妖怪の山。


ここに住む烏天狗達は各々新聞を発行しており、それらの製紙や印刷に関しても、自分達で行うとされている。

しかし、元々ゴシップ色が強い内容も手伝い、記事や取材に対する反発が起きる事もある。
高速を誇る烏天狗である記者本人を捕まえるのは、普通の妖怪や人間には至難の技。

では、手っ取り早くクレームを出すには何処が早いのかとなると…。

「どうもどうも、工場長様。清く正しい射命丸です。」
「姫海棠でーす。工場長、今日はどうしたんですか?」

ここに二人の烏天狗がいる。
彼女達がいるのは天狗が管理するとある工場。
そして詳細に言えば、そこの事務所である。

「………お前ら、ちょっとそこに座れ。」

彼女達の目の前にいるのは、ぱっと見20代後半ぐらいの烏天狗の男である。
一見相応の落ち着きのある風貌と声色をしてはいるが…額には血管が血走っていた。

「私達も暇じゃないので、お早く頼みますよ。」
「そうそう、天狗らしく早く早く。」
「…じゃあ、単刀直入に言おうか。

今週発生したクレームは15件。内、工場に直で乗り込まれて作業員が応戦したのが12件だ。
これにより3名が重症、壁や機材にも破損が出た。
問題は…新聞の内容以前に、取材方法に対するクレームであった事。

で、襲って来た連中が次々に出して来た名前がお前ら二人、って訳なんだが…何か言う事は無いか?」
「んー、素直に騙される方が悪いんじゃないですか?」
「出し抜かれた方が負けよねー、何事も。」
「…ほーう。」

男は湯呑を片手に持つと、まだ高温のそれを一気に飲み干した。
そして口元からそれを離し、一度和やかに笑うと…

「…ふざけんじゃねえぞコルアアアァアアアアァ!!!!!」

哀れにも、湯呑みは机に叩き付けられその生涯を終えた。


ここは、天狗達の新聞専用の印刷所。

天狗の新聞を一括して製造するここは、その特性から真っ先に苦情が飛び込む場所として有名であった。
通称・クレーム処理場である。

彼、○○はそこの工場長であった。


「いいか?4ヶ月連続でお前らがクレームのワースト2だ!
お前らのお陰でスタッフがどいつもこいつも満身創痍なんだよ!!
大体記事の内容ならともかく、何で取材の時点でのクレームがこっちに来るんだよ!?おかしいだろ!!
お前ら、さては身に覚えあり過ぎて逃げ回ったりしてねえだろうな!?」
「~~~♪」
「あ、ちょうちょだ。」
「目ぇ逸らしてんじゃねえこのバカ共!!!」

実に華麗なスルーっぷりである。
所々髪や翼に白いモノが見えるのは、彼の歳のせいでは無い事だけは言及しておく。

「はぁ、はぁ…まあいい、今日の要件はそれだけじゃない。
…お前らなら、この手紙が誰のかは解るよな?」
「げ、その筆跡は!」
「ま、まさか…。」
「そうだ、天魔様直々の手紙だよ。読むぞ。」


“印刷部工場長、○○殿へ。


近頃の射命丸、姫海棠両名の問題行動に対する処理並び対応について、先ずは御礼を申し上げます。
貴殿の努力の成果により、数々の襲撃にも関わらず印刷所が存続出来ている事実については、何度礼をしても足りないものと私は感じております。

つきましては、両名がまた問題を起こした際、貴殿に両名に処分を下す権限を与えたいと思います。
内容につきましては、数ヶ月の減給並びに発行停止処分の権限とします。

追伸

あなたの苦労もかなりのものかとは思いますが、彼女達に今一度灸を据えてやって下さい。

…小娘共、こっそり私をババア呼ばわりしているのを知っているぞ。
お前達にも、その内小皺やほうれい線は出るんだからな。”


「…と、言う訳なんだが。何か言う事はあるか?」
「い、いえいえ、私達はあくまで清く正しく真っ当に取材活動に勤しんでいるだけですよ。
そんな天魔様にババアだなんて…ただ最近疲労がお顔に出ていると…。」
「つまり、清く正しく真っ当に正面から喧嘩を売って歩き、包み隠さず老けましたねとのたまったって事だろ。
さて、幾らさっぴこうか?半額か?それともいっそ7割か?俺がお前らのケツを拭ってきたストレスと実害は、それでも足りないぐらいだぞ?」
「「う゛…。」」


