夕食(山菜の粥と川魚の焼き物)を食べ終えた後、彼は鍋に油を温め準備を始める。
既に鼠の天ぷらの用意も終わっている。油の温度が上がるのを見守りながら、彼は忙しなく守り弾を掌の中で転がしていた。

一体、自分は何をやっているのだろうかと。

山では君子危うきに近寄らず。わざわざ危ない行為をするなど愚の骨頂とされる。
○○がしようとしている事は無謀の極みだ。
あの時は命を取られずにいたが、今度同じように見逃して貰える保証など無いというのに。

「多分、そうなんだろうな……」

あの大きな金色の瞳。美貌に秘められた金色の瞳。
大きな狐。そして里で出会った妖怪。

「でも…………確かめなきゃ、な」

○○の中では、既に結論は出ていた。
今、揚げ終わった山鼠の天麩羅。
これが、○○の検証を確定してくれるだろう。

『○○、山で出遭った存在について、深く考えては駄目だぞ』

脳裏に、祖父の教えが過ぎる。

『考えれば考える程、それはお前の中に食い込んで来る。儂ら猟師は起きた事情をただ受け止め対処すればいい。
 獲物を追いすぎれば死か遭難が待ち受けている様に、異界での出来事を見詰めすぎればそれはお前の魂を魅了するだろう』

そうなれば相手が山の神であれ、それ以外の何かであれ、もうそれらから逃れる事は叶わない。
祖父の教えは正しいのだろうと、○○は思った。
そもそも、祖父の教えに忠実であれば帰還費用分のお布施が貯まった時点で、神社に急ぎこの世界と別れを告げるべきだったのだ。


パキ、という音が家の近くで響き、○○は我に返った。
能力も何者かの接近を告げていた。恐らくは、今日もまたやって来たのだろう。

やはり、危険すぎる試みだったかと後悔の念が僅かに浮かんだ。
だが、それ以上に確証を得たいという欲求が大きく勝っていたのも事実だった。

コン、コン

意外にも、気配は戸の方から近付きわざわざノックまでしてきた。
少なくとも戸が吹き飛び、食欲と破壊衝動に満ちた狐が乱入してくるという最悪のケースではなさそうだ。

「申し」

呼びかけは1回。○○はいよいよと思った。
呼びかけは2回ではなく1回。つまり、相手は人間ではない。
ここで招き入れようものなら、もはや相手の侵入を防ぐ事など出来はしない。

「どうぞ」

躊躇いもなく○○は相手を迎え入れる事にした。
ガラリと戸が開き、相手は躊躇する事もなく家の中に入ってきた。

「……やはり、アレは貴女だったのか」
「ふむ、気付いていたか。匂いが良すぎてな、つい姿が獣寄りになってしまった。あの恰好ではばれるのも時間の問題かもしれんが」

この間里の豆腐屋の前で出会った、9本の尾を持つ妖怪の女性だった。
何よりも印象的な、○○の記憶に深く残っていた金色の瞳が細められる。

「しかし、この間あんな姿で押し掛けられておいてまた懲りずに鼠の天麩羅を揚げるとは。お前は命知らずなのか?」
「いえ……軽率なのは事実だろうけどね」
「ああ、軽率だ。私ではなくて他の飢えた妖怪だったらどうする。そのままお前も食われるかも知れなかったというのに」
「その意味では俺は幸運だったのかな……上がりますか?」
「ああ、そうだな」

視線を皿に盛られた鼠の天麩羅から外し、口の中に溜まっていたらしい生唾を飲んで彼女は居間に上がってきた。
山中の一軒家で夜中に妖怪を招き入れるという、死亡フラグ以外の何物でもない危険行為であるが不思議と○○は怖く無かった。
手の中で転がしていた銀の弾をそっと弾袋に戻すと、笊から天麩羅を大皿に移し軽く塩をふってから囲炉裏の傍に座った藍に差し出す。

「粗茶……と言いたいトコだけど一刻も早く食べたそうだからどうぞ」
「頂こう……じゅる!」

差し出された皿を引っ掴み、串揚げ状の山鼠の天麩羅を藍は夢中で平らげていく。
妖怪の彼女なら適当に丸で揚げて出しても満足かもしれないが、元々は○○が食べる為に調理していたものでもある。
日本人なら個人差はあれど抵抗感を示すかもしれない。都会のドブ臭い不衛生な鼠を見ているのであれば尚更。
だが、この自然と恵み豊かな山で獲れる鼠は、木の実などを豊富に食べて肥えた鼠である。
適切に血抜きと臓物を抜いて臭みが付かないようにし、皮を剥いで開き状態にし胡椒か山椒でマスキングしてから衣を付け揚げる。
博識な里住まいの外来人に聞いた話では、東南アジアや南米では普通に食用として養殖された鼠が食卓に提供されていると聞く。
事実、食べてみて癖のない味わいだった。大学の入学祝いで食べに行った中国料理店のメインディッシュ、北京ダックのアヒル肉に似ていると思う。
実際、抵抗感さえ無くなれば彼にとって山鼠の肉は大切な自然からの恵みだった。

