「永琳うるさい!!」
籠の中から輝夜のどやす声が聞こえてきた。
その声を向けられた永琳は。今までガッシリと握り締めていた、鈴仙の兎耳から力を抜かして。
「ぐぇっ!」さきほどまで引きずり回していた為、半端に浮いていた鈴仙の上半身がモロに地面へと叩きつけられた。
「うう・・・・・・」そんな鈴仙の呻き声など気にもかけずに、永琳はただじっと。下を向いて立ちすくんでいた。
輝夜の行動は、当然の物だろう。輝夜は、○○の被虐嗜好を徹底的に満足させない事で愉しんでいるのだから。
○○が感情的に、先の鈴仙のように荒々しくいたぶられるのを好むか。それとも、冷静にいたぶられるのを好むかの細かい趣向は分からないが。
今の○○の精神的な充足感は、輝夜の手によって徹底的に乾ききってしまっている。
蒲焼の匂いだけで白米を食らうように。その攻めが、例え自分に向けられていない物であっても。
ときめく事は勿論の事。それだけではなく、欲情して果てる所まで持っていけるのではないか。
しかしながら、そんな事。あの蓬莱山輝夜が、想定していないはずが無い。見逃してくれるはずがあろうか。
てゐはそこまで考えて、ただただ○○を哀れに思った。
なんと酷い趣向だろうか。牛車の手綱を持つ手が、今度は怒りの感情で固くなっていくのが分かった。
最初、○○が隠していた秘蔵の春画本の中身。鈴仙が熱っぽく読み進めていた横から覗き見て、何と無しに○○に引いてしまった事。あれを強く恥じるしかなかった。
だからと言って、我を忘れてのぼせあがっていた鈴仙を再評価できるかと言われれば。それとこれとは話が違うのだが。
相手とねんごろになるに置いて、最も重視すべきは。
結局は、双方の合意と了解が、最重要事項なのだと言う事だと。何をするに置いても重要だろうが、ねんごろ関係は特にその比重が高い。
その事をてゐは改めて、そして以前よりも強く心に刻み込んでいた。
ねんごろになった後何を致すかなど。何と些末な事であろうか。
○○は、相手に無理強いして何かを致すなどという。そんな下劣極まる門外漢ではない、てゐは不覚にもその事を忘れていた。
だが、今輝夜が行っている事はどうであろうか。
○○の性癖を、全く何も知らない状態ならばいざ知らず。輝夜は○○の、この倒錯した性癖に完璧に気付いている。
それに気付きながら。また、気づいていると言う事を○○にはっきりと知らしめながら。
○○に対して、過度な優しさを投げつけているのである。
それが、○○の意に全く反しない事は火を見るより明らかである。
輝夜は表に出る表情は巧みにごまかしているが。その腹の中では悦び愉しんでいるのだ。○○を絶望の淵に叩き落す事によって。
気付いていないならばまだ良かった。気付いていないだけならば、どうとでも対処できる。
そうであるならば、きっと○○の方からそれとなく。
出来る出来ないは別として、自身の被虐嗜好を満足させる為に、何とか輝夜の行動に介入、制御しようとしてくるだろう。
例えば、抱き合っていればそれとなく自分が下側になるようにしたり。
思いっきりはたいてもらう等は無理でも。それくらいならどうにかなりそうではある。
「さっ、○○。私の事好きにしていいわよ」
籠の中から喜色に塗れた輝夜の声が聞こえてきた。きっと、自分の全てを今輝夜は○○に委ねているのだろう。
○○以外の圧倒的多数の男性ならば、何と甘美で羨ましい状況であろうか。
しかし悲しいかな。○○の嗜好は好きに“する”ではなく、好きに“されたい”であった。
鈴仙は間違いなくそうであろう。永琳も、状況から考えれば同じであろう。
そしててゐ自身も。多少頭の中に、常軌を逸した鈴仙の姿がチラついていて。
同じと言う事を認めつつも、幾ばくかのわだかまりが点々とはしているが。さりとて否定は出来なかった。
