予想通り、本日は晴天なり。
予想外に、隣に座る少女あり。
きゃいきゃいと笑いながら話し掛けては来るも、支離滅裂故に半分は理解出来ず。
詩人ぶったモノローグを頭に浮かべた所で、現実は特に覆る訳でも無く。
昨日から始まったこの奇妙な同居生活は、果たしていつまで続くモノか。ふと気が遠くなった。
Spiegel von Hartmann-2.アシンメトリのシンメトリ-
「ねえねえ、私お外に行きたいわ?」
「いってらっしゃい、出口はあそこだぞ。そのままお姉さんの所に帰ると良い。」
「むー、そうじゃなくて、私はあなたとお出掛けしたいの?」
今は正午になるかならないか、か。
朝からずっとこの調子だ、なかなか折れてはくれない辺り、やはり妖怪とは言え中身は子供か。
正直な所、今日は出掛ける気がしない。
人の悪意みたいなモノも能力で感知できるのだが、今日は暇なゴロツキ方が俺をお探しのようだ。
こう、黒い靄と言うか。
そう言うのが空気中に漂っているのだが、こいつがある時は大体碌でもない事に襲われる。
その大元は、大抵は暇潰しにこんなしがない半妖をいたぶりに来る暇人方なので、こんな時は家に居るに限るのだ。
一度返り討ちにした事もあったが、次に倍の数を連れて来られてボコボコにされた。
その時は、案の定靄の濃さも倍だった訳で。
異世界に来た所で、村八分な根性は何処も変わらないようである。やれやれだ。
「とにかく、今日は嫌なモノが見えてるから外出は無しだ。
無用な怪我はしたくないんだよ。」
「え…嫌なモノって、私?」
…何でそうなる。
成立しているようで全く成立しない会話にも疲れてきた。
取り敢えず今日は折れて、最悪の事態が起きたら逃げるしかないか。
…だからそんな涙目を浮かべるんじゃない。
「お前の事じゃない。まあ、とにかく出たら解るだろ。さっさと行くぞ。」
「うん?」
ああ…現金な奴め。
「わあ…綺麗な場所ね?」
「正確には、後ろの木陰が俺のお気に入りなんだがな。」
なんて事はない、出掛けると言っても結局は散歩だ。
元は人も妖怪もあまりいない森を探して住み着いたが、住めば都と言うものか、今はこの場所自体は気に入っている。
川のせせらぎは静かで、うるさい奴もおらず、生活臭も無い森。
こいしは川の周りに夢中になっているが、俺は寧ろ、一本だけある大木の木陰が好きだ。
ここで呆然と過ごすと、自分が誰なのかすらも忘れられる。
こいしはしばらく一人で遊ばせるとして、俺はゆっくりするとしようか。
寄り掛かって能力で空気中を見ると、黒い靄はさっきよりは随分薄くなっていた。
向こうさんの気が変わったのか、それとも別の何かだったのか。
何にせよ、何も起こらないに越した事は無い。
まだ残暑はあるが、随分と過ごしやすくなったモノだ。
秋ももう近いのだろう、俺がここに来てから、もう半年以上になるのか。
「あの…すいません。」
誰だ。
振り返ると、随分懐かしい恰好が目に入る。
ありがちなデザインの、まさに現代人と言える恰好をした女。
…お仲間、って奴かね。
人の髪と瞳を見るなり、かなり失礼な怯え方をしてくれてはいるが。
「迷い人か?あんた。」
「あなたはここに住んでる人じゃないんですか?その、山を歩いてたら、迷ってしまって…。」
「俺も迷い人だ、半年以上な。
…そうだな、ここじゃ仮に生き延びても、帰れないと思うぞ。それか、苦しんで死ぬか。どっちかだな。」
「え!?それってどういう…。」
まあ、当り前か。
俺も現実を目の当たりにするまでは、こんな感じだった気がする。
どの道ここで生き延びた所で、ロクな事は無いだろう。
外来人の女はせいぜい人里で良いように使われるか、或いはどこぞで淫売にでも成り果てるか。
ここで殺してやるのも人情かともふと考えるが、人喰いの必要も無い以上、そんな義理も無い。
「運が無かったと思って諦めるんだな。ここにも集落はあるが、“まだ良い方”ってぐらいだ。
生憎だが、俺は助けにはなれんよ。」
「そんな…。」
ん?また黒い靄か。
女の方に向かってるみたいだが…そう言えば、あいつがいたっけな。なかなかサイコなお嬢さんが。
「そ、そんな事言わないで助けて下さいよ!幾ら何でも薄情じゃ…」
“ばちゅっ…”
ああ、だから言ったのに。
苦しまずに逝けただけ、まだ良いのか?
