明日はまた月曜日か……。早くもGWが懐かしいな。GWに忙しくてあんまり嫁とゆっくり出来なかった人用。
外の世界では見慣れた物を我が家の居間にようやく設置し終えたところで妻が顔を出した。
「わあ。何ですか。あなた」
「これはな、映像の受像機と……まぁフィルムのようなものだ」
道具屋の店主から二束三文で買い受けた物を後で貸してやる約束で河童の協力を取り付け電力を得た。
「フィルム? これがですか? 」
阿求は首を傾げて薄くきらきらと光る円盤を持ち上げた。
「相変わらず外の世界は移り変わりが激しいな。さすがに新しい物は見当たらなかったが……VHSはともかくDVDまで何枚か手に入ったぞ。おっと阿求その円盤の光っている裏面には触るなよ。そこが傷つくと壊れてしまう」
と言っても阿求はいま一つ俺の言う事に理解が及ばないらしい。小首を傾げて何やら考え込んでいる。
「その円盤の中に色々な映像を記録している機械だ、と言えば分かりが良いか」
「ぶいえいちえす……でぃーぶいでぃー……ああ! 分りました! 活動写真ですね! 」
ぽむと柔らかな手を打った可憐な少女から少々年寄り染みた答えが帰って来た。
「でもどうなさったんです? 突然こんなに沢山のお買い物を」
「外の世界では映画を観るのは代表的な娯楽の一つでな。それにこれならお前も楽しめるだろう。体調が優れなくても外出せずに楽しめるからな」
「えっ……。わ、私のため、に? 」
一瞬だけ阿求は目を丸くする。そして嬉しさからじわじわと緩む頬を必死の努力で押さえ込もうとしていた。変な顔になっていないか気が気でないのだろう。
にやけた顔のまま俺の顔を見れず俯いている。
「ありがとうございます。あなた……。うふふ。それでは、ふふ。……こほん。それでは、せっかくですから早速一緒に観ましょうか」
「もう少し待て。映画は連休の夕食の後と相場が決まっているのだ」
この習慣は恐らく○○ロードショーやら○○洋画劇場の影響だと推察できる。
「そうなのですか。それではすぐにご用意しますからね。……うふふ。あなた。何か食べたいものがあったら仰ってくださいな」
夕食の間ずっと阿求のにやにや笑いは止まらなかった。
夕食後、菓子やら果物と言った軽食を準備し、映像機材のついでに用意しておいたゆったりと深みのあるソファに腰掛けた。和室には合わないが映画は伸び伸びと見ることが重要である。
「あなた。お茶が入りましたよ」
阿求がそこに紅茶を添えて準備万端整った。
「いや、待て。大事な事を忘れていた。厠に行っておけ阿求」
「もう……。お手洗いぐらい大丈夫です。すぐに子ども扱いするんですから」
「そう膨れるな。大事な事だ。ちゃんと済ませたか? 」
「す、済ませました。ちゃんと済ませましたよぅ。女性にそんな事言わせないで下さいっ」
「なら良いが……さて。最初はどれを観る? 」
「そうですねぇ。色々あって迷いますが……それではまずはこれを」
「……ほう意外だな。お前がいきなりこういう物を選ぶとは」
サスペンス
探偵が登場人物たちを洋館の一室に集め宣言する。憎むべき殺人犯はこの中に潜んでいる。と。一様に驚きを隠せない容疑者達。
それら居並んだ男女は皆困惑の表情を浮かべていたが一方でその裏にはどこか打算的な影があるようにも思える。
果たして犯人は誰なのか。探偵の謎解きが始まる。
「分かりました。犯人は板前のヤスです」
探偵が謎を解き明かすより早く阿求はそう言い当てて見せた。
「おお。やるな阿求。途中で良く分かったな」
「この程度の謎掛け遊びなど私にとっては子供騙しのようなものです。伊達にご先祖様たちから知識を受け継いだわけではないのですよ」
ふふん。と阿求は得意気に小さな胸を張った。褒められてすっかりご満悦である。
「映像の美麗さや舞台装置などの撮影技術には驚かされましたが物語の核心部分は今も昔も変わらないものですね。
この分野に関しては外の世界の人々にも遅れを取るつもりはありませんよ」
もっと褒めて欲しいらしく阿求は威勢よく自身たっぷりに笑って見せた。
普段控え目な態度の阿求がこういう子供らしさを覗かせるのは俺の前ぐらいなものなのでその点は嬉しいが一方で少々悔しくもある。
「むう。この程度で外界の推理物の奥深さを知った気になってもらっては困る。これが偶々簡単だったのだ」
