深い暗闇の中―――
どこかは知らない暗闇の中、紅美鈴は立っていた。
奥には誰かが座している高台があるのだが、如何せん暗くて見えない。
暗闇の向こうの人物は凛とした態度を崩さず問いかける。
“全てはあの魔術師の謀、彼奴の手で命を落とすのも悔しいでしょう?”
「確かに無念です…しかし、私は彼の事情を知っている…
深い妄執の中で余程苦しんでいたいうのに、私は…」
“ふむ…、あの魔女も同じく無念だと言っていましたね”
「今、何て…!?あの人形師の件にも○○が一枚噛んでいたというのですか!?」
ともすれば、今まで目にしてきたゴーレムや屍食鬼の余りにも整然とされた隊列に。
細かい指示を忠実に実行させる○○の魔力にも説明がつく。
きっとあの方術は
アリスの研究結果から奪い取った産物なのだろう。
彼女からは荒削りながらも有望の学友と評価されていた。
それがいとも簡単に踏みにじられたとは、○○に弄ばれた犠牲者は身内だけではなかった。
思案しているのを見兼ねて、彼女は答える。
“詳細は存じません。怨霊となって報復も出来ますが…”
そのときに粛清するのが、死神か巫女の役目だ。
現世に舞い戻るチャンスを棒に振るわけにはいかない。
器を失った存在である事を弁えた美鈴は首を横に振った。
「貴女は、私の魂を救ってくださるのですね…?」
“何時かも知らず、全てを忘れて再び世に召されるのが救いかどうかは、見解次第です”
そうだ、大陸の歴史の真っ只中を生きて渡ってきた妖怪だ。
生前の因果は大きく、埋め合わせの生者を転生させるのに時間が掛かる。
彼が生きているうちに再会できるかなど望みは小数点より遙かに遠いかもしれない。
それでも美鈴は祈る。
強い未練を残して死んだ罪を償いたかった。
殉教した聖者のように、手を組み目を閉じて。
瞼の裏には、陰謀を知る前の表向きだったはずの気恥ずかしく微笑む○○。
例え冷酷に謀殺されたとしても、自分に向けてくれた好意は紛れもない真情であると。
お人好しな自分を全く後悔していない。
「何時の日か、想いを届けるその時が来るならば…」
外の世界、墓地―――
何体か墓場のゾンビを切り伏せたが、一向に減る気配がない。
息つく暇もなく咲夜のスペルカード一枚目が引かれる。
親指を下にカードの両縁を押さえ、パチンと弾かせるように裏返す。
「幻符……、殺人ドールッ!」
全てが誰も知らないモノクロの世界に。
大きな首の魔物の上に立つ○○の後ろに回り込み、頭上を幾重にも散りばめたナイフで取り囲む。
相手には理解されない氷の世界、咲夜はこの瞬間で勝利を確信した。
そして時は動き出す。
今度は咲夜自身が固まった。
色を取り戻した瞬間、○○は膝を折りしゃがみ込む。
そして彼の背後を何かが飛翔して覆い被さる。
見覚えのあるメイドの少女を模した土人形。
いたいけな人形の身体中に深々と短剣の嵐が刺さる。
着地の衝撃に足の形が崩れ、顔はもう見れたものではない。
この人形が身代わりになり弾幕をしのいだ○○は不気味に射抜くように微笑した。
「貴方に素敵なプレゼントを」
しまった、迂闊だったと気がついたがもう遅かった。
空中に身を晒しあまつさえ弾幕を撃ち込んだ後だ。
今の咲夜は無防備で動けない。
思えば時を止める力を過信しすぎた。
咲夜の武器はナイフ、脚や腕を切りつければ動きは止められるだろう。
しかし剣や銃とは違い、刃が短く軽すぎて、普通に振るっただけで致命傷を与えられる代物ではない。
加えて人間の本能なのか、時間が固定されたまま相手を直接切りつけられない。
だからこそ殺傷能力を補うために時を止め、死角から急所に投げつけなければならなかった。
一番反撃されずに一方的に攻撃できるベクトルはやはり敵の背後、そして頭上。
残る急所は頭か左胸しかない。
○○は既に、勝とうとする気持ちが強く焦燥に駆られる咲夜の戦法を読み切っていた。
