見えないモノが見えた所で、良い事なんか一つも無い。
少なくとも、私はそうだった。




ねえ、あなたにとってはどう?
こんなにも、私は側にいるのに。








Spiegel von Hartmann-5.針と糸-








いない。




いない。




いない。




こいしが何処にもいない。




…いや、胸騒ぎで解る。
ここにいるのに、いないのだ。




胸にある眼はまだ開ききっておらず、視覚も持ってはいない。


…じゃあ、この眼は何が見えるのか。
何故、こいしが見えなくなるのか。


だって俺の能力は、『見えないモノを自分に意識させる』力だったはずだ。
だからこいしが見えるのだし、この眼だってきっと、ただ妖怪化が進んだだけだ。




…なんて現実逃避したって、冷静にはなりきれないな。




暗い部屋に目を遣ると、いつかの記憶が蘇る。




あの日と同じだ。
“ ”が手紙すら残さず忽然と消えた、あの夜の記憶と、冷めた不安と。
子供が置き去りにされた時みたいな、冷たい孤独。




「っ…!」




やる事なんて、一つだ。
針を炙り、糸を通し、胸元の目を縫う。


またあの世界に戻るぐらいなら、こんなモノは縫ってしまえばいい。


文字通りの刺す痛みに顔をしかめながら、4針、5針。
そして6針目に達した時、漸く眠りこけるこいしの姿が見えた。




ああ、良かった…。
あいつとは違う。こいしはまだ、ここにいてくれているのだ。
いつもみたいに彼女を抱きかかえると、安堵からか、強い眠気に襲われた。
身体と能力の変調への不安はあるが、それですらもう、どうでも良かった。




ただ、今はこのぬくもりを抱いて眠りたい。
それ以外の事は、どうだって。
















くす…どっちが子供か、わかんないね。
痛かったよね?ありがとう。


だけど、ダメだよ。
まだ足りないから、○○はうそつきなの。


私以外の事、考えたでしょ?
まだ、針千本には足りてないでしょ?


ねえ、きっと、もっとお揃いになれるよ。
だから、待ってるから。










____あと、994針。私が縫ってあげる。












“ずきり…”




縫い傷とは、違う痛みが走る。


『眼』を縫い合わせて以来、妙な声が聴こえる事も無くなった。
だが、胸の異物感は増すばかりで、心臓とは別の脈動さえ感じる事がある。

…俺は、こいしと『同じ』になるのだろうか?
漠然とした不安に駆られるが、何故不安なのかは、考えないようにしていた。

大丈夫、能力は相変わらずだ。
いつも通り、ただ見えないものや、色の着いた靄が見えるだけ。


いつか引き離されるまでは、変わらない日常が続く。



きっと、そのはずだ…。





「そこの方、ちょっといいですか?」






後ろから、何処かで聞いた様な声で話し掛けられた。
こいしに似ているような、だけどあいつとは違い、それなりの落ち着きを感じさせる声だ。


まさか…。


振り返れば、真っ先に『あの眼』が目に入った。
こいしと違い開いているそれは、否応無しに彼女が、俺が誰よりも会いたくなかった人物であると気づかせて来る。


「あんたが、こいしの…。」
「ええ、私は姉のさとりと申します。ここで立ち話も何ですし、少し座れる所へ行きませんか?」



いつもの川辺に腰掛けるが、全くと言って良いほど普段の穏やかな空気は感じられない。
さて、俺はどう殺されるのか。それとも、あいつが連れ戻される事になるのか。


俺がいなくなったら、こいしはきっと…。


「そう怯えないでください。別にあなたを殺しに来た訳でも、こいしを連れ戻しに来た訳でもありませんから。」
「…読んだか。本来は、そっちが正しい能力だもんな…。」


例えるなら、本にでもなった様な気分だった。
一方的に中身を読まれるも、こちらは読み手の頭など見える訳も無い。

…正直、確かに疎まれてしまうのも解るな。こいしは、常にこの感情を向けられて生きていたのか。


「……なるほど、こいしがあなたを気に入るのも解る気がしますね。
ごめんなさい。声を掛ける前に、しばらく後をつけて、あなたの思考を読ませてもらいました。

最初にあなたを見付けた時はどうしてやろうかと思いましたが、こいしの件は感謝しているぐらいです。
私でも、あの子の笑顔を引き出してあげる事は出来なかったですから…。

…ただ、私がお話したいのは、あなた個人の事についてです。何の事かは、あなたも理解しているでしょう?」



彼女の視線が、俺の胸元へと向く。
気付かれない筈は無いが、やはり聞きたくは無い話でもある。

だけど、逃げる訳にはいかないか。


「俺の、眼の事か?」
「ええ。それと、あなたの能力の変化について。
…生き物が一番見る事が出来ないものって、何だと思います?」


一番見る事が出来ないもの。それはやはり…。


「心…だろうな。」
「ええ。そして、一番見てはいけないものも、やはり心、意識だと思います。」
「…何が言いたい?」
「あなたは、こいしに片目を取り替えられたそうですね。
そして、そこから徐々に能力に変化が現れ始めた。いえ、能力が進化した、と言った方が正確でしょうか。」
「………。」


何が言いたいのか、薄々解ってはいる。
だけど…そんなのは、受け入れられるはずが無い。

黙ってくれ、頼むから…!


「……本当に、お互いを必要としてるんですね。少しあなたに嫉妬してしまいます。
だけど、理解して下さい。

これは私の仮説ですが、半妖であったからこそ、あなたはまだその力の範囲でいられた。
ですが、こいしの目、つまりは妖怪の肉体の一部を取り込んでしまえば、妖怪化も進んでしまう。

そうなれば肉体に限らず、能力もまた変化する。
…あなたはいずれ、心と言う、一番見る事が出来ないものを見られるようになります。覚妖怪として。

ですが、そうなればこいしを認識する事は難しく…」


「やめてくれ!!」


「!!……すいません。」




解ってる、解っているんだ。
あの夜から、いつか終わりが来るなんて事は。

だけど…それじゃこいしはどうなる!?
またあいつは、俺が見た記憶の世界に戻るのか?泣き声にすら誰も気付いてくれないあの世界に!!

