■分岐1
「家族……?」
紫の視線が俺を捉え、真っ直ぐに重なる。
――何を考えているのかは、理解出来なかった。
「……そうよ」
にっこりと、笑う。
今、○○は自分がどんな表情をしているのか、分かっていなかった。
まるで異物を見る様な、理解出来ない何かに怯える様な。
……そんな顔を見せている事がもし、分かっていたら。
きっと――
「そう、丁度今のあなたみたいに」
紫が、目を閉じる。
「妖怪と人との繋がりには、大きな隔たりが存在している。
……その一つが、価値観」
そのまま、頬に触れ。
「非常識という価値観を恐れる余り、常識という価値観を捨て去る事が出来なかった。
失う事が恐ろしくて仕方ないの。
それを捨てるより、生きていると感じる事の方が、幸せだから」
「丁度、今のあなたみたいに」
彼女の言葉は、○○ではなく自身を指した言葉だった。
「……あなたは違うと。そう思って、思い込んでいたの。
それが夢で、永遠に続くなら、呪い、悪夢でも構わなかったというのに。
でも、これが現実。そしてあなたの答えだった。
あなたは失う事を恐れ続け、私を拒み続ける。
……分かったのよ。
私にも、そしてあなたにも。
邪魔な隔たりが引っ掛かったまま、取れないでいる。
だから、それを捨ててしまわない限り……」
頬に触れていた手は、首へと伸びていた。
ゆっくりと、力が入ってゆく。
「あ……」
――そして、○○は気付いた。
今更。
……紫が、嘘を言っていなかった事に。
「笑ってくれて構わないわ。
……どうせ、あなたに信じてもらえない。
でもね……私は、この歳になってもまだ、失う事が、恐かった」
首を絞める力が強まる。
「大事な物ほど、儚いって。壊れてしまうものだって、分かっていた筈なのに」
○○の視界がぼやけていく中で、最後に見えたのは
紫の目元に見えた、小さな光だった。
「 おやすみ 」
……酷い頭痛がする。
体が軋む。
体中が、悲鳴を上げている。
痛い、痛い。痛い。
何で こんなに 痛みが
「……ッ」
その痛みが意識を呼び起こす。
直後、何があったか思い出し、辺りを見回した。
……確かに自分の部屋だった。
が、何か様子がおかしな事に気付く。
……紫の姿はおろか、自分が寝ていたベット以外の家財が無い。
……慌てて部屋を出て確認する。
やはり、他の部屋にあった筈の家具、道具も消えていた。
紫の仕業だろうか?
だとしたら、一体何の為に……
「ぐっ」
体の痛みを思い出し、洗面所へと向かう。
幸い、家自体に付けられていた鏡はあったので、体がどうなっているのか確認しようとする。
……?
やたらと鏡にホコリが被さっている。
手で払うと直ぐに落ちたが、こんなに汚かっただろうか?
……特にこれと言って外傷は無かった。
絞められた筈の首の痕もない。
外を見て、日が差し込んでいる事に気付く。
一晩経つうちに、消えてしまったのだろうか。
それにしても、これから一体どうすればいいのだろう……。
……あまりにも不自然すぎる。
動けば何があるか判らない。
俺は、外に出ずじっとしている事にした。
それに、この不可解な状況を作り出したのが紫なら……
俺は、彼女を待つべきなのかもしれない。
そう、考えた。
家の中を色々と探している内に、窓から差し込む光が橙色に変わっていた。
結局、紫や他の誰かが尋ねてくる事も無く、光は消え、夜が来た。
……じっとしているべきではなかったのかもしれない。
そんな事を考えていると、腹の音が鳴る。
そういえば起きてから何も口にしていなかった……。
当然だが、食料も綺麗さっぱり消えていた。
何かを口にする気も無かったので、特に気にもしていなかったが。
……紫の料理の事を思い出す。
こんな時彼女の料理が食べられたら、どれほど幸せなのだろう。
あの時、彼女のプライドを傷つけまいと、自分で口にしたのかいつも聞いていたはいたけれど。
今なら、どんな味がしたとしても、美味しく感じるのではないだろうか。
もっとも、その時彼女がわざと不味く作った料理を出していたら、アウトだが。
ため息をつきながら、ベットに横になる。
……明日は、外に出ようか。
そう思いながら。
……ギシリ。
妙な音で、目が覚める。
この音は――外から?
窓の外を見ると、大勢の人が居る。
家を取り囲むようにして並び、全員松明を掲げるように持っていた。
「何……だ?」
その形相は尋常ではなかった。
異物を見る目。憎しみを向け、そして――
ガシャン!!