冷静に見据える目は一瞬の隙を見逃さなかった。
チップのようにカードを人形の足元に投げ捨てる。
「木符…、シルフィホルン―――」
宣言するや否や先程の立ちはだかる人形が両手を伸ばし咲夜の前に仁王立ちする。
瞬間、人形の胸から肋骨のような尖った蔦が咲夜に襲い掛かる。
「しまっ―――」
着地して時間を止めるのがまた一瞬遅かった。
後手をとった代償に上体と左腕を絡め取られてしまう。
余りに力が強く人形の土の身体が堪えられず崩れ落ちたが、それでも蔦は離れない。
肩から得も言われぬ痛みが走り回り、踏み締める脚が震える。
必死の抵抗に無情にも、○○は親指を下に向けて執行を命ずる。
屍食鬼が土と生唾に塗れた大きな爪を振り下ろす。
「ギ、ぎェャアああああああアああああああ゛あああああ゛あああああ!!!」
ぼたりと大きな血の滴る塊が地面に落ちる。
根元から腕が引き千切られた。
今まで感じた事のない激痛に咲夜は転げ回り、肩の切断面を抑えてのたうち回る。
「受け取って頂けて、何よりです」
追い詰められてしまった。
化け物共が嘲笑うようにけたけたと唸りを上げる。
その中の一匹がこれ見よがしに離された腕を手に取り、指先から噛み千切る。
「三本足の鴉もいるくらいです、貴女にはさぞやお似合いでしょう。
大変縁起が良い、墓の前に飾っておきましょうか?」
「は、あぁ……が…ぅあ、あ………ッ」
咲夜には、仕えていた当主も自身の誇りも全て踏みにじられたように感じられた。
家族に裏切られ、こうしてゴミ同然に切り捨てられるのか。
じりじりと胸の奥底までも喰らい尽くされそうだ。
悲しみすら感じられず冷静になれる咲夜はこのまま食い殺される覚悟を決めた。
○○は蛇を生やした生首の上を玉座に右手の薔薇を采配に振り下ろす。
異形のありとあらゆる視線が咲夜を射抜く。
当主の想いも自分の独断で潰えるのか。
「…家族、…ッ!」
ふと気づく。
家族という言葉に、○○に家族というものを感じさせる存在があった。
彼はいつもそれを見つめ思い出に浸っていたはずだ。
これがあれば隙が必ずできる。
咲夜はばれないようにそれをポケットから取り出す。
勝利を確信した○○は最期の抵抗を試みると見て、自身の周りを人形と屍体で取り囲んだ。
「今だ!」
放り出された物は空中で大振りに回り、目で捉えられる速さで○○に飛び込んでいく。
何の変哲もない、ただの万年筆。
○○は呆気にとられ筆を地に落ちる瞬間まで見つめていた。
「なぜ…咲夜殿が…、はっ!?」
「今だ…!傷魂、ソウルスカルプチュア―――」
咄嗟に防御に回ろうとするも一手完全に出遅れていた。
目の前には血の色を認めた剣閃と短剣が次々と向かってくる。
「ぐはあああああぁ!あ……っ…」
守りきる事ができず、甘んじて刃の嵐を受け入れる。
必死に魔物の蛇の髪を盾にするも、猛攻が激しく防ぎきれない。
そうこうしている内に急接近した咲夜が魔物の眼球に深々と突き刺す。
化け物は醜悪な断末魔をあげて○○を振り落として息絶えてしまう。
それに伴って、力を失った死体の群れは灰となって掻き消えていった。
最後は○○が膝を地に置くことで決闘の幕を閉じた。
外の世界、墓地―――
「どうして…よ…、
パチュリー様への…信頼も…全部、嘘だったの…?」
何も言わずただ従者を見つめる、その目は諦めに満ちていた。
見つめる先の咲夜はもう立ってるのがやっとだった。
太ももや脇腹の肉片が所々抉れ、左肩から伸びていた腕はもぎ取られてしまった。
自身の一部は尽く食屍鬼の餌になった。
それでも○○は、惨劇を目の当たりにして真実をつきとめる者を嘲笑う。
歪に口元が両極に一閃伸びる。
「クククッ…ぁははは……、アッハハハハハアぁはハハハハハハハハハハハハハハ!!!」
