「追ってこないか、助かったみたいだね」
追ってくる気配は微塵も感じられず、また辺りに漂う気配も少なかった為。まだ永遠亭の敷地内ではあったが、てゐはひと息つくことができた。
しかし、てゐはこの瞬間イナバ達ばかりにかまけていて、肝心要の存在を頭の端に置いて来てしまっていた。
「楽しそうねぇ、てゐ」
「げっ!またぁ!?」
てゐの後ろには、蓬莱山輝夜が楽しそうに笑みを浮かべていたのである。
先ほど会話にならない会話をしたばかりで、てゐの頭からは余計に彼女への警戒心が少なくなっていた。
その上音も無く彼女はてゐの背後に回っていた。隠密には不釣合いな服装なのに、器用なものである。
「何よ、化物か何かに見つかったみたいな反応して。失礼しちゃうわ」
そうは言うが、輝夜は非常に楽しそうな雰囲気であった。
完全に遊ばれている、○○の被虐嗜好を満足させないのも含めて。
永琳と鈴仙を争わせたのも、イナバを飴と鞭を持ってして働かせるのも、こうやっててゐをからかうのも。
今の輝夜は永遠亭全体を、永遠亭に住まう全ての人物を、手の平で転がして遊んでいるのである。
最も永琳は途中から手の平で転がる事を割と好意的に受け入れて。イナバ達も結構な量の対価を得ているようで、使われている事に抵抗感はなさそうだった
つまり現状で、輝夜の意のままに動かされている状態に不満感や焦燥感を持っているのは。てゐと鈴仙と、○○だけと言う事になる。
しかしながら、てゐと鈴仙が手を組むなど万に一つもありえず。○○はてゐにとっては救出目標である。まず手を組むと言う発想が浮かばなかった。
今更ながら、随分絶望的な状況で戦っている事をてゐは再認識した。
てゐの目の前にいる輝夜は、ニヨニヨニヤニヤと。癪に障るようないやらしい笑みを浮かべるばかりであった。
そんな輝夜の顔は、とてつもなくムカつく顔付きで合った。
かと言って、てゐには輝夜に飛びかかれるだけの踏ん切りがどうしてもつかなかった。
圧倒的な実力差があるからこそ、輝夜はこんなにも余裕の表情を見せながら、てゐの癪に障り続けるのだ。
もしかしたら輝夜はてゐからの先制攻撃を、始めの一発は貰うつもりでいるのかもしれない。
そうなれば、全力でぶちのめす大義名分が出来上がる。多分所か間違いなく永琳も輝夜につくであろうから。てゐもこの二人が一気にこられては一時間も持たないであろう。
別に輝夜としては、今この場でやってしまっても構わないし、それが一番手っ取り早いのだろうが。
それではバツが悪い、特にイナバ達に対しての風聞に悪影響を及ぼす。イナバ達の話を聞いた天狗に、色々と書き立てられるのも癪であろう。
(もう今すぐにでも来てくれないかなぁ、藤原妹紅)
輝夜のいやらしい笑みをしかめ面で仰ぎ見ながら、妹紅の来襲を心の底から待ち望んでいた。
悔しいが、てゐ1人ではどうにもならない。妹紅の威勢を、妹紅の輝夜に対する恨み辛みを借りなければてゐは一歩たりとも動けなかった。
だからと言って、今すぐにこられても。それはそれで心の準備と言う奴が全く出来ていないので、少し困るのだが。
そんな難点を無視してしまうくらいに。今の輝夜の姿はムカつく事この上なかった。
「うりうり」
そんなてゐの感じる、爆発寸前の心中を知ってか知らずか。
手持ちの扇子でてゐの鼻先などを、輝夜は楽しそうに突っついて来ていた。
「ねぇ……○○は?」
「お昼寝中よ。起こすのも悪いから、てゐと遊ぶ事にしたわ。うりうり」
鼻先につきたてられた扇子を、軽くはたく程度では輝夜はやめてくれなかった。
「楽しい?」
