紅魔館正門―――
朦朧とした意識の中、咲夜に抱きかかえられていた。
霞んでいく目をはっきりと覚まさせ、ふと横に振り向く。
○○は隣で今にも溢れ出しそうに顔を震えさせて見つめている。
ただならぬ妖気を嗅ぎつけ、当主の
レミリアも
パチュリーも駆けつけていた。
「美鈴殿!しっかりしてください、美鈴殿ッ!」
「○○君…」
すぐ傍で所々服が破れ満身創痍の
魔理沙がパチュリーから介抱を受けている。
これほどまでに追い詰めたということだ。
だが当の力を使い果たした美鈴は既に虫の息だった。
「すみま…せん…、一度でも、いいとこ見せよう…として…この様、です…」
涙で顔をクシャクシャにする○○を目の前に努めて、美鈴は○○に笑ってみせた。
それは僅かでも触れても壊れるように儚く。
最期だけでもと美鈴は掠れた声を必死に絞り出す。
「私は、ここまで…みたいです……貴方なら…きっ、と…」
「やめてください、お願いですから…!私を……俺を、置いてかないでよ…」
「駄目よ…私がいなくても、笑っていて…」
「嫌だ…!貴女が思うほど、私はそんなに強くない!だから…」
次の言葉に口を開いた途端、○○は後ろに仰け反って倒れる。
急いでパチュリーが駆け寄り彼を看るが、弾幕で突き飛ばされたようだった。
○○は気を失ってしまった。
咲夜は事を理解できず虚ろに見つめるしか出来なかった。
「○○!?美鈴、一体何を…」
「ク…うぁ……分からずや……ひっくッ…!嫌だ……」
嗚咽が漏れる。
○○に伸ばした手を震わせ、地面に落とした。
これが美鈴にとって最期の弾幕だった。
意図を理解したレミリアは遣り切れなくなり、日傘を前に傾け目を逸らす。
「イヤだああああ!死にたくない!こんなとこで死にたくない!!!」
死を目の前にして耐えられず、咲夜の胸に泣きついた。
抑えられない嘆きを○○に聞かれたくなかったのだ。
しがみつかれる咲夜の腕に爪が食い込み血が溢れてくる。
その血のようにどうしようもなく美鈴の両目から涙が溢れてくる、ただ子供のように泣き喚くしかなかった。
「落ち着いて!美鈴…、美鈴…!」
「嫌だ死ぬのはいやだ嫌だイヤだイ゛ヤだ、たすげテ死にたクない!助けて咲夜ぁああああああああ!!」
少しずつ、咲夜を呼ぶ悲痛の叫びが小さくなっていく。
美鈴の掴む手の力が弱々しく、零れ落ちそうになる。
最早
「なん…で、あたし、が……」
「そんな…美鈴…?」
抱きかかえる腕に重さがかさばる。
合わさっていた冷たい手が擦り抜け、花弁のように堕ちていった。
最期の顔は深い悲しみに沈み悶える苦しみで歪んでいた。
美鈴の頬にぽたぽたと雫が降り注ぐ。
肩が震える、咲夜も奥底から湧き上がる慟哭を堪えきれない。
「いやああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
今は完全で瀟洒な従者の肩書きのないただの少女は、抜け殻を抱き締め大空に吠えた。
他の誰も言葉に出来ない沈黙の中で。
暗い暗い意識の中―――
あれは知識と日陰の魔女に師事して二十数日か。
最初の満月の前夜に起こったことだった。
いつものように床に就いてたところだ。
中々寝つけない○○は突如腰の上に重さを感じた。
声にならない呻きを口から漏らし、顎を引いて下を見る。
「な、パチュリー様…どうして…っ!」
「何も、言わないで」
暗闇に紛れていたのはパチュリーだった。
驚嘆しながらも、不意に手で口を押さえられる。
悲しみに満ちて潤った瞳で見つめる。
○○の心臓が跳ね上がり、反対にも彼女を凝視する。
悩ましく息を吐きネグリジェをはだけさせ、太股を艶かしく摺り寄せる。
そして彼女の顔が迫っていき…
「貴方は優秀で頼れる逸材、けどそれ以上に愛おしい…」