堪えきれないとばかりに天を仰ぎ、狂ったように笑い出した。
自分を晒し者に吊るし上げるその笑い声に、咲夜は眉間の筋を立てた。
「勿論、私の味方を増やすための方便ですよ。
貴女さえ黙っていればお嬢様も命拾いしたものを」
「私に何も言えた義理ではないのは分かってる。
けどお前の境遇を憂いて逝ったお嬢様に、恥じる気持ちはないのか!!」
「ククク…私の何を想って?お嬢様が?何それ、冗談にもなりませんよ」
必死の糾弾も蚊が刺したように良心の痛みさえも感じさせない。
してやったりと笑い、○○は容易く自分を案じていた主の言葉を足蹴にする。
帰れないかもしれないというのに自分を追いかけてきた咲夜に呆れたように嘆息する。
「貴女方は私が縋っても聞く耳を持たなかったのですよ。
それを知りもせずなんと図々しい。
お嬢様は死の間際で後ろめたさを感じていたのでしょう、それでは私への救いにはならない」
「だからって、どうして美鈴を殺したのよ!」
息絶え絶えながらも咲夜は憤慨する。
見た限りでは親友のはずだった。
対する○○は悪びれる様子もなく鼻で笑い、淡々と自供を続ける。
「幻想郷を脱出するためです。
師から教えを受けた初日、偶然本棚から零れ出た本を見つけた。
貴女もよく知るアンドヴァリの遺産の練成書だったのです。
それを持ち出し数日かけて呪を紐解き、美鈴殿に血印を記した。
白黒を唆して彼女にけしかけたのも私です」
「それで…いつから脱走を考えたのよ」
「最初からです。パチュリー様から愛されていると気づいた頃に成功を確信しました」
眼下の臣民に向かって演説するように、両腕に熱情を抱えて○○は訴えた。
上手く説得して生かしてもらおうという魂胆が、何とも見苦しかった。
「私の凱旋を邪魔する者は皆いなくなればいい!私を家族にだと?ふざけるなッ!
家族を見殺しにしておいて厚かましいものだ。
こんな事も理解できる者のいない世界で私は死を演じて静かに去ろうとした…
なのに…もう少しで帰れると思った所で美鈴が邪魔をした」
こちらが信じていた者に騙されたかのように○○は怒りに声を震わせる。
美鈴の存在も○○を歪に増長させていた。
これは
小悪魔も知らなかった事だが、○○にとって一番危険な存在なのが紅美鈴だった。
僅かな気の変動を敏感に読み取れる彼女に、地脈を利用して魔法を発動させる○○には分が悪かった。
加えて門番という職業上、迂闊に動くと気づかれる。
いや、美鈴は異変に薄々感づいていた。
満月近くになる度に身を隠して瞑想する○○の元に、いつも美鈴が側にいた。
よって慎重に事を進める必要性が出てしまった。
念には念を押して、遠隔操作できる手駒を用意し、小悪魔に禁書を押しつけはした。
敢えてそのまま身を晒して監視の目を潜り抜け、裏で作業を効率的に処理する。
そして用済みになれば、
魔理沙をけしかけて呪いで自滅させればいい。
魔理沙が偶に図書館にやってきては借りると称して本を持っていく事も分かっていた。
その悪癖すらも美鈴の謀殺に利用して、彼女にアリバイを作ってもらったのだ。
後は盲目的に愛しているというお嬢様を煽り、パチュリーに疑わせれば勝手に争い出し自滅してくれる。
「だから消したッ!後は地脈を通して瞬間移動すれば完了だ!」
全てを知るために押し掛けてきた彼女に洗いざらい自白した。
勝ち誇ったように得意顔になり、咲夜に突きつける。
「どうだ十六夜咲夜殿、これで満足か!!?」
「美鈴は、友達じゃなかったの…?」
「ッ!」
先程まで余裕を見せていた○○が美鈴との関係を口に出された途端、心臓が跳ね上がるように反応する。
対する咲夜は、熱されていたほとぼりを冷まして問いかけたのだ。
「確かに…、私は美鈴殿のことが、好きでした…、
彼女を…愛していました…、ですが…家族のほうが尊かった。
そもそも人間と妖怪が結ばれるなど有りはしない。
