幻想郷に住み始めた○○に訪れる二度目の満月だった。
夜風に草木が羽音を鳴らす夜。
歴史が新たに紡がれ、幻想の地に潜む妖怪は月に吼える。
吸血鬼にとっても実に本能に心を委ねることが至上とされる。
「うおっほぅ、さぁむ~ぅい…」
まだ残暑とはいえ幻想郷の夜は薄ら寒い。
紅美鈴はそっと裏口の扉を閉じる。
寝つけるはずがなく、胸の高鳴りを鎮めるために夜風に浸りに外を歩いている。
ただ、敷地内とはいえ夜に出向くのは妖怪ぐらい。
門が閉ざされきったこの館の外は危険なはずだ。
「!?え、こんな所でどうしたの…?」
なのに彼は眠っていた。
煉瓦造りの壁を背もたれに堕ちて行くように背中を丸めて眠っていた。
同僚の咲夜から事情を聞いてはいたが、偏屈な所で眠り扱けているのはおかしい。
力なくか細い腕が震える自身の背中を抱きしめ震えている。
「泣いてる…」
手は大いなる苦悩と闘うと見ゆ、その姿見て我が心おののきたり。
美鈴は少しとまどったが、すぐに悲しくも察してしまった。
館の中を恐れていたからここにいることに。
けれど自分だけが知っている、誰に心を開いているかを。
二度目に出会ったあの日から彼とは友達になった……でいいのだろうか。
最初はどうであれ今は打ち解けているから良い。
あの時はどれだけ勇気を振り絞ったのか。
自分はその勇気を何と受け取ったか。
だったらこれが答え。
起こさないようにゆっくりと彼の隣に腰を下ろし、うずくまる彼に覆い被さるように寄り添う。
まだ黒くてツヤのある髪を擦り抜け頭を撫でて遣る。
いつかの誰かにそうしたように。
彼女は温もりを覚えているかは分からないが今は毅然とお嬢様に仕えている身なのだろう。
きっと○○も彼女のように立派になることを願って。
身体を傾けて彼女に差し出す○○は穏やかに吐息をたてて子供のようだった。
だらんと下がる彼の頭を肩まで抱き寄せると自分まで温かい。
頭から離れなかった悲想と怯えを拭い去って、どうか今だけは。
どうか今だけは安らかに眠れるひと時ありますように。
「今はお休みなさい、○○君」
猛きを秘める妖の胸に包まれ、幾夜をここに悩み過ごせし。
十六夜の月も、次の満月の前夜も何も知らない彼はそこで沈み込んでいた。
二人だけが互いに寄り添う夜が暫く続いた。
しかし、いつしか満月が来ても彼はもう来なかった。
来る夜も美鈴は裏庭にやって来て、期待しては肩を落とす。
当の○○は何事もなく館の中で過ごしている。
丁度それは彼の肌と髪の色を失い始めた頃だった。
今日も陽が沈む、門の前に立っている傍ら美鈴は両腕がやけに軽く感じられた。
忘れられた安らぎは彼女と夜空しか知らない。
「我が悩み、まねびかえすや、か…」
○○の部屋―――
とある夜。
マスターキーを捻り、メイド長は中を一瞥する。
今の○○の部屋は真下が図書館のエントランスの位置にあたる。
扉は一面にルーン文字の羅列が血走っている。
この時間ではまだ○○はいない。
中は紅魔館でよく見られる家具やベッド。
こまめに掃除してあるのか部屋は綺麗に片づいていた。
自分が贈った置物がちゃんと本棚に飾ってあって少し笑みが綻んだ。
特に異常な様子は見られない。
平常通りの風景に安堵し、そっと閉め直す。
ただ、部屋を与えられてからカーテンは一度も開いた様子はない。
その点は気がかりだがこの部屋には用はない。
彼が来て初めての満月の夜は二度と思い出したくない。
自室に向かおうと通りかかった○○の部屋。
扉が施錠されておらず微かに開いていた。
だらしがないと呆れ返り、扉を閉めなおそうとする。
すると、ふと違和感を感じる。
やけに重い扉の隙間から僅かばかりか奇妙な軋みと微光の直線が漏れていた。
恐る恐る覗いてみる。
そこには黒い影が○○の上を覆い被さっている姿が見えた。
咲夜の顔が思わず赤くなり、沸騰しそうになった。
どこかで見覚えのあるけど、余りにも暗くて何も分からない。
○○に激しく欲情している誰か。
耳ではない何処かの奥底で、咲夜は聞き届けた。
“はぁ…あ…○…、○…ぅ…っ!”
