遭難同然で幻想郷に迷い込んだ時、飢えから死んでいた獣の肉を食べた。
それが自分にとっての『詰み』だったのを知ったのは、数日して人里に流れ着いた後の、里人の奇異の声から。

「半妖だ。」

数週間振りに覗いた鏡に映っていたのは、すっかり色の変わってしまった自分の髪と目。
人里での奇異の視線に耐えられず、隠れる様に林に構えた掘っ立て小屋で、根無し草な生活を始めて数か月が経っていた。

灰色がかった緑色の髪と、暗い深緑の瞳。
それと、妙な力。

それを持て余しながら、今日も死んだように生きている。






Spiegel von Hartmann -1.雨の日の邂逅-









その日は激しい雨が降っていた。

日雇いや何でも屋紛いの仕事をしての、その日暮らしの日々。
雨が降ると、ここでは大抵の仕事は中止になる。
やる事も無いが、食わなくても死ぬ訳でも無い。ただ呆然と寝転んで、ざあざあと連なる雨音に耳を傾けていた。

屋根を叩く音は、何時間経っても止む気配は無かった。


これからの生涯で、あと何回雨音を聴くのだろうかとふと考える。

あと何百年か、気の遠くなる程の時間が俺にはある。
事実なんてモノは実感が無ければあやふやに過ぎず、到底現実には達しない。
つまり、ただ「人で無くなった」と言う事象を突き付けられても、当の俺は、まだ受け入れ切れてはいないと言う事だ。

数百年、か。
それは一体、どんな感覚なのだろう。

ふと雨戸を開けて、能力を使ってみる。
半妖になった時に身に付いたこの力は、名付けるなら、『意識させる程度の能力』とでも言おうか。
平たく言えば、元来は見えないモノを自分に意識させる力。
例えば空気の流れだとか、部屋で無くしたモノだとか、そういう見えないモノを意識させる事が出来た。

「晴れ間は三日後か…長いな。」

この空気の流れだと、まだまだ長雨になるらしい。
だけど、大した話じゃない。強いて言えば、暇潰しに困るぐらいか。

今となっては、独りでいる方が気楽だ。
半人は他にもいるらしいが、そもそも育ちも環境も違う。別に同じ身の上だからと言って、何か輪を築ける訳じゃない。

外来人にして半妖な奴など、せいぜい俺ぐらいしかいないのだ。
仕方ない事なのだろうと、やがてそれもどうでもよくなって、いつしか考える事も止めた。

目を閉じると、心地良い雨音だけが胸に沁み入る。

雨音だけは、そんな宙ぶらりんな俺を許してくれる気がして。
その内うつらうつらと夢と現を行き来しながら、時間が過ぎるのを待っていた。


次の日も、相変わらず激しい雨だった。

厠で用を足し、手を洗い、また布団に潜る。
そうして目を閉じて、ただ時が過ぎるのを待つ。

“走る趣味も無い分、死体以下なのかもしれないな。”

そう考えてみて、乾いた笑いが浮かんだ。
世捨人とは、果たして捨てられた者か、それとも自ら捨てた者か。

俺は一体、どちらなのだろうな。
ああ、滑稽な話だ。考えるだけ無駄か。

この小屋には、センサーの様に俺の能力を張り巡らせてある。
何か異変があれば、すぐに俺はそいつを意識出来る仕組み。
だけどそうやって警戒をした所で、俺を襲う妖怪も、訪ねてくる人間もいない。

何でそんな無駄な事をしているのか問われれば…無意識に、何処かでまだ期待しているのだろう。

“まだ世界に関われる“と。
“自分は、独りでは無い”と。

自ら殻に閉じこもる様に生きている癖に、お笑い草だ。

まだ棄てられないのか、人を。
まだ成り切れないのか、妖怪にも。

今日もまた、じっと目を綴じる。

“…気配?”

その時だった。
確かに能力が反応したのを感じた俺は、布団の隙間からこっそりとその方向に目を向ける。
ぽたぽたと、外の激しい雨とは違う水音。
それは玄関に立つ影から聴こえる、濡れた服から零れる雫の音だ。

“雨宿りか?いや、でもおかしいな…。”

薄暗い部屋の中で、その影の正体を確かめてみようとする。
いつもは対象を肉眼で確認出来た瞬間、俺の能力は自動的にオフになる。
しかし、そいつを肉眼に収めても、今は能力が切れる事は無かった。