妖怪は精神に依存する生き物。
有限の命を持つ人間に未練がましく縋りついても未来は悲しみに落ちる。
そんな運命を変えるにはこれが最善の選択肢だった。
美鈴は…、そのための…必要な…犠牲、だったのです…
ならば彼女を踏み越えた分まで、外で生きるのが道理の筈です」
筋の通らない人殺しを正当化する弁明。
しかしその裏で、幻想郷には偽りではない、確かに愛せる存在があった。
本当は美鈴とはずっと一緒にいたかった。
いつも優しく接してくれる彼女を手に掛けることを躊躇っていたのだ。
けれど突き放された事により最後のたがは外れてしまった。
故郷か幻想郷かどちらかを選ばなければならなかったのも現実。
○○にとって苦渋の決断だった。
「私は何も間違ってはいない…そうでしょう、美鈴殿…」
先程とは打って変わって○○の顔に暗い影を落とす。
既にいないはずの美鈴に縋り着く。
自身の胸の内を吐き出して息が荒く肩で呼吸を整える。
聞き届けた咲夜は責めるでも罵るでもなく凛とした声で言う。
「だったら貴方をただでは殺さない。
吸血鬼の威厳とかそういう建前が要るのならば、私を使いなさい」
「どういう、事です…」
「私達は紅魔館を失くして居場所なんか何処にもないわ。だから妹様を擁立して館を再興する」
「何故私を助ける…?」
「貴方の才能と手腕を買っているからよ、ただしこれだけは誓ってもらう」
償わせる事を決めて一呼吸置いた。
これが前提でなければ生かしておく理由がなくなる。
「美鈴を想うのであれば、必ず生を以って彼女に報いろ」
「……メイ、……リ…ン、ど…の……!」
自分の所業に見合わない待遇を与えられて、崩れ落ちる。
親友かそれ以上の人物に何も報いる事もなかった現実にただただ泣くしかなかった。
今まで犯した罪の重さに少しずつ気づき、十字架を背負っていく事だろう。
例え憎まれていたとしても、彼の魔法を学ぶ姿勢や美鈴への厚情は紛い物ではなかったと心の中で思う。
従者の過ちを正し、その後救いの道へと導く、これこそ亡き王女への忠誠の証。
これで咲夜の復讐が果たされた。
「さてと、帰ら…、な…きゃ…」
○○はコートの裾を勢い良く破り、咲夜の傷口に宛がう。
左肩からぐるりと右の脇の下まで結びつけ包帯代わりの止血を終えたときだ。
そんなときに咲夜は枯れそうな声で呟く。
「咲夜殿…、しかし如何にして戻るのです?」
「ありったけの弾幕を、撃つのよ…」
なるほどと相槌で理解を示す。
咲夜は敢えて現代の世界で弾幕を撃つことで結界を歪ませようと考えた。
幻想郷の住人が外で力を行使すれば隙間妖怪が動く。
しかし弾幕の花火を派手にかませる程の余力が咲夜には残されていなかった。
「お願い…、○○…貴方、が…、やっ、て…」
「咲夜殿!馬鹿な、腕一つの損傷でも大丈夫じゃないのか!?」
突然、咲夜が情けなく崩れ落ちた姿を目の当たりにしてうろたえる。
面々の生活リズムや癖まで綿密に調べて来た○○だが、ある一点を知らなかった。
それは十六夜咲夜の事について。
説得できて妙に安心しきっていた咲夜本人は既にそのミスを悟っていた。
○○の敗因はそれを知らずに肉体をすぐに滅ぼさずに精神攻撃に徹した事。
異能を有する少女達に囲まれて暮らしてきた以上、高を括っていた。
もし気づけていれば互いに共感し合える関係になれたであろう。
彼が最後の最後まで気づかなかった事実、それは…
「馬…鹿……ね…、私は、人間…、よ…」
○○は目を見開く。
抱きかかえる腕の中で彼女は気を失った。
フラッシュバックが彼の瞼に映される。
“駄目よ、私がいなくても、笑っていて…”
自分の身を案じてくれた想い人は最期まで優しく笑っていてくれた。
なのに自分は彼女を冷酷に切り捨てた。
そして目の前には○○という人間に助けを求めているであろう少女が腕の中に収まっている。
