幻想の繭
上下の認識を失う感覚。体全体が奇妙な浮遊感に包まれている。
辺りは完全な暗闇で、目を閉じているのか、それとも開いているのかさえ分からなくなってくる。
空がない。地面がない。壁がない。
まるで深海の底でゆらゆらと揺れているかのような錯覚がした。
それなのに、その場所にはあるものが存在した。
………それは、目だ。
紅色の赤子の目。幼い子供の目。ギラついた若者の目。年老いた老人の目。
こちらを窺う獣の目。獲物を狙う鳥の目。どろりと濁った嫌悪感を抱かせる黒色の目。見えない怪物の緑色の目
そこには埋め尽くすように複数の眼がぎょろぎょろと蠢いていたのだ。それが全て、自分を、見つめてくる。
怖い。怖い。……そしてとてつもなく恐ろしい。
私はここから抜け出すためにもがこうとした。抗おうとした。暴れようとした。
だがそれを何度繰り返しても無駄だった。無理だった。できなかった。
そしてその度に、私の全身を無力感と倦怠感が襲ってくるのだ。
自分が自分でなくなるような、自分の意識が塗り潰されるような……。
頭の中に空白が広がって、全てがどうでもよくなってくる。溶けてしまう。
人ごみの中で突如として自分一人だけが切り離され、白昼夢へと放り込まれてしまったかのようだ。
そんな朦朧とした意識の中で、見えてくる……聞こえてくるモノがある。
それは今、私に呼びかけ続けているのだろうか? それとも単に私の記憶を再生しているだけなのだろうか?
……しかし、その言葉は、はっきりと私の頭に響いてくるのだ。
「……おはようございます、○○様」
どこか不機嫌そうな、自分の意志を押し殺したかのような声。顔を横に向けると、そこには見事な美貌を持った金髪の女性がいた。
……瞼を刺激する朝の日差しが寝ぼけ半分だった脳を覚醒させてくる。
「あ、おはようございます。…わざわざすいません、藍さん」
今日は少し目覚めがよくなかったようだ。何か、変な夢を見ていた気がする。
「…………いえ、いつものことですから。朝食はすでに出来ています」
必要なことは済んだとばかりに、形だけぺこりと頭を下げた後、藍さんが部屋を出ていこうとする。
そんな彼女に声をかけた。
「そうだ、
メリーはもう起きてますか?」
「…………。」
少しの沈黙が続いた。……なんだかとても不機嫌そうに見える。具合でも悪いのだろうか?
「…………ええ、“紫様”なら、すでにお起きになられています。聞きたいことはそれだけですか?」
「そうですか。だったらいいです」
朝食が冷める前に行きますよ。そう言いきる前に、藍さんは部屋を出ていってしまっていた。
…どうも、自分は彼女に嫌われているようだ。思わずため息が出てしまう。
「おはようメリー」
「あら、今日は遅かったのね。………ねぇ、○○。今日は何処へ出かけましょうか?」
最終更新:2012年08月05日 14:26