返す言葉も絶たれる有様である。
袋小路に立たされた彼女達に残された術。それは…


「あ!き、緊急の取材があるのでこれで失礼致します!」
「ちょ!?待ってよ文!」
「おいコラ!まだ話は終わって…あーもう、行っちまったか…。」


敵前逃亡、さりとて逃げるが勝ち。
壁を破壊せんばかりの勢いで部屋から逃げる、が彼女達の結論であった。






「はぁ…まあ、権利はこっちにあるから良いか。
しかし、俺があいつらの上司とは…時間って残酷だな。」








「全くもー、ムカつくわ。大体あいつ、上司って言ってもあたし達と歳そんな離れてないじゃない!
立場変わった瞬間偉ぶっちゃってさー。ねえ、文。」
「まあねえ…あいつは昔から、職務にだけは真剣じゃない?
工場長もまだ長くないし、カリカリしてるのよ。ああ…でも減給は…あんのお局様めぇ…。」
「って言ってもさー、あいつはストレスチャラに出来る要素があるじゃない。
どーせ帰ったら奥さん相手にデレデレしてんのよ、そりゃー幸せ絶頂期の新婚さんだものね!」

「……………。」

「それで夜になったらなったで、甘い言葉とか囁いてるんだわ!
いやー、想像したくないわね。あいつがまだ若い子相手に欲情しまくってる姿なんて、それこそ犯罪の匂いが…」


「…はたて。」


「あっ…ご、ごめん…。」
「あ、いえいえ。こっちこそちょっと神経質でしたね。
そうだ、今から人里に呑みに行きましょうよ!外来人の方が新しいお店を出して、そこは外の世界の料理を…」


“文…相変わらず無理してる時も敬語になるのは直らないわね…。
あーあ、あいつも酷い男だわ…解ってて結婚したのかしら?”




「ふー、たまにはほろ酔いも良いわね。さて、帰宅帰宅と…。」


いつも通りに鍵を開け、玄関をくぐる。
いつもただいまは言わない。
言う相手もいない以上、却って虚しいだけだと一応は解ってはいるつもりだから。

良く言えばシンプル、悪く言えば殺風景な自室。
シャツのボタンをはだけさせ、森の古道具屋で買った地味なソファーに身体を預けると、一気に気怠さが込み上げて来る。

煙管に火をつけると、この部屋には不釣合いな甘い香りがした。

いつも何気なく買い足してはいるけど、この葉は何で出来てたかな。
普段は〆切前の修羅場か、『こういう気分』の時ぐらいしか吸わない味。
久々に肺に入れた煙は、アルコールとは別な形で頭を酔わせて、目の前がゆらゆらと揺れた。


“どーせ帰ったら奥さん相手にデレデレしてんのよ、そりゃー幸せ絶頂期の新婚さんだものね!”

“それで夜になったらなったで、甘い言葉とか囁いてるんだわ!
いやー、想像したくないわね。あいつがまだ若い子相手に欲情しまくってる姿なんて…”


「嫌でも想像するわよ…はたてのばーか…。」


もうどれぐらい前になるだろうか?私と○○が付き合っていたのは。

まだ新聞も出来たてな時代だったし、本当に平々凡々と山で暮らしていた。
あの頃は若かったな…二人でなら何処にでも行けるって思ってた。

…いや、今だって若いけどさ。

今となっては本当にしょうもない理由で喧嘩別れをして、そこからはただの同僚みたいになって。
それからあいつはそれなりに違う女達と恋愛をして、少し前にとうとう結婚をした。
本当に、ごくごく普通な恋愛結婚だった。

だから、別に違う娘と結婚する為に私と別れたんじゃない事ぐらいは、充分解ってる。
私だってそれなりには生きたのだ、あいつが所帯を持ってもおかしくない事ぐらいは。

一方の私と言えば…あいつと別れてからは、『そっちの話』は一切無い。
全く無い事も無かったのだけど…正直言うと、私の中で、あいつの代わりになんて誰もなれなかった。

我ながら女々しいわね。
もう飽きる程の時間が過ぎて、あの頃よりは中身も幾分歳を取ったのに。

ちらりと視線を動かすと、滅多に開けないある襖が目に入る。
我ながら病気だと、心底思い知らせてくれる、ある部屋の襖。

…今日は開けないどこうか、余計暗くなりそうね。

んー…やっぱり、少し呑み足りないなぁ。
キツい日本酒を開けて、一杯流し込んで、そしてまた横たわる。

酔った頭で天井をぼーっと見上げてたら、あいつの式の時の光景が浮かんだ。
奥さんは私より年下で、そして私と違って物腰の柔らかい、可愛らしいという言葉が似合いそうな人で。

