某ゲームのオマージュ
○○は走って本棚の間を逃げ回っていた。
そんな彼を嘲笑うかのように、足音は着実に追いかけてくる。
「○○様、お待ちを」
含み笑いが聞こえ、パンと銃声が響く。
ビシと本棚に穴が開き、○○の喉がヒッと引きつる。
遮二無二に逃げようとするが、本棚の奧の袋小路に追い詰められてしまった。
「く、来るな……!!」
「○○様、どうして逃げられるのです? お早く、ご自分の部屋にお戻りください。
パチュリー様がご心配されます」
素早く拳銃に弾丸をリロードをし終え、チャキと銃口が○○に向けられる。
「ほら……○○様が往生際の悪い逃げ方をなさるから本棚に穴が開いてしまいました。この弾丸は紙を傷付けませんが、それ以外はそのままですので」
パシ、パシ、パシと古めかしい拳銃を空いた左手の掌に叩き付けながら、フードを被った執事はじわりと近付いてきた。
○○の背中に本棚が当たる。何とか逃げようとするが、執事が近付いてくる通路以外に逃げ道はない。
「さ、駄々を捏ねずにお戻りください。そもそも、何故拒絶なさるのです? ここは、この大図書館は○○様の家だと言うのに」
「違う、違うんだ。俺は、俺は違うんだ!!」
「違う、どう違うというのですか?」
「そ、それは……」
○○とて何が違うからと理解して逃げ出した訳ではない。
愛する女性であるパチュリーとの生活。共に研究を続ける錬金術。
どれもが充実し、忙しいながらも楽しい生活。だった。その筈だったのに。
言いようのない違和感と焦燥が、○○をそれらからの逃避へと誘った。
「ふむ……混乱が激しいご様子で。つまりは整合性が取れなくなったという訳ですか」
「な、何を……」
『アゾートはオリジナルにのみ抱かれる』
ラテン語によって紡がれた言葉と同時に、○○の目が虚ろなものになった。
執事はフンと鼻を鳴らし、フードの下から出ている口が軽蔑に歪む。
慇懃な態度が豹変し、意志を喪った○○を見る目は汚物でも見るような蔑みに満ちている。
「真なるアゾートを、真なる○○である栄誉を受けながら……蒙昧な失敗作共となんら変わらんという事か!!」
着いてこい、と執事が呟くと○○は従順な態度で彼の後をフラフラと着いていく。
「記憶と人格を最適化し直す必要があるな……やれやれ。パチュリーが起床するまでにやらねばならん。今夜は徹夜だな」
控えていたゴーレムに○○を運ぶよう言い放ち、執事は早足で隠し通路へと消えていった。
「気が付いたか」
○○が意識を取り戻すと、彼は培養槽の中に居た。
その施設は彼の知らないものだった。パチュリーの実験室は粗方知っている○○には見覚えの無い場所。
「驚いたかね? ここはお前の知らない私の実験室だ。パチュリーは知っているがね」
驚きに声を挙げようとするが、培養液に浸かっている為声を出せない。
自分が水中に居ることに気付き慌てるが、呼吸が出来る事に○○は気付いた。
「慌てるな、その液体は特製でな。肺呼吸せずとも窒息はしない……流石に喋る事は出来んが」
ダンダンと内側のガラスを叩く○○を、執事は嘲笑した。
「怖がる必要はない。殺しはせんよ、色々問題はあるがお前はパチュリーのお気に入りなんだ。彼女が手放さない内はお前は大丈夫だ。
壊れても私が修理するし、障害が発生したら初期化するか最適化してやろう。今回の記憶の混濁はエラーらしいから最適化だな。
気にする事はない。朝方にはお前は『お前の部屋で朝を迎え』『最愛の妻に起こされ朝食を共にし』『何時も通りの毎日』を過ごす事になる。
勿論、この会話も何もかも忘れてな……」
驚愕に目を見開く○○を、執事は変わらぬ蔑んだ口元で翻弄し、自分のフードに手を掛けた。
「恐れる事はない。お前はパチュリーの、彼女が愛し望んだ○○であれば良いのだ。それがお前の存在意義だ。
補佐役として、管理用として残されているだけの俺とは違う。お前だけが出来る、非常に憎らしい、妬ましい役割だ……!!」
フードがゆっくりと引き上げられ、完全に執事の顔が露出する。
それを見た○○は、言葉を失って唖然とするしかなかった。
それは○○だった。20代の○○とは違う。
50代の、顔面にひび割れたような皺が何本も走っている、年老いた○○だった。
「そうだともよ。お前は俺だ。俺はお前だ。失敗作か、成功作かの違いはあるがな、お前と俺は同じ○○だ。クローンなんだよ!!」
声にならぬ絶叫が培養液を泡で包んだ。
紅魔館と呼ばれる館の中にある大図書館に、愛に狂った魔女が住んでいるという。
彼女は館に招かれた外来人を恋し、やがては愛した。
錬金術に興味を引かれた外来人は魔女から錬金術を学び、実践し始めた。
この頃こそが魔女と外来人にとって尤も幸せな時代であり、そして転落への兆候でもあった。
それは幾つもの偶然が重なって起きた事故だった。
研究室を1つ吹き飛ばした事故は外来人の命を奪った。死んだ外来人を前にして、魔女の精神は均衡を崩した。
彼女は自らの魔術によって外来人を取り戻そうとした。
遺体から抽出した外来人の要素、精神、記憶、あらゆるものを自らが作り出した究極の石、賢者の石、アゾートに込めたのだ。
遺体から取り出された細胞を使用してクローンされ外来人にアゾートは埋め込まれ、外来人は『蘇った』。
あの忌まわしい事故が起こる前の、悲劇が起こる前の幸せな時代そのままで。
しかし、それは有り得ない事だった。
有り得ない事を魔術と賢者の石という規格外の存在で取り繕ったものだった。
綻びは徐々に広がり、魔女は必死にそれを繕った。
そうすることで○○と自分の『幸せな生活』を維持する為に。
「だが、その生活は長続きはしない。何年かすれば必ず破綻が来る。その度に俺はほつれを直すか、新しい○○を作り出した」
培養液で最適化されている○○を見詰めながら、失敗作の○○は独り言を呟き続ける。
その目は狂喜とその他の何かに占められ、常軌を逸していた。
「だがそれも何れは終わる。最初は数ヶ月で破綻していたものが、この最新の○○では3年間も維持されたのだ。
アゾートの調整と純度の研究も着々と進んでいる。パチュリーが愛した○○のアゾート、完全なるアゾートが生み出される」
笑い声は堪えきれなくなり、哄笑へと変わった。
「その時こそ、そのアゾートを『産み直した』俺の中へと入れ替える。俺は失敗作ではなくなる!!
パチュリーが、俺の愛した女が愛した本当の○○へと変われるのだ!! ああ、愛してるよパチュリー!!
本物の俺が完成すれば、ずっとお前が愛した俺、○○で居られるんだ。ずっと、永遠に愛し合おう、パチュリー!!」
そして、大図書館はいつもの朝を迎える。
「お早うパチュリー。今日は寝ぼけていないかな?」
「お早う○○、そんな事言わないで頂戴。寝起きの悪い私だって意識がシャンとしている朝だってあるわよ」
その下に狂愛を潜ませながら。
最終更新:2012年08月05日 20:07