どさりと音がしたら、『首の無い女』はそのまま動かなくなった。
頭が飛び散ったのと反対の方を向くと、こいしが頬を膨らませながらこっちを見ている。
「もー、ひどいよ○○。さっきからずっと呼んでたのに。」
「仕方ないだろ?そいつが絡んで来てたんだから。」
拗ねられても困るんだがな、遊んでやらないと俺も首が飛ぶか。
外来人が死ぬ所なんて、正直見飽きてる。
里から離れて生きていると、嫌でも頻繁に目にする場面。
どうにも他人に興味が失せたのか、半妖になったからかなのかは解らないが、今は特に何も感じないのだ。
さっきの靄は、やっぱりこいしだったか。
動機自体は如何にも子供が拗ねそうな理由だが、それで頭を飛ばす辺り、改めてイカれてるなと思った。
「仕方ないな、かくれんぼでもするか?」
「やだよー、○○相手じゃすぐ見つかっちゃうもん。」
はは、それもそうか。
許せないから殺しちゃった。
だって、私が見えるのは○○だけなんだから。
____他の奴なんか、見ないでいいの。
『少しの間』は、実に便利な言葉だと思う。
何度もそれとなくこいしを追い出そうとしてみたが、結局丸め込まれ続け、早一ヶ月。
何時の間にか、家での互いの定位置も決まり始めているザマである。
いつも俺が座るスペースがあるのだが、こいしは決まって胡座の上に上手く収まりたがる。
サイズ的に邪魔な訳でも無く、結局諦めて放置を決め込む事にした。
ちらりと自分の胸元に目を遣ると、触り心地の良さげな髪が見える訳で。
ついつい指で梳いてしまっては、こいしは嬉しそうに笑うのだ。
…まあ、悪くはない。
夜眠る時も、こいしは俺の布団に潜り込んで来る。
しっかりと抱き付いて来ては、腕枕と髪を撫でるのを催促される。
正直腕が疲れるのだが、秋になり始め、近頃はどうにも肌寒い。
こいしは適温とも呼べる体温なので、やはり温もりの前では眠気の方が勝ってしまうのだった。
すっかり毒されてしまったのは、俺の方か。
そうやっていなして行く内、こいしが段々と『当り前』な存在になっていた。
一緒に暮らしていて思うのは、やはり俺達は何処か似ていると言う事。
それは髪の色だけじゃなく、心の在り方として。
彼女は言った。
「世界は怖くて、だけど独りは寂しい。」と。
だから彼女は、命を殺す。
だから俺は、命を見殺す。
見えない彼女と、見える俺と。
アシンメトリーの様で、それでいてパズルのピースの様に合わさり、傷を舐め合っている。
そんな事を、ふと考える。
「ねえ、○○…。」
「どうしたんだ?」
何日かに一度、こいしは何かに怯えた様子で甘えて来る時がある。
こう言う時は、お互い何も言わず、ただされるがままでいてやるようにしていた。
きゅっと背中にしがみつくのは、ただの小さな少女。
臆病で、儚い、狂った寂しがり。
ただ時折聞こえる泣き声だけが、能力では見えない彼女の心の奥を伝えて来る。
「私は、今日も見えてる?」
「そうだな、相変わらずさ。」
「明日も?」
「言ったろ?俺の力で見えないモノなんて、心の中ぐらいだって。」
「…うん。ちゃんと見付けてね。」
「…ああ。」
振り返り、こいしの胸元にある、綴じた眼を見る。
気のせいだろうが、一瞬光るモノが零れた気がした。
自分の生死にも興味が失せ始め、他人が死のうがもう何も感じられない。
それは今も変わらなくて。
だけど、背中に伝わる命だけは、妙に質量を持って鼓動を刻み付けて来ていた。
あったかいなあ、○○は。
ねえ、私は欲しいものがあるの。
それは、あなたの____。
“たまには連れ出してやるか。”
ふと気紛れに考えた俺は、こいしと共に森の中を歩いていた。
そうは言っても、俺自身ここに住み着いてまだ一年も経っていない。
行き当たりばったりな、とてもアバウトな散策。
それでも俺の手を取るこいしは、随分とご機嫌な様子だった。
そうして延々と似たような景色の中を進むと、徐々に開けた場所が見えて来た。
あれは…こんな場所があったなんて、知らなかったな。
「わあ…。」
「すごいな、これは…。」
一面に咲く、曼珠沙華の絨毯。
彼岸でも無いのに、これだけ咲くとは。
こいしはすぐにその中に飛び込んで、幼さを隠さずにはしゃいでいた。
それは彼女の服や髪とは不釣り合いな色の筈なのに、俺の眼には、何故かとても映えて見える。
死の象徴の様な花。
赤い、鮮やか過ぎるほど赤いその中で、彼女はただ笑う。
“綺麗だ。”
心の中に、思わずそんな言葉が浮かんだ。
「○○??こっち来てよ?」
「ああ、今行く。」
こいしの方に向かうと、そのまま彼女に手を掴まれて俺は倒れた。
仰向けになって見えたのは、曼珠沙華の隙間から見えた青空。
…空って、こんな青かったろうか?