ベッドが軋みを上げ、粘液がうねるような生々しい音が頭の中に響く。
組み伏せられる○○は悲鳴にすらならない首を絞めたような情けない声を捻り出していた。
苦悶と恍惚で二つの吐息が乱れる。
そして黒い影を纏った人の形が○○の顔に迫り…
「やめなさい!」
見ていられなくて、思わず乱暴に扉を手で押しのけた。
しかし入ってみても誰もいなかった。
ただ○○の安らかな寝息だけが静かにさえずるだけ。
今の光景は何だったのか。
咲夜は目を丸くして唖然とした。
幻視?運命?それともフラッシュバック?
ともかく今部屋の中で見えている○○は無事だった。
咲夜は溜め息を吐いて…、それから気づいてしまった。
咄嗟のこととはいえ○○の身を心配していた、そして無事だと分かると安心した。
いつの間にか彼を気遣っている事に。
たった一人の男のために必死になるなんてばつが悪いと咲夜は慌てふためいた。
そして思わず再沸騰した赤面を冷ます勢いで部屋を去ったのだ。
十六夜咲夜はちょっと考え込みがちで責任感が強い。
故にメイド長という立場上、○○の前では敢えて冷酷になり、毅然とした態度をとっていた。
その一方で○○の部屋を訪ね、身の安全を気遣うようになっていた。
もう彼を案ずる気持ちを恥ずかしく思ってはいない。
けれど、今はあの最悪な出会いを思い返すとどうにも心苦しい。
永遠亭に胃薬を処方して貰うかと冗談を呟く。
その度に一人の部下との付き合い方に悩んでいるのだ。
彼女も○○に心から信頼を寄せられる自分でありたいと願っている。
しかし本来の洒落た親交の一面を上手く引き出せず、○○に瀟洒のイメージを持たれなかったのは致命的だった。
地位を得た○○には未だ堅苦しい言葉遣いで相手にされることが多く、気が重くなる。
「はぁ、咲夜殿……か」
正直公衆の面前でこう呼ばれたらどう反応したらいいか。
人里の中心で大声でそう呼びとめられる光景を想像してみると。
どこか恥ずかしく、痛々しくて痒くなる。
「私も、○○殿って呼んでみようかな…なんてね」
図書館―――
ベキっ!ガタンッ!
「ううううぅぅぅぅぅーーー!!」
突然、
レミリアの座っていた椅子の脚が折れて崩れてしまった。
柄にもなく椅子から転げ落ちてしまう。
半べそかいて立ち上がろうとする主人に咲夜は取り乱して支えようとした。
「お嬢様、大丈夫ですか!?」
「痛っ…代わりの椅子を」
予想外のアクシデントが起こっても時間は刻々と過ぎていく。
親友の隣に相席し暇を潰すレミリア。
パチュリーは相変わらず本から目を放さない、一時でも活字から離れるのがもったいないと言わんばかりに。
側にいる咲夜が淹れる紅茶の匂いにそそられる。
二人の織り成す倦怠感がなければの話だが。
先程の事故も何か不吉なことの前触れなのだろうか。
流石の咲夜には少しばかり窮屈な空気だったので礼を交えて一時退出を申し出た。
そのサインを受けレミリアは許可を取り、従者が一瞬のうちに消え去るのを見届けた。
先程すれ違ったがどうにもレミリアと咲夜二人には違和感だけが残った。
どこか落ち着かなくおどおどしているみたいで、周囲の気配に気を張り詰めているようだった。
辺りを見渡しても飾りつけられた彫像や花瓶くらい。
○○の人形がこまめに掃除しているおかげで埃一つない。
ただ、そこまで綺麗にしておく必要があるのか。
何故か必要以上に整備してあるような気がしてならない。
それに人形が掃除の度に持ち出す工具か何かが異様に目につく。
けれど確証を得られるまで疑念は空虚な想像とは何も変わらない。
とりあえずパチュリーは幾つかの他愛無い推測を保留しておく。