今ここにいるのは、何か見えざるモノ、と言う事か。
妖怪?いや、幽霊か?
話も出来ない奴なら勘弁願いたい所だが。

見た所、子供の様だ。
黒い帽子を目深に被っていて、どんな顔をしているかは伺えない。
妙な線が肩や脚に伸びていて、その先は胸元の球体に繋がっていた。

妖怪か…だけど、あんな特徴のは聞いた事は無いな。
能力が切れないのは気掛かりだが、廃屋と勘違いされたままなのも癪だ。雨足が弱まったら、早々に出て行って貰おうか。

布団から這い出して近付いてみるが、特に気付く様子は無い。
…いや、気付かないフリをしてる、が正解か。ちらちらとこちらを見てはいる。
何なんだ、こいつは…。

「お嬢ちゃん、残念だが、ここは見ての通り俺が住んでる。空き家じゃないぞ。」
「……?」

びくりと肩が震えたかと思うと、酷く怯えた様子で子供はこちらを見て来た。
気付いてた筈だろうに、一体…。

「あなたは…私が見えるの?」
「何を言ってるんだ?さっきから君はここにいるだろ。」
「………。」

そう返すと、子供は俯いてしまった。
よく解らない子だな。怯えている様子を見ると、どうにも罪悪感に駆られる。

「……?」

腰に衝撃が走ったかと思えば、どうやら子供に抱き着かれたようだった。
相当に雨に打たれていたらしく、俺の服にも水分が沁みて行く。
…このまま放り出すのも、気が引けるか。

「まあ、話したくないならいいさ。取り敢えず、今は服を乾かして休んだ方がいい。君にはぶかぶかだが、俺の服ならあるしな。
だからまずは離れてくれ。」
「…うん。」

相変わらず、外は激しい雨だ。

子供を着替えさせて、肩に毛布を掛けてはやったが…さて、どうしたモノか。
さっきから本当に何も言わない。

じっとこっちを見たまま、何かを考えているみたいだ。
見た限りこの子は妖怪らしいが、やはり半妖は珍しいのだろうか。
或いは、ただの人見知りか。

何にせよ、雨が弱まるまでは面倒を見るしかないか…。

「ねえ。」
「どうした?」
「髪、お揃いだね。」

ああ、そう言えばそうか。気付いてなかったが。

半妖になった時から、俺の髪の3分の2は薄緑だ。
灰色がかった、なんとも形容し難い緑。…最後に切ったのは、確かまだ人間だった頃か。

子供の胸元の球体を見ると、瞼の様な切れ目が入っている。
そして開かないようにする為か、その切れ目は糸で縫い付けられていた。

位置にしても、まるで綴じた心みたいだな。
会話もロクに交わしていないのに、何故だか鏡でも見ている気分になる。

「でも、お揃いなのは髪だけじゃないよ。」
「…何がだ?」
「あなたの無意識は、私と一緒。ひとりぼっちでさびしんぼう。」
「………。」

背中に汗が伝うのを感じた。
不思議な子だな…たった一瞬で、何故か奥底を見透かされてしまった気分になる。
…きっと慣れない来客で疲れているんだ。眠ってしまおうか。

「そうかもしれないな…まあいい、俺は少し眠るとするよ。
もう少ししたら服も乾くだろう、傘は勝手に持って行って構わないから、早めに帰る事だな。」
「………。」

それだけ言って、俺は独り布団に潜り込んだ。
これ以上話をしていると、全てを見透かされてしまいそうな気がして。
切れてはくれない能力が、否応無しにこの子の存在を告げて、それでも固く目を閉ざした。

そうして世界から逃げていると、一瞬背中を撫ぜた冷気と、小さなぬくもりが絡み付いて来たのが解る。
布団に入ってきたのか…どうしたものか。

「どうしたんだ?俺が悪い大人だったら大変だぞ?」
「触れても解るのね、私の事は。」
「まあ、君は実際にここにいるからな。俺に見えないモノなんて、他人の心ぐらいだ。」
「そう…でも、心なんて見えない方が良いよ。」
「…そうだな。」

確かに、この子はここにいる。
肩に掛かる吐息も、しがみ付く腕も、実際の感触としてあるのだから。
…何故、そんな当たり前の事を訊くのだろう?

「君は一体…。」
「私?私はこいしだよ。古明地こいし。
ねえねえ、お兄さんは誰なの?」

誰、か。
まともに名乗った事なんて、幻想郷に来てからは無かったっけな。

「俺は○○だ。見ての通りの半妖さ。」
「ふうん、良い名前ね。」

そう返事が聴こえたかと思えば、こいしは一度するりと布団から抜け出して、今度は俺の胸元側へと潜り込んで来た。
嬉しそうに、何か探し物でも見付けたみたいに、胸元にしがみ付いて離れようとしない。
それはうっとおしくもあるが、何処か悪くはないとも感じている自分がいた。

“気に入られてしまったらしいな…まあ、良いか。”

