『走る先に…』



迷いの竹林の最奥に佇む永遠亭、その長い渡り廊下の縁側に座り金属製のマグカップを片手に月を眺めていた。

吐く息が白い

辺りには数日前につもった雪が月光を反射し、うっすらと美しい日本庭園が広がり、時々聴こえる猪威しがカコーンと何処までも響く。

こうじっくりと月を見上げたのはいつ以来だろう、此方での始めての冬はとても穏やかでゆっくりと時間が流れる。

「こんなに寒い夜に一人月見酒かしら○○。」

振り向くと廊下の向こうから微笑みながらゆっくり歩いてくる師匠
八意永琳先生に、いいえ、珈琲ですよ。とカップを傾けて答えた。

「○○は本当に真面目ね、少しぐらい飲んでも平気でしょうに」

隣りに静かに座った先生はポケットから平べったい酒瓶を取り出してヒラヒラと振る。
そんな先生に医者である以上、もしもの急患に万全でそなえたいのです、それに下戸なのでと断ると


「そう。なら折角私が貴方と一緒に飲みたくて此処に持って来た外のお酒は飲めない訳ね。」
と少し残念そうにブラックニッカをポケットにしまう先生にすみませんと謝りながら、また月を見上げた。

「今日のような月が満ちた日だったわね」
振り向くと師匠もまた月を見上げて
「○○、月が…綺麗ですね。」
そう呟くと再び私を見つめ微笑んだ。


あの日のように綺麗な…
少しだけ欠けた月が輝いている。

○○こと自分がこの世界『幻想郷』へやってきたのは3カ月前の事である。
救急医療に関心があった私は高校で勉強に明け暮れ、友達に遊びに行こうと誘われてもそれを断り
教科書とノートを離さなかった学生時代
『無口人間』と入学した医療系大学の同期生にからかわれながら奨学金を借りつつ次席で卒業後
そのまま大学病院に就職しERで勤務しながら勉強を続け、恩師である教授に「経験を積んで来い」
とアメリカ留学を勧められ。

海外へ旅立つ数日前。数十年帰って来られないだろう故郷で久しぶりの母の手料理を食べ、
小さい頃よく遊んだ里山を懐かしい気持ちで散策していると、何故か山を下りられなくなっていた。

携帯やポケベルはさも当然ように圏外で、辺りは暗くなり歩けど歩けど見知らぬ山中を進むばかり。
疲れ果て座り込み世が開けるのを待つ事にした時、木々のざわめきの中に地鳴りのような音が聞こえ、
それはだんだんと近づいているようで、はっきりと聞こえるようになると複数の爆発音が連続してい
るようだと分かった。

ドラマか映画の撮影だろうか?と首を傾げながら、兎に角助かったと爆発音の方向に向かう、
するとあんなに抜けられなかった山を簡単に抜け冬の田畑に出て、向こうには月光に照らされた竹林
と所々細く伸びる白い煙が見える、そして夜空に広がる七色の閃光と炎の翼が振りまく爆炎。

本当に信じられない光景だった。

夜空に様々な色彩が左右に行き交うとても美しい光の祭典。しばらくその光景に見とれていたと思う。
しかし、その光景は夜空におきた小さな爆発の後、突如終り。
空からチリチリと鈍く燃えながら此方にゆっくり落ちてくる何か。
だんだん近づいてくるにつれ、それが人と分かる頃には落ちてくる下に無意識に走り。
当然の事のように抱きとめると、腕のなかで焦げ穴とススに汚れた赤と蒼色の服を纏う白髪の美しい
女性が気を失っていた。

まるで物語りの様な初対面
これが私と八意先生との出会いで、そして私にとってのファンタジーが現実になった瞬間だった。

「なにを物思いに耽っているのかしら?」
「…っ!?」

すぐ近くに師匠の顔があり、思わずのけぞると

「少しショックね、そんなに驚かなくてもいいでしょう」

と拗ねた顔をして腕を組んだ師匠にすみませんと答えつつ考え込んでしまったなと視線をずらすと
組まれた右腕に目を引く。先生の右腕はまだ包帯が巻かれている。

「○○、貴方は最善の処置をしたわ、私だって同じ状況ならそおしたし、だから思いつめないで。」
私の視線に気が付いた師匠は、そう答えて包帯が巻かれた右腕を摩りながら笑う。

その笑顔は生き生きとしている。
あの日、永琳先生の右手はシュウシュウと音をたて、酷く火傷していた。急いで患部を冷やし火傷の
進行を止めなければならない。しかし水は持っておらず、辺りは田畑、それらしい物も無い。そこで
破傷風などの感染症の恐れがあるが無消毒のタオルを傷に当て土を被せて冷やす応急処置をし、携帯
で救急車を呼ぼうとしたが此処は何処なのかも分からなかった事に気が付き、大声で「だれか!」と
何度も叫んだ。

すると空から姫様の様な着物を着た人と赤いもんぺと白シャツを着た人
弾幕の直撃で地上に落ちて行った師匠を探していた蓬莱山さんと藤原さんが声を聞きつけて来てくれ。

急いで病院に運ばないといけない事を説明すると、藤原さんに抱きかかえられ、
生身で空を飛ぶと言う初体験をした後、姫様に担ぎ込まれた師匠に驚く鈴仙さんと用語や薬の名前、
扱いの違う医療器具に四苦八苦 しながら治療をした。少し時間はかかったが治療は良かったと思う。
しかし、師匠の右腕の傷はまだ塞がらず、抗生物質と消毒の治療をしている。
痛み止を飲んでも、毎日激痛に苦しんでいるはずなのにその事を私の前ではおくびにも出さず、
そして…師匠は最近よく笑う、最初に出会った頃と比べると、本当に明るく元気になった、いや…
人としての違和感がなくなったと言えばいいのだろうか、だからそろそろ話す頃だと私は微笑む師匠
を見ながら感じていた。



2.