「私じゃどうとは言えないわ」
私からも調べておくと加え、厚手の本から目を放さず淡白に返しておく。
考えすぎか、レミリアはそう結論づけて返事を受け取り溜め息を漏らす。
あの小動物がアタフタしているのは日常茶飯事かと割り切っておくことにする。
「それより、○○の方はどうかしら」
「結構弾幕の見極めには筋が良いわね、私のスペルを幾つか模倣する程に。
レミィに稽古つけてもらっても問題ないわ」
「この私と?冗談じゃないわよ、せいぜい譲歩して咲夜とならいいかもね。
いや、美鈴でもいいわね。結構二人は大親友みたいだし」
「…………」
一瞬、厚手の本を下に傾け横目にちらりと覗かせる。
それは突き刺すように。
弟子が軟弱なのは事実だが、一応自身の教育の賜物であるのは否めない。
ただ、少し自分が笑われた気がしてむっとした。
どうして○○の事で胸が熱くなったのだろう。
あの軽口ならどうってこともないのに。
当のレミィは気だるそうに目線を落として手に取ったカップを見つめている。
「どうしたの?さっきからカップを眺めてて」
「彼の、血…」
「○○がどうかした?」
少し語気を強めて問う。
本の縁を押さえる手は小刻みに揺れていた。
普段大人しいはずのパチュリーに少し違和感を覚えながらもレミリアは言葉を続ける。
その口調を悪戯っぽく尖らせ嫌味に笑う。
「なぁに、健康食じゃ物足りないわ。偶にはジャンクフードで舌を刺激してみたいわね」
レミリアは得意気に冗談を弾ませる。
そう、単なる冗談のつもりで。
「例えば…、○○の血とか?」
「………!」
ガタンッ
背筋が雷光に撃たれたようにパチュリーは椅子を跳ね飛ばす。
肩がわなわなと震え、目は血走っていた。
あまりの豹変にレミリアは豆鉄砲を食らったかのように面食らった。
「パチェ!?どうかし……えと、」
「あっ、え…、あぁ…気にしないで…」
気がついたパチュリーはどうにか平静を取り繕い席に着く。
静かな灯火が少し荒れた瞳は竹馬の友を見つめる。
未だ捨てきれぬ親友への情念か新たに芽生えた弟子への複雑な恋情か。
どちらが大きいのかは量れない。
ただ彼女には理解している。
魔女の胸中ではその二つ拮抗していたことに。
そして親友のレミリアの思惑に懐疑の視線を織り交ぜる。
自分の想っている人物が吸血鬼の快楽的刺激の対象と見られているのには黙っていられない。
灯火から溢れる黒煙は魔女の瞳にたちこめる。
二人の意図の縺れに運命が呻きをあげていることを誰も知らない。
恐らく紅い月を湛える吸血鬼本人にも。
そして魔女は口元を歪ませて呟く。
「勝手な真似は許さない、溜まった膿は出しきらねば」
紅魔館中庭―――
日が傾いてきたが、まだ夕日が一段と明るく、空を橙色に染めている。
先刻の事故で咄嗟に気まずくなって出て行ってしまったが、多分問題ない。
取り乱す自分を鼻と一緒におさえて咲夜は気分転換に中庭に出向いていた。
誠実な門番が丹念に手入れしてきたためいつ見ても飽きは来ない。
噂をすればと、何度も目にした後姿に声をかける。
「ご機嫌よう、美鈴」
「咲夜さん…」
どこか浮かない表情だった。
少しの感情の軋みから何を思っているかを読み取った。
咲夜には分かっていた。
「単刀直入に聞くけど、今思ってるのは○○のことでしょう?」
「え、何でそれを…」
「私は、お嬢様やパチュリー様が彼を想うならそれで良い。
妹様から話を聞いたわ、○○が私達を避けているって。
けど美鈴は違うじゃない、その点どうなの?」
「どうなのって…」
「貴女、○○にはこのまま一緒に暮らして欲しいのでしょう?“ずっと”」
