「……また付いて来てるなぁ。仕事熱心だね、姫様からいくら貰ってるんだろ」てゐは自分に付きまとう視線を1つ感じていた。
感じる視線にてゐはげんなりした表情を浮かべる。
(早く来てくれないかなぁ……)
正直な所、妹紅がやってくるまでは完全に待ちの姿勢に徹するしかなかった。
イマイチいつやって来てくれるのか分からない。その為非常にやきもきした感情で居続けなければ成らない。
だったら、細部まで妹紅と詰めた話をすればいいのだが。余り長時間、妹紅と一緒にいることは好ましくなかった。
証拠を、密談の内容を誰かに見られてしまう可能性がある。このイナバ達は、輝夜や永琳相手だと案外忠実だったりする。


鈴仙と違って、てゐの敵は予想以上に多くなっていた。
一番の敵は輝夜に変わりは無いのだが。生まれながらのお姫様である輝夜が、自分の足で積極的に動く事は余り無かったし、考えてもいないようだった。
その代わり、沢山のイナバ達を自分の代わりに動かしている。
そして、イナバ達の働き振りを監督しなくとも、一言命を発するだけでそれなりに動いてくれる。
普段は滅多に使わない強権を、そして影響力を。今回輝夜は存分に使ってきている。

勿論、飴をばら撒く事だって忘れていないはず。
妹紅という抗いようの無い強敵相手は別としても、それ以外では存外な程にしつこく付きまとってくる。
威圧とイナバ達が感じる畏怖だけで、先ほどのような大勢で追い立てるような真似、してくるとは思えなかった。


(笑顔のまぶしさが、作ってるだけのそれとは大分違うんだよなぁ。本気でいくら貰ってるんだろう)
意を決して、振り向いたてゐのめに飛び込むのは。妙な笑顔でてゐに近づいてくるイナバであった。
今回は1人だけだが、そのたった1人が奇しくも件の風呂焚きを押し付けたあのイナバだった。
あの時、面倒くさがらずに風呂焚きを素直にこなしていたら。今頃はどういう風に状況は変わっていただろう。
宣も無い事に考えをはせてしまう。それだけ今の状況が面倒くさい事この上ないのだ。多分風呂焚きよりずっと。

「てゐ様ー」
辺りに件のイナバ以外の気配は感じられなかった。永遠亭自体に漂う気配も少なめだ、妹紅が怖くて帰ってきていない者も多いのかもしれない。
今は一対一の状況で、それがしばらく続きそうだった。ならばこちらの物だった、今回は少しばかり攻めてみる事にした。
「ねぇ、少し聞きたいんだけど。あんた達さ、姫様からいくら貰ってるの?」
相変わらずのニコニコ顔で接近してくる輝夜の手先イナバ。好きなだけ喋らせてやってもいいのだが、今回は間髪入れずにてゐの方から話しかけてみた。
話の内容は、金勘定についてだった。

「………」
興味本意で何となく聞いただけだったが。予想以上に狼狽してくれていた。
いつもはてゐを見かけたらきゃんきゃん五月蝿い手先イナバが、面白いくらいに静かになった。
そしてぎこちなくなる笑顔。不味い所を突かれたなぁと言う感情がありありと感じられた。
(本気でいくら貰ってるんだろう……羨ましくなる額である事は確か何だろうけど)

そのまま妬み半分で。何か羽振りの良さそうな物は持っていないか、手先イナバの周りをぐるりと診て回ってやった。
手先イナバはそんなてゐの動きに合わせるように。その場でグルグルと、てゐに後ろを取られないように回転していた。
「あるんだね。姫様からの給金で最近買ったものが」
何かを隠しているのが丸分かりな挙動だった。ご丁寧に手先イナバは両手を背中に回してもいた。
てゐからぶつけられた新たな質問にも、ただ無言で。いつもてゐを追い回す時に作っている笑顔をヒクヒクと動かすだけだった。

二人がぐるぐる回る速度は段々と速くなって行った。
しかし曲がりなりにも永夜異変の際、巫女や魔女の前に出て行って、多少は勝負が出来たてゐと。
数で攻めるもバッタバッタと倒されていったその他大勢のイナバでは。経験、技量、度胸、その全て面をてゐの方が上回っていた。

「えいっ」
手先イナバはてゐの目しか見ていなかった。それが仇となった。てゐは目線を全く動かさずに、手先イナバに足払いを食らわせた。
相手はぐるぐる回るだけで全く移動していないのだから、大体の位置を見ずに推測するなど。てゐぐらいなら造作も無い事だ。

「きゃん!」
えらく可愛い声で、手先イナバが転んで声を上げた時には。もうイナバの手は空いての両腕を掴もうとしていた。
「さーてと何を隠しているのかなぁ」
てゐにガッシリと両腕を掴まれて、更には馬乗りに近い体勢を取られてしまった為。相手は殆どなすすべが無い状況に合った。

「ちょっとてゐ様、掴み方が本気で痛いです!」
それもその筈だった。鈴仙ほど表には出していないが、抑圧された上にイナバ達に追い回されるこの状況では鬱憤も溜まる。
不幸にもてゐの目の前にいるイナバは、その鬱憤のはけ口となっていたのである。

「みーつけた、高そうな物。この手首に付けてる奴だね、見た目で分かるよ高そうだなって事ぐらい」
それでもまだギリギリ。味方だしなぁ、と言う思いが強かった為。高そうな物、つまりは手首のブレスレットは確認するだけ。
別に取り上げたり引き裂いたりと言う事はしなかった。
個人の私物を破損させるとか、そう言う事はしなかったが。無邪気な風を装って、じゃれるように、それでいて鬱陶しく絡む事にした。

