「紅葉彩る晴空の風に誘われて、ようこそ」

目に痛い程の紅葉、枯れ始める木々の最期の命の灯の様な、真赤な紅。
風が流れると共にその紅も舞い踊り、紅は拡がり朱に染まる。
赤は集まり赫く燃えるようなその色を、緋と例えるか、それとも丹と例えるか。

「――此の終わりを告げる秋の死際に。」

目に痛い程の紅葉、その命の灯の様な真赤な紅でさえ、彼女の前では色褪せて逝く様に。
吹き荒れる風に、敷き詰められたかのような紅葉は、舞い上げられ、舞い散り、舞い落ちる。
桜吹雪の様な紅葉の中、彼女の存在は、僕には全てを忘れる程に扇情的に映り、劣情を駆りたてられるが、それ以上に、僕は思った。


「――あぁ、怖ろしい。」


それが、僕の彼女への最初の印象であり、初めての言葉であった。










僕は、ただの凡才な凡人だ。
天才でもなく、秀才でもない、凡才。
特別な力を持っている訳でも顔が広い訳でもない。ただの、"人間"。
運動神経が良い訳でも学習能力が高い訳でもない。ただの、"凡人"。

親は、母は僕を生んで死んで、父は強盗に殺された。
17年間生きてきたが、父が殺されたのは二ヵ月前と記憶に新しい。
母の顔も知らず、知っているのは父と、自分の顔くらいだ。他人の顔など、二日も経てば忘れてしまう程、記憶力が高い訳でもない。
父の死という人死があった事で、割と慌ただしい日々だった気がしたが、印象は殆ど無かったので慌ただしかったという認識でさえ曖昧。

兄弟はおらず、親戚は、誰一人居ない。両親は駆け落ちだったのだ。
頼れる者も頼る物も無い僕は、フラリと山へと足を運んでいた。
別に、死にに行く訳では無かった。唯自然と、気紛れの様に山を歩いていた、荷物は一つ。正確には二つだが、僕にとっての荷物はこれだけ。
僕の宝物。僕達の宝物。もやは僕だけの宝物。

お腹の大きな母と、今は亡き父が笑顔で笑い寄り添う写真。その母の手には紅葉が1枚。この写真の裏にある物と同じもの。
僕にとっての宝物は、それだ。
母が持っていた紅葉、物心ついた時から持っていた紅葉。僕にとっての最後の思い出。
お風呂に入る時以外は、どんな時でも手放さなかったこの紅葉が、僕にとっての宝物。
その写真と紅葉を、僕は胸のポケットにしまい、山の奥へと歩を進める。

舗装されていない山道は、足場が悪く、体力も続かないが、別に急いでいる訳でない。
ゆっくりと、自分のペースで誰に急かされる訳でもなく歩き続けている。
夜明けの前に歩き続けて、今は夕焼け。陽が落ち始めて、空は茜色に染まりつつある。
まだ空は青いがそれも時間の問題、二時間もすれば茜色は闇色に、夜の色に染まるだろう。

明りは徐々に無くなり、足場は更に悪くなる。
此処は何処だろうか?そんな思いを巡らせて、されど恐怖心は無い。
もっとも恐ろしいのは人間だ、己が欲望の為に平気で命を奪う存在。

誰かを守る為に、誰かを殺すのも欲望。誰かを守りたいと言う欲望。その為に誰かを殺す。
生きる為に、何かを食べるのも欲望。生きたいと言う欲望。その為に何かを殺す。
楽をしたいが為に物を奪う、時には人の命をも。その為に誰かを殺す。そう、父が殺された様に。
――別に、父を殺した者に罪を償って欲しいとも、復讐をしたいとも思ってはいない。だが、その行為による責任は既に負ってもらった。…父の痛みを負ってもらう事によって。
父が殺された日、その時間、その場所で、僕は父の心臓を刺した男の、心臓を、同じ凶器で突き刺した。
世間では自己防衛、正当防衛だとか、父の仇を取ったとかなんとか言われていたが、そんなことではない。
僕は、ただ責任を負ってもらっただけだ。『撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ』という言葉は有名だ。たしかフィリップ・マーロウという人物が出て来る小説の、彼の言葉だったと記憶しているがもしかしたら記憶違いかもしれないので割合する。
その言葉のとおりに、僕は父を殺した奴の凶器を奪い、その凶器で心臓を突き刺した。それ以上の事は一切せずに、僕は――