今まで抑えていた痛みに苦しみ悶えているようだ。
また棄ててしまうのか、保身のために。
○○はそっと頬を撫で、捥がれた方の肩に手を当てる。
仄かな癒しの光を軽く握った手の平でほんのりと照らし、優しく傷口に光を飲み込ませる。
苦悶の表情をしていた咲夜は次第に緊張を解き、吐息が穏やかに静まっていく。
上手く痛みを抑えられたと○○は安堵する。
今まで○○は幻想郷の脱出と自分を縛りつけた存在への報復しか考えていなかった。
けれど、初めて人為らざる少女を救おうという意志を抱き始めた。
決意を胸に○○は薔薇の花を天に向け、目を閉じる。
“いいからイメージして、自分の手の平から打ち出すのを…”
反芻した木霊の通りに彼女を助けて欲しいという叫びを頭の中に浮かべた。
“手に力を入れなくていいわ”
力みすぎて爪の食い込む拳を解きほぐす。
痛みが血糊と共に一気に流れていくが構わない。
そして、助けを求める言葉と共に華やかな弾幕の花火を打ち上げる。
「月まで届け、救難信号…」
紅魔館一室―――
軽いノックの音が数回した後、入室することを告げる声と共に扉が開く。
椅子の上に小ぢんまりと座る少女の背に生えている虹色の羽といい小金色の髪が輝く。
入室したのは品性の良い紺碧の貴族コートの若者。
彼の運んできたティーセットから香ばしい匂いが漂う。
「お嬢様、紅茶をお持ちしました」
「ご苦労、頂くわ」
今でこそほとぼりが冷めたが、フランの表情は浮かない。
あの一件を知る者は幻想郷有数の実力者のみ。
天狗達の間でも熱心に取り沙汰されたが規制がかけられ、古代の禁呪が暴走した悲惨な事故として新聞で報じられた。
事故の顛末はパチュリーが責任を取る形で図書館を去ったことになっている。
そして小悪魔も人知れず何処かに消えていた。
前当主の葬儀は幻想郷中から腕利きの妖怪や巫女が参列した。
我が侭な吸血鬼とはいえ当主の急逝に遺憾の意を唱える者が多かったのは人脈故か。
そしてほとぼりが冷めた頃、悪魔の妹が紅魔館当主に即位する形で再興することが正式発表された。
そんな屋敷の再興が落ち着いてきた矢先だった。
「ねえ、○○…」
「はい、お嬢様……」
「貴方は私の何なの?答えて…」
「私は紅魔館当主
フランドール=スカーレットに仕える魔術師です。
今の私如きに、それ以上もそれ以下の立場もありません」
突然後ろに押し倒される。
仰向けに地に伏せる○○の上に、フランが馬乗りになる。
上から虹色の歪な翼で覆い被さる。
それは初めて紅魔館に来たあの日と同じように。
にしては肩を押さえつける手の力はどうにも弱々しく、人間でも振り払えば抜け出せるようだった。
しかし○○は抵抗する訳にはいかなかった。
「本当…、じゃないよね…?
美鈴を含め、様々な人を謀殺した事実は私の耳にも届いてるのよ。
貴方がのこのこと傷だらけの咲夜を連れて来た時には狂ってしまいそうだったわ。
けど咲夜も小悪魔も必死に止めたから、殺せなかった…!」
救助に来てくれた隙間妖怪の酷く落胆した顔を良く覚えている。
今こうして問い詰めるフランは彼女と同じ表情をしている。
あれだけの所業をしておきながら平然と舞い戻ってきては信用されないのは当然だ。
「貴方は何処までが偽りで、何処からが真実なの!?」
「…………」
「私にも貴方のことが分からない。殺せばいいのかも、生かしておくべきなのかも…」
フランは迷い子の涙に揺れる目で見つめる。
この間までの彼のように、疑念と妥協と憎しみで混濁した赤い瞳で。
「それは己の犯した罪を贖うため。
そして…家族に受け入れてくれるおつもりだった前当主に報いるためです。
今更言えた身ではありませんが…、私は自分の意志でお嬢様を御護りします」
返される瞳は揺るがぬ光となって彼女を捉える。
また一つ心の中で揺らぎ始める。