むしろ爆発を望んでいるのか、輝夜が鼻先につき立てて来る扇子の勢いが段々と増してくる。
最初のうちはギリギリ鼻先につくかつかないか程度だったが。それが段々と鼻に触れるようになり。
今では鼻っ柱を少し押しつぶすくらいにはなっている。なのでてゐの声も少し鼻声気味の濁った物になっていた。
「うん、物凄く!」
うわぁ、こいつどうしようも出来ないな。その傍若無人っぷりには閉口するばかりであった。
某物語の時のように、猫すら被る気が無いから確実に今の方が酷くなっているのは明白であった。
「うりゃうりゃうりゃ」
てゐをからかうのが楽しいと。あっけらかんと宣言した後の輝夜の行動は、勢いを増して酷くなった。
鼻先だけではなく、頬やおでこにも扇子をつきたてるばかりか。最初は撫でる程度だったのが、今ではぺちぺちと音が聞こえるくらいにまでなっていた。
流石にてゐも切れる。と言うか、輝夜はてゐの切れた場面が見たくてやっていたのかもしれない。
「その扇子寄越せ!」
輝夜の扇子が何度目か鼻先につき立てられた際。遂にてゐは件の扇子をひったくる様に、輝夜の手から奪い取った。
そして「うおりゃああ!!」庭に向って思いっきり投げ捨てた。
「折らないだけ感謝しろ!!」
最後の最後に欠片だけ残った理性と、これ折ったらさすがに不味いよなと言う打算から。投げ捨てるだけに止めた。
そしてその事は自分で自分を褒めてやりたいくらいに、最後に残った冷静さを輝夜に誇示した。
「意外ねー。叩き折ると思って一番安いのを持ってきたのに」
前言撤回、やはり折る事に決めた。
「ふんっ!」縁側から飛び降り、一目散に駆けて、地面に落ちた扇子を手に取り迷わずへし折った。
「あら、速い。さすが兎ね」ボキッと言う扇子の折れる音を聞いても、輝夜は冷静だった。
先ほど言った通り、一番安い物だから痛くも痒くも無いのだろう。
折るまでは、激情に駆られてそれ以外のことを考える余裕が無かったが。折った後には焦燥感しか残らなかった。
自分の後ろにいる輝夜は果たしてどんな顔をしているだろう。
どうせまだニヤニヤニヨニヨと、意地の悪い笑みを浮かべているだろう。それを思うと、てゐは振り向く事ができなかった。
「てーゐー?どうしたのー?突然動かなくなっちゃってぇ」
無駄に語尾を延ばした言葉の紡ぎ方、その声色で見ずとも分かる、考える必要も無い。
今の輝夜がどんな心持ちと面持ちでてゐを見ているかくらい。
(以外と・・・・・・耐えるわね)
グラグラとてゐの平常心は揺れるばかりで、安定する事はなかったが。それを引き起こしている輝夜は、その顔色とは裏腹に。
内心では、焦りを感じていた。
(こんな嫌がらせ程度じゃ駄目なのよ・・・・・・てゐには、私に飛び掛るくらい本気で怒ってもらわないと)
懐から二本目の扇子を取り出して、パタパタと扇ぐ。少しでも頭を冷まして、回転を早くしたかった。
てゐの方から襲い掛かってくれれば、それで大義名分が十分に立つ。
貴族である輝夜は、こう言った面子を。他者に対して十分に納得のいく説明が出来るだけの理由を強く欲する傾向が強かった。
永琳ほどではないが、輝夜だって弾幕戦にはそれなりに自信がある。永遠亭の中に限定するならば、永琳の次。すなわち二番目には強いと言う自信があった。
だから、どんな条件であろうとてゐには負けるはずが無いと考えていた。
それは実際の所事実ではある、てゐだってそれを分かっているから飛び掛らないのだ。
輝夜はてゐがそれを忘れてしまうくらいに、てゐの事を起こらせたかった。