この後は突然暗闇になり何も見えなくなった。
いや、意識を閉じて見ないようにしたと言うべきか。
それでも情交が続いていた。
絶頂を迎えて快楽に浸かった後、虚無感に身をやつした。
彼女は荒い息を整え、○○の背に手をまわし離さなかった。
師から背向け壁を睨む目は、紅い月のように鋭く血走っていた。
○○は体中に脳内麻薬を走らせるように、気づき目を最大に見開く。
魔女パチュリー・ノーレッジは自分を愛していることに。
彼に才能を見出したのが切っ掛けで次第に惚れていったのだろうか。
思案を巡らせるうちに○○を様々な感情が駆り立ててくる。
心に芽生えたのは恐怖、情欲、諦観、悲哀、そして…
「起きて、○○」
「はっ、あ……うぅ…!」
聞き慣れた声に目を覚まし跳ね起きる。
気がつけば一室の中、つい先程までソファーで横になっていた。
それも、同じ席に座るパチュリーの膝の上で眠っていたのだ。
意識を取り戻して最初に彼女を見たのは必然だった。
額には温かみのある白い手が乗っかっていた。
見えたのは目元赤く腫らした瞳。
このまま目を覚まさないのかという悲しみと不安、そしてどこか良心に責め苛んでいるようだった。
「ど、どうしたの?」
「いえ、何でもありません」
顔から汗が溢れ、胸が高鳴っている。
この屋敷に従事してからこの方、誰とも一緒に寝たことはないと、そう一方的に○○は思っていた。
けれどいつの間にか身に覚えも根拠もない考えがあった。
それは、魔女が自分に虜になっていること。
今こうして席を同じくしているのだから見て取れる。
だが彼女から寄せられる密かな感情に気づかされる度に負い目を感じていた。
何も答えを見出せていない。
このまま寄り添っていて、果たしていいのだろうか。
いつかのどこかで微かに感じた温もりを恋しく思っていた。
「……ごめんなさい…」
沈む顔を覗き込むパチュリーはそっと呟いたが息を吐くのと変わらない程で聞き取れなかった。
ただ先程の過去に犯した過ちを詫びる言葉が風のように耳元から過ぎ去っただけだった。
あのときは自分の気持ちを一方的に突きつけたことを後悔させられた。
だがあの夜、○○の痛みと拠りどころを知ってしまった。
○○の親友だった美鈴を想うと、さぞかし不憫でならない。
そして同時に自分に苛立ちを覚えていた。
どうして自分じゃなくて美鈴だったのか、と悔しさも噛み締めていた。
だがまたいつ疼くのか。
その身体は黒ずんだ感情の胎動を予感し震えるばかりだった。
「お目覚めか…、とりあえず全員揃ったみたいだな」
何事もなかったようにテーブルを隔てた席の方に向き直す。
右隣の席には消毒薬を塗した手足や胸に包帯を巻かれていた魔理沙が安静に座っていた。
たった今、咲夜から応急に怪我の手当てを受けた後だった。
魔理沙と○○の二人が無事であっても、部屋の空気が重苦しい。
鬱屈とした視線で○○を、いや彼の席を見つめるレミリア。
誰も口を利こうともしない。
ただ彼女の席の後ろに戻ろうとする咲夜の足音だけが響いた。
紅魔館一階応接室―――
この部屋には紅魔館の面々が一堂に会していた。
挙動が落ち着かない○○の隣には師のパチュリーが寄り添っていた。
向かいにはレミリアの座っているソファー、その後ろに付き添うように咲夜は佇んでいる。
左隣には当主の妹君フランが震える膝を抑え魔理沙を不安そうに見つめていた。
「今分かってることを話すぜ」
包帯を巻いた二の腕を大切に撫でながら、右隣のソファーに横になっている魔理沙は話を切り出す。
その口は大きく震えており、つい先程まで言うべきか迷っていたようだった。
それぞれの席についている一同は静かにつく息遣いに固唾をのむ。
「美鈴にかかってたのは…アンドヴァリの遺産、だな」
