっきりきれーにするからね」
「服は私が脱がせるわ。体も拭く、お風呂上りの服も私が着せるわ!!」
随分と嬌声に満ちた輝夜の声が箱の中から漏れ聞こえてくる。これは可愛がると言う域を超えているような気がしてならない。
(度し難いなーもう皆度し難いなー。私も気づかないだけで度し難いのかなー)
考えているうちに。頭の奥のほうから、クラッと目眩のような物がやってきた。


輝夜の見つけた、その楽しみ方と。○○の被虐嗜好を、徹底的に満足させないと言う物であった。
ある意味、一番えぐい趣向のような気がしてならなかった。

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最終更新:2012年04月08日 00:37