新しき当主はこれからも迷い続けるだろう。
憎しみとそれまでの愛情と、彼の過ちへの寛容、どれを手に取ればいいのか。
「○○…貴女を信じてもいいの…?」
まだ答えが出ていない。
紅魔館回廊―――
リハビリが終わって数日か。
もう仕事に差し支えない。
メイド長の咲夜は今日も業務に意気込んで、仕事場に向かう矢先だ。
途中、何度か部下達の横を通り過ぎる。
その中には○○の残留や咲夜の判断に不服という話を良く聞く。
すれ違う皆は肌の色が若干黒い左腕を意識して見ないように目を遣る。
○○が帰ってきてからの一悶着後、すぐに永遠亭に運び込まれた。
失った片腕は綺麗な死体から腕を付け替えて貰い、どうにか一命を取り留めた。
未だに彼を生かしたのが間違いなのか自分でも分かっていない。
苦笑いしながら素通りする。
「偉い評判みたいね、○○…」
今でこそ安定してはいるが、まだ立ち止まっている場合じゃない。
妖精メイド達は○○の帰還を快く思っていない。
念入りに館の中で調査した所、森の魔女を初めとした数々の妖怪達が変死した事が発覚した。
どれも妖気が抜け切っており、中には喰らい尽くされた跡があった。
これらは全て彼の手によるものだ。
○○の暗躍は伏せられているが、彼が黒幕だという噂も無いわけではない。
事件に関わっていた小悪魔が屋敷から消えた際に、○○が始末したのではないのかと妖精メイドの間で囁かれていた。
だが状況証拠が揃わず事実無根として噂も次第に消えていった。
当の○○は贖罪のために、的確かつ真面目に従者達を適材適所に纏め上げてはいる。
だが持ち前の自信過剰で慇懃無礼な立ち振る舞いで反感を買っている。
それも思いの丈を残らず吐き出したせいか、あの一件で皮肉にも○○は心を開いたようだ。
また一つ悩みの種が増えたが、何故か憎めない気がして口出ししようとはしなかった。
「……!侵入者、あいつか…?」
突然、外の方から爆発音がけたたましく鳴るのが聞こえる。
門番役はメイドを数名、交代で見張らせている。
念には念を押して気味の悪い絵面だが、地中に異形を待機させてある。
異形を行使する権限を記した紙片を門番に明け渡したのは○○だ。
それが破られたという事は、考えられるのは一つだろう。
○○に連絡を取って迎撃に出そう。
そうと決めて、優秀な執事にして紅魔館唯一の魔術師の元に急いだ。
紅魔館中庭―――
穏やかな春先に見合わぬ風が吹き抜ける。
まだ冷たさの残る光が窓から漏れる中、廊下を急ぎ抜け正門へ向かう魔術師の若者が一人。
荒々しく扉を開け放ち、胸に挿した一輪の薔薇を揺らし、上品な紺碧のコートを風になびかせる。
門の手前に広がる庭園には白黒の魔法使いの少女。
巨大な生首の魔物の口や空洞になった眼孔から黒い煙が昇っている。
魔術師は分かっていた、再び侵入してくるあの手癖の悪い存在を。
門番代わりに地の底に潜ませておいた魔物を倒したのだという事を。
しかし彼女の目的が未だに自分の管理する図書館なのか見当もつかない。
「止まれ」
怒気に満ちた一声で制止して少女の眉間の延長線に薔薇を突きつけ手を伸ばす。
魔導に魅入られた鈍い漆黒の瞳が魔理沙を睨んでいる。
同じく彼を筆頭に土の人形や腐敗した屍体が少女を取り囲む。
魔理沙は前々回の襲撃から対策を取ってあるようだった。
その証拠に彼女の手の平からは退魔の光の残滓が漏れている。
巨大な生首の死骸に一瞥をくれた後に身体を翻して新手を確認する所で○○の存在に気づいた。
彼の姿を認めた瞬間、怒りを露わにする。
どうやら○○に用事があるようだ。
「何でここにいんだよ、お前は場違いだろ」
「冷たいですね、運命はまだここを私の居場所だと認めているのですよ。
私は自分の意志で仕えている、何か問題でも?」
「
レミリアと親友を殺しておいて白々しいぜ!