それはとても幸せそうな光景で、だけど。

「ぐすっ…ちっくしょー…何で私じゃないのよー…ばかやろお…。」

心なんて、結局理屈じゃどうにもならないのだ。
ああ…このままでは本当にお局様になってしまいそう。

昔の男って、どうやって忘れられるんだろ…あいつのぬくもりばかり思い出して、ヤケクソになって。
よりだらしなくソファーに沈み込むばかりだった。






「でさ、あいつったら可愛い所あって…。」
「マジ?意外だねー。」

家を出た瞬間から、通りすがりの女子二名の惚気話にぶち当たる。
ああ、爽やかな朝です事…若いって良いわね。

「あ、文さんじゃないですか。おはようございます!」
「あ、うん!おはよう。」

気付けば敬語は使われる方が増えていて、何とも歳を感じる場面だったり。
良いわねぇ、私も昔はああやって目をキラキラさせて…いや、ダメだ。私だってまだまだイケる。
受け入れたら負けだ、うん。

…でも、そうやって目ぇキラキラさせて乙女ぶってられるのも今の内よ!
絶対その内フラれて周りにやんややんや言われて自棄酒で寝ゲロかまして酸っぱい臭いと喉の痛みで起き上がるような朝が来るんだから!
いい?涙とゲロの海に溺れてからが女は勝負なの。大体幻想郷最速だからって別れた男まで最速で忘れられる訳じゃないんだっつーの!!
ああもうポリシーに反するけどこいつらがフラれたら号外しこたまバラ撒いてやろうかしらさっきから幸せオーラ撒き散らしやがって眩し過ぎて目がチリチリ焼けんのよ
ああ畜生良いなあ恋に恋い焦がれやがってそのまま丸焦げて焼鳥になれば良いのにああもう本当妬ますイイィいいい!!!!!


「…や。」


見出しはどうしようかしらやっぱりここはド定番の?マークだけ小さくしとく小技で…


「文!!聞こえてんの!?」
「ひぃ!?…あ、はたて?」
「どうしたのよ、さっきから往来のド真ん中でブツブツ言ってさー。キモいよ?」
「あ、あはは…その、ちょっと若いオーラに当てられちゃって…。」

いけないいけない、私とした事がつい自分の世界に。
き、聞こえてないよね?

「まああんたがそうなるなんて、あいつ絡みの事だろうけどさ。
いい加減諦めな?あいつは所帯持ちで、あんたは昔の女。
男なんて腐る程いるんだから、無理矢理にでも切り替えないとだよ?
どーせ他人の惚気話でも聞こえたんでしょ、さっきから呪詛が漏れまくってたわ。」
「う゛…。」


はたての言ってる事は、至って正論だ。
とっくに切れてるし、今は違う女の旦那。私はただの横恋慕のいやしんぼで。


「ま、まあ、若いって良いわねってね。羨ましかっただけよ。」
「羨ましい通り越して、妬ましいって単語が聞こえてたんだけど?」
「あ、あはは…。」
「まあ良いわ、あんたに良い情報教えてあげる。あいつの奥さん、とうとう御懐妊だって。
どう?これじゃあもう手も足も出ないわよ。
私達だって寿命はあるんだし、早く見切り付けないとあのおばさんみたいになっちゃうからね。」
「………そう、ね。」


そっか、子供、出来たんだ…。
そうだよね。何もおかしい事なんて…。

うん、きっとこれも良い機会だ。


…………あれ?そう言えばはたては何処に…


「って、夕方!?」


どれだけショックだったんだ、私。ずっとここに立ちんぼしてたのか。
ああ、今日の取材計画がパーだわ…。

はぁ、ほんっとどうかしてる。帰ってお酒でも飲も…。

「何やってんだお前?」
「…へ?」

この声は…。
振り返ると、○○がいた。
やっぱり彼の顔を見ると、胸が高鳴ってしまう。だけどその隣には…。


「こんばんは、文さん。」


一見すると穏やかな、一人の天狗の女。
確か××って言ったかしら…存在自体が今の私には残酷な、彼の妻だった。


「こんばんはお二方、今日はお出掛けで?」
「野暮用だがな。で、お前は何してた?」
「え?ええ、取材の帰りです。」
「そうか。こないだ言った通りになりたくないなら、問題は起こすなよ。じゃあ。」
「はい…。」


…え、それだけ?
幾ら今は上司と部下でも、仮にも元カノに対してそれは素っ気なさ過ぎじゃ…。

…ああ、そうか。
今はやっぱり、奥さんの事しか頭に無いのか。
引きずってるのは、私だけだもんね。






…あー、邪魔だなぁ、あいつ。






………。

ダメ。私、すっかり嫌な女だ。
そうね、あいつの事を忘れる良い機会だよね。


「ぐすっ…。」


あー、何て感動的な夕暮れなんだろ。涙が出ちゃうわ。
あの頃はさ、二人でこんな夕暮れを見て、手を繋いで。

…寂しいよ、○○。
私は、あんたが違う人と手を繋ぐ未来の為に、隣にいた訳じゃないのに。

何で、私を“そこ”に連れてってくれなかったの?

