「……人見知りの強い性格なのかな」
搾り出したその解釈には随分と。少しどころではない、かなりの無理がある事は否めなかった。
しかしながら、○○は存外に人が良いのだ。
金銭的なと言ったような、あからさまに不利益をこうむらない限りは、こうやって自分で自分を誤魔化していた。
馬鹿正直とまでは行かないが、自分以外の人間に少なからず幻想は抱いていた。
正直な話。何が起こっているのか、まるで分からなかった。このような反応は、初めて見るのだから。
最も、この短い期間に内情を伺い知る事など、無理な話ではあるのだから。
慧音と子供たちを除けば、精々が例の木こり「程度としか、今は付き合いを持っていないのだから。
余計に、今の○○が内情に触れれる可能性は少なかった。
だから、何も知らなくても無理は無いし、察する事なども出来なくて当然だろう。
「……○○」
但し、慧音は。慧音の場合は、○○とは事情が違う。
「慧音先生……あの人、帰っちゃったみたいで……」
「そうだろうな」事の次第を話した○○に対しての反応は。慧音らしくない、酷い棒読みだった。
「まぁ良いさ、多分そうなるだろうなとは。薄々思っていたから」
「はぁ、薄々分かってた……ですか。あの、何でそう思う―
「良いんだ!」
どうにも、腑に落ちない。消化不良で胸のつかえがまるで落ち着かなかった。
逃げ去るように帰って行った彼と言い。今の慧音の反応と言い。
一体何故なのか、まるで見当がつかなかった。だから、そのことを少しばかり確認しようとしたが。
慧音が滅多に見せない、威圧するような声で。○○の質問は完全にさえぎられてしまった。
「良いんだ、別に。正直な所、慣れてしまった」
しかし、威圧するような雰囲気は先ほどに見せた、ただの一回きりだった。
だからと言って、慧音の様子がいつも通りに戻ったわけではなかったのだが。
「すまんな、心配をかけてしまって」
そういいながら、慧音は○○の肩に手をやった。それは二人の間によくある光景、軽い触れ合いで指したる事では無かった。
そう、いつもならば。慧音からの身体接触、それはごく軽いで済ませれるくらいの、可愛い物でしかなかった。
普段ならばそうなのだが。今回に限っては、どうにも様子がおかしかった。
「いえ……そんな心配とか、そう言う物では無いのです……けど」
何処と無く。本当に何となくといった物なので、はっきりと断言することは出来なかったし。説明も抽象的な物にしかならなかったが。
「……慧音先生?」
何か、こう。ぬるりとした、全身にまとわりつくような、粘っこくて離れないような。
そういう粘着質な視線と手の使い方。そして雰囲気が、慧音の全身からほとばしって、○○に絡みついてきていた。
慧音から感じた何からは強い執着心のような、それもとびっきり酷い性質を持った何か。そんな気がしてならなかったのだが。
「さぁ、教室に戻ろう○○」
残念ながら、今の○○にはまだ……と言うよりは、この先も果たしてこの里に隠れている内実を、知ることが出来るかどうか。
甚だ、怪しい物ではあるのだが。
口調こそは、やんわりとした物を用いて○○が教室に戻るように言ってはいるが。
慧音が○○の手を引っ張る、そこに込められた力は少々大きめだった。
少しばかり、痛かったのだが。足までふら付かせて、急に様子のおかしくなった慧音相手に、それを指摘するのはどうしても怖気づいてしまっていた。
教室の手前までやってきた所で、慧音は急に足を止めた。扉は閉められているが、中からは子供たちの声が盛んに聞こえてきていた。
それを耳にした慧音は、歪ながらも顔を綻ばせ、そこから二言三言、近くにいる○○にも聞こえないようなくぐもった声で何かを呟いた。
そして呟きが終わるとほぼ同時に、慧音は自分で自分の頬を叩いた。
かなり勢いよく、叩くと言うよりは手のひらで殴りつけると言う表現の方が、より的確なくらいの威力がありそうだった。
はたから見ていてもそう思えたのだ。実際に食らった慧音自身は、その威力に多少負けてしまっているのか。