お前はどこまであいつらの巣を食い潰す気だ!出てけよ面汚しが!」
「出て行くのは貴様だ、野良猫。それとも残飯でも漁りに来たか?」
「ハンっ、猫は猫でも二番煎じの汚い獣を噛み千切るくらいどうってことはないぜ」
そう口火を切って魔理沙は深く腰を落とし戦闘体勢に入る。
やれやれと呆れ返るように○○も応じる。
魔理沙が先手を取った。
「魔符、ミルキーウェイッ!」
容赦なく輝く星の弾幕を○○と屍食鬼の軍勢に叩き込む。
穢れを祓う神聖な力を手にしたのか、次々と溶けて焼け焦げて灰になる。
○○が人形を盾にして凌いでたのを見て舌打ちする。
生にしがみついて逃げ隠れしているようで気に入らなかった。
「どうした、これで終わりか!」
強気に挑発する彼女に○○も買って出る。
先程のスペルで屍食鬼の群れが全滅したようだ。
やられっぱなしにはいかないと、○○は静かに左手を標的に掲げる。
下を親指に、上を残り四本の指にと、カードの縁を押さえさせる。
「貴女に素敵なプレゼントを」
「な、スペルカード!?いや弾幕を使えるのか…!」
魔理沙に突きつけるように指にカードを弾かせ、一気に反転させる。
それを目の当たりにした魔理沙の心臓が跳ね上がる。
見覚えのある月の紋章が描かれた古びたカードの表面。
青年を中心に満月のような妖光の輝きを讃える魔方陣が波紋を揺らす。
ちょうどそれは、静寂の中で微かにさざめく幾夜のそよ風のように。
そして宣言する。
「月符…、サイレントセレナ―――」
魔方陣を背に任せ、標的に薔薇を指す。
その瞬間を待ち侘びたかのように魔方陣から青白い光線が一斉に襲い掛かる。
「ってうおわああああああああああああああああああ!!」
回避するのに間に合わず、魔理沙は吹き飛ばされる。
その様を見届けた○○は高らかに勝利を宣言する。
「敗者は跪いて、私の靴を舐めるがいい!」
「クっ…、覚えてろ…!」
勝利を確信し増長する○○に見切りをつけて、魔理沙は捨て台詞と共に足早に去っていく。
一悶着の後には薔薇の鮮やかな赤は色あせて乾ききっていた。
いつの間にか、ただの変哲のない大空に戻っている。
男の足元にも、周囲にも見渡せど化け物はもういなかった。
不意に気配を一つ感じ取る。
だが敵ではないように感じ取り、薔薇を握る力を弱めた。
「○○、貴方の活躍に褒めて遣わすわよ」
「フフっ、せいぜい私がいる事に感謝してくださいよ」
後ろには"家族"の一人にして未だ健在のメイド長、十六夜咲夜。
猫被りする目の上の相手を失い、前にも増して傲慢な態度を取るようになっていた。
加えて自分の過失を断じて認めない狭小な一面も悪化している。
白々しくこの紅い屋敷に居座る私利私欲の魔術師。
しかし咲夜には分かっている。
今の彼は忠誠心に迷いも偽りもない、心の底から笑っている事に。
彼の根底には嘗ての想い人に報いる意志がある事に。
いつしか亡き王女や師と仰いだ魔女の遺志を受け継ぐ程の器になるだろう。
「はぁ……品のない者達の相手は疲れます」
そして薔薇を宙に放り投げ真っ赤な花弁を散らした。
白々執事 -アンドヴァリの遺産-
“終わり”
後書『みんなどう思っているか』
おぜう様
一番ご愁傷様な被害者(?)