悪い所も、あんたが嫌いな私も全部直すから。
だから、時間を戻してよ…お願いだから。




「ただいま…。」


今日も今日とて、返事は無い。
私には家族がいないから、当たり前なんだけど。

ひとえに天狗社会とは言っても、出自は皆バラバラだ。
私みたいに鴉から転じた奴もいれば、親同士が既に天狗で、最初から天狗として産まれた者もいる。

力の差なんて結局は個人の素養と努力の問題で…むしろ大きな差は、独りか否か。
だけど、元はつがいを作る動物って事かしらね。やっぱり、寂しいものは寂しい。

あいつも、元は鴉だって言ってたな。
今はどんな気持ちなんだろ?初めて家庭って物を築いて。

私の家には、一箇所滅多に開けない部屋がある。
そこは3畳ぐらいの狭い納戸で、本棚しか置かれていない部屋。

私が心底いかれていると、嫌でも思い知らせてくれる部屋。


そこにびっちりと詰められたアルバムを、まずは1と数字が振られたものから取り出し、一つ一つ、噛みしめる様にページを捲る。

最初に出てきたのは、古ぼけたセピア色の写真。
まだこの頃はカメラじゃなくて写真機なんて言われてて、魂が抜けるなんて噂があったっけ。

「ふふっ、かーわいー。」

この時○○は初めての撮影で、緊張が思いっきり出た引きつった笑顔をしてた。
私は隣で自然に笑ってたのに、変な所で気弱なんだから。

それからすぐに新聞用のカメラが開発されて、あいつは印刷部に配属されて。
あの頃は、まだ出来たての印刷所が一番の取材の的だったな。

河童のメカニックの親方がいて、種族の上下関係抜きに、○○はいつも本気でどやされてたなぁ。
よく涙目になる程痛い拳骨を喰らったって愚痴ってたもんね。

確か親方はにとりのおじいさんで…ああ、もう亡くなって随分になる。
あの時は、滅多に泣かない○○が号泣してたわね。

汗とオイル塗れだったけど、仕事の時の一生懸命な○○は格好良かった。
ほら、これなんか良いアングルで撮れてる。

あ、もう見終わっちゃった…次は2か。
こうして見ると、やっぱりまだあどけなさがあるわね…こっちに目線を合わせてはくれないけど。


この頃、よね…私達が別れたのは。
だから、ここからは隠し撮りしてしまったもの。

…この頃からもう、私はあいつの中にはいなかったんだろうな。

ここからはずっと、何十冊と隠し撮りをしたアルバムばかり。
妖怪の時間は長いから、それだけの写真が溜まってしまっていて…間を飛ばして、一番新しいアルバムに手を伸ばす。

それは1ページ目から、幸せに満ちた光景で。
沢山の仲間に囲まれて、あいつの袴姿は、とても様になっていて。

その隣には、綺麗な花嫁がいて。


“がり…。”


ねえ、なんであなたが『そこ』にいるの?
そこは私の場所だったのに。


“がり…がり…。”


ああ、邪魔だなぁ…そこをどいてよ、隣に帰りたいんだから、ねぇ。



“がり…がりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがりがり”


返してよ。
ねぇ、彼はあなたのものじゃないんだから。

私のものなんだから。

痛いでしょ?
綺麗な顔にこんなに爪痕が付いて…せっかくの美人が台無しだよ?

…あーあ、アルバムが随分えぐれちゃった。まだページが残ってたのに。
ほら、あの子の顔に、剥がれた爪がこんなに食い込んじゃって。痛いなぁ。

丁度手頃な私の写真を見付けたから、あの子の上にそれを重ねて、剥がれた爪で画鋲みたいに留めてみた。
やっぱり私の方が、あいつにはお似合いだ。



____だから、そこはお前の場所なんかじゃない。



「ふふ…あはは……ぐすっ…」


…本当は解ってるよ、どれだけ邪な想いを抱いたって、叶いやしないなんて。
だけど、どうしても戻りたくて、苦しくて、悲しくて。

もう、壊れてしまいそうなんだ。



ねぇ、どうすればあんたを忘れられるの?
助けてよ、○○…。

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最終更新:2012年08月05日 22:31