最後の一言だけを強めて咲夜は尋ねる。
美鈴はビクッと震えた。
その驚愕が伝わり瞳は揺れている。
見られるのが億劫になり首を下に傾けることで視線を逸らす。
「咲夜さん…どうして」
「私には○○とのわだかまりが目に余るのよ。
あいつ、妹様に殴られてもなお強情を張るつもりなのかしら」
皮肉の笑みを浮かべ、懐にしまってあるナイフのように視線を研ぎ澄ませ。
俯いて歯を軋ませる美鈴は必死に浮かぶ涙を堪えた。
「本当は、ご家族のことを心配する彼の気持ちが痛いほどに分かります。
けどそんなの途方もなく塞ぎ込んでるだけですよ。
彼には私達を受け入れて欲しいのです。前を見なきゃ苦しいままなのに」
一呼吸おいて、自分にも言い聞かせるように問い掛ける。
薄ら寒く振るえ、作り笑いを張りつけて。
「私、愚かですよね?○○に外を諦めてって願うなんて…、まるで呪ってるみたいですよ」
「さあね…、けど既に気づいてたりしてね」
否定しないというのが答えか、そう咲夜は合点して嘆息する。
黄昏ている二人の影が一層伸びていく。
このまま日没になるまで佇むのかと思われた。
「ねぇ、貴方はどうかしら」
ふと何の前触れもなく問いかける、しかし美鈴にではない。
咲夜には盗み聞きしている者の存在に気づいていた。
知っていたからこそ話を切り出したのだ。
突然誰に話しかけたんだと焦燥に駆られ美鈴は辺りを見回す。
そして驚愕した。
「○○」
美鈴は振り返って目を疑う。
そこに立っていたのは紛れもない。
今ここにいるお嬢様に似た薄紫の、されどツヤのない髪。
あのときまで寄り添って夜を明かした…
「美、鈴…、ど…の…?」
「聞いてたのですか…○○…」
しばし声も出ず唖然としていた。
咲夜は横目に細め呆気にとられ真っ白になった○○を睨みつける。
潮時か。
いつかはこうなると予感していた。
しかしこれは好機なのだろう、全てのわだかまりを解くのに絶好の。
不敵に笑い、懐中時計を手に取り覗き込む。
烏天狗も真っ直ぐに家に帰る時間だ。
そろそろ戻らないと、少し煤けたように黒い笑みを綻ばせて咲夜は一礼する。
「この辺でお暇するわ。腹を決めなさいよね、“○○殿”」
咲夜は踵を返して、逃げるように一瞬のうちに消えていった。
そして後には気まずくなった二人だけが取り残された。
見ていられなくなって美鈴は潤う目を逸らす。
○○には信じられなかった。
信頼を寄せる彼女から突き放したように辛辣な言葉を聞かされるとは。
まだ外の家族が生きていると信じていることが果たして現実逃避なのか。
いつも支えてくれたのに、辛い目に遭う度に優しく慰めてくれたのに。
すぐさま美鈴に詰め寄る。
服の襟に爪を痛いほどに食い込ませて放さない。
心なしか○○は目に涙を溜め込んでいた。
「美鈴殿、今のは…否定してください!…、私には…捨てきれません…!」
「○○…、ごめんなさい…」
光が入ってこない窓から外を覗く者が一人。
そこには青年が偉い見幕で門番に詰め寄っている。
そして門番が耐え切れず彼の手を振り払い走り去っていく光景が映っていた。
残された○○の方は払い除けられた手を大事そうに撫でていた。
レミリアはただ悲しそうに見つめた。
身内の不仲は黙って見過ごせるような問題ではない。
けれど心が痛む中で何かが疼く。
今暫く何故かこの二人の不和を楽しそうに見つめているような気がした。
彼女の中で美鈴を恨めしく思う自分がいると。
無意識に手の平を強く丸め、邪悪な喜びを捻じ伏せる。
当主たる者が従者に焼餅焼くのは情けないと、理性にしがみつく。
