「妹紅さん。私がいなくなっても、誰もいなくなると言う事は絶対にないと思います。だから」
「ああ、分かってるよ。これからはイナバを見つけても虐めない。じゃないと、お前が帰れないからな」
鈴仙は妹紅の提案を受け入れた。
途中、鈴仙が室内に篭る血の匂いにまた嘔吐感を訴えだしたので、細かい話は全部外で、立ち話で決めていた。
「私は慧音の家に厄介になろうと思う・・・どのみちこの家を一日やそこらで片付けれるとは思えないし」
「・・・慧音さんは大丈夫なんですか?」
妹紅が慧音の家に行くかどうかなどは、別に鈴仙からすればどっちでも良かったが。
それでも、妹紅と輝夜の死闘に関して。部外者をこの家に逗留させたままで大丈夫なのだろうかとは思っていた。
まさか妹紅が、そこに気づいていないとは思っていなかったので。ある意味当然の考えだろう。
しかし、そしたら。それはそれでまたある疑問が降って沸いた。いきなり押しかけても大丈夫なのだろうかと。
妹紅が、輝夜との死闘の場を整える件は。鈴仙の動きや立ち回りにも影響を与える事柄だけに。
その進捗が捗るかどうか。気になるのは当然の事だろう。
そんな素朴な疑問を問いかけると、妹紅は小さな声で「初めてじゃないから・・・この手の事は」とだけ答えてくれた。
「ああ・・・なるほど」
それ以上は聞かなかった。聞けば聞くだけ、妹紅の中にある地雷を刺激するだけだと感じたから。
妹紅は小さく答えただけで、また黙りこくってしまった。
黙ったまま、カリカリカリと。またこめかみを爪で引っかきだした。
「お前の所の・・・・・・姫様は・・・良いよな。永琳がいるから」
妹紅が何を言いたいのかは、それだけでも十分理解できた。
八意永琳も、妹紅や輝夜と同じく蓬莱人である事を言いたいのだろう。
これは仮定の話でしかないが。従者でも親友でも、立場は何でも良いから。
妹紅にも、輝夜にとっての永琳のような。永遠を共に生きる同志のような存在がいれば。
あるいは、ここまで不安定な精神状態ではなかったかもしれない。
だからと言って。じゃあ作れば良いといわんばかりに。慧音に自分の肝を食べさせるような暴挙、妹紅は出来ないだろう。
だから余計に苦しいのだろう。
こめかみを爪立てる音が、カリカリからガリガリへと変っていく。そろそろ血が滲み出してくるような引っかき方だ。
流石に今度は止めようかな。と思って、手を差し伸べようとしたが。
「必要ない」と手を上げた所で、素っ気無く返されてしまった。
一応妹紅にも抑えようと言う気は在るようで。空いていたもう片方の手で、ガシッと爪立てる為に使っていた手を鷲づかみにした。
よほど強い力で掴んでいるのか。掴まれた手がうっ血していくのが目に見えて分かった。
「早く行ってくれ。お前を見ていると、どうしても輝夜の事を考えてしまう。今の私じゃ・・・」
そこまで言って、後はうつむいた様子で、歯を軋ませる音を出すだけだった。
これ以上は無理だな。そう悟った鈴仙は、何も声をかけずに、静かにその場を立ち去った。
「ふうん。そんな事があったの」
今鈴仙は、何日かぶりに永遠亭の敷地内へと帰ってきている。
目の前にいる輝夜は、鈴仙が事実を下に都合よく手を加えた報告書を読んでいる。
体裁だけ取り繕う為、茂みに潜んでいる時。一言一句頭を捻りながら必死で考えた文章である。
即興で矛盾なく説明しきる自信のなかった鈴仙は。頭をかきむしったり、もんどりうちながらこの文章を仕上げた。
文章を作り上げるのに、勢力を使い果たし。疲労困憊の表情で鈴仙は輝夜に接見していた。
その疲れきった表情を見た輝夜は、そして永琳ですら。鈴仙が監視疲れで酷い表情をしていると思い込んでいた。
これが事の他鈴仙に利益をもたらしていた。二人とも鈴仙の報告を疑う素振りが全く見受けられなかった。