窓から松明が投げ込まれ、彼らの声が聞こえてくる。
「居たぞ!あいつに違いない!!」
「消えたみんなを返せ!」
「俺達はお前の餌じゃない!!!」
「あの妖怪を殺せ!!」
「焼き殺せ!!」
「地獄に落ちろ!!!」
……え。
視線は明らかに自分に向けられている。
妖怪?
俺、が?
まさか。そんな訳無い。
一体何がどうなって――
投げ込まれた松明はごうごうと家を燃やしていく。
そして、割れた窓から投げ込まれる火種は、途絶える所かその数を増してゆく。
逃げなければ。
今はこの状況を考える余裕すらない。
裏口から……
そう思い、ドアノブに手をかける。
カチャン
……?
カチャン
カチャン
カチャン
開かない。
開かない!!
力を振り絞って回そうとするが、何かが引っ掛かっているのか回りきらない。
ドアを蹴破ろうと蹴り飛ばすも、ドアはびくともしなかった。
……時間が経つ内に、煙が裏口まで迫っている。
火が此方に回るのも、時間の問題だった。
「俺は妖怪じゃない…… 妖怪じゃないのに……」
ドアにもたれかかる様に座り込むと、言い聞かせるように言った。
「は、はは……」
……火の手の回った玄関から、誰かの姿が見えた。
あれは――霊、夢?
「……れい、む」
助かった
あれ。
おかしいな
何で、そんな顔してるんだ。
お前まで……
グサッ!!
それになんか、いつもより大人っぽい
何を持ってるんだ?それって、針
グサッ!!!
何でそんな危ない物
なぁ霊夢 言ってくれよ
グサッ!!
俺は妖怪じゃないって
お前なら知ってるだろ
グサッ!!!
痛い、痛い。――痛い?
なぁ霊夢、さっきからその腕の動きは何なんだ
なにかをなげるみたいに、まるで
グサッ!!!!
れ い む――
「……しぶといわね。さっさと封印してやるわ」
……む?
「……が、はっ」
血反吐を吐き、体中に刺さった『何か』を抜きながら、逃げる様に走った。
あちこちから聞こえる声に怯えながら、全身を鋭い痛みが襲う。
逃げな きゃ。
殺される。
殺されてしまう。
『人間』に。
逃げなければ。
『人間』から。
あれからどれだけ彷徨ったのか、覚えていない。
あるのは空腹感と、人間への恐怖。
痛みは消えていたが、怪我がどうなっているかを確かめる気にならなかった。
ああぁ、そんなことより、逃げないと。
頭では分かっているのに、体は言う事をきかない。
意識を保てずに、体は前のめりに倒れ――
……。
いつまでたっても地面に辿り着かない。
何かに、支えられていた。
――顔を上げると、見知った顔があった。
「ゆか、り」
……俺を好いてくれてた人。
あれ、でも。
紫は妖怪でこわい
あれ。
こわいのは人間だったっけ。
……紫はこわい?
「大丈夫?○○」
彼女は優しく微笑んでいる。
――こわくない。
紫は、こわくない……
「私が恐い?」
「……いいや」
「そう。……良かった。
随分と酷くやられたのね……直ぐに手当てをしませんと」
そう言うと、俺達の体は何処かへと落ちていった。
「こんなに傷だらけになって……」
ぼろぼろになった○○の服を丁寧に脱がせてゆくと、
紫はスキマから何かの瓶を取り出して、中身を指に掬う。
「刺し傷よりも火傷の方が酷いわね。――なりたてだから、回復が遅いのかしら」
○○は安堵しているせいか、紫の声を子守唄のように聞いている。
「その為に用意しておいたのだけれど……効き目はどうかしら」
紫の指に掬われていた液状のものを○○の体に広げるように塗りたくると、
傷口を中心に塗りこんでゆく。
「ふふっ……」
ぬり……ぬり。ぬり……ぬり。
「っ!」
傷口にしみたのか、○○が体を震わせると紫が体を寄せ、唇を重ねてきた。
――そうして、人工呼吸をするように、息と、舌を、流し込んでくる。
不思議と苦しさは無く、痛みも治まってゆく。
段々と、○○意識は遠のいてゆく
ぬるん……とした感触の指の感覚だけが、次第にはっきりとしていく内、
それ以外の感覚が、なくなってゆく。
全身が指に触れられ、ねっとりとした感覚を最後に、○○は意識を手放した。
……ぬり。ぬり。
今日も紫が薬を塗っている。
○○の体から傷は消えておらず、
まるであれから少しも経っていないみたいに。
(あなたは私の所に来なかった……)
……ぬるん。
(どれだけ経っても、何もしない。恐がるだけで、動かない)
……ぬり。ぬり。
(人間に襲われたあの時だって、私の事を考える事すらしなかった)
……ぬちょっ。
(助けを求めず、許しも請わず、ただ何も。何もしない)
……ぬり。ぬり。
(それならもう、あなたは……何も、しなくていい)
……にゅるっ。
(何も。ただ 私と一緒に)
「うふふ」
「ゆかり……?」
「起きちゃダメよ、○○。……あなたは眠っていれば、それでいいの」
(決して覚めない、夢を一緒に)
「……おやすみ……」
……ねちょり。
(……見続けていればいいのだから)
真っ先に浮かんだのは紫の悲しげな顔だった。
「……」
意識を失う直前の、あの。
光景が鮮明に蘇り。
――泣いていた。彼女の、顔が浮かんでくる。
傷付ついていた。
傷付けた。
誰が?