部屋が一瞬だけ騒然となった。
全貌を知らずともこれは美鈴を蝕んだ何かの名前だと分かる。
ただ一人、禁断の秘術を知るパチュリーは冷静に魔理沙を見つめている。
「アンド…なんだって?」
素っ頓狂に○○は尋ねる。
聞いたことのない名前をもう一度確認したかった。
それを補足するようにフランが説明を付け足す。
「アンドヴァリ。北欧神話に出てくる大富豪のドワーフのことだよ」
「おうサンキュ、それで美鈴に掛かってたのはそういう呪いなんだよ」
最後の呪いの部分で、騒然となる。
呪いとはある者が他者に不幸を成すよう祈る施術。
それは身内が何者かの悪意に喰らい尽くされたことを暗に示しているからだ。
「黄金が招く呪いを凝縮させた魔法で、多大な幸福をもたらす代わりに代償は大きい。
溜まったガソリンに火をつけてやるような危険な代物だ」
厳しい目つきで○○を見つめる。
魔理沙はとっくに彼が教わっていたのではなかったのかと思案したのだが、
○○には美鈴を殺したのは自分かと疑われているようにしか見えない。
故に半狂乱になり立ち上がった。
「な、な何故私を見る…?わ、私がやったとでも言うのか!?違うぞ、断じて私ではない!」
「落ち着いて!まだ誰が犯人とは決まってないじゃない!」
「咲夜の言うとおりだ。しかも見た限りでは一日で掛かった呪いじゃない。
しかもあれは凄い複雑な方程式で出来てるんだよ。犯人は素人なんかじゃない」
つまり、美鈴を呪い殺した犯人は魔力と実績に富む魔術師だということ。
○○は顔面蒼白になり、避けるように席を離れた。
「な、なんということだ…この館は呪われている!」
「どうしたの、○○…?」
「どうもこうもありません、あんな風に次は私まで呪い殺されてしまうかもしれない!
なのにどうして冷静でいられるのです!?」
「○○、どこ行くのよ!」
「こんなのに巻き込まれるのは御免です!私は先に部屋に戻ります!」
魔術師といえど、○○が一番実力が足りないことは自覚していた。
今の○○には最初に見た吸血鬼のときのように恐怖心に包まれている。
青ざめた顔でそう吐き捨てて急ぎ足で立ち去る。
パチュリーの制止も振り切って、扉に手を掛けようとした。
そのときだった。
「待て」
逃げ出そうとする○○を制止する乾いた一声。
勇んで立ち上がり、部下の乱心を静め諭す。
声の主はレミリアだった。
「一人になってはいけない。その隙を犯人が見逃すはずがないでしょう」
至って冷静に、従者を咎めるように、言葉に重みを持たせて。
威圧するでもなく表情を真剣そのものとさせて。
少しずつ○○に歩み寄り言い聞かせる。
「何が何でも大切な従者を…いや、家族を守るのはこの私」
「家族…」
「そう、共に屋敷に住まう家族を愛する者として受け入れるのは当主としての責任よ。
貴方がどう私を思おうとせめてそれだけでも約束する」
一言一言、丁寧に歩調と合わせ、○○の目と鼻の先まで近くなっていた。
扉を背に腰の抜ける○○の目の前にレミリアの顔が迫る。
「だから私達から離れないで頂戴」
○○は返す言葉が見つからなかった。
いつものお嬢様からは想像もつかない宣言だった。
今確実に身の安全を守ってくれるのは嘘なんかではない。
後ろ手に掛けていたドアノブを離す。
その動作が進言を受け入れる意思表示なのだと、レミリアはそう捉えた。
紅魔館三階回廊―――
血のような色彩の回廊の先を一様の闇が覆いつくす。
その中に暗闇と赤い内装に溶け込んでいる闇の住人が一人。
艶々だった赤髪はぼさぼさに乱れ、顔には苦悩で影を潜めている。
僅かな水滴の音でも身の毛の逆立つくらいに挙動が落ち着かなく、気を張り詰めていた。
図書館の司書、
小悪魔。
その腕には大事そうに一冊の古ぼけた本が抱えられていた。