片腕で腕枕を作って、残った腕で抱え込みながら頭を撫でてやると、こいしは目を細め、更に強く抱き付いて来た。
くすぐったさはあるが、それ以上に眠い。
彼女が何者なのかとか、自分が何者なのかとかは、今はもうどうでも良かった。

心地良い雨音と、リズムを刻む彼女の寝息が、ただ耳に響いて。
その内それも遠くなって、俺もいつしか眠りに落ちた。





_________やっとみつけた。『わたし』がみえるひと。





案の定、本日も雨天なり。
無駄に正確な自分の能力を、時々恨めしく思う。

掘っ立て小屋な以上雨漏りも心配だが、それ以上に溜息の元になっているのは…。

「どうしたの?」

こいしだ。
目覚めた時からさも当然と言わんばかりに同じ布団の中にいて、正午を回ってからも、未だに家に居付いていた。

「はあ…いや、ちょっとな。…なあ、お前は何処から来たんだ?」
「私?私は地底から来たよ。だけどおうちはつまんないから、いつもこうやってふらふらしてるの。
だって、誰も私が見えないんだもの、悪戯し放題じゃない?それはもう、恋い焦がれる様な殺戮の嵐よ!!」

昨日は気付かなかったが、起きてから解った事がある。
こいしは、何処かネジが外れていると言う事。

さっきから言葉の端々に支離滅裂さが見て取れるし、「朝ご飯だよ。」と喰えないぐらいバラバラになった狸や小鹿を引きづって来た時はさすがに引いた。
地底の噂は聞いた事があるが、こんなトんでる奴らの溜り場かと思うと、ゾッとしなかった。

「まあ、お前が何を殺そうと俺の知った事じゃないが、俺を殺すのは勘弁してくれよ?痛いのは嫌なんでな。」
「えへへ、だけどお兄さんの無意識は死にたがってるよ?寂しい、寂しい、ってずっと泣いてる。」

胸に何か小さな痛みを感じる。
こいしは俺の前に現れた時から、時々ぎょっとする事を言う。

…無意識か。
妖怪にしろ半妖にしろ、大抵の人外は何かしら能力を持っている。
こいしも例外ではないなら、その能力は…。

「こいし。お前も何か能力があるのか?」
「んー、私は無意識を操る力、かな。だから誰にも見えないし、聴こえないの。私に触っても誰も解らないの。」

だから、か。
『意識する』力を持つ俺にこいしが見えるのも、俺の隠したい心理が見えているのも。
鏡を見ている様な感覚の正体は、こいしのこの特性なのか、それとも。

「ほんとはね、私は覚妖怪なんだ。心を読むの。
だけどね、皆胸の中は汚いから、怖いから…お目々を縫っちゃった!!きゃははははははは!!!
だってそうでしょう!?こうしちゃえば、汚いモノは何にも見ないで済むもの!!!!」
「……!!!」

殺される。

そう切り出したこいしの高笑いを聴いた時、直感が悲鳴を上げた。
憎悪だとか悲哀だとか、片っ端から掻き混ぜてぐちゃぐちゃにした様な笑い声が、心臓の鼓動を速める。

両手を掲げ、くるくると楽しそうに壊れながら回る。
翻るスカートが、揺れる髪が、その高い声を彩る様に舞う。
胸の球体は、びくりびくりと痙攣しながら、必死にその瞼を開けようとしている様に蠢く。

気圧されていた。
恐怖していた。
歯がカチカチと頭蓋骨に響き、動悸から呼吸が乱れ、不足した酸素が脳髄から視界を揺らす。

いつの間にか、俺はしゃがみ込んでいた。
不意に頬に小さな手が触れると、そのままくいっと前に向きなおされる。

薄い翡翠色の、吸い込まれそうな瞳。

それが俺の深緑の瞳と合うと、こいしはさっきまでの異様な空気が嘘の様に、儚げに微笑んだ。

「…でもね、ひとりぼっちはやっぱりさびしいの。
そうやってお目々を縫ったら、大好きなお姉ちゃんもあんまり私に気付いてくれなくなっちゃった。
お兄さんは、いつでも私が見えるよね?私が触っても解るよね?
だから…少しの間だけ、私と一緒にいてくれないかな?ねえ、お願い?」

さっきまでの恐怖は、気付けば潮が引くかの如く引いていた。

目の前にいるのは、狂人から、現実から逃げてばかりのか弱い少女に変わっていて。
その急激な変化に茫然としてしまった俺は、ただ黙ってその『お願い』を受け入れる事しか出来なかった。

突然現れ、そして少しずつ、こいしが俺の中に侵食し始めるのを感じながら。






______ずっとほしかったの。はなさないよ。はなれないよ。







続く 





タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2012年07月17日 01:40