輝夜以外の三人とも、○○の被虐嗜好に気づいた際。
○○を虐めた時の、内面では確実に悦んでいる○○の反応を想像して。確かな愉悦や欲情を感じていたのだ。
違うのは輝夜だけだった。輝夜だけは、○○を虐めない事による。残念そうな反応を。
しかも、○○の被虐嗜好に気付いている事を、わざと分からせた上で。絶対に虐めないで、過剰なほどに可愛がって。
そうした際の。残念がるを通り越した、絶望ともいえるような姿を見て愉悦を感じているのだ。
変化球にも程がある。
考えれば考えるほど。てゐの顔は苦々しい物に変わっていっていた。
余りにも、○○の置かれている今の境遇が不遇すぎて。目の端からは自然と涙が浮かんでくる始末であった。
輝夜の突飛な行動は今に始まった事ではない。長く生き過ぎているせいか、輝夜は常に退屈感に苛まされていた。
故に、その感情を一時的にでも払拭する為に。色々と面白そうな事や、ただの思い付きをすぐに実行に移そうとする。
恐らく、その被害を一番受けているのは、藤原妹紅であろう。
彼女には申し訳ないが。永遠亭の中で何かやられると面倒くさいので、いい矛先の逸らし役だと思っていた。
輝夜はそんな突然の思い付きや、興味本位で行動した結果。
標的やその周りがてんてこ舞いになったり。溜め息と共に、頭を抱えたりしている様子を楽しんでいる節がある。
しかも、その場では収まらずに。後々尾を引く類の物の場合は、ことさら嬉しそうに、周りの状況を見ては楽しんでいる。
悪戯好きのてゐですら、この性格には負けると。度し難いなと言う、呆れ半分の感情で見ていた。
しかし、今てゐが輝夜に感じている感情は。呆れでは無く憤りであった。
○○の被虐嗜好に対しては、否定的な意味で思うところは特に無い。
最初の方こそ、少しばかり引いていたが。よくよく考えれば、多数派だからと言って正しいわけではない。
○○の被虐嗜好は間違いなく少数派である。だからと言って、それが即正しくない、悪い事とは言えないし、言うべきではない。
この被虐嗜好が社会的、道義的に問題となるような性的倒錯とはてゐには到底考えられなかった。
(どっちかと言うと、姫様の方が色々とヤバイと思うよ)
一組の男女がねんごろになる時に置いて、最も重要なのは。互いの同意ではないのか。
○○はねんごろとなる時、相手から虐められる事を望んでいる。
肉体的にも精神的にも、束縛される事を望んでしまっているのだ。
○○がそう望むのであれば。てゐとすれば、長年培った悪戯の腕を奮いに奮った。
贅を凝らした仕掛けの数々を○○に捧げてしまおうと誓っていた。
てゐは、また自分の顔が歪んでいくのが分かった。
(一体何が楽しいんだろ・・・)
○○の不遇と共に、輝夜の余りにも酷い趣味の悪さを考えれば。表情の一つや二つ。崩して当然だろう。
籠には先ほど輝夜が降ろしたすだれが掛かっていて、中の様子を覗き見ることはできない。
○○はこの中で、一体どのような仕打ちを受けているのだろうか。
性癖とは、一言二言では説明できない物である。
例えそれが他人にはまるで価値を示さない物であっても。当の本人には至上の喜びを示す物となりえるのだ。
例えば、てゐの場合は長年培った悪戯稼業。これは生きる意味と言っても過言ではなかった。
それと同じくらいの価値観を持っているのだ。○○にとっての被虐嗜好は。
てゐは、何度叱責を受けようが、この悪戯稼業を止めるつもりは無かった。むしろ、叱られるほどにその勢いは増していった。
(○○・・・・・・待っててね。絶対に私が、虐めて見せるから!!)
○○の被虐嗜好とてゐの悪戯稼業。その重みは、全く同じであろう。
人からは度し難いと言われ続けたてゐであるからこそ、○○のこの度し難い性癖に対する理解も早かった。
最終更新:2012年04月14日 22:01