「こんな物ッ…」
目の前には鷹の頭部を如実に象った大理石の彫像。
鋭い目は道行く者を威圧しているようだった。
小悪魔は息を乱し彫像の紅い眼球に恐る恐る手を伸ばす。
今まで積み重なってきた心労と焦りで声が震えている。
「こんな物さえなければ…!」
彫像の瞼に爪を引っ掛け、小さな宝石をくり抜く。
血のように赤く、吸い込まれそうに透き通った綺麗な瞳。
ちょうど度重なる心労に濁り輝きを失った彼女の目と対を成すようだった。
苦難に疲れ荒みきった瞳にも小さな炎が静かに揺らめいている。
そして赤い石はその火種となるように焼け焦げていく。
それを手の平に乗せ、忌まわしきものを見るように睨みつける。
何かに縛られやつれた彼女の思惑を誰も知らない。
紅魔館二階ロビー―――
解散してすぐに部屋を出て、一息入れる。
張り詰めた空気から解放されても当主レミリアはまだ考えを纏めきってなかった。
一人の部下に面と向かって護ると誓っても、幾ら運命を見ても先日のと変わらない。
先行きを見通せず自分自身にさえも苛立っていた。
その後ろを見守る咲夜も内心穏やかではなかった。
このままパチュリーを疑うのは親友としても心苦しかった。
それを汲み取って、少し冷静さを取り戻した○○は舌を噛みそうになりながらも語りかける。
「お嬢様が友人のパチュリー様を疑いたくないお気持ちは我々も深く理解しております。
魔理沙殿の証言は嘘とは思えませんが、今結論づけるには早計かと…!」
「分かってるわよ」
ごく僅かに声を荒げて否定する。
信頼できる二人の手前で漸く感情を吐き出せたようだった。
妹や客人の前で取り乱して不安を与える訳には行かない。
○○は親友への信頼がまだあることに安堵したが顔には出せなかった。
今は非常事態、まだ楽観できるような状況ではない。
「恐らく魔導書のなかには禁断の呪法が封じられているものもある。
何かの偶然で封印が解けて暴走したのかもしれないんだ」
溜まった苦悩を吐き出すように、レミリアは表情を曇らせて言う。
咲夜は付け加えるように今後の動向について聞いてみる。
次にどう動くかが重要だと、息を呑んだ。
「今回の件にはいかが致しましょう」
「まだ糸が掴めていない内に無用な混乱を起こすわけにはいかない。
調査が終わるまでは内密にしなさい。いいわね、咲夜」
「畏まりました」
事の了解を得て、レミリアは嘆息した。
今思案しているのは親友の魔女のことだ。
ごく最近だが自分に対しての強い視線を薄々とだが気づいていた。
彼女を疑っているわけではない。
しかし、垣間見た運命を思うと、とてもレミリアには疑念を拭えなかった。
もしかすると警戒しているのかもしれない。
それに、今の○○に一番近いのはパチュリーだけ。
何とか彼女から引き離さないと。
かといって○○と二人きりにしても彼は警戒するだけだし、返って自分が怪しまれてしまう。
彼女を出し抜いて手元に置くには…
ふとレミリアはあることを思いつく、同時に赤面する。
「それと…あの…」
しかし頼むのは突拍子のない、流石の吸血鬼も勇気が要る。
先程の凛とした顔つきとは打って変わって、気恥ずかしく口ごもる。
それは幼い少女というに相応しい。
「咲夜も…卿も…、今夜は…私と、わたしと一緒に…いなさい…!」
「え?」
○○は豆鉄砲をくらって拍子を抜かしたように声が裏返った。
宴会のときでもあったが、このようなお誘いが来るのは稀有な例。
それもプライドの高い彼女から絶対口に出さない内容だった。
思わず咲夜も主と同じように急に沸点に達したかのように頬を赤らめた。
何を言ったのか理解しきれず聞き返す。
「○○はともかく私も、ですか?」
「ええ、なんというか…その……ああもう、いちいち理屈が必要かしら!?