それに俺だって、もう独りには…。


「…きっとあなたを失えば、こいしはより心を閉ざしてしまうでしょう。
それを避ける方法は、またあの子の瞳を開く事だけです。ですが…。」
「難しい事ぐらいは、嫌って程解る。少なくとも、俺ならあんな目に遭ったら自殺してるね。
…なあ、俺が完全に覚になった時、この目を潰すって方法じゃダメなのか?」
「保証は、出来ませんね。
あの子は運良く能力としてそれを取り込めましたが、覚にとって、第三の眼は心臓も同然です。

…最悪は、あなた自身が無意識に取り込まれ、廃人になる可能性もあります。」
「そう、か…。」




離れ離れは、避けられないのだろうか。

仮に目を潰して廃人になってしまえば、俺は死んだも同然。
かと言って、このまま覚になれば、あいつを見付けてやる事は出来なくなる。

どの道、俺はあいつを置いて行ってしまうのだろうか…あいつをまた独りには、したくはないのに。

…とんだ嘘つき野郎だな、クソが。



「…こいしは、しばらくあなたに預けます。
せめて最後まで、悔いの無いようにして下さい。」
「………なあ。俺がいなくなったら、こいしをどうするんだ?」
「その時にならないと解りませんが…もしあなたを失う事で今以上に壊れてしまったのなら、ずっと屋敷に閉じ込める事になると思います。
他者に触れる事が、あの子の傷をより抉ってしまうのであれば。」
「………そうか。」



…何の為に、俺達は出会ったのだろう。

誰からも見放されて、見放して。
やっと、居場所を見付けられたのに。


こいし…ごめんな。
またひとりぼっちは、嫌だろうに。


ごめんな、本当に…。












○○ったら、また一人で出掛けちゃって。何処に行ったのかな?

あ、いた。
あれ?何でお姉ちゃんが一緒にいるんだろう。



「…あなたはいずれ、心と言う、一番見る事が出来ないものを見られるようになります。覚妖怪として。
ですが、そうなればこいしを認識する事は難しく…」



お姉ちゃん、何でその話を○○にしちゃうのかなぁ…。
ほら、○○だってあんなに嫌がってるよ?
誰だって、汚いモノなんか見たくないに決まってるんだから。


お話に夢中になってるせいか、○○も私に気付いてくれないや。
うそつき。見付けてくれるって言ってたのに…そんな悪い○○には、一針増量だね!

お話は全部は聞こえないけど、さっきので○○は怖くなっちゃったかな?
私とはなればなれなんて、絶対嫌だもんね!

ほら、あんなに苦しそうな顔して。お姉ちゃんのああいう所は嫌い。

ああ…そっか。○○がこのまま覚になっちゃえば、お姉ちゃんの旦那さんにだってなれちゃうもんね。
きっと私とお別れになるって言って、私から○○を取っちゃうつもりなんだ。


だめだよ、お姉ちゃん。
○○は私のなの。
私が先に見付けたんだから、それは泥棒なんだよ?

でも、大丈夫なの。

いつもそばにいるのは私の方。
だから○○が覚になったら、真っ先にお目々を縫っちゃうの。

そうなれば私とお揃いだし、私以外には見えなくなるもの。

だから、あげない。
誰にもあげないし、取らせたりしない。


○○だけは、絶対に誰にも渡さないから。







「ただいま…。」
「あ、○○。何処行っちゃってたの?」
「…ちょっと用事でな。」
「ふーん…まあいいけど、置いてけぼりは嫌だよ?」
「ああ。」




こっそり先に帰って、○○が戻ってくるのを待ってた。
顔色が良くないね…お姉ちゃんったら、余計なことばっかり言って。

ぎゅって○○に抱きつくと、やっぱり幸せだ。
もう絶対に離してあげない。

ねえねえ、そんな悲しい顔しなくてもいいんだよ?
もうすぐ、私たちは同じになれるんだから。







何日経っても、俺の不安は晴れる事は無かった。

だけど時間は待ってくれる筈も無く、次第に胸にある眼は、瘤のように膨らみを持ち始めていた。
やがてはこの胸から飛び出て、そして俺は覚になる。

そうなれば、この日常も…。


「……!!」
「どうしたの?どこか痛いの?」
「いや、何でも無いさ…。」


またか…眼が大きくなるにつれ、眼の拍動に呼吸が圧迫される場面も増えた。
肺を圧迫する痛みは、どうしようもないぐらい現実を突き付けて来る。

「お前は逃げられない」と。
「こいしは、また独りになるのだ」と。


“ぷつ…”


また大きくなったのか…眼を縫い合わせた糸が一つ、切れてしまったのが解る。
心なしか、隣にいるこいしが、少しだけ色褪せてしまったように見えて。


「こいし、こっちにおいで。」
「なあに?」


肩が軋みそうなぐらい強く、彼女を胸に抱いた。
あたたかい。息がある。ここにいる。


なあ、夢なんだろう?
お前が俺の前から、消えてしまうだなんて。










ああ、また大きくなってる…もうすぐだね。

たのしみだね、わくわくするね、うそつき○○は、どんな悲鳴をあげてくれるかな?
きれいな緑色の糸で、ちくちくお目々にお裁縫をして、わたしとずっとふたりぼっち。


ふふ…ふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ…。










続く。

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最終更新:2012年11月20日 16:47