○○が遊郭に足を向けたことから始まった、件の大騒動。あれからしばらく経った。
永琳の部屋の壁は修復の気配すらないし。もっと酷い状況の○○の部屋も、未だ無残な姿を晒したままだった。
ただそれでも、その二つを視界に収めなければ。
少なくとも遠巻きに見ただけならば、平穏で静かな永遠亭の、いつもの日常が営まれていた。
二つの部屋を除いた、見た目の上での変化と言えば。○○が私用で扱う鞄が、えらく良い物に変った事と。○○が輝夜の部屋に居を移し、そこに篭る事が多くなった。
更に言うと。永琳が基本鈴仙を傍に置くようになった。方々を飛び回っているイナバ達が疲れた表情をしている。
てゐが一人で考え事をしている時間が増えた。

平穏無事なのは遠巻きに見たときだけで、近寄ってみれば不穏な空気があたりを漂うばかりであった。
永琳と鈴仙は張り付いた笑みでお互いを牽制しあうし。考え事をしているてゐは怖いし。
○○はぐったりとしながら椅子に座っているし。そんな○○を不気味なほどのニコニコ顔で世話を続ける輝夜。

いっそ乱闘騒ぎにでもなっていた方が、分かりやすいだけ心労が少なくて済む。イナバ達も影でこう言い合っていた。



○○程ではないが。極度の緊張から来る心労で、ぐったりとした表情を作っているイナバ達を尻目に。鈴仙は永琳の眼下で普段の作業を行っていた。
いつもならば、多少は世間話の1つでも喋っていたはずだが。ここ最近はほぼ無言であった。
無理も無いだろう。永琳は○○の被虐嗜好に答えることを諦めているが、鈴仙は違う。
諦めていないと言う点ではてゐも同じなのだが。燃え盛り方が違うのである。
慎重に機を見極めようとしているてゐと違って、鈴仙は非常に直情的なのだ。

よく言えば勢いがある、悪く言えば無鉄砲。そんな状態だった。
永琳としては、てゐに考える時間を与えるのは良くない判断ではあるが。それ以上に今の鈴仙を放っておく事を良しとしなかった。
何日か観察した様子では、輝夜はほぼ○○に付きっ切りであった。
ならば、てゐが不穏な事を考えていても。その行動にも大きな制限が付く。そう判断して、永琳は鈴仙の監視に注力していた。

「じゃあ、師匠。里の方に置き薬を配ってきますね」
「ええ、お願いね」
しかし、毎日毎日四六時中。監視ばかりしているのは、流石に疲れてしまう。
それに、永琳だって○○の肌に触れたりして戯れる時間が欲しい。
だから、増やしたのだ。鈴仙が外に出る用事を。そうすれば、鈴仙から眼を離していても多少は安心だ。
しかし、外出中は当然のことながら永琳の目は行き届かない。
それでも、鈴仙を外に放り出したかった。それは何故か?
それは単に、○○とべたべたしたいだけだったからだ
鈴仙の方も、永琳がそういう邪な考えを持って。自分に外出の必要性を増やしたのは分かっていた。
分かっていて敢えて乗り込んでいたのだ。最早鈴仙は○○との触れ合い方においては、普通のやり方では満足出来なくなってしまっていたからだ。
騙し騙しで、自分の心中を押し殺しながら、望まざるやり方をするくらいならば。
真に求める物の為に、今は多少の我慢を必要とする時期だと。そう自分に言い聞かせていた。




背中に薬の詰まった箱を背負いながら。そっと服の内側に仕込んだ物を確認する。
ガサリと紙製の袋の感触が二つ。一方には多少の厚みがあるが、もう一方は薄っぺらかった
それらが鈴仙の手に伝わる。良かった、ちゃんとある。笑みなどは出さなかったが、安堵した。
厚みのある方はともかく、薄っぺらい方は袋の中身を手に入れるのに案外苦労した。しかも、苦労した方のが重要な意味を成していた。
無くしてしまったなどと言う情け無い結末だけはごめんだ。

いつも通りの装い、いつも通りの足取り。いつもと違う頭の中身。それらを持ってして、鈴仙は永遠亭から外に出た。


永琳は普段はまずやらない、鈴仙の見送りまで行っていた。それを経てからでなければ安心する事ができなかった。
心中はともかくとして、鈴仙はそのことに対しては特に何も言わなかった。
むしろ、見られるだけで済んでいるのならば、相当にマシな状況だとも考えていた。
「鈴仙、夕飯までに帰ってくるなら。多少遅くなっても構わないからね」
これは遠まわしに、夕飯時まで帰ってくるなと言われているに近かった。この種の言葉は大体毎回言われている。
言っている方も聞くとは思っていないだろうし。言われている方も聞く気は無かった。
それを見越しているのか、最近鈴仙が担ぐ薬の量が増えているような気がすると鈴仙は思っていたが。
多分気のせいではないのだろう。



鈴仙の姿が竹林の鬱蒼と茂る竹達に隠れて。完全に見えなくなった。
それをしっかりと確認してから、くるりと反転して、永琳は走り出した。
鈴仙を出来るだけ外に出しておけば、それだけ永琳は○○といれる時間が増える。
一分一秒でも無駄にしたくない為。全力で永遠亭の廊下を走り抜けた。
そのままある部屋の前で立ち止まり。戸を開け放ち、転がり込むと言った感じで部屋に入っていった。