……自分だ。
誰よりも傷付けたくなかった。
好きだった。大切な人だった。
だけれど。
決して彼女が誰かを好きになる筈など無い、と。
それが自分であるなら、尚更。
……そう、思い込んで。
『何時かは殺される。そんな事にはなるかもしれない』
そうは考えた事はあったけれど。
だからもし、自分が殺されるとしても。
彼女にだけは殺されたく無かった。
自分の好きな人に嫌われて、それで。
『食事と同等の扱いになる』
……それが嫌だった。
だから嫌われない様に、一定の距離を保とうと。
彼女にだけは、気を遣っていた筈なのに。
負の考えが巡り、無気力のまま歩く。
だが、何か……変だ。
昨日まで、ずっと歩いている筈の道なのに――
こうまで見覚えが無いのは、何故なのか。
もしかしたら異変が起きたのかもしれない。
そう思い、神社に辿り着くと霊夢を探す。
「おーい!霊夢ー!!」
少し大きな声で彼女を呼ぶ。
が、返事は無い。
変わりに普通の巫女服を着た、小柄な少女が顔を見せ、まくしたててきた。
「ちょっと!神社でうるさくしない!!」
……その顔は、何処か霊夢に似ていた。
(……誰だ?霊夢に姉妹が居たとかか?いや、聞いた事もないし……)
「聞いてるの!?」
「あ、あぁ。あのさ、ここって博麗神社じゃないのか?」
「人の話を……って当たり前でしょ。迷って此処まで来た訳でもないでしょうに」
「いや、それが……」
自体を飲み込めず、頭を働かせようとする。
「はぁい」
――その声で、それは停止した。
「悪いわね、その人はうちの身内なの。返してもらえると助かるわ」
笑顔だった。いつもと、変わらない。
「紫!何かと思えばやっぱりあんたが絡んでたのか。ちょっと退治してやるからさっさと準備しなさい!」
「まだ眠いから今度にさせてもらうわ~。それに、この人との用事が先約なのよ。
そういうわけだから、じゃ」
何時の間にか服の首根っこを掴まれていた○○は、そのまま紫の開いた空間に放りこまれ。
巫女服の少女が、こらー!と叫ぶ声が途切れる様に聞こえた。
僅かに見覚えのある光景。
マヨヒガの一室で、○○と紫は、食卓で向かい合う様に座っている。
「……紫、その」
何から切り出して良いのか分からずに、謝罪の言葉すら出せなかった。
何を言えば、彼女は許してくれるのか。
……元の関係に戻れるのか。
それだけを、考えていた。
「その……霊夢は何処に行ったんだ?」
「はぁ」
紫は目を閉じたまま、気の無い感じで答える。
やはり怒っているのだろう。
○○は、取り合えず口を利いてくれるまで、色々聞いてみる事にした。
「俺の家の物も全部無くなってるし」
「あら、そう」
「歩いた道は何処かおかしいし」
「まぁ……ねぇ」
「体の調子だってすぐれなくて……」
「ふぅん」
話を続けたが、まともな返事は何一つ返ってこなかった。
何時の間にか目の前に茶が置かれている。
……気に触っては、いなかったのだろうか?
「ねぇ○○」
はっとする。紫が何を言うのか、少しびくつくと。
「そんな話、つまらないわ。もっと面白い話をしましょうよ」
そう言って笑顔を向けてくれた。
その表情に、安心してしまう。
……何時もだったら何かある、と疑って掛かる所だが、流石にそんな気は起きなかった。
起きなければよかった。
「挙式は何時にする、とか。
何処かへ出かけよう、とか。
陳腐な台詞を並べながら、体を寄せ合うの。
そんなのも悪くないと思わない?」
何を、言ってるんだ?
紫の言動が不可思議なのは何時もだが、何か、違う。
「ああ、でも挙式をするならどちらが嫁ぐのか決めないと……
あなたが八雲を名乗るのも素敵ね。だけど、私があなたのモノになるのも」
「ちょっ!ちょっと、待ってくれ!!」
勝手に話を進める紫を静止しようと立ち上がる。
だが、紫は笑顔のままだった。
――いや。
あいつは誰に笑っているんだ?