けれどもし、その気持ちに正直になったとしたらどうしてたか。
これ以上見てると想像してしまうと思い、レミリアはカーテンをゆっくりと閉じた。
紅魔館当主の部屋―――
「少し、大人気なかったか…」
数日後、雲が掛かったある午後の低気圧。
どことなく憂鬱なレミリア・スカーレットは一人物思いに耽る。
紅茶が喉を通らず、器が少し冷めていた。
今思っているのは○○のことだ。
まだ捨虫と捨食の法は施されていないが筋金入りの魔法使い。
人間の身であるため血は飲むには充分だ。
「どこも濁っていない、綺麗な…」
彼の血肉は穢れている、だからこそ自分はこの味を求めていた。
普通の血は確かに美味しいけどそれだけで満足できる訳がなかった。
対して○○の血は深みのある熟れた味わいだ。
飲み干すと同時に自分を犯してしまうような性的興奮へのカタルシスを覚える。
そう考えるだけで舌が渇いていき、身体が熱くなってしまう。
まだだ、未だに満たされていない。
たった一人の人間の存在でレミリアの胸中は揺れ動いている。
彼は魔法に才能がある程度のただの人間で、取るに足らない玩具だと思っていた。
けれどそんな隔たりが徐々に薄れていった。
主観から見るに、彼は生真面目で誠実な青年。
一方で飼い主に似た狗なのか、よそ者に対しては自信家な一面を見せる根っからの小心者。
だが身内には一歩引いた謙遜な態度の彼を嫌う者を見たことがない。
それに美鈴とはかなり仲が良いし、フランによくせがまれる。
咲夜とはまた違った方向で人間味溢れる魅力があってのことか。
レミリアにとって彼の存在が大きくなっていた。
何故○○に拘るのか自分でも分からなかった。
今分かるのは咲夜と同じように忠実な従者として愛したいこと。
「血を得るにはまず心を得ねば」
ただ必死に名目を探すことにはもう飽いた。
○○から真意を問いただそう。
例え自分を憎んでいたとしても彼を責めまい。
門番の美鈴と恋仲だったとしても構わない、どちらにしろ従者として愛することは変わらない。
そのうえで彼を改めて家族に受け入れることを宣言しよう。
目の色を変えて○○を呼びつけるよう命じる。
「咲夜、すぐに卿を呼びなさい」
「はい。直ちに」
ただ、もし彼が直々に外に帰りたいと言ったら?
彼女はまだ考慮していなかった、いや思考からはずしていた。
だがいつまで強がっていられる?
まだ不安の糸は何重にも絡み合っている。
そっと目を閉じる。
ストロボに映えるフラッシュバック。
同じ従者であるはずの咲夜が○○を斬り殺そうとしてるシーン。
親友であるはずのパチェが○○を魔方陣の上で掻き消すシーン。
当の○○の運命は何も至って平常で、ただ淡々と人形と一緒に雑務をこなしていた。
だがある時から暗闇になる。
彼の運命を見るには見るにはここが限界だ。
少し後とか何年後とか大まかな時間経過は見えても、細かい時間設定は出来ない。
運命の死角で何か起こっているのかどうにも歯がゆい。
そう焦燥の炎がじりじりと彼女の不安を伝って黒鉛に染め上げる。
何か不可解だ。
同時刻、紅魔館正門―――
美鈴は黒い影を視界の端から捉えるや否やすぐに身構えた。
遠くの影となんら変わらない白黒。
性懲りも無くと内心毒づく。
ただ、
魔理沙には既に何度も負けて門を明け渡していた。
その度に咲夜に助けてもらい、パチュリーには幾つか小言を承っていた。
前回に至っては代わりに後輩(?)の○○が魔理沙を撃退する始末。
これ以上○○に情けない姿を見せるわけにはいかない。
故に立ち塞がる。
「なんだ?あんたには用はない、○○はいないのか?」
