瞼を閉じると、いろいろな映像が見える。
それらは瞼を開けていた時に見た、光の残像現象の名残だ。

今の私にとって、光の残像現象はただ一対の光でしかない。


「おはようございます◯◯さん」

襖を開ける音が響く。
そちらに顔を向けると、赤い一対の光がぼんやりと浮かんでいた。

「◯◯さん、食事を持って来ましたよ」

赤い光が僅かに歪む、多分笑っているのだろう。
普段は気弱で他者の感情を気にし過ぎる彼女――鈴仙が、自分に対しては感情を素直に出す事はよく知っている。

何時も通りに食事の用意をして貰い、手ずから口へと運んでくれる。
療養客用に看護の訓練を受けているだけあって、その動きと気遣いには淀みがない。

なぜ彼女の動きが細かく見えるかと言えば、鈴仙は自身の存在の波長を短くしているのだ。
たとえ視覚的な情報が得られなくても、私には彼女がどういう動きをして、どういう仕草をしているか手に取るように分かる。

「あ」

口端から少しだけ肉のソースがこぼれ落ちる。
赤い光がすっと近づいたかと思うと、少しざらついて柔らかなものが、私の口端をベロリと舐め上げた。

「ふふ、ごめんなさい。少し口に入れる量が多かったですね」

赤い光がまた歪む。
この動きは愉悦か、または情欲か。
私がかつての私ではなくこのような有様になって、何時になく彼女は積極的だ。
私のちょっとした動きに一々反応したり、時折様子を見に来るてゐや永琳先生に警戒心を顕にしたりする。
私がこの有様になってから彼女の抱えてた歪さが酷くなる一方であり。
それを承知しているのか姫君を筆頭に距離を置いた観察処分としているようだ。

そう、伝えてくれたのはてゐである。
彼女自身、からかい甲斐のある友人と初対面で募金をしてくれた人間の友人がこうなった事に責任の一端を感じているらしい。
らしいと言わざるを得ないのがう詐欺たる彼女の胡散臭さだ。
だが、優柔不断な友人の背中を軽く押したら、相手諸共大惨事になりましたでは後ろめたさもあるだろう。

「◯◯さん、また別の事を考えている」

また赤い光が歪み、軽い痛みとともに頬を抓られる。

「あんまり私以外の事を考えていると、波長を長くして暢気にしちゃいますよ?
 ◯◯さんが幾ら暢気でもこれ以上暢気になったら鬱になっちゃいますからね」

暢気か、確かに私は暢気過ぎたな。
てゐに忠告されたり急かされる前に、この他者に対して受け身で臆病な少女の気持ちを受け入れるべきだった。
私の視覚の波長を思い詰めた鈴仙が狂わせてしまい、治療を名目に私を永遠亭の深部に閉じ込めてしまう前に。
彼女が自身の気持ちを抑えすぎて、その結果暴発し惨事を起こしてしまう前に。

彼女はまた過ちを犯してしまった。
かつての戦いの折、一番肝心な時に敵前逃亡をしてしまい月での立場も何もかも失った様に。
好意を寄せた私を、感情を御しきれずに己の能力で壊してしまったのだ。

そして取り返しがつかない失態を繰り返してしまった事に、彼女の心は耐え切れなかった。

今の私の目を開ける事は出来ない。
一度開いた事があったが、危うく発狂しかけてしまった。
それ以来、永琳先生の処置もあって、この瞼は薬と暗示で開かぬようにしてある。
発狂しかけた時に鈴仙が近くに居なくてよかったと心底思う。
今の彼女では衝動的に無理心中すらしかねない。

今の私に出来る事は、この部屋で鈴仙の世話を受ける事だ。
部屋の外ではまるで人格が入れ替わったかのように鈴仙は普段通りに過ごしているという。
その反面、この部屋の中と私と一緒に屋敷の中で過ごしている間は、まるで枷が外れたように私を求めてくる。
私には極端に存在の波長を短くした鈴仙の動きが手に取るように分かる。
赤い一対の光は、常に私を捉えて離さない。

起床の時に彼女が起こしにくる時も。
三度の食事で彼女が世話をしてくれる時も。
厠や風呂の世話をしてくれる時も。
発情した彼女が、夜の臥所で淫らに私を貪る時も。

赤い光、彼女の目は私を常に見ている。


何時になれば私の目が元に戻るのかはわからない。
だが、戻れたとしても意味がないのではないかと最近私は思えてならない。

視覚の波長は元に戻せても、愛と情に狂った女を元に戻せる事は叶わないからだ。





「おはようございます◯◯さん」

襖を開ける音が響く。
そちらに顔を向けると、赤い一対の光がぼんやりと浮かんでいた。



今日も、鈴仙に見つめられる日が始まる。

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最終更新:2013年05月28日 14:54