俺を見ているはずなのに。
あいつの目の奥底が、まるで深淵の様に――
深くて
何も
見えない
――っ。
よろけたまま、へたりこむ。……紫は俺を見つめたまま。
ダメだ。
これ以上、顔を合わせていられない。
「……すまない。今日はもう、帰らせてくれ」
家に帰ったところでどうするのか分からないが、此処にいるよりはマシだと思った。
だが、紫は何も言わない。
「紫……家に帰りたいんだ。駄目、か?」
そう言った自分の言葉が弱々しく感じる。
「そうなの」
不思議そうに言う。……え?
「此処があなたの家なのに、どうやって?」
……え?
「どういう意味だ?」
何を言っているのだろう。
もしかして、無くなった家財は全部此処に持ち込まれたとか。
「此処があなたの居場所なのよ。此処だけが」
……居場所って。
彼女の気持ちは分かったつもりでいた。
なのに、まるで何が言いたいのか。
……前よりも、分からない。
「○○。此処を出たら何処へ帰るつもりなのかしら」
「何処って、自分の家に……」
「……そう」
紫の表情から笑みが消えた。
同時に、スキマが開く。
「神社まで繋がってるわ。……気をつけて」
……また、機嫌を損ねてしまっただろうか。
「ごめん……紫」
何か言おうと振り絞る。
「でも俺も、紫の事が好きだから……今度はちゃんと……」
そしてスキマを潜り抜ける、一瞬。
見えた彼女の口元は歪んでいた――
神社に出ると、あの巫女服の少女が見えた。
見つかると面倒な事になりそうなので、忍び足で道端へと降りる。
……?
そういえば、見覚えの無い道になっていた事を忘れていた。
神社の位置を確認し、覚えている感覚にしたがって方角的に進む。
それにしても、何故急にこうまで景色が違っているのだろう。
でも紫は確かに俺を知っていたし、俺の知っている……筈の紫だった。
結局何の結論も出ないまま、足を進めるうちに家が見える。
「お帰りなさい。早かったわね」
……紫のいた、家が。
「何でマヨヒガに……」
後ろを見る。
光景は先程とも違っていた。
何故?
俺は、確かに家へと歩いていた筈なのに……
「!」
そうして紫を見た。
「あら。私は何もしていません」
瞬時にそう答えた。
「そんなわけないだろ!?」
「あなたは帰ってきたの。自分の家に。自分の足で。
此処が自分の家だと、理解しているからこそ」
「何が自分の家だ。此処は迷い人が辿り着く場所だって聞いている。
だから、俺が此処に辿り着いたのは迷ったから――」
「そうね」
「じゃあ聞くけど、この世界のあなたの家は何処かしら?」
「え……」
少し悩んだが、直ぐに反論する。
「この世界は俺の知らない場所だ。だから、分かる訳がない」
そうだ。この世界を俺は知らない。
霊夢だって居ない。道だっておかしい。家だって変だった。
……ちょっと待て。
じゃあ何で神社やマヨヒガはあるんだ。
「……え。あれ……」
何で紫は居るんだ?
霊夢は居なくて、似た子は居たけど、あれ。
「○○。この世界にあなたを知っている人は……もう私しか居ませんわ」
そう言うと紫が一歩、また一歩と足を進め。
此方へと近付こうとする。
彼女が、何をしたいのか――
何をする気なのか
何をされる。
何が目的
何 何 何。
藍も橙も 『気を遣ってくれた』わ。
……私も、あなたも。
何も気を遣う必要は無い。
あなたが眠っている間に
全て、捨ててしまったのだから。
……もう、あなたの事を知る人は誰も居ない。
誰一人。
大丈夫よ。
――あなたは、私の家族。
だから、あなたを殺したり、傷付ける……
全てから、護ってあげますわ。
『私』と『あなた』の命が尽きるまで。
……そして。
この『世界』が滅びるまで。
うふふふふ。
うふふふふ。
……気が付くと俺は、紫の膝で眠っていた。
暖かくて、それだけで幸せになれる。
トクン、と俺に振動が伝わってきた。
紫の中に、何かがあるみたいに。
何、だろう……
ごとん。
「……あ。○○、ごめんなさい。
つい私まで、眠くなっちゃって……」
いいんだ。
「ありがとう。あなたはやっぱり優しいのね、○○……
だから好きよ……」
そうして俺を拾い上げ、膝の上へと乗せる。
また紫の腹部が、トクン、と震えたのが分かった。
もしかして。
「そう。私達の……」
嬉しくて、紫を撫でてやりたくなる。
でも、俺の体は、もう……
「二人でずっと、この世界で過ごせるなら……
大丈夫ですわ、あなたがどんな姿になったとしても
……愛してるから。世界が終わる、その時まで」
最終更新:2010年08月27日 01:52