「いーなぁ、いーなぁ、いーなぁ。これいくらだったのさぁ?」
てゐは馬乗りで相手の手を掴んだまま、頭から体全体に至るまでゆっさゆっさと、大きく揺さぶりをかけた。
派手に揺さぶっている物だから、相手の頭はこれまた大きく前後へ揺さぶられる事となる。
「ちょ……やめ、気持ち……悪く、なって」
ガックンガックンと揺れる頭。刺激される三半規管、狂う平衡感覚。
そして沸き上がる、吐き気。その吐き気はどんどん大きくなっていく。
「あ……何か、込みあが……る」

「教えてよぉ。どこで買ったのさぁ」
段々と口数が少なくなり、顔色も悪くなるイナバの顔をしっかりと見ながらも。てゐの声色は相変わらず明るかった。
ただし、声色だけだった。イナバの顔を見る目も表情も、いわゆる真顔であった。
てゐはイナバの顔色の変化の全てをしっかりと目に納めていた。

「……」
(そろそろだな)
そしていよいよ、イナバの口数が完全に無くなり、顔色もこれ異常ないほどに悪くなった所で。てゐはイナバから一気に離れた。
実力差から言って、ここまで離れる必要があるのか。と思えるくらいに大きく距離をとった。
勿論、離れる必要性はあった、主に生理的な理由で。

ようやく開放されたイナバは、てゐの方には向かわず。一目散に庭の方向に駆けて行った。
しkし、先ほどまで頭をガックンガックン揺らされていた為。その平衡感覚はほぼ無きに等しかった。
真っ直ぐ走る事もできずに、もつれる足は不幸にも一直線に柱の方向へすっ飛んでいき。
ゴツンと辺りに頭をぶつけるいい音が響いた。そして。

「うぉええ!!!」
ついにイナバは込みあがる物を抑えきれずに。胃の中身を大量にぶちまけた。
ツンとした胃酸の臭いはてゐの方向にまで漂ってきた。
「うわ、畳の上にやっちゃった」
しかし、イナバにぶちまけさせた張本人であるてゐは、他人事のように。野次馬のような笑い方をしていた。

「鈴仙ってタフだったんだなぁ・・・・・・アレぐらいだったら庭まで辿り着けてたよ」
一応、てゐは庭まで辿り着けるぐらいの余力を残してあげたつもりだった。
但し、その基準はいつも悪戯の犠牲者となる鈴仙の場合と照らし合わせていた為。
てゐの予想以上に、普段の悪戯で鈴仙が鍛えられていたようで。耐性の全く無いイナバ相手では、少々やりすぎてしまったようだ。


イナバは柱に両手を着きながら、自分がぶちまけた吐しゃ物をじっと見つめている。
一発盛大に吐いた事で、多少楽になったのか。肉体的には倒れこんだりする事はなかったが、精神的な部分では放心状態にはあるようだった。
「逃げよっと」
まだ頭がはっきりとしていない今が、逃げるのには絶好の機会であろう。これを逃せばまたこじれる。

てゐが場を後にして、数分の時間が経った。イナバはようやく動き出した。
泣きもせず、ただ黙々としていた。
泣き言や恨み言の1つも呟かずに。イナバは桶や雑巾と言った、掃除道具を持ち出して。先ほど盛大に吐き散らした部屋へと戻っていった。

途中、恐る恐る戻ってきた何人かのイナバに出会い「何かあったの?」と聞かれてしまった。
口に残った吐しゃ物の、すえた匂いを嗅がれたのだろう。それ以上に、イナバからほとばしる雰囲気の変化の方が顕著だった。

「ちょっと、てゐ様にやられて。吐いちゃった」
「手伝おうか?」
「有難う、とっても助かるよ」
それ以上の会話は無かった。合流したイナバも、ただ黙々と。仲間の失態を一緒に片付けていた。
しかし、没頭は出来なかった。横目に映る吐き散らかしてしまったイナバの眼付きが鋭く、気にせずにはいられなかったから。
何かあったのは明白だ。その何かの果てにこのぶちまけられた吐しゃ物がある。
そして今はそれを掃除している。感じる屈辱感たるや、想像するだけで胸が締め付けられる。


「ねぇ・・・・・・」
だから放っておけないのだ。
「何?」
「掃除の後にやりたい事も・・・・・・手伝おうか?」
仲間が屈辱的な目に会った。放っておかない理由はそれ以上に必要だろうか。

1人のイナバから、この汚物を掃除した後の事を切り出された。
そんな事言われるとは思っていなかったから、面くらい目をぱちくりとさせていた。
「・・・・・・やるって言うなら、私も手伝うよ」
そしてまた別のイナバが、やるなら手を貸すと言ってくれた。
他のイナバに目を移しても、皆言葉こそ発しないが同じ眼をしていた。
もしここで首を縦に振れば、口を開いた二人以外の彼女たちも。一緒に手を貸してくれるだろう。

「・・・・・・ありがとう。でもいいの?」
「こんなに給金のいい仕事。教えてくれたお礼もあるし・・・・・・それに、悔しいでしょ」
嬉しかった。彼女たちは自分が感じた悔しさを、まるで自分の事のように受け止めてくれている事に。
「そうだねぇ・・・・・・お金以外の理由が出来ちゃったしなぁ。ちょっとマジでやり返したい」
「じゃあ!」
「うん・・・・・・ありがとう。すっごく嬉しい」彼女達の申し出を受けるイナバの顔は。とても爽やかな顔だった。

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最終更新:2012年08月05日 22:25