い、いい!?絶対私の目から離れないでよ!!」
「フフ…家族団欒ね………畏まり、ました」
これ以上の詮索は無用と判断し、咲夜は了解した。
少し主人の見かけ相応に取り乱す様子を微笑ましく思いながら。
「○○は?」
「あ、えと…はいッ!」
○○の方はまだ素っ頓狂な顔が抜け切らず裏返った声で返答した。
その慌てた様子を見てレミリアもどこか安心した。
そして微かに独り言を呟いた。
「手元にないのが嫌なのよ…」
図書館―――
次の日、またいつものように吸血鬼と魔女が会していた。
しかし悠長に親友と語らう余裕はなかった。
今は蔵書を見つけ出さなければならない。
しかしこんなときに限って司書の小悪魔がいない。
彼女が不在な今、数人の妖精を手伝わせて本を探していた。
しかし一向に見つからない。
考えられるのは既に持ち出されているということだ。
魔理沙が借りて行ったのはまず考えられない。
幾ら手癖が悪くとも身に余る力があることくらい弁えている。
実際に呪いの餌食になったのだから、件とは無関係だったのだろう。
今の彼女はというとあれからここで一夜休んでからアトリエに送り返されてもういない。
問うのも辛い空気に胸が焼け焦げそうになりながらもパチュリーは重い口を開く。
「ねぇレミィ…昨日○○はどうしてたの…?」
「あぁ、私が部屋に招いたんだ。咲夜も呼んどいたけどね。
それがどうかした?」
「別に、聞いてみただけ…」
「そう」
「……血を吸ったんじゃないでしょうね…」
最後に聞こえない程度にかつ掠め取るように毒づく。
宴会でも垣間見た孤独。
そして孤独へと取り入ろうとする己への背徳。
一度きりの過ちを持ったパチュリーには十分理解していた。
あの夜、彼の恐怖を含んだ虚ろな表情。
荒々しく交情する際に聞いた首を絞められたような悲痛な金きり声。
それで初めて背負っている荷の重さに気づいた。
辛い目に遭わせた事を忘れさせてはおいたが、代償は彼の時折見せる怯えだった。
以来、何度も心の奥底で根付いた恐怖を取り払うために幾度も歩み寄る。
いつの日か○○が自分を許し、心を開いてくれるまで。
魔女が彼に執着を深める理由はここにある。
「…今後の事を聞いておこう、如何にして卿をお守りする?」
「もう考えてあるわ。今は厳戒態勢、非常線を張るわよ。
○○には話を付けてあるわ」
事件が解決するまでの間だけ再び霧で覆い尽くす。
それは過去に起こした異変のそれと同じく。
ただ異変のときは日中でも往々と闊歩できる環境を欲したという私利私欲のために霧を発生させた。
だが今は違う。
従者の彼を、いやそれだけじゃない。
紅魔館を危機から守るために再び行使しようというのだ。
敢えて誰も近寄れず誰も脱出できない陸の孤島を完成させる。
そうすれば閉じ込められたと知った犯人は動き出すはずだ。
「ほぅ、屋敷の安全はパチェに任せるわ、ならば○○はこちらでお守りしよう」
「えっ…?」
「あいつは“親友”を失って追い詰められているのよ。
私にも痛いほど分かる」
レミリアは彼に対して申し訳がなさそうに俯く。
だがすぐ後に胸を張り、誇らしげに語った。
「だが私がいてやるのだから、あいつが死ぬなんてある筈がないだろう。
この異変が終わるまで○○を離しはしない」
「待って、○○の事だったら私がよく…!」
「そのために策を練るのがパチェの役目だ。
まぁ時刻になったら彼を連れて来る。では頼んだぞ」