はたまた、不安定な精神状態が立つ事にまで影響を及ぼしているのか。
自分の頬を殴りつけた後の慧音は、頭所か上半身全体をグラグラと揺れ動かしていた。
その触れ幅も徐々に小さくなっていき、ついには全く動かなく。直立不動の体勢にまで戻っていった。
「……ふふ」
そして、慧音は小さく笑った。
「あの、慧音先生……?」
「ああ、そうだな○○。早くしないと、昼休みが終わってしまう。まだ弁当も全く食べていないからな」
おずおずと、様子を伺う○○に、慧音はいつも通りの。本当に、いつも通りに朗らかな顔で笑って返していた。
先ほどまでの不調が何だったのかと思ってしまうくらいに。その落差が激しすぎて、却って怖くなってしまうくらいに。
再開した昼食中も、午後の授業中も。○○の頭の片隅には、先ほどの慧音が見せた奇妙な行動が頭の中で引っ掛かっていた。
度々、チラリと慧音の方向を見ては様子を確認するが。
不審で不安な兆候などは一切なく、いつも通りの上白沢慧音だった。そうやって、○○が慧音の方を気にしすぎたものだから。
表面上は平静を保っている慧音との対比で、○○の方が挙動不審で酷い状態だった。
それに対して、○○は慧音から軽く注意されたり、そうしてまごついている上体を子供たちに笑われたりと。散々だった。
「ふぅ……ようやく一息つけるな」
一日の授業が全て終わり、一息つける時間がやってきた。
いつもなら、そうですねやっとゆっくり出来ます。などと他愛も無い返事を返す事が出来るのだが。
「ええ……ほんとに、そうですね」
不安定な精神状態の慧音の姿が、まだ記憶に新しく。それを無視して朗らかに、軽快に話を進める事は出来なかった。
無論、そんな歯切れの悪い返事。普段の○○ならば、絶対に出してこなかった。
その変化を慧音が見過ごすはずは無い。
流れの悪い言葉を○○から返された慧音の、瞳の奥の色が一気に悲しげな物に変わった。
今まさに、涙まで溢れんばかりの。それほどまでに悲しい色をしていた。
涙腺から込みあがる物を、慧音も感じたのか。咄嗟に手を当てて、それ以上の様子は隠されてしまったが。
この状況から鑑みれば、泣いていると見て間違いは無いであろう。
「慧音先生……!大丈夫ですか?」
そう言って、○○が近づこうとするが。もう片方の手で静止されてしまった。
「すまない……○○。さっきの事、気にしているんだろう?分かっている、気にするな、と言うのが……無理な話だ」
やはり、先ほどまでの快活な慧音の様子は。あれは相当に無理をして空元気をまわしていただけだったらしい。
それならば、多少は合点がいく。教室の前で立ち止まったのも、自らの頬を殴り飛ばしたのも、子供たちに心配をかけさせたくないからだろう。
「話す……いつかは、話さなければならないとは思っていた。しかし、だ……少し、時間をくれないか」
慧音の言葉は、涙声が混じった物であった。そのな井田声も段々と大きくなり、滑舌よく話すことも難しくなってきていた。
立っている事も難しいのか。涙声が遂にただのすすり泣きに変わった頃には、慧音は畳みの上にペタンとしゃがみ込んでしまった。
慧音は何か、○○に隠していることがある。その隠し事は……恐らく、この里にも関わる事。
それも、この里のかなり根の深い部分にある問題である。
慧音がおかしくなったのは、あのこの父親が弁当を届けに来た時からだ。そして、妙な立ち居振る舞いのまま、それこそ逃げる様に帰って行った。
関係無いはずは無いだろう。その後の事を考えれば、そう考えるしかなかった。
もしかしたら、例の木こりも。無関係ではないかもしれない。
「分かりました、待ちましょう」
その隠し事の内容が、どのような物であるか。それが何なのかまでは、残念ながら推測する事はできなかった。
推測するには、ここにいる時間がまだ余りにも短かった。
「お茶と、茶菓子を持ってきますね……飲んで少し落ち着く時間を作りましょう」
しかし、そんな○○にも1つだけ。これは確実だと、自信を持って言える事がある。
「……ありがとう」