今日はもう眠りましょうと声をかけると、「そうですね…でわ、お休みなさい先生」と少しだけ笑みを
浮かべ、彼は自室へと下がって行った。だけど努力家○○の事だから今日も勉強をしてから眠るのだろう。

私の書いた医学書を二冊、大事そうに持っていた彼は、毎日解らない所を丁寧に帳面にまとめやって来る。
最近そんな彼との日々が楽しみになっている私は自然とふふふ、っと笑みがこぼれた。

長い廊下を歩き、いつものように調合室のドアを開ける、純和風建築の永遠亭で診療室とこの調合室だけ
は私の趣味で西洋建築を取り入れた作りになっていた。正直、正座で机に向かうよりか椅子に座って調合
したほうが、素早く立てるし長時間の作業も楽なのだ。

ドアを閉め、鍵をかけると暗闇を進み机の電気スタンドを点ける。

部屋全体が薄暗く照らされると、大きめのガラスシャーレとガーゼを用意しガーゼをハサミで歪な形に
切り抜き、薬品棚へ向かい奥から一つ薬瓶を取り出し


ふふふ、とまた笑みがこぼれた。


シャーレに切り抜いたガーゼを入れ薬瓶の中身を垂らす、ツンとする刺激臭のなか、彼に巻いてもらった
右腕の包帯を解くと火傷の跡などないきれいな肌にピンセットで慎重に薬品を垂らしたガーゼをのせた。




「消毒するので少し痛みます」

朝食の後、彼に腕の火傷を見てもらう、トントンと鑷子(せっし)で摘まんだ脱脂綿を当てながら、今日も
真剣な表情で傷の確認をしている○○。

この子はつねに一生懸命で本当に可愛くて、そして人間特有の美しさに満ちていて


私とは違う。


私が此処まで歩んできた道は逃亡の連続だった、輝夜の幸せを願い、輝夜の宿命から逃れる為に蓬莱の薬
を創り出し、二人で万物の理から逃げた。いや…従者として仕えた私が姫様を欲しくなったから、本来の
運命を捻じ曲げたと言ったほうが正しいのかもしれない。

はじめての自由にはしゃぐ姫様との平安京での騒がしい日々は楽しく幸福に満たされていた、しかしその
罰が藤原妹紅だった。
彼女には彼女なりの覚悟があったのだろうが、見知った人間が次々と死んで逝き、化け物と呼ばれ、
異青なしに永遠という存在に向き合わされたただの人間の精神が耐えられる筈がない。壊れてゆく彼女に
心を痛めた姫様は、自身に向ける怨みを加速させる事で彼女を安定させた。

二人は数百年間殺し合いを繰り返し、そして互いは惹かれ合い、仲良く今を生きている。

そう…随分と長く生きていると、物事の感じ方が平坦になって、何処か現実感の無い、
まるで映写機の映像を見続けているような、そんな視点で日々がボンヤリと霞みがかって来る。
淡々と永遠に続く日常に未来も過去もどうでも良くなってくるのだ。

そんな毎日に蓬莱山輝夜も藤原妹紅も疲れてしまったのだろう。
姫様は自身と妹紅に永遠と須臾を操る程度の能力を使い100年ぐらいの思い出と必要に応じて自身が
記した日記を紐解き、自分を創造しながら、二人で思い思いに楽しみを見つけ快楽を貪っている。

姫様の隣りには私が並びたかった、でも姫様が選ばれたのは妹紅だった。妹紅を憎いと思った事もある、
何度も二人を引き離し、幻想郷に落ち延びても。
二人は必ず巡り会い、いがみ合い、恋に落ち、幸せそうに笑う姿を私に見せ付けた。
だから私は… 私は姫様の幸せが私の幸せだから、二人を祝福する事にした。

私も二人のように短い過去に満たされた生き方が出来たなら幸せだったのかもしれない、
でも誰かが危うい二人の幸せを外敵から護らなくてはならない。
二人の小さな世界の外で私は一人で永遠に向き合うのが、それが私の犯した…



「先生、終りましたよ」
○○の声に はっ と顔を上げると椅子に座ったまま近づいた○○の顔がすぐ近くにあった。
このまま数センチ近づけばキスが出来るそんな距離。
でもその距離を後ろに下がった○○のせいで埋める事は出来なかった。

「昨日の仕返しかしら」

少し前かがみになった私が○○の目を見つめながら言いうと

「私は先生には敵いませんね。」と笑って立ち上がった。

医療器具を片づけながら「痛みはありませんか」と聞く○○に、貴方のおかげで痛くないわと
答えると私に向き直り「よかった。」と微笑む。


嗚呼、この笑顔だ


私は○○が真っ直ぐ向けるこの笑顔に魅かれてしまう、欲しくなってしまう、独占したくなってしまう

○○の心に私の存在を刻み込みたくて毎夜自傷行為に走り、
深刻そうに私の事で考え込む姿に喜びを感じる
ああぁ…もっと、もっともっと。私を見てほしい、感じて欲しい、知ってほしい。


「診療まで少し時間があるので、お茶でも入れてきます」そう言って診療室を出ていく彼の
後ろ姿を見送りながら、彼にしか感じない胸の高鳴りと、それと同時に彼を騙している罪悪感と自己嫌悪


分かっている… 私は馬鹿だと。

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最終更新:2012年04月08日 00:51