「うふふ。それではあなたご自慢の外界の謎掛けとやらを聞かせていただきましょうか。たちどころに解き明かして見せましょう。阿礼乙女の名に懸けて! 」
図らずしも某少年探偵の決め台詞と共に阿求は大見得を切った。
中々可愛げのある生意気さではないか。是非ともその天狗の鼻を折ってやりたい。
俺は暫し考えた。どんな謎掛けならば解かれないか。外界のミステリ界の威信が俺の双肩に掛かっている。なるべく下らない物が良い。真面目に過ぎる阿求の事だ。
単純な答えならば逆に思考の罠に嵌ってくれるかも知れぬ。
「二人が裸で行い出たら終わりになるものは何だ? 」
言ってしまった後で悔やんだ。もっと他に良い謎があったではないか。
全国のミステリファンに詫びるつもりであったが何故か阿求はすぐには答えない。視線をさ迷わせながらほんのり頬を桜色に染めてにやついている。
「……も、もうっ。あなたったらい、いけませんよ? まだ夜も浅い内からそんな、露骨な……。夫婦と言えども節度と言うものが必要ですよ?
ほんとにもうっ。しょうがない人ですね……。えへへ。それではこ、こっそりお答えしますからこちらへどうぞ……?」
「おい。止せ、引っ張るな。この場で答えろ阿求」
「ええっ。こここ、この場でですか。 だめですそんな破廉恥なっ! 居間でそんな事をしてご近所様に聞こえでもしたら……。こほん。よろしいですか、あなた?
ね、閨事というものは夫婦が互いを愛し慈しみ合う神聖な気持ちの表れであって、い、いくら相手が愛おしいからといってそんな決して快楽を一義として行うような……」
婚前から思っていたのだが阿求は少々思い込みが激しい。普段はこれでも聡明な女なのだが。
「あ……もうそんな。そんなに見つめないで? ……もうっ。静かにしないとだめですよ。し、仕方の無い旦那様です。ほ、ほ、ほんとはいけない事なんですからね? 」
軽やかな阿求の体重が俺の肩に掛かってソファが、きしりと軽い軋みを立てた。
「ちょ、ちょっとどうして逃げるのですか。まってくださいよう。せっかくのあなたからのお誘いなのにっ」
思わずソファの端まで体をずらして阿求が距離を詰めた分下がる。
「何を言っている。これは単なる謎掛けだ」
「あ。成程。分かりました」
唐突に阿求は合点がいったと言うように動きを止めた。
「おお。分かったか」
「つまりそういう趣向で楽しもうという事ですね。ふ、ふふ。考えてみればこれはお得です。私から強引になんて甘美な……いえ少々背徳的過ぎますが……。
あ、あなたがお望みなら、そういうのも私は……こほん。それではあなた声を出してはいけませんよ? ご近所様にばれてしまいますからね? ふふ、もう逃げても無駄ですからねぇ」
一人で勝手に納得して阿求はにじり寄って来る。
「どこを触っている。こそばゆいぞ」
「またまたぁ。照れちゃってぇ。あ、あらあなた。切なそうなお顔です……。熱くなってしまわれたのですか? やだぁ。ふふひ。は、はしたなぁい。いけないひと……お下品ですよ、あなたぁ……」
にまにまと緩み切った笑みを上気させた阿求の熱い吐息が顔にかかる。
「はぁ……はぁ……っ。あなた……。それでは答えを教えちゃいますからね……? 」
阿求が袴に手を滑り込ませてきたあたりで答えは相撲だと教えてやった。
瞬時に顔中を沸騰したように真っ赤にすると何故か阿求は目にも止まらぬ速さで自室に引き篭もってしまった。
ドキュメンタリー
驚くべき動植物たちの生態系。
世界各地の信じがたい絶景、奇景の数々。
動物物のドキュメンタリーは誰でも楽しむ事が出来る上に映像も美麗である。まるで実際にその土地に旅行しているような臨場感を味わう事ができる。
自然の威容に圧倒されるだけで時を忘れる。
「わぁ。外界の海の向こうにはこんな場所があるのですね」
幾重にも連なる氷に包まれた山脈や永遠に続くかに見える砂漠を見て阿求は純粋な感嘆を漏らした。
「すごい。すごい。見てくださいあなた。こんな生き物がいるのですね」
かと思えば太陽の光が届かない深海の形容し難い生物を見てはしゃいでいる。
「この手の作品は少々お堅いか、と思ったが気に入ったか」
「はい! 世界は広いものですね。書物で知っている所もありましたが、こうして実際の姿を見るのは初めてのものばかりです。大変興味深いですよ」