そもそも、妹紅が室内で暴れた事に関しては、ほぼ事実を下にしてあるし。慧音の家にしばらく居を移したと言うのも事実だった。
大きな嘘は何もついていない為。鈴仙も自分の想像以上に平常心を持ってして輝夜の前に座る事が出来ていた。
図らずとも、鈴仙は二重に助かっていた。
輝夜は鈴仙の作った報告書を読みながら、ニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「私には永琳がいるもんねー。妹紅ったら一人ぼっちで可愛そう」
全てを読み終わった輝夜は。嬉しそうに、傍らに鎮座している永琳の膝の上に頭を預けた。
「ねぇ永琳。貴女はいつまでもいつまでも、私の傍にいてくれるわよね」
そしてその喜色満面の笑みを崩すことなく、永琳に言葉をかける。
いつもの永琳ならば、輝夜のこの種の問いかけに対して。優しい笑顔を作りながら肯定の言葉を紡いだはずなのだが。
「ええ、もちろん。私はいつまでも姫様のお傍に入れますよ。“私は”ね」
笑顔こそ作っていたが。普段のそれと比べれば、随分大人しい笑顔だった。
その足りない笑顔の代わりに。妙に含みのある言い方で、輝夜に何かを迫るような強めの口調で答えた。
「・・・・・・分かってるわよ」
その含んだ言い方に対して。輝夜は、永琳が何を言いたいのか。十分に理解していた。
「別に今でなくても構わないでしょう・・・一日二日で説得出来る案件じゃないし」
「それに、○○は・・・まだ若いわ。時間が欲しいわ、永琳」
輝夜はいたたまれない思いをしているらしく。頭は相変わらず永琳の膝に乗せて甘えていたが、視線の動きは永琳の方向を避けていた。
「だからといって百年・・・・・・いえ、五十年でも使いすぎです。せめて二十年以内には、決心してくださいね」
出来なかったら?相変わらず永琳の方向を見ずに、輝夜が小さく呟いた。
「私が動きます」
蚊の鳴くような輝夜の問いかけとは正反対に。永琳は力強く、自分の膝の上にいる主に答えた。
無論鈴仙にも。輝夜と永琳の二人が何を話しているのか、すぐに分かった。
永琳は輝夜に、○○との寿命差を説いているのだと。
勿論説かれるまでもなく、輝夜は理解しているだろう。
自分と永琳は蓬莱人で。○○はただの人間だと言う事ぐらい、言われるまでもない。
しかし、敢えて永琳は強い口調を持ってして。輝夜にそのことを再確認させていた。
かなり直接的な表現で、早くしろと。
早く○○も蓬莱人にしてしまえと。永琳は輝夜に迫っていた。
永琳の示した二十年と言う期限は。永琳がその数字を出した瞬間に、もうその口火を切っただろう。
このまま輝夜が怖気づいたように、その事を言い出せなくても。
今からぴったり二十年後には、永琳は何の躊躇もなくやってのけるだろう。
間違いなく、無理矢理にでも。○○の口に自分の肝を突っ込みに行ってしまうだろう。
はっきりと宣言している以上。やるだろう、彼女なら。
輝夜がその事に異を唱えようとしない辺りでも。彼女の意思はもう固まっているのと同じだった。
あとは、○○の気持ちを大部分無視してしまうと言う。最後の踏ん切りを付けるだけだった。
「私は、○○の怒った顔も見てみたいですから。汚れ役、引き受けても構いませんよ?」
それでも。輝夜に対しては、いつまでも厳しい顔を向けれないのが、永琳の弱いところだった。
足りない分の笑顔が戻って来て。輝夜はようやく視線を永琳の方向に向けることが出来たが。
口から飛び出した言葉に、豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
「えーっと、どういう意味?」
輝夜は目をパチパチとさせるが。対する永琳は、何だか上気した顔になっていた。