(妹紅相手なら・・・・・・アイツの父親とか、家名の事をネタにすればすぐに怒らせれるんだけど)
堪忍袋の場所が明白な妹紅と違って、てゐの堪忍袋の位置が輝夜には漠然とすら判断できなかった。
なので肩を震わして怒らせる程度までしか、てゐの激情を燃やすことが出来ていなかった。
輝夜が焦りを感じて、急ぐようにてゐをからかうのには訳があった。
藤原妹紅の存在である。鈴仙が妹紅と手を組んだように、てゐも手を組むと踏んでいた。
だから、輝夜は自分の権と財力を全力で振りかざし。イナバ達を大いに活用したのだった。
これにより、てゐの行動を大きく制限できたと思っていた。自分は動かないで、イナバ達を代わりに働かせて。
それで浮いた時間は全て○○と一緒に過ごす時間に当てられると思っていた。
実際ついさっきまではそうしていたのだが、一つ誤算が合った。
イナバ達に刷り込まれている妹紅への恐怖心。
以前、監視役を鈴仙やイナバに押し付けた際、隠れることの苦手なイナバが徹底的に妹紅にどやされていた。
このとき植え込まれた恐怖心、これが実際に妹紅と対峙した事のない、どやされた経験の無いイナバにまで広がっていたのだ。
イナバの大群がてゐを追いかけて出て行ったかと思えば、出て行った全員が泣きながら戻ってくる姿を見て、しくじったと頭を抱えてしまった。
もしかしたら、余りにも自分が動かなかったのではないか?それに加えて鈴仙が脱落したのに永琳を全く使わず、遊ばせていたのも大きな失策ではないのか。
イナバ達よりもずっと強く、ずっと付き合いが長く頼りになる永琳を。
何の任にもつかせずに、遊ばせていた事は今になってジワジワと輝夜に焦りを生み出していた。
イナバ達全員が妹紅に敗れ去っても、永琳は別だ。本気を出せば自分より強いのだから、妹紅にだって負けないであろう。
しかし、泣き叫ぶイナバを見てそれに気付いた時。間の悪い事に永琳はいなかった。
いつも置き薬を配り歩く鈴仙が逆さ吊りだから、今日は永琳が直々に里に出張っていたのだった。
そしてわざわざ永琳が出張ったのには、もうひとつ理由があった。輝夜が永遠亭のイナバをほぼ全部使っている事に配慮していたのだ。
なので、いそいそと。永琳は輝夜に気付かれぬように、いつも配り歩く薬を準備した。
輝夜が気付いた時にはもう永琳は準備を終え、外出する直前だった。
「イナバを使えば良いじゃない」いつもの輝夜ならこう言うであろう。そして普段の永琳なら、鈴仙の代わりのイナバを使っていたはずだ。
でも、永琳は使わなかった。輝夜がイナバ達を使ったてゐの監視網に穴を開けるのを嫌って。
せめて、イナバ達が帰ってきた時、永琳がいれば。すぐに指示を飛ばして、妹紅の所にまで寄越したのだが。
勿論、それは因縁深い自分でも良かった。妹紅の相手に、輝夜と永琳。どちらが対峙しても十分すぎるほどの戦力だ。
とにかく、どう転ぼうとてゐと妹紅を二人っきりにする事はなかったはずだ。
この二人を何の目も届かない場所にやる事は、それ即ち談合の機会を与えてしまう事に他ならないからだ。
別に、永琳がいないならば私が行けば良いと。輝夜は考えなかったわけではない。
しかし輝夜は動かなかった。○○を一人っきりにしてしまう事を嫌がったのだ。
万が一、敷地内に永琳も輝夜もいない事に○○か鈴仙が気付いたらどうなる?
それは・・・・・・考えるだけで恐ろしい事だった。そんな最悪の予想に恐れおののいてしまい、輝夜は永遠亭から動くことが出来なかった。
そんな種々の間の悪さが、今輝夜をジワジワと追い詰めていた。
最終更新:2012年08月05日 22:25