そんな事を考えている内に、あっさりと藍は天麩羅を胃袋の中へと片付けてしまう。
お代わりは無いかと問われ無いと言うと、彼女はしょんぼりとした態度になった。
9本の尻尾まで萎れているトコがなにげに可愛いなと○○は思い、つい、こう口に出してしまう。

「……あの、また、作るから食べに来ないか。そう美味しそうに食べて貰うと何だか作った甲斐があるし」

それ即ち、妖怪を日常的に我が家へと受け入れると言う、正気の沙汰ではない提案を申し出たのだ。






それから、暫くの間不思議な宴が○○の家で催される事になる。
ソレは他者から見て異様な光景とも言えるだろう。

同じ妖怪との宴会にしても博麗神社とは訳が違うのだ。
あの巫女には規格外の霊力と才能、妖怪や超人達と渡り合えるだけの気質と郷の管理者の後ろ盾がある。
対して○○は所詮只人の外来人に過ぎない。藍の気紛れで即座に喰い殺されてもおかしくはないのだ。

だが、意外すぎる程○○と藍の宴は順調(?)に回数を重ねていく事になる。
やがて、それは○○と藍にとっての日常となった。

主からある程度自由に采配できるだけの信頼を得ている藍。
里はずれで誰とも必要以上に馴れ合わず一人静かに暮らしていた○○。
各々の境遇故に誰が邪魔に入るわけでもなく、静かな宴が度々催され始めてから半年が過ぎた頃。


「○○、思えばお前には鼠の天ぷらという馳走を何度も振舞って貰ってきた。それに見合った対価を支払わねばならないな」
「美人が作るツマミと酌で充分だと思うけど?」
「ふふ、世辞は嬉しいがそれだけでは足らんと思えるのだ」

○○の直ぐ横で足を崩しながらお猪口を傾けていた藍が、幾分紅潮した面持ちで続ける。

「我が主から賜った給金が貯まりきっているのでな、お前1人であれば一生分は遊べる額がある。
 金に興味が無いなら屋敷でもいい。私が管理している屋敷の中に人でも住めるものがあるからそれを譲ってもいいぞ」

そうなれば、今以上にこうして気軽に宴会を楽しめるようになるなと狐は嗤った。
含む様な物言いと妖艶に細めた流し目を受けながら、やや酩酊した頭で○○は杯を傾ける。

金もいい、屋敷も悪くない。
彼としてはつましく暮らしていく分の金子は充分にあったが、それでもあればあるほど悪い事ではない。
この炭焼き小屋を改装した小屋も住み心地は悪くないが、より良い家があるというのであれば話は別だ。
ああ、どちらにしても悪くはない。

だが、酒の席でそのままの返答をするのも面白くないと思ったのか。
如何にも巫山戯た態度で、○○は戯れを口にした。

「なら、美しい女を所望すると言ったらどうかな? こちらに来てから、人肌寂しい日が続いたものでね」

無論、酒の席での冗談である。
如何にも軽々しい調子で言ったのは、変に真に取られて不興を買わない様にするためだ。
藍の美貌や、ゆったりした導師服の上からでも解る豊かな曲線が意識に無かった訳ではない。
それでも、藍の問いを茶化すための戯れ言に過ぎなかったのは事実だ。

そのはずだったが。

すっと立ち上がった藍の方を見上げ、○○は絶句した。
彼女の目つきが、一瞬で切り替わっていたからだ。
普段の知的で冷静な彼女でもない。宴の時のどこか色っぽく悪戯げな彼女でもない。
雌の、捕食する獣の、妖怪がその生贄を食らう時のような、そんな目だった。

剥き出しの欲望で渦巻く金色の目に囚われ、○○は全くその場から動けなかった。
恐怖が無かったかと言えばうそになる。彼女の雰囲気からしてこのまま食われてもおかしくはなかったからだ。
だが、それ以上に、○○は藍の瞳に取り憑かれていた。
動悸が激しくなる。そして何よりも、下腹部の男の象徴が異様なほどに硬くなっていた。

「フフ、そう言えば紫様のお世話と仕事に掛かりきりで、男を久しく食べて無かったなぁ」

スルリと、大陸風の導師服が抜けるように畳へと落ちる。
○○の手から、お猪口が滑り落ち床に転がった。
眩い程の白い肌と、豊かな膨らみ、くびれた腰と肉付きの良い尻が○○の視界を奪った。

「一生涯に味わえるかどうかのご馳走を何度も食わせて貰ったのだ。
 傾国の魔性と呼ばれた手管と悦楽は充分に釣り合うだろうよ」

最後に残った頭巾を床に落とし、フワリと髪を軽く払った彼女は目を細めて蠱惑的な笑みを浮かべた。

「さ、私からのお礼を受け取ってくれ。今までの宴で随分と頂戴したからな……受け取るにしても、色々と覚悟して貰うぞ」


その晩、○○は意識が落ちるまで激しく藍と求め合った。
覚悟しろと言われた通り、彼女は容赦なく○○を搾り尽くした。
妖怪のおなごの求めは、人間の女性の比では無い貪欲さだった。
最後に見たのは、上気した面持ちで気持ちよさそうに身体を揺らす藍の笑顔だった。