レミリアは頼りにされたように笑みを浮かべた。
単に気張ったつもりだったが、パチュリーにはそう捉えようがなかった。
○○を奪い取らせはしないと見下したような嘲笑に見えた。
そしてフンと鼻であしらうように背を向け、レミリアは図書館を去った。
「痛みを知っているのは、私だけのはずなのに…!」
パチュリーは険しい表情で親友を睨みつける。
握り締める本に爪跡が深く刻み込まれる。
しかし、その瞳には既にかつての小さな嫉みはない。
憎悪と嫉妬の入り乱れた愛する者への執念へと捻じ曲がっていた。
もう包み隠しはしなかった。
紅魔館地下回廊―――
妖精達に事の顛末を伝えた後、解散させる。
その号令を受けて思い思いに館の奥に去っていく彼女らの羽ばたきは慌しかった。
見届けた咲夜は下向きになり眉間を押さえる。
当主に下された命令は一つ。
“アンドヴァリの遺産”が記された禁書を探すこと。
ただ、今の咲夜は手掛かりを掴んでいる。
恐らく持ち出したまま館の中を行き来しているだろう。
その人物と接触すべく隈なく飛び回り今は地下をあたっているところだ。
ふと声を掛けられる。
聞き覚えのある声の方に振り向く。
そして見下ろすと、思ったとおりの姿を認識した。
「妹様」
自身の仕える当主の妹君、
フランドール。
見上げるように咲夜の顔を覗き込む彼女は吸血鬼らしからぬ表情をしていた。
だが今は年相応の物怖じした女の子にしか見えない。
姉と全く一緒の赤い目は不安げに、悲しげに咲夜を見上げていた。
「咲夜…、美鈴のことは…大変…お悔やみ、申し上げ、る…わ…
でも、○○も可哀そうで…なんて言えばいいか…」
「お気になさらずに、妹様」
不安にさせまいと笑みを張りつけ、彼女の頬を撫でる。
まだ幼く柔和な白い肌がひんやりと指に吸いつく。
指でなぞられていく内に強張った顔が解けてきたフランは震えた声で尋ねる。
姉が予感していたように妹も不安だった。
何の前触れもなく顔も掴めない誰かに理不尽に命を奪われれば、流石の彼女も穏やかじゃなかった。
「ねぇ、小悪魔みなかった?」
そんなおどおどした様子で上目遣いで問う。
ジャストで探し人の名前がでてきたことに咲夜は驚く。
「いえ…私も丁度探してたところです」
「やっぱり咲夜もおかしいと思った?小悪魔のことで何か嫌な予感がして…」
彼女なりに何か感づいていた所があったようだ。
それは吸血鬼をも震撼させる未曾有の異変と改めて認識させられるものだった。
「ねぇだったら一緒に探そう、一人じゃ心細いから…」
「良いですとも、妹様がいてくれるだけで心強いです」
「えへへ…、頼りにしてるわよ」
まさか一緒に協力して探すことになるとは。
地下の間取りをよく把握しているフランならば迷うことはない。
二人は互いの視界から離れない範囲で哨戒する。
今ならば山の白狼の如く虫一匹も見逃さないとばかりに。
何回か直線を突っ切っていき、角や交差点を曲がっていく。
そして一様の闇の奥深くに入っていくにつれ、胸騒ぎが強くなる。
「あれは…、小悪魔!」
先に気がついたのはフランだった。
何回目かの角の影に誰かが横切ろうか覗かせていた。
影の形は間違いなく小悪魔のものだ。
手足よりも先に羽が出るのが早かった。
フランは飛び込むように彼女の前に立ち塞がる。
「待ちなさい!」
「ひぃいいッ!」
小悪魔は慌てたように一冊の厚い本を掲げた。
すると土人形のゴーレムが地中から這い出るように次々と現れた。