自分の目の前にいる、この人。上白沢慧音は、悪人なんかではない。
とびっきりの、善人だと。胸を張って、そう答えることが出来た。
だから、そんな人が発した。少し待ってくれと言う願い、無碍にする気など毛頭無かった。
暖かい茶を飲んで、甘い茶菓子も食んで。その両方と多少の時間のお陰か、慧音の様子は大分落ち着いてきた。
「そうだな……何から話そうか」
「慧音先生の配分で、ゆっくりで構いませんから」
時間をかければ、理路整然と。誰が聞いても意味が伝わるような話し方をする事も出来ていた。
そんね慧音に対して○○は優しく寄り添うように、慧音の話を静かに聴いていた。
「私が、この寺子屋の教師意外に……里の守護者としても活動しているのは知っているな?」
○○は黙って首を縦に振った。下手に相槌などは打たず、ここは1から10まで慧音に好きに喋らせるつもりだった。
下手に質問などをしても、却って混乱するだけだろう。
「守護者としての活動……そのせいかもしれないなぁ…………」
なので多少の話の飛躍には、目を瞑る事にした。聞きたいことは最後に回すのが、場合によっては明日以降の方が良さそうだった。
ここは、彼女の平静を取り戻す事を重視していた。
「人よりは長く生きれる身だからな……その分丈夫で、力もあるし、無茶も出来る」
「だからかもしれんが……」
そこで慧音は喋る口を止めて、○○の頬を触ってきたばかりか、顔まで近づけてきた。
突然の身体接触、それに上白沢慧音は外見も中身も。1人の女性として意識するには十分な存在だった。
そんな存在から、頬を触れられて、吐息を感じる距離にまで顔を近づけられる……意識しないはずが無い。
場にそぐわない考えだと言うのは分かっていても、止める事は出来なかった。
○○は今目の前にいる上白沢慧音を、明らかに、魅力的な異性として見ていた。その思考は、表情にもはっきりと表れた。
「ふふ……」
照れ顔を、必死に隠そうと努力はするが。まるで意味を成さない努力であった。
そんなだらしの無い顔を慧音に対して、はっきりと見せてしまったが。見せられた方の慧音は、何だか嬉しそうだった。
「そういう、普通に驚くと言う反応……子供相手なら見れるんだが、大人相手では新鮮だな。これが普通の反応のはずなんだがな」
そういう慧音の表情には嬉しさと一緒に、確かに悲しいと言う感情が透けて見えた。
「……端的に言うと、寂しいんだ」
○○の頬から手を離して、顔も元の位置に戻して。離れていく短い途上で、慧音の顔にはまた悲しさが増していった。
離れていく慧音の手と顔に対して、残念だと言う名残惜しさを感じる○○に。罪悪感と自身に対する苛立ちを植え付けるには十分だった。
「物凄く……寂しいんだ……」
○○から離れた慧音は、また心が不安定になってきたのか。机に突っ伏して、うわ言のように寂しいと呟いていた。
沈黙を守って、徹底的に聞き役に回ろうと思っていた○○だったが。
口数少なく、うわ言のような声しか漏らさない慧音の姿には。事前に決めていた方針も揺らいでしまった。
「寂しいとは……?慧音先生は、誰からも慕われて好かれていると……現に子供たちは―
全てを言い切る前に、慧音は勢いよく起き上がり、○○の顔を真正面に捕らえて、凝視した。
その起き上がる勢いのよさと、凝視してくる目力の強さに。○○は完全に圧倒されてしまい、紡いでいた言葉も途中で途絶えてしまった。
「子供達や、○○ぐらいならば……それぐらいならば別に良いんだ!!」
慧音からの言葉は、最後の方は半ば叫びながら。机に置かれた湯飲みや菓子器何ぞ気にせずに。
机をまたいで、一直線に。○○に飛び掛っていった。
「あっ……す、すまない!」
しかし、慧音はすぐに自分が割りととんでもない事をしたと気づけたらしく。今度は飛び退く様に、○○との距離を先ほど程度まで戻した。
本当に申し訳なさそうな雰囲気と面持ちの慧音を見ながら。また残念だなと思ってしまった自分がいたのを、強く恥じていた。
最終更新:2013年07月10日 05:36