ここでは生き物や世界など概念の運命は見えてもコップが割れるという物質の運命は見えていないという妄想設定。
○○に対しては次第に情が移っていき、信頼できる従者として咲夜さんと同じく愛するようになっていた。
そして館の家族へと迎え入れようと決心する。
彼の気持ちがただの忠誠か主従に捉われない愛だとしても受け入れるつもりだったが、その深い度量は○○に理解されなかった。
まぁ従者に裏切られたと知らずに逝ったのが唯一の救いか。
冷静で高圧的だが妹に優る(色々な意味での)激情を見せるときもある。
沸点が若干低い。
パチェ
踏んだり蹴ったりの濡れ衣。
最初から○○を才能に見所ある弟子として意外と熱心に教え、一人の男として愛でていた。
しかしその愛情も逆手に取られてしまう。
「○○はわしが育てた」
そのくせ身内の管理が甘い。
しかも当の○○には完全に白眼視されている。
事件に関しても彼の潔白を信じようとしてレミィを疑っていた。
結局は弟子の過失に気づかないせいで誤解を招いてしまったのが命運の尽き。
○○の悪事も自分の責任として背負い、親友の亡き骸を弔うため館を去った後の生死は不明。
小悪魔
濡れ衣第二号。
ある日○○が禁書を持ち出す所を見てしまい止めようとした。
しかし、弾幕を知らない彼に卑劣な策略で敗れてしまい、従属させられてしまった。
悪魔の癖に悪知恵で負けてどうする。
リークしたら呪い殺すと口封じもされている。
事件後は屋敷を静かに去って行方不明になったが、○○が始末したとも噂されている。
正直こぁを黒幕にしてもよかった。
咲夜さん
最後の最後で突然
主人公しだしたメイド長。
陰で修業時代の自分と重ね合わせて○○を気にかけている。
上司という立場のために毅然としていたのも完全故の不器用さのため。
おぜう様が○○を好いていることに関しては割りと好意的、他は知らんといった具合。
彼を殺さず生かしておくのは自分がこの惨劇を引き起こしたも同然と自責したためでもある。
そして○○が所業の重さに気づき涙することで咲夜さんの復讐は果たされた。
失った腕は永遠亭に新しく培養してもらい、くっつけてもらった。
忠誠心を強制したせいで、○○もあえなくロリコンに。
しかし○○はおぜうが大嫌いだった。
おぜう、アンタは今泣いていい。
めーりん
真のヒロインですよ、やったね。凄いね。
○○とは自他ともに認める気の置けない仲で○○は密かに想いを寄せていた。
ただ結局ライクかラブかはご想像にお任せ。
例え親友に呪い殺されたとしても決して事実を否定せずに受けとめ、○○には裏切らなければならなくなる事情があったと信じ続けた。
当の○○も、彼女に甘えるのも気恥ずかしいながらも悪い気はしなかった。
きっと何時か紅魔館に再び現れる日は来るだろう。
咲夜さんのお仕置き対象が自分から○○になり内心ほっとしているとか。
フランちゃん
一番空気かもしれん…スマン。
咲夜さんより融通の利く○○をよく使い走りにしている。
しかも○○に弾幕の極意を叩き込んだ鬼教官でもあり、メイド長を追い込んだのはその成果でもある。
人生を諦めきった○○を肉体言語で叱り飛ばした経験有り。
従者を持つ立場の責任を自覚していたため、狂気を抑えられている。
皮肉にも○○を反面教師にして成長していた模様。
彼を見てると地下で腐ってなんかいられないという対抗心もあるのだが…
最初は○○を殺そうとしたが咲夜さんにとめられて踏み止まってから、彼への憎しみと愛が拮抗している。
多分ヤンデレの兆しはあるけどもう続きは作らない、フランちゃんスマン。
姉のレミリアよりも素直で思ったことを口に出しやすく感情的。
○○、てか黒幕
文句なしの悪人。
身勝手な動機で親友(?)を謀殺したので弁解の余地はない。
しかも都合の悪い点は全部パチェになすりつけたのだから尚更の極悪人。
本編の裏や館の外でもアリスやお燐を初めとした邪魔者を謀殺していた。
グールもメドゥーサの生首も外来人の死体や妖怪少女を改造した成れの果てである。
人形を行使する力はアリスの研究記録を奪い取った産物。
最初から脱出だけを考えていて紅魔館の面々を嫌っていたが、美鈴にだけは心を開いていた。
他にアリスとも表面上だが学友として交流があった。
ただ、友達にならなかったらすぐ呪って無理やり従属させようとしたが…
この一件の後は反省した模様。
今では図書館の管理を任され、真面目にかつ誠実に業務をこなしている。
典型的な雑魚キャラ大臣の性格だが、その傲慢さは努力と信頼によるもので腕は確か。
ちなみに非常食の桃缶を用意したのは○○である。
モデルはアンドヴァリ、だととしたら指環を奪ったロキは誰なのだろう。
幻想郷全体の評判
二つ名:屍蒐の小賢者
能力:異形を操る程度の能力
色々酷い言われ様。
弱みを見せないために自信家な素振りをしているが、妖怪にとって子供の見栄っ張りでしかなく軽く生温かい目で見られている。
事件は古代の魔導の暴発事故と言うことになり、パチュリーが責任を負う形で処理されているため、○○の暗躍は伏せられている。
しかし真相を知る者(主に魔理沙)には完全に嫌われている。
最終更新:2012年08月05日 19:43