暗くなる意識の中で、2つの金色の瞳がじっと、絡め取る様に○○を見詰め続けていた。

(ああ、やっぱり、綺麗だなぁ……)

○○は藍に、金色にすっかり魅入られていた。




それから、恒例の宴に加えて○○と藍の逢瀬が始まった。

○○は今まで以上に鼠の天麩羅を作る事が多くなった。
天麩羅を揚げた夜は、来ない事も稀にあったが藍は頻繁に○○の家に訪れた。
主の伝で手に入れたらしい外の酒や油揚げの料理を手土産にやって来ることもあった。
今までもそうだったが彼女の手料理は絶品だった。

何故自分で鼠の天麩羅を作らないかと問うた事があるが、苦笑しながら「作れない」と言われた。
どうやら彼女らは概念的に大好物を「作れない」らしい。
長く火を恐れ食物に対する調理の概念を持たなかった、妖狐の種族的、概念的に「苦手」だとか。
油揚げは何とか自作できるようになったが人の揚げたものには及ばず、良品を求めたら結局人里の豆腐屋で買うしかないのだという。
鼠の天麩羅に至っては準備すら覚束ない有様で、こうして人間が揚げた時に飛んでいき、強請るか懇願して貰い受けるしかない。
だからこそ、藍にとって○○は得難い存在だと、宴の席や臥所の枕元で囁かれた。

互いの手料理を酌し合いながら摘み、延々と世間話や愚痴、各々の身の上話などを語り合った。
仕事があるからと切り上げ帰る事もあったが、多くはそのまま臥所を共にした。

○○は自身がこれ程好き者だったのかと驚くほど旺盛に藍を求め。
藍も○○の欲望をその肢体で全て受け止め、時には逆に求めて○○を搾り取っていった。

主の支度があるからと、何時も陽が昇る前に藍は帰った。
残されたのは体液で湿った布団と、○○の身体に刻まれた複数の歯形と爪痕だった。
彼女にきつく搾りきられた後は夢現な気持ちで目覚めるが、それらの発する静かな痛みが確かな現実であった事を思い知らせる。

そうして、いくらか習慣が変わりつつも○○は変わらず猟師を続けた。
藍は無難で見入りの良い仕事を斡旋出来ると転職を○○に薦めたが、慣れ親しんだ仕事を変えるのはなかなか決断し辛い事だ。
結果、藍への返事を先延ばしにしながら猟師を続けていたのだが……聊か実入りが悪くなり始めていた。

最近は、低級の化生と山の中で遭遇しても戦いにすらならず直ぐさま相手が逃げ去ってしまう。
大妖怪である九尾の狐の臭いが染みついた○○は、彼らにとって獲物どころか脅威に映るようだ。
○○は与り知らぬ事であるが、それは所謂臭いを染みこませるマーキングだった。
そこらの低級妖怪程度では、裸足で逃げ出すのは当然だったに違いない。
匂いが語っているのだ。石鹸などでは落とせない程○○に染みこんだ藍の匂いが語っているのだ。


これは、この男は私のものだ。私だけの獲物だ。

手を出したら八つ裂きにして殺す、と。


しかし、この匂いの加護には弊害があった。
普通の獲物である鳥や動物までもが大妖怪の匂いを恐れ逃げてしまうのだ。
幾ら○○が気配を殺しても意味が無いぐらいに、匂いは広範囲に効能しなかなか猟銃で仕留める事が出来ない。
罠による狩りや山菜や珍味の収集で代わりの食い扶持は稼げたものの、調子の狂った仕事に○○の苛立ちは募った。

苛立ちが募れば深酒をするようにもなる。
仕事の愚痴を零しながら酒を呷る○○を、藍は優しい笑顔を浮かべながら心地よい相槌を打ち酒をお猪口に注いだ。

ストレスが溜まれば性欲として発散したくもなる。
猟師の仕事が滞れば滞る程○○は荒々しく積極的に藍を求め、藍も嬉しげに臥所で○○の責めを己の肉体で受け止めた。

そしてその日も、一発として銃弾を放つこと無く狩りから戻った○○を藍は嬉しそうに出迎えた。
何とか罠で捕らえた山鼠で天麩羅を作り藍に振舞った後、○○は少し不貞腐れた態度で酒を飲んでいた。

「妖怪が近づかないのはいいけど、なかなか獲物も捕まらないだよな……このままだと稼ぎが落ちるなぁ」
「そうか……しかし○○よ。そんな思い詰めた気持ちでは尚更獲物が捕まらないのではないか?」
「……それもそうだな」

自分の匂いが原因だと気付きながらも素知らぬ顔で、藍は自分が望む話題へと話を摩り替える。

「荒れた気持ちで猟師を続けても何れ事故か不覚を取ることになる。そうなってからでは遅い。それはよく理解しているだろう?」
「………ああ」
「少しばかり休業し身と心を休めてみたらどうだ。……そうだな、暫く私の家に来ないか?」
「えっ」

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最終更新:2013年05月29日 15:37