あれは○○がよく使ってた化け物だと見知っていた。
しかしどこか動きが固く単純だ。
恐らく彼女でも扱えるのは思考回路が簡単になっているからなのだろう。
だが問題は立ち塞がる障害物ではない、小悪魔の手にある物の方だ。
大事そうに持っている年老い劣化した一冊の本。
咲夜にはあの本こそが探していたアンドヴァリの遺産であると巫女並の勘が騒いだ。
そうと決まればと、獲物を見るように視線を崩さず短剣を突きつける。
怯えた小悪魔は人形を押しつけ奥に逃げていく。
それにつられてフランも歪な翼を広げ飛翔しようと浮き上がる。
二人は小悪魔が鍵を握っていると確信した。
エントランス―――
真上から見た紅魔館敷地の中心、つまりそこは正面玄関の内側だった。
外は鉛のように鈍い灰色の曇り空が天を覆っていた。
極大な魔方陣の光を部屋一面にはりつけ、儀の準備が整った。
身体が弱く喘息で不安なパチュリーに代わるために○○が中心に立つ。
そこは二対の階段が取り囲む正面踊り場、上った先にはレミリアが見守っている。
彼の足元には大きな円の赤い絨毯が敷かれている。
「準備はよろしいでしょうか?」
「えぇ、始めましょう」
事前に確認を取ったとおりだ。
合図と共に薔薇を前に掲げ、目を閉じる。
それを見届けて詠唱を始めるパチュリーにふと胸中に黒い塊が呻く。
それは○○の姿を目に焼きつける度に肥大化していく。
先刻に親友が話したことが反芻される。
このまま愛する者がレミィの手に渡ったままでいいのか。
摘み取った花を誰かに渡すのが惜しくなった。
この場に乗じて彼を結界の中に閉じ込めようか。
しかし己の過ちでまた彼を傷つけたままでいいのか。
はたまたしかし、彼の痛みを知っている自分が癒してやらないでどうする。
それこそが師としての責任ではないのか。
彼女の黒い心にまた背徳や自責で入り混じり、愛憎で噛み締める歯を一層軋ませた。
未だ躊躇いを捨て切れないままページの縁に手を掛けた。
そのときだ。
「な、何だ!?」
溢れた血のようにどす黒い波動が火花とともに中心から広がっていく。
それは正面ゲートで起こった呪殺のように。
予想外の事態に、パチュリーは慌てて別の詠唱を始めて抑えようとする。
それを嘲笑うように○○は中心に供えられるように浮かび上がった。
中に異物が暴れたかのように痛みを感じ、胸を押さえた。
彼の懐から細長い物が零れ落ち、数回跳ねて転がった。
「…うぅ、グっ!胸が…苦し……!?」
苦悶の表情が浮き出てくる。
平静でいられなかったパチュリーはどうにか暴走を止めようとした。
けれど溢れてくる雷鳴が唸り続け、さらに風が増してくる。
「○○!駄目よ止まって、止まれぇ!」
胸倉を押さえるもう一方の手が魔方陣の外へ伸びる。
掴もうとしている先は他でもない。
異変を感じてすぐに駆けつけてきた者が一人。
そこには乱暴に降り立つ両足を床に叩きつけ、息を切らせたレミリア。
焦点の合わない彼女の目にはあの時と同じ死の瞬間が寸分違わず映った。
「あ……あぁ…、○…○……!?」
咄嗟に飛び込もうとしたが弾かれて押し返されてしまう。
伸ばした指先にバチバチと電流が悪戯に血走っていく。
今起こっていることが運命の筋書き通りであることが信じられなかった。
だがレミリアの目は円陣の外にいるパチュリーがこの暴走を引き起こしたのだと捉えた。
現に○○はこちらに悲痛な程に言葉にならない呻きが漏れ、思わず○○に向かって手を伸ばす。