「何の用です」
「やっと秘策が完成したんでな、あいつに会わせてもらうぜ」
「侵入者風情に私の○○と会わせる気はありません」
「えっ、私の……!?ハハァ、あんな色惚けで偉そうな奴に惚れてんのかよ!」
ヒューと口笛利かして囃したてる。
箒を肩に担がせ、魔理沙は上機嫌に笑った。
美鈴には耳障りな野次でしかなかった。
「黙りなさい、○○を笑うのならばその口を塞いでやるまで」
「…たく、受付嬢がこうも念仏を聞かないんじゃあな!」
「じゃじゃ馬はそっちだろうッ!」
口火を切って拳を構える。
勝負を受けるように魔理沙のスペルカード一枚目が引かれる。
親指で下を支えるようにカードの両縁を押さえ、パチンと弾かせるように裏返す。
「開幕はこれだ、恋符ッ!ノンディレクショナルレーザー!」
所狭しと敷き詰められる弾幕に目移りする。
とても避けきれる量と質ではない。
美鈴は思わず目を閉じる。
瞼の裏には自分が負ける姿が、当主の見るような運命が見えてくる。
ジンクスに気負いしていた。
(私じゃやっぱり魔理沙には勝てない、このままだと…○○を守れない、…そんなの…嫌だ…!)
避けれない、そう敗北を覚悟したとき、異変が起こった。
突然レーザー弾幕が弾かれる。
不穏な空気を嗅ぎつけた魔理沙は一歩飛びのく。
何者かの声が頭に響く。
『指環奪いし者呪を招き災厄に堕ちる、故に我が指環こそ汝の死神なり』
瞬間、美鈴から殺気が体中から無尽にあふれ出す。
血のように赤く、影のように黒い妖気が電流を弾かせる。
辺り一面の空気が震え上がり、草木は残らず不穏に泣き叫んだ。
魔理沙は飲み込まれないようになんとか足を踏み直す。
「おいおい…冗談だろ!?」
強張る目が捉えたのは、妖怪と言うには語意が軽すぎる化け物。
その凶悪で残忍な瞳が満月の狂気に研ぎ澄まされ、黒白の少女を睨みつけている。
命の灯火が一気に燃え盛り、とてつもない力が溢れ出てきたようだった。
美鈴自身は身体が軽くなり頭の中がクリアに透き通ったような高揚感に包まれていた。
ただ、本能が何かを必死で訴えている。
絶大なる力が自身から引きずり出されたような感覚は一体何なのか。
その裏に妙な胸騒ぎが彼女の鼓動を駆り立てていた。
「この力、私の物なの…?」
紅美鈴も、霧雨魔理沙も気づいていない。
この力の解放は打ち上げ花火のような輝きであることに。
火薬がじりじりと燃え尽きていくことを知らない美鈴は、気の勢いに乗って弾幕を放った。
魔理沙も負けじと星の欠片を散りばめる。
しかし、数も重さも美鈴の方が優っていた。
形勢を盤上ごと裏返す勇猛な彼女は負けてなどいられない。
ただ大切な人を守りたい一心が魔理沙を圧倒していた。
紅魔館当主レミリアの部屋―――
「幻想郷で最も偉大な者は誰だと思う?」
部屋にはレミリアと○○の二人だけ。
レミリアはまず意地悪そうに笑い、問い掛けをしてみる。
○○は呆気にとられ口ごもる。
「え?さ、さあ…分かりません。若輩者の私にとってはいずれも大差ありません」
「フン、案外媚びないのね」
「無礼を申しました…お、お許しを、お嬢様…!」
「ウフフ…気にしなくていいわ。勿論、幻想郷一は誰にも譲りたくないけど」
この戯言のために当主がわざわざ自室に招いたのではないのは察することが出来る。
しかし何の用で呼び出したのだろうか。
心当たりのない○○の手は冷や汗を握り締めていた。
本来の目的に備えて、レミリアは真剣な表情に切り替えた。
「用があるのは他でもない。今のとは別に聞きたいことがあってね」
「何でしょうか」
「どうして私達を避ける?」