そういえば元々阿求は知識欲の塊のようなものだ。案外こういう作品が最も気を惹くのかもしれぬ。
「それに、矢張り遠い異国に実際に行く事は私には出来ませんから……。ですから、こんな美しい景色を見る事が出来て……とても嬉しいのですよ」
幻想郷も美しい所だが簡単に出入りできる場所ではない。ましてや阿求の体では。 少ししんみりしてしまった。
映像は続いて密林の小さな虫たちの生活を映し出した。日本では見ない種類の蛞蝓の生殖について詳細な説明がなされた。
小指ほどの大きさの蛞蝓が粘液に塗れ全身で絡まり合っている。「少し阿求に似ているな」場を和まそうとした冗談であったが阿求に尻を抓られた。
恋愛映画
古典映画の名作である。
とある小国の王女が家臣たちの目を盗んで一人で街へと遊びに出かけてしまう。王女はそこで平民の男と出会い一日だけ身分を隠し男に街を案内される。
二人は身分の差に関わり無く惹かれ合い、たった一日だけの恋をする。王女を連れ戻そうとする家臣たちの手を逃れた二人は互いに見つめ合い……。
今までも没入していたがこれは更に食いつきが違う。
阿求はきらきらとした目を画面に釘付けにして瞬きすら忘れて集中していた。時折その唇から甘い溜息が漏れる。
楽しんでいるな。と思うと俺の手にするりと白魚のような手が絡みついてきた。横顔を窺うと阿求は未だ映画に夢中である。この手は無意識であるらしい。
ストーリーが進み王女と若者の距離が近付くに連れて阿求も徐々に俺の方へ体を寄せてくる。クライマックスに至る頃には阿求の小さな体は俺の胸の中にすっぽりと納まっていた。
「素晴らしいお話しでしたね……」
目尻の涙を指先で拭いながら夢を見ているような表情で阿求は呟いた。
「ね、あなた。私がもしもあの王女様のようにお別れを告げてどこか遠くへ行ってしまうとしたらどうしますか? 」
「無論引き止めるさ」「どんなふうにですか? 」「むう」
「女としては矢張り情熱的な台詞に憧れる所があります。ね、あなた。私が今からあの王女様の去り際の台詞を真似しますから何とか私を引き止めてみてください」
「あの映画は結局結ばれないから良いのだと思うが」
「それは勿論分かっています。ですから私はあなたが何と言っても映画と同じように去ります。それでもあなたに止めて欲しいのですっ! 」
「振られるのが分かっていて引き止めろと言うのか」
「言うのです」
恋愛譚を観た後の女というのはいつの世も面倒なものだ。
「それでは始めますからね? 」
なかなかの難題である。仕方あるまい。ここは先人たちの知恵を借りるとしよう。
「ここでお別れです……。あなたはこのままお帰りください。私の行き先を見ないと約束して。決して振り返らないで下さい。私もそう致します。……何も……お別れの言葉が……何も、出てきません」
阿求はなかなか演技派である。すっかり成り切っている。噴出しそうなのを堪えつつ阿求の手を握り抱き寄せる。
「待ってくれ」「あ、あなた? 」腕の中で阿求の当惑が聞こえる。
「お前が……。お前が俺を愛してくれたから初めて俺は俺自身に価値を見出せた。俺が天から心を授かったのはお前を愛するために違いない。お前が隣に居てくれたから月の美しさを知ったのだ。
だから頼む。どうか今更……俺を一人にしないでくれ」
「……はい……………あなた……」
阿求は陶然としたように返事をした。酔ったように濡れた熱い瞳がじっと俺を見たまま動かなかった。
「阿求。確かこの後は俺の前から去るのではなかったか」
「ま、間違えました。もう一度お願いします」
誰が言い直すものか。
ホラー映画
「うふふ。ここは幻想郷ですよ。幽霊なら白玉楼で本物がいくらでも見られます。作り物なんて目じゃありませんよ」
「しかしこれは外の世界でもかなり有名な作品だ。なかなか良く出来たものだぞ。恐らく妖夢や西行寺殿も最後までは見られないと思うが。
俺も昔、幼い頃はこの手の映画が怖くてな。なかなか寝付けず難儀したものだ」
「はいはい。うふふ。私は映画の内容よりもあなたのような人にもお化けが怖いなんていう時期があったという事に興味があります。
あっ。大丈夫ですよ。誰にでも苦手なものはありますよ。ふふ……ごめんなさい。怒らないで? 可愛い人……。あなた。怖くて眠れない時はいつでも私に仰って下さいね?