「ひ、ぃあ…あァ……ぇ!?…この…私、が…死、ぅあ……ぃ…シぬ?な、なぜ…」
しかし虚しくも…
「ぃ嫌だ……イヤだぁぁぁァぁあアあああ゛あ゛あアああああ!!!」
掴み取るものなく、○○は涙の粒を遺して掻き消えた。
ただ沈黙が場を支配し、後は荒れた部屋の飾りつけと取り残された吸血鬼と魔女だけ。
茫然自失になり、レミリアは力なくへたり込む。
恐怖する人間がやっとのことで叫ぶ最期の断末魔。
レミリアにとっては何とも無様で、自分が優越であることへの賛美の響きでしかない。
それを耳にする度に吸血鬼としての快楽を覚えていたものだった。
「………いやぁ……あぁ…!」
けれど今は違う。
この地下にまで届きそうな悲鳴が彼女の奥底まで突き刺さる。
先日の美鈴の叫びと同じく、胸元に喰らいつくように。
それは自分に救いを求める大切な家族の悲痛の叫びに聞こえていた。
絶望に叩き込まれた親友の近づいてくる足音にパチュリーの額に汗が一筋流れる。
「家族だっていったのに、守ると誓ったのに…」
ドスの入った声が響く。
辺りの壁や天井が一瞬揺らめき、不吉に風がどこからか向かい合う二人を貫く。
今まで○○のことしか見てなかった、盲目だった。
だがその黒く歪んでいった恋情によって想い人を失ったことに気づいてしまう。
それを失った今、初めて彼以外の他人の感情を目の当たりにした。
己の所業の虚しさと、残された者の絶望。
けれど時既に遅かった。
パチュリーの視界がモノクロになり血の気が引いていく。
「お前が殺ったのか」
「違う!これは…、話を聞いて!」
「目の前であいつを吹き飛ばしておいて今度は話を聞け…?」
レミリアは無表情だった。
泣き叫ぶ、怒鳴りつける、いや今の彼女にどんな反応も似合わない。
悲しみや憎しみが限界を超えると、虚無の心が感情を消し去ってしまう。
何もかもが、絶望すら抜け切ったような顔でただ見つめていた。
親友の虚ろな表情を見てパチュリーは戦慄する。
二つの眼光にどんな物も焼き尽くす青い炎が静かに灯っていた。
「…………ける、な……!」
「………レミィ…?」
その灯火が影に沈んでいく。
肩をわなわなと震わせ、一つの込み上げて来る漆黒の感情で胸が張り裂けそうになる。
ごく僅かだが、空気の流れが止まった。
「ふざけるな貴様ぁああああああああ!!」
そして雷光のように猛り吠える。
外では咆哮に応えるように雷鳴が鳴り響いている。
今のレミリアは怒りにおぞましく歪んだ形相をしている。
その喪失感が抜け切っていない瞳は真っ赤で鋭くて、涙も含んで溢れ出しそうだった。
恐れつつもパチュリーは止むを得ない形でスペルカードを一枚抜き取る。
二人にあったはずの友情が崩れ去り、二人を魅了した花が枯れ、残るのは擦れ違う憎悪と怒り。
運命の輪が音を立てて壊れた。
続く…
おまけ
咲夜「と、止まらない(鼻血が)…」
おぜう「二人とも甘えん坊で仕方ないわねぇ(家族なら一度やってみたかったのよね、川の字)」
○○(真ん中じゃなくてよかった…)
パチェ(窓から)「<●> <●>」
後書き
書いててこの○○は河野裕とか野島健児とかのボイスで脳内再生されてしまう…
このタイミングで回想とか絶対後付けだろ
少女を可愛く描くなんて無理だorz
黒幕は分かる人には分かるけど気づかないふりしてあげてください
最終更新:2012年08月05日 16:35