アットウィキロゴ
「ちょっと、そこで何をしてるんだ?」

妖怪の山の麓で、切り株に腰掛けトカレフを口にくわえようとした青年を呼び止める。
唖然とした顔で振り向いたので、素早く近寄り暴発させないよう押さえ込みながら拳銃を取り上げる。

「……天狗さんですか?」
「あー、天狗だな。一応。青葉付きだけどね。で、何をしているのか聞いているんだけど」
「……自殺でもしようかと。ここでなら妖怪が居るから死んだ後腐る前に死体も喰われるかなと思って」
「そー言うのは勘弁してくれ。片付けるのは俺みたいな哨戒天狗の役目だし、人間の味を覚えた化生が参拝客を襲ったら拙い事になるんだよ」

青年は少しだけ困った顔をした後、俯いて呟くように言った。

「そーなのかー」
「…………そうなんだ、だから止めてくれ、な?」

そのまま帰すのも何なので、取り敢えず話を聞いてみる事にした。


彼は半年前ほどに幻想の郷に迷い込んだのだという。

恋愛を知らず、人を愛せず、愛された自覚もない乾いた人生だったらしい。
そんな人生を送っていたから、こんな場所に招かれたのかもしれないと自嘲気味に言っていた。
惰性で帰還費用を稼ぎ続けたものの、外界に戻った所で何が有るわけでもなし。

職場は食い扶持を得る為にただ惰性に務めていただけ。
家族はただ血が繋がっているだけの存在に過ぎない。
愛する人も友人もいない。帰るだけの、理由は存在しない。

そんなある日、あれこれ近付いてくる妖精が来たという。
最初は適当にあしらっていたが、その内妖精は彼に対して露骨に愛情表現を示してきた。

好きだ、そう人生で初めて言われた。

だが、熱を持って語られた言葉は彼の心に全く響かなかった。
彼女が自分に対し、気を引く為の行動を幾らしても心は何も感じなかった。
悪戯も、プレゼントも、言葉も、下手で心がこもったラブレターでも。

彼は気の利いたリアクションも、反応も返す事が出来なかった。

押しても引いても反応が薄い彼に対し、妖精は次第に思い詰めるようになった。

どうして自分の気持ちに応えてくれないのか。
どうしてそんな興味の無い、どうでもよさげな目で見るのかと。

泣きながら詰られた翌日から、妖精の行動は常軌を逸し始めた。

寝ても覚めても、彼女の気配は自分から遠離る事が無かった。
してもない家事が滞りなく行われ、彼は何もしなくても不自由が無くなった。
悪戯は更に過激になった。生傷が絶えないようになった。
彼女の知り合いだという妖精に氷をぶつけられた。ぶつけた妖精を追い払ったのも彼女だった。

監視するのも、手助けするのも、悪質な悪戯も妖精の業かもしれない。
そして何より、彼の関心を惹きたくてしょうがなかったのだろう。

しかし、ある意味涙ぐましいとも言える彼女の行動も、彼を振り向かせるには至らなかった。
怒りや恐怖、執着に対する感情は全くわき出て来なかったのである。

寧ろ、ここまで自分が無味乾燥な人間だと、絶望さえ抱かせるに至ったのだ。

これ以上、自分が生きていても仕方がないと彼は思った。

だから帰還用に貯めていた金子を惜しげもなく使い、森の雑貨屋で外界からの流入品であるトカレフを購入した。
そして、速やかに死ねるよう妖怪の山まで来たのだ。わざわざ妖精避けの魔術道具まで購入して。

俺は取り敢えず、死ぬ覚悟があるのであれば一度本心を妖精に対して打ち明けてみたらどうかと言った。
死ぬ手段は既に揃っている。ならば、最後に懺悔代わりの告白をして、それからでも良いのではないかと。
彼に此処で死なれたら拙いし、何より元は同じ外来人だ。出来るなら悔いのない様にして貰いたい気持ちもある。
この場所じゃあ、悔いのあるままで死んだら悪霊になりかねないし、死んで涅槃に渡ってもあの御方の裁きが待っているだろう。

「さ、一度彼女と話し合って、悔いの無いようにしたらどうだ? 死ぬにしてもすっきりとしなければ成仏出来ないかもしれないぞ」
「……そうですね。そうして、みます」

ゆらりと立ち上がった青年が立ち去ろうとする。
俺は最近凝っている銀細工のアクセサリーを、魔除け代わりに贈った。
妻である椛は相変わらず守り弾の方が好きな様だが、子供達は洒落た形のアクセサリーを好むので色々作っているのだ。

「……ありがとう、大切にしますね」

そう言って山から青年は去っていた。

そして、俺と彼が出会う事は二度となかった。





それから数年後の夏、椛に誘われて夫婦水入らずで霧の湖へと涼を楽しみに行った。

椛と水浴びをしている内にムラッと来てしまい、湖畔の陰で一戦交えてしまった。

満たされたのか満足げに昼寝を始めた椛にタオルケットをかけた後、なんともなしに湖を眺める。

遠くの方で巨大な2~3m程はある巨大な淡水魚が湖面を跳ねた。
猟銃を持ってくれば、あれを撃ち抜く釣りが出来たかもしれないなと思う。
そう言えば久しく銃を使った猟をしていない。
息子や娘の手前、猟をする時は弓を使わねばならないからだ。
ああ、椛が顔を顰めても猟銃を持ってくるべきかなと思っていると、一組の妖精が湖面を飛んでいく。

可愛らしい少女のような妖精と、珍しい少年のような妖精だった。

少年のような妖精は、どこか見知った銀細工のアクセサリーを首からぶら下げていた。

俺は岸辺の底を見やった。そこには、うっすらと藻に包まれたトカレフが沈んでいた。


「……お前の選択か彼女がそう望んだかは知れないが、上手くやっているようだな」

妖精の少年の晴れ晴れとした面持ちを見送る。
人間のまま、鬱屈とした人生を送り続けるよりも、全てを忘れて妖精になった方が幸せなのかもしれない。
あの後でどう妖精と青年が語り合い、そしてああいう結末に至ったか俺は知らない。

ひょっとしたら、青年の意に沿わない形で妖精へと転生したのかもしれない。

だが、それでもあんな笑顔を浮かべられるようになったのであれば。

「それもまた救いかもしれない……こんな事言うようになった俺も、幻想の郷に毒されちまったのかもな」

僅かな自嘲を含んだ言葉を洩らしながら、俺は湖面を再び見やる。

そこには既に、妖精の番の姿は存在しなかった。
最終更新:2017年06月10日 23:35