そのままゴロンゴロンと転がり打ちながら。座椅子に疲れきった様子で腰掛ける○○の近くに、飛び込んでいった。
「もぉ・・・永琳ったら。○○は逃げたりなんかしないんだから。戸を閉める余裕くらいは持ちなさいな」
輝夜は、そんな奇天烈な動きに対しては。何も反応はしなかった、ただ開けっ放しの戸に対しての呆れを口にするだけ。

「戸を閉めるくらい、一分と掛からない作業量じゃないの」
わざわざ輝夜の方が立ち上がって戸を閉めに行っているが。
永琳はそんな自分の。行動から分かるように、いつもの上下関係をどこかに放り投げたままであった。


輝夜の私室に飛び込んで、○○の近くに飛び込むまでの動作には、とてつもない勢いがあった。
しかし、永琳は○○と自分の距離が目と鼻の先になった所で。ピタリと自分の体の勢いを押し止めて。
そこからは、花でも手折るかのようにゆっくりと、そしてやさしく。○○を抱き抱えていった。
勢いよく転がる永琳を見た時は。そのまま突っ込んで来てくれるかもと、期待してしまったが。
蓋を開ければ、いつも通りだった。永琳は輝夜の言いつけを頑なに守り通していた。
○○に対しては、精神的にも肉体的にも、絶対に苦痛を与えないと言う勅命を。

○○がぐったりとしているのは、体力的な問題ではなかった。
連日連夜の輝夜と寝床を共にしているが、輝夜は決して○○に無理はさせなかった。
だから、体力的には何も問題はなかった。問題は精神的な部分にあった。
先ほどの永琳よりも更に苛烈に。輝夜は○○に対して、過保護ともいえる位に可愛がり、優しくしていた。

最初の方こそ、虐めないと言う虐め方に対して。輝夜が柔和な表情を時折、崩してしまいそうに。
顔の端をピクピクと不自然につりあがらせていたのだったが。
徐々に表情筋の動かし方を心得て来たのか。今ではそんな眼に見える攻防は、ぱたりと無くなってしまった。
それさえあれば、○○はまだもう少しは元気でいることが出来た。もしかしたら、虐めてもらえないと言う虐め方に対しての開眼も出来たかもしれない。
この過剰なまでの優しさが、○○にとっては大層な毒として効いて来ているのだ。

きっと輝夜は、そんな○○の様子を見て。その柔和な笑顔の下で、大きな大きな興奮を抱えているはずなのに。
それが見えない事が、予想以上に○○には心労として襲い掛かってきていたのだ。



「鈴仙は、置き薬を配りに行ったみたいね。永琳の動きで分かるわ」
「ええ・・・大量の薬を持たせましたけど。正直いつ帰って来るか分からないので」
「まぁ、鈴仙は貴女に任せるわ。所で・・・・・・てゐの姿見なかった?」
鈴仙が何を考えているかは、悟り妖怪じゃあるまいし。もちろんの事、輝夜にも永琳にも、詳細な内容は分からなかった。
間違いなく正しいのは、まだ○○の被虐嗜好と戯れる事を諦めていないと言う事だけだった。

「いえ・・・朝食の席で見かけた以外は。今日はその後一度も」
「そぉ・・・あの子も考えていないはずが無いでしょうしねぇ・・・・・・まぁ私の目の届く範囲でやれる事は限られてるけど」
「良いんですか、姫様?てゐを一人にしておいて」
「私が何もしていないとでも?永琳」
「・・・・・・ですよねぇ」
実を言うと、永琳は少してゐの暗躍と頑張りに期待していた。
謀略向きの性格を持ったてゐならば、忍耐力もあるだろうし。○○の被虐嗜好を満足させる為に何かやってくれるのではないかと。
てゐが一人の時間が多いのであれば、謀略を煮詰めるのにも良いはずだ。
しかし、輝夜は。もう何かをてゐに向って放っていた。
それが分かってしまったから。永琳は少しばかりがっかりとしてしまった。
鈴仙を邪魔しているくせに、都合が良いとは思っていたが。これが正直な感想だった。


輝夜も永琳も。普段から鈴仙よりは、てゐのほうを警戒していた。
そのてゐに対しての大きな警戒心は。鈴仙に対しての、ある種の舐めにもつながっていた。
てゐと同じく鈴仙も、何かを考えているのは間違いなかったが。その何かはてゐと比べれば・・・
二人ともそう考えていた。それが鈴仙に対して、自由に動ける時間を与える事となっている。
特に、置き薬を里に配りに行く仕事は。鈴仙が行動を起こすには、この上ない機会であった。
それが何度もやってくるのだ。


永琳にボコボコにされて、多少頭の冷えていた鈴仙が。見逃すはずは無い。
しかも永琳は、鈴仙が夕飯時までは帰ってこなくても良いとまで考えている。時間的余裕が予想以上に鈴仙には与えられていた。
その貴重な時間を使い。今日鈴仙はある準備を行うことにした。



「で、お前は私の家で何をするつもりだったんだ?どうせ輝夜の命令だろ?素直に話せよ」
そのはずだったのだが。
「いや・・・それは、ちょっと。あと、出来れば私を見つけた事はですね。姫様の方には内密にしていただくと非常に嬉しいのですが」
鈴仙は当てを物の見事に外してしまっていた。
「分かった、黙っとくよ。だからさ、教えてよ。輝夜から何をしろって言われたの?」
藤原妹紅の自宅で。鈴仙は正座の体勢で、妹紅からの詰問を受けていた。

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最終更新:2012年05月18日 00:11