今は私がずっと一緒ですからね? くすっ。それでは見てみましょうか」
これが鑑賞前の会話である。
呪いのビデオに纏わる噂が人々の間で語られていた。その映像を見た者は恐ろしい呪いをその身に受けて数日の内に死ぬ運命が待つという。
その映像を見てしまった犠牲者たちは手を尽くして怨霊の手を逃れようとする。しかし無情に期限は過ぎ行く。
犠牲者の部屋のテレビが勝手に映像を映し出す。そこには呪いの映像で見た古井戸が映っている。誰かがその暗い穴から顔を出す。
髪の長い女だ。女がゆっくり画面に向かって近付いてくる。
そしてついに。
その夜。
「あ、あなた。私。その。お手洗いに……」「うん? そうか」「あの、非常に、非常に不躾なのですが…………つ……」
「つ? 」
「付いて来て下さい……」
この時期でも深夜の廊下は少々冷える。
「だから映画の前後に厠に行っておけと」
「ご、ごもっともです! 呆れるのはごもっともですが! 承知の上でお願いします! 」
「仕方ないな。全く。それで俺は何をすればいいのだ」
「……その済むまでここで待っていて下さい」
「何が済むまでだ」
「お……、って何を言わせるお積もりですか! 」
「さて先に部屋に戻るか」
「ま、待ってぇ。……うぅ。……あ、なた意地悪しないで……も、我慢が……」
鑑賞前の阿求の余裕を思い出したので少々困らせてやりたくなった。
「はっきりと何をしていればいいのか教えてくれ。お前の口からな」
「ううぅ……ひぐっ……ぐすっ……お化けが、怖いのでぇ……私が………………している間……ここで、待っていて下さい。一人では、っ……出来ません……。あなたにっ、見守っていて欲しい、です……」
俺はほくそ笑み満足感を味わいながら阿求を見送り厠の前で待った。
その後厠から出てきた阿求の方が怨霊よりも怖かった。
???
一通りの作品に目を通し終わった日の夜の事である。
――あら? あなたそっちの影にも一枚でぃーぶいでぃーが有りますよ。これはまだ見ていませんよね?
阿求が機材の影に埋もれるようになっていたディスクを見つけてしまった。ああ。これは。あれだな、何だ。壊れていたようだ。試したが映らなかった。
――…………
まぁ元は拾い物だ。仕方あるまい。
――……嘘です。あなたは嘘をついておられます……。
おいおい。何を言う。
――夫の嘘を見破るなど妻にとっては容易い事です。何故なら愛していますから
さて、阿求。夜も更けた事だ。そろそろ
――あ、な、た? 再生して下さい。今すぐ私の目の前で
……分かった。
果たして画面にあられもない女の裸体が映し出され嬌声が部屋に満ちた。
――あら? おかしいですね? 壊れていたのではなかったのですか?