「ふふふ…つーかまーえた。」
笑い声と共に、こいしの顔が見えた。
どうやら馬乗りになられたらしく、こいしはじっと俺の瞳を覗き込んで来る。
「どうした?これじゃ起き上がれないぞ。」
「いいもん。今はこうしてたいから。」
胸元に顔を埋めて、そう言ってけらけらと無垢に笑う。
こうして見ると、本当はただの純粋な子なのだと、改めて感じる。
大人になる過程で、『純粋さ』は徐々に薄まって、やがて無意識の内に捨てられてしまう物で。
そうでなければ、現実の前に心が壊れてしまう。
こいしは、恐らく自分の純粋さを捨てられなかったのだろう。
そして自分の力と現実に耐えられず、壊れた。
全てから逃げ出した先で、また孤独が待っている事にも、その時は気付かずに。
「…こいし。今、寂しいか?」
「ううん、○○がいてくれるから。」
「そう、か…。」
俺は、こいしをどう思っているのだろう?
いつの間にか現れて、いつの間にか、当り前の存在になっていて。
ただ、掛け替えの無いものにもなっていて。
そっと手を伸ばして、一度黒い帽子を撫でてやって。
確かに彼女は、俺の目の前にいる事を確かめていた。
「ねえ、○○。」
壊れ物にでも触るみたいに、優しい手つきで彼女が頬に触れる。
能力に頼らないと解らない、だけど、生きている手。
それが片方の瞼を塞ぐと、こいしはまた微笑んだ。
「私達、おそろいだね。髪の色も、ひとりぼっちな所も。」
「…そうだな。」
「ねえ。何処にいても、あなたの力で私を見付けてくれる?」
「ああ、約束するよ。」
「…ありがとう。そうそう、一つ、お願いがあるんだ。」
「なんだ?」
「えへへ…。ねえ、一つだけ、おそろいなようで違う物があるんだ。」
「…!?」
その瞬間、視界が片方消えた。
直後に形容しがたい激痛が走り、思わず顔をしかめた。
何とか片目を開け、こいしの方を見ると。
___その片手には、俺の眼球があった。
「あなたの瞳は私と同じ緑だけど、濃さが違うでしょ?
それがいやなの。だから、こうしましょう?」
大事そうに片手に俺の眼を持ちながら、空いた方の手を、彼女は自分の瞼に伸ばす。
ぶちぶちと、肉の千切れる音がゆっくりと鳴る。
丁度、俺の抉られた眼と、対になる方の眼。
抜き取られた眼球から神経が糸を引き、遂にずるりと眼球が引き摺り出された。
「こいし、何を…!?」
「とりかえっこ、だよ?
大丈夫、○○も半分は妖怪なんだから、きっと合うもの。ふふふ…。」
顔を押さえ付けられ、抉られた眼孔に『何かを突っ込まれた』感触がした。
そして針が頭の中を巡る様な痛みが走る。
「ぐ、う、あっ…!!」
痛みに耐えかね、呻き声が漏れる。
収まるのをただ待ち、もがき続け、痛みが引いた時には。
ついさっきと同じ、二つの眼球から見える視界が戻っていた。
___真っ先に、深緑と薄緑の瞳を宿したこいしを映して。
「あははははははははははははははははははははははは!!!!おそろい!!!これで○○とおそろいだわ!!!!!
なんて素晴らしいの!!!!もう私はひとりぼっちじゃないんだわ!!!!!あははははははははははははははははは!!!!!!」
俺の左目は、こいしの右目に。
こいしの右目は、俺の左目に。
丁度向かい合った時に、鏡の様に同じ色の瞳が重なる。
気が触れたみたいにげらげらと笑い転げるこいしの右目からは、さっきの血が流れていて。
それは、彼女の胸元の第三の眼にも垂れて。
縫い合わされた瞼からは、血の涙が流れている様に見えた。
続く。
最終更新:2012年08月05日 19:50