目が覚めた。
 きっと日が落ちた頃合いだろう。
 自由とは何か。男としての、人としての尊厳とは何か。
 もうそういったことを考えるのを辞めにしてしまいたい。
 かといって元居た日常に下らない執着でもあるのか、女に良いようにされているという点がプライドを刺激するのか、まだ思考を放棄しきれない。
 ぎい…………。
 重い金属音を唸らせて、扉が開いた。
 扉から背を向け寝転んだまま、じっと背後の気配に傾注する。怯えているのか、期待しているのか。わからないが、その足音に、空気の流れに、集中せずにはいられない。
 すると間を置かず、背中に直に温もりを感じた。
「おはよう、〇〇。喉が渇いているでしょう。紅茶を運んできたわ」
 咲夜が腕を回して抱きついてくる。
 おはようと返すべきかどうか迷った。別に朝じゃないからとかそういった理由ではない。いつまで経っても、この女に対してとるべき態度を迷い続けている。軽蔑するように無視を決め込むこともあれば、狂ったように求めることもあった。
 躁鬱の気があるように、二人の距離は絶えず変化し続けている。少なくとも、こちらからはそう観測される。
 もっとも咲夜がそのことに気付くのにあまり時間はかからなかった。今ではこちらがどんな態度を取っていようが、どこ吹く風の体である。
「あら?今日はご機嫌斜めかしら…………ならしばらく、こうして抱かせてちょうだい」
 ぎゅっと私を抱く腕が締まる。
 背中から抱かれているのだから、こちらとしては、どうにも物足りないものがあった。
「ふう…………」
 溜め息を一つ大きく吐く。
 身体を捻り咲夜と向き合う。じゃらりと足枷に繋がれた鎖が鳴った。
 頬を薄く朱に染めた顔が鼻先にある。
 綺麗だ。
 この可憐な顔にはこれまでの二人の積み重ねの全てが詰まっている。それを間近で見ていると、無駄な思考が生んだ不愉快の一切が消える。
 その潤んだ唇に触れた。
「んっ…………」
 目を閉じて咲夜が嬌声を上げる。
 口付けを重ねる時間とともに、呼気が次第に熱を帯びていく。
 それからしばらくずっと二人は抱き合っていた。

 差し出された紅茶はすっかり温くなってしまっていた。
「完璧な仕事じゃないな」
「温いのが好きだと言ったじゃない」
 そんなことを言った憶えは無い。しれっとした澄まし顔が得意げに見える。
「言うようになったじゃないか」
「誰のせいだと思う?」
 咲夜が胸に顔を埋めてきた。
 私は頭を撫でてやることで応えた。
 柔らかな銀髪の触り心地が好い。撫でれば撫でるほどに、甘い女の髪の匂いが立ち上ってゆく。
 酒にでも酔うような気分だ。
「こうしている分には、悪くないんだがな」
「貴方が望むなら、ずっとこうしていても構わないわよ。このまま時を止めてしまっても…………」
「それは遠慮しておく」
「なら、何がお望みかしら」
「そうだな」
 私は足首に繋がれた銀の装飾を一瞥し、
「あれを取っ払ってくれ」
「それはいけないわ」
「駄目か?」
「ええ、ダメよ。貴方は脆い人間だもの。この郷で貴方を自由にさせてはいけない。里の人間も、妖怪達も、みんな貴方を傷つける。困ったことに人の精神に干渉出来る妖怪なんてものも居るものだから、この屋敷の中でさえ自由にすることは儘ならないわ」
 何度も聞いた説明。それでもこうして答えの判りきった問いを訊ねて、こうして同じような答えが返ってきて、そうした遣り取りが日常の一部になってしまっている。
「難儀だな」
「ええ、難儀ね」
 でも、と間に置き、埋めていた顔を上げて続ける。
「代わりに私の全てを与えてあげる」
「お前の全てを奪うのではなく、お前の全てを与えてもらう…………情けないものだな」
「別に貴方が私の全てを奪ってくれても良いのよ?出来るものならね」
 釣り上がった自信に満ちた流し目が、ひどく己の裡の曖昧な部分に働きかけた。
 感情の赴くままに咲夜を押し倒す。
 乗せられたか?
 じゃらりと何かの音がしたような気がした。しかし女の香りの満ちた身体に溺れていった。

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最終更新:2013年06月21日 13:11