「ええ、ですから。最近考えていたのですが・・・○○が虐め役でも良くありませんか?」
「・・・?」
輝夜の顔にはまだ疑問符が付いていた。勿論、近くで一部始終を見聞きしている鈴仙にも。
「最近ですね、ふと思ったんです。このまま○○を虐めなかったら、本気で怒り出すのではと」
「だって。全員被虐思考には気づいているし、○○も気づかれている事を分かってるじゃないですか」
「なのに敢えて虐めない。これはイライラするはずです。それが爆発する時を思うともう堪りません」
朗々と己が興奮している理由を話す永琳の体は、クネクネと左右に揺れていた。
「あー・・・涙目だったらより良いわね」
「その後ですね、腹立ち紛れに押し倒してなんてくれたら・・・ああ!」
輝夜の呟きに答えているのかいないのかよくわからないが。永琳は一人で果てる寸前まで向っていた。
自分の体を両手で抱えながら。ビクンと小刻みに痙攣までしている。
妄想の世界でここまで行けるのだ。実際に目の当たりにしたら、何処までいけるのかは想像もつかなかった。
度し難い。鈴仙の頭の中にこのような言葉が反響しだしたが。
「あたし、首絞めてもらいたいなぁ・・・そのまま押し倒した勢いで」
「ああ!良い、最高ですわ!姫様!!」
輝夜の呟きに軽く引いて。その呟きを聞いた永琳の反応に、更に引いて。
鈴仙の顔は、無意識のうちに能面の表情を描き出していた。
「あのぉ。姫様」
輝夜の口の端がにへらと笑みをこぼし始めて。永琳の欲情は留まる所を知らず。
誰も止めなかったら何処まで行くのだろうという興味はあったが。時間の無駄と言う実利が勝って、鈴仙は意を決して口を挟んだ。
「え・・・ああ、何?鈴仙」輝夜はビクンと永琳の膝から跳ね起きた。
返事を返してくれた輝夜だけでなく、永琳もまたビクンと体を跳ね上がらせていたのを見て。
この二人、もしかして私の事忘れてた?と思わずにはいられなかった。
寿命差に関しての重い話のときならともかく。今見たいなどうかしている時では、忘れられていた事にほんの少し自尊心が傷つく。
「監視役の任の方は・・・正直私、働きまくったからもうやりたくないんですが」
「あ・・・あぁ、そうね。もう別に良いんじゃない?」
「じゃあ、○○さんの所に行っても良いですか!?」
お前等私がいないうちに散々○○さんと楽しんだだろうが!立場上、その言葉は何とか飲み込んだが。
表情や目の色に浮かんだ。不満から来る敵意のような物までは、隠せなかった。
「私も行くわ!」
自分達に対する敵意に満ちた鈴仙の目に、危機を感じた永琳は。行っても良いかどうかを輝夜が言う前に、自分を行くと宣言した。
「・・・っ」音こそ出なかったが。この時の鈴仙は、間違いなく舌を打っていた。
「今○○はお風呂場よ。何なら四人で入りましょ―
「行ってきます!!」
盛大な見切り発車であった。輝夜の口から“お風呂場”と聴いた瞬間にもう腰が浮いて、全部言い切る前に部屋から飛び出していた。
「一人にはしないわ、鈴仙!!」
うわぁ。と呆気に取られる輝夜を尻目に、永琳もすぐに鈴仙を追いかけて。部屋には輝夜独りっきりになってしまった。
「・・・・・・これヤバイじゃない!!」
脱兎のように部屋から二人が飛び出して、肩透かしを食らったようにしばらく頭が動かなかったが。
思考回路が回りだしてすぐに。後手後手に回った事を理解した輝夜もまた、勢いよく部屋を飛び出した。
「何でてゐが脱衣場にいるのよおー!!手伝いもしないくせに!!」
「うっそぉー!?姫様や師匠ならともかく!何で鈴仙が帰ってるのぉ!?」
どこで暗躍していたのか。抜け駆けを狙ったてゐを鈴仙が見つけて。その日の浴場は、大騒動であった。
最終更新:2012年08月05日 22:19