まったくもってふしぎなものだなぁ。
――まぁ。大きな胸ですねぇ。あなた。
阿求は真っ白な冷たい顔のまま画面を突き刺すような視線で射抜き微動だにしなかった。キュッと引き結んだ口元から硬い音がした。
阿求は親指の先を行儀良くほんの僅かに開いた唇に挟んでカリ、ときつく噛み締めていた。爪を噛む阿求の横顔は艶めいてはいたが顔色は度を越した嫉妬で血の気が引いて青白い。
――あなた……。お話しがあります。この映像を止めて下さい。
烏天狗を超える最速の動きで電源を切った。しんと部屋が静まり返る。静けさの中阿求が真っ暗になった画面から全く目を逸らす事無くぼそりと呟いた。
――……嫌な女。
背中に氷柱を突っ込まれたような怖気が走った。更に長い間を置いてようやく阿求は話し始める。
――……殿方がそういう事を堪えられぬ物だと言う事は理解はしています。特に私は私の病のせいで中々あなたにご満足いただけません。ですがよろしいですか。
私たちは夫婦ではないですか。何故私にご相談下さらないのですか?あなたのお心をお慰めする事こそ最も大切な私の役目です。
あなたのお心が私から離れかねないのであれば命など顧みずご奉仕させていただく覚悟です。それなのにあなたはこ、こんな……。
そこで阿求は言葉に詰まった。
阿求の真っ直ぐな美しい瞳にジワジワと大粒の涙が堪っていった。思わず視線を落とした。
――目を逸らさないでっ!
頬に阿求の冷たい手が添えられる。
――あなた。もし。もしその通りなら……仰ってください。
――私のためというのは……。こういった物をご覧になるための……口実ですか。
阿求。それは違う。
――……ごめんなさい。……言葉が過ぎました。……お叱り下さい。でも。でもあなた。
――あの……あのね? もしかして、お嫌になってしまわれましたか?こ、こんな女との生活にお疲れなのではないですか?
――抱きたい時に抱けない。抱いても子供の貧相な体で私ばかり気持ち良くなって恥ずかしいぐらいに乱れて……。嫉妬深くて根暗で重くて、面倒で。
――そ、そもそも最初からご、ご迷惑を掛け続けていますよね。無理矢理に同情を引いてお情けを頂いて、あなたをこの家に、この里に縛り付けて……。
慣れない生活に里の政も、稗田家の取り仕切りも任せ切りで……。私は毎日陰気に部屋に閉じ篭って書き物をしているだけで……楽しくなんて、ないに決まっていますよね……。
――嫌になって。飽きてしまって当然ですよねぇ。こんな。こんな女の体なんてぇ……。
一見大袈裟な反応だがこの不安は阿求の本質のようなもので最早切っても切り離せない。元々愛情深い尽くす女であった。
それが俺を無理矢理この世界に留まらせた事への罪悪感と女としての自信の無さで歪んでしまった。だから少し俺に優しくされただけでそれはもう阿求は喜ぶ。嫌われていないというだけで感謝の念を抱く程に卑屈になる。
そんな阿求の為にと言って用意してきた贈り物で二人楽しい時間を過ごし、天にも昇る心地の中で他の女への欲望を見たわけだ。まさに絶頂から突き落とされたわけだ。
懸命に阿求を宥めながら俺は内心頭を抱えた。今回も面倒な事になりそうだ。
――お布団を……敷きます。……お話しの続きはそこで。
阿求がそう言って立ち上がった。
その日の深夜。目覚めると隣に阿求の姿は無かった。どこにいるのかは見当が付く。案の定居間に小さな明かりが点いていた。
薄闇の中で真っ白な顔をした阿求が件のディスクの裏面を針で何度もなぞり傷を付けている。
――くふっ。くふふっ。あの人ったらあんなに激しく……ふふっ。もうこんな、こんなモノッ。いりませんよね。邪魔っ。邪魔です……。
私たちの家にっ……。入ってこないで……ッ! ここはあの人と私の、二人だけの家なの……。あの人が好きなのは私、私なんです……。こんなッ、こんな汚らわしい……。
廊下にまで阿求の呪詛は響いていた。
やれやれ。と俺は溜息をついた。元々あれは捨てるつもりであった。
しかし今回は久し振りに妻を怖いと思った。取り合えずもうしばらくして阿求の気が済めば思い切り優しくしてやろう。
そう心に決めつつ夜は更けて行った。
最終更新:2012年08月05日 20:54