「な……?」
思わず声が裏返った。
既に主のレミリアには見透かされていた。
責めるでも非難するでもなくただ凛と問いかける。
「パチェも妹も、みな貴方を受け入れるつもりではいる。
ただ、我々は卿へどう歩み寄ればいいのか決めあぐねているんだ。
貴方の命を預かる主として、知る権利も義務もある」
「お、お嬢様…?」
未だにうろたえる彼に少しイラついた。
だが、折角の接触を怒りに任せて一蹴するわけにはいかない。
深呼吸して落ち着かせ、レミリアは正した姿勢を崩さずじっと回答を待つ。
射抜くような目で○○を包囲する。
「聞かせて欲しい、卿のお気持ちを」
「ただ、私は…その…」
「はっきりと答えて頂戴!」
痺れを切らし、レミリアは乱暴に椅子から立ち上がる。
猫の毛並みが水滴に穿たれたように○○の背筋が痙攣した。
跳ね上がった心臓が止まらない。
「私をどう思ってる?どんな存在なの!?」
一歩一歩、にじり寄っていく。
後ずさるにも、足が竦んで固まってしまっていた。
「ただの忠誠なのか、親の仇なのか、それとも愛する心なのか」
レミリアの赤い瞳が露に潤い揺れる。
追い詰められた。
今まで己の気持ちを整理しないまま、ただ漫然と仕えてきたツケが回ってきた。
気づけば○○という青年は人間の身体を守り通して、媚を売ってきただけの小心者に成り下がっていた。
いざ問われると彼は何の幻想を抱けばいいのか。
ただの主人としての忠誠心で彼女は満足するのだろうか。
親の仇として宣戦布告しても勝てる相手なのか、そもそも牙を向ける勇気はあるのか。
主従を超えて愛したとして、“人間風情が気高き夜の眷属に?”と一蹴されるかもしれない。
レミリアには彼が様々な運命を瞼の裏に映し、苦悩と闘う者の戦慄と見た。
故に口ごもる。
その場で真意を探してもがき苦しむように。
「わ、私は…、私…は…!」
ドタァッ!
扉が荒々しく開け放たれる音に二人はほぼ同時に振り向く。
入って来たのはメイド長の咲夜だった。
咲夜にしては冷静さは感じられない。
レミリアは舌打ちし、彼女を睨みつけた。
彼女の取り乱しようから可能性として思い浮かぶ限りの凶報を想像し、思わず固唾を呑んだ。
「お嬢様!○○!」
「何事よ咲夜!不躾にしては度が過ぎるぞ!」
思わず裏返った怒鳴り声を従者に叩きつけた。
粗相をしてしまったと咲夜は不躾さを改め、一礼した。
そして報告を続ける。
雷鳴が響く手前のような荒れた息遣いを静める。
「申し訳ありません報告致します…、紅美鈴が !!」
「な………んて……!?」
知らせを受けた瞬間、レミリアと○○は凍りついた。
○○は眩暈に揺れる瞳で恐る恐る嘘なのか彼女の顔を窺った。
覚束なく知らせを伝える咲夜もまた衝撃が抜け切らず目が霞んでいたままだった。
これは誤報だ、有り得るはずがない。
当主は頭が追いつかず虚偽として処理しようとするが、冷酷にも運命すら否定しなかった。
凍りつく心の中に、それを受け入れるどころか何故か別の感情が湧き上がるのを感じた。
呆然とする三人には止まっている時計の針がはっきりと見えていた。
おまけ
美鈴「今度、魔理沙に勝ったら○○にプロポーズしようかと思います」
咲夜「え、………それ、ちょw」
○○「もうあんな当主に付き合ってられるか!私は先に部屋に戻る!」
咲夜「………皆、そうやって無茶ばかりして…」
あとがき
スペル提示の動作はデュエマを元にしてます。
次回ついに○○やおぜうにも死亡フラグが(キリッ
このままじゃヤンデレ関係ないかも、話の展開見直さないと…
最終更新:2012年08月05日 15:47