「ぃっ――ぎっ?!」

思考に耽り過ぎていたようだ。盛大に足を滑らせて尻餅をついてしまう。尾骶骨を地面の石にぶつけてしまい、目尻に涙が滲み浮かぶ。
それだけなら痛みに耐えればよかったものの、そうもいかなくなった、右手の平をものの見事に切り裂いてしまった。
滲み浮かぶだとかそんなレベルを通り越して、右手から血が流れてゆく。困った事に、止血を出来る様なモノも持ち合わせてはいない。
服を千切って傷口を塞ごうとも思ったが、此処は山の中、半日以上を歩き続けた僕の服は凄惨とまではいかないものの、見れば酷い有様。
自身の汗に、土埃等の汚れが酷い、もしこんなので傷を塞ごうとすれば余計に雑菌が入って後が大変な事になってしまう。

見た目通りの傷なのか、右手の痛みは既にあまりなく、それが危険な状態である事は理解が出来た。
どうしようかと考えるが、どうしようもないので、このまま歩く事に。
死にに来た訳では無かったが、どうせならばやりたいようにするのが一番だろう、今から帰ろうとしてももはや道すら分からない。
ましてや陽は落ち始めて、さらに此処は山のど真ん中。
仮に道を覚えていたとして、仮に体力が無尽蔵だったとして、休むことなく走って戻ろうとしても、六時間以上はかかるだろう。
走れば血圧が上がり、その分出血の量が増えるのは必須。
更には現実、事実として道を覚えていないし、体力も持たない。そして一時間もしない内に視界は黒一色、確か今日は朔月、つまり新月だ。月明かりも頼れない。
もはや万時休すだ。空はすっかり緋色に染まり、右手の赤は更に赤く、朱に染まってゆく。


しばらく歩いていたが、足元が安定しなくなってきた。
足場が悪いのもそうだが、出血が一番の原因だろう。あの場所から此処まで、一切の途切れを見せることなく血が地面に赤線を描いている。
野犬や熊が出てきてもおかしくはないだろう、それならばいっそのこと、怪異とやらに出くわしたいものだと、小さく呟くが。

「ぅ――ぉぁっ」

また足を滑らしてしまった。
しかも今度は、その場に崩れ落ちる訳では無く、横の急な坂となった場所だ、あと少しすれば崖と言えるかもしれない。
滑り落ちると共に、全身をすり切り、木々に叩きつけられ、それでも止まらない、それほどまでに急なのだ。
やがでどれだけ滑り落ちただろうか、気が付けば既に平地にまで落ち着いており落ち葉が衝撃を和らいでいた。

「……いや、そもそも滑った原因が落ち葉だから、差し引き無しかな。」

落ち葉に感謝しようと思ったがそれを止めて、横になったまま坂を見上げる。
自分の滑ってきた場所が判らない程に、落ち葉が仕事をしてくれている。登ろうとしてもずり落ちてしまうだろう。
全身を蝕むかのような凄烈な痛みに耐えながら、木を支えに立ち上がりようやく、気付いた。

「―――ほぅ」

辺り一面、紅葉、まるでこの空間だけが、結界に隠されていたかのような、そんな場所。
自分が滑り落ちてきた場所を見上げるが、紅葉など一切無い。本当に切り取られたかのような、そんな印象。
夕日の光が更に紅葉を彩り、目に痛い。しかしそれもしばらくすれば夜の影に隠れて見えなくなってしまう。
紅葉満開でありながら、その葉を散らせてゆく大きな木、見惚れているのか、魅入られているのか。
そんな考えの、全てを失わせてしまうような、そんな感覚。別に何がある訳でもない、別に何かあった訳でもない。ただ静かに、紅葉のざわめく音が――



「紅葉彩る晴空の風に誘われて、ようこそ」



止んだ。
静かに、先ほどまでの木々のざわつきが嘘のように、静かに、ただ静かに。
自身の思考もそれと同じく、小波すら立たぬように止まり、何者でもない、存在に気づいてしまった。
全身の凄烈な痛みを忘れる程に。右手から零れ出す赤は止まらず、夕日の光と、紅葉と、世界を朱く染め上げてしまうかのような。



「――此の終わりを告げる秋の死際に。」



それまでの騒音を、それまでの静寂で、貯め込んでいたかのように、全てを吐き出すかのように唸りを上げる突風が巻き起こる。
紅葉咲き誇り、咲き乱れる紅葉の絨毯は、風により、舞い上がり、舞い散り、舞い落ちて。
世界が朱で塗り潰された瞬間から、紅葉が舞い落ちると共に、世界が寂しく崩れていく終焉を迎えたような錯覚に囚われる。
その様が余りにも美しく、儚く、だからこそ僕は思った。


「――あぁ、怖ろしい。」


それが、僕の彼女への最初の印象であり、初めての言葉、そして、抱いた感情であった。


「――はじめまして、八百万の神の一柱、秋の紅葉を司る神。秋 静葉です。紅葉は、好きですか?」

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最終更新:2013年07月04日 10:43