ガラガラと騒々しく、耳障りで、派手な音。慧音を乗せた荷車が懸命に進む音だった。
○○と彼は。そもそも、自分が動く為の根本的な理由が全く違っていたが。どちら共に真剣な表情で、慧音を乗せた押し車を突き動かしていた。
彼の怒気に当てられた里人は、この押し車が里から出て行く際。これでもかと恭しく、わざとらしいくらいの仰々しい礼を持ってして見送った。
一方の、彼からの指名を不幸にも受けてしまった三人は。○○と彼と違い、無理矢理この仕事に従事させられているから。
一様に、泣きそうな顔をしていた。
最も、彼からすればそれで良いのだが。この三人を指名したのは、結局の所殴られた腹いせなのだから。それで全く構わなかった。
こうやって、悲愴で痛々しい顔を浮かばせているのが見たくて。わざわざお前と貴様とてめぇ、等と言って指名したのだ。
「さっさと、その両足!回せ!」
この三人だって、自分の立場が地に所か。地面を更に掘り進めた所にまでめり込んだ事ぐらいは、流石に理解してきた様子だった。
しかも、今自分たちが運んでいるのは。倒れているとは言え、自分達が恐れてやむ事の無いあの化物だ。
決意するに足る何かを持っていないこの者達にとっては、今の状況は耐え難い苦痛でしかなかった。
そして、決意するに足る何かを持っているのは。○○のほうも同じだった。
○○は荷車の前を、持ち手を率先して手にとって、しゃにむに走り続けていた。
息はもちろんの事ながら、苦しいの一言だった。
朝寝坊したせいで、朝食を取っていないから。腹が減るを通り越して、痛いの域にまで達そうとしているのに。
ただただ、慧音を助けて、またあの寺子屋で子供たちを相手に教師の役割を担い続けたい。
がむしゃらに走って。ただただ、一つの事しか考えていなかったから。
少し所か、完全に今は忘れていた。
自分の心の中にあるはずの、外に帰りたいと言う欲求を。
慧音を運ぶこの一段の騒々しさは、どうやら本人たちが思っている以上に煩かったようだ。
まだ、竹林が開けきっていないのに、○○と彼とチンピラの前に、ウサギ耳を揺らす女性が現れた。
彼に連れて来られた三人は、その姿に仰天したが。
色々と覚悟を決めた彼と、普段から慧音と付き合っている○○は全くその姿に驚きはしなかった。
「急病人がいるんです!」
○○の悲痛な叫び、そして押し車にぐったりとした姿で倒れこんでいる慧音。その二つと……○○の顔を見て何かを理解したようだった。
「分かりました、こちらです。師匠に診てもらいましょう」
そして、慧音は何人かの。○○達を案内してくれたウサギ耳の女性とは別の、今度は丸っこいウサギ耳を持った女の子達に担がれて奥に連れて行かれた。
多分、先ほどの会話に出てきた“師匠”の元に行ったのだろう。
統率を取っていたのは、ニンジン形の小物を首から提げている……背格好から考えて女性と言うよりは女の子。
こちらもやはり、ウサギ耳を持っていた。しかし、人で無い存在相手では、背格好で年を計る事が出来ない場合が多い。だから、呼称を使い分けることに意味は無いのかもしれない。
慧音を連れて行った一団を見送った後
そして、○○達は待合室と思しき部屋に案内された。
この部屋で、しばらく待つように言われたが。○○は落ち着けるはずが無かった、件の三人もまた別の理由で。
手持ち無沙汰で、かと言って座っても落ちつくはずが無し。座っていても、貧乏ゆすりのような動きが多かった。
そわそわしていると、「長くなりそうですから」と言って先ほどのウサギ耳の女性がお茶を持ってきてくれた。
やる事もないので、飲みはするが……それでも落ち着くことは無かった。そして○○以上に、件の三人などは、全員視線があさっての方向を向いていた。
しかし、彼は違った。
彼の決めた決意は、同時に彼の神経を図太くしてしまったのか。ウサギ耳の女性から差し出された茶を一気に飲み干した。
喉が渇いているのは、○○も同じなので。パッと見の様子は○○も彼も、ただ茶を流し込む様子には変わりないのだが。
事情も何も知らない○○が飲むのと、土着の人間である彼が飲むのではまるで訳が違う。
茶を持ってきたほうは、雰囲気からして外の人間くさい○○はともかくとして。ここの人間である彼や青ざめているこの三人は、飲まないだろうなと思っていたが。
○○と同じく、茶を飲み干すその様子に、茶を持ってきたウサギ耳の女性は意外だと言う風な反応を見せたが。
○○と、彼と、件の三人。この間に流れる空気の異質さをすぐに感じ取って。お代わりの茶を急須ごと置いて、さっさと出て行ってしまった。
彼に連れてこられた三人は、走りつかれてグッタリと。それでいて、何事かに怯えていてゆっくりと待合の椅子に深く体を預けられずに、妙に良い姿勢で座っていた。
落ち着けていないのは、○○も同じだったが。
しかし、○○とこの三人とでは何故と言う部分が決定的に違っていた。
「いらんのか?飲み切ってしまうぞ」
彼の方はと言うと。一向に茶に手をつけない件の三人に対して、流暢に話すことが出来る始末だった。
○○は、きっと平時と代わらないであろう彼の姿に。気圧されるような、呆然とするようなと言った面持ちであった。
「何だか……随分落ち着いてますね。羨ましい」
その一言は嫌味などではなく。本当に、心の底から○○はそう思っていた。目の前の光景が、彼の立ち居振る舞いが、余りにも自然だったから。
また慧音の事が気になって。そう言う感情が、心中に蝕まれる余裕が無かったから。
「……これ以上、俺たちにやれることが何かあるか?」
彼は少し考えて、それらしい答えを○○に向って投げた。
「まぁ……そうですよね……“人事を尽くして天命を待つ”ですかね、今の状況は」
モヤモヤを隠し切れない○○を尻目に、彼は喉を鳴らして美味しそうに茶を飲んでいた。
「頭では分かっているんですがね……どうしても、やっぱり」
と言う○○の呟きを聞き流しながら。違うよ、バーカ。と内心では、思いっきり○○の事を馬鹿にしていた。
別に、あの化け物が熱病でくたばってくれるなら。それで構わない所か、最も望む結末でしかなかった。
例え生き残ったとしても、不本意ではあるがいつも通りに戻るだけ……ここに駆け込んだ以上は多分そうなるだろうが。
だから、徒労と言えば徒労なのだ。特に、件の三人にとっては。
だが、彼にとっては。目に入れても痛くない、自分の子供たちを守れたと言う自負がある。
その事があるから、彼の表情にはやりきった感が見え隠れしていた。
結局、置いていってくれた急須の中身は。○○が最初の一杯を飲んだだけで、残りは全て彼が飲み干してしまった。
あまつさえ、茶の副作用ともいえる利尿の効果に抗う事も無く。
「少し、手洗いを探してくる」と言って、一時部屋から出て行くまでの胆力を発揮していた。
件の三人など、仲良く寄り添って縮こまる事しか出来ていないのに。
ガラリとドアが開いたので、てっきり彼が帰ってきたのかと思ったが。
「すいませんが○○さんは……貴方ですね?」そうではなかった、先ほどのウサギ耳の女性が戸を開ける音だった。
彼女は、答えを聞く前に。居並ぶ面々の中から、○○が誰なのかを言い当てた。
「よく分かりましたね」
「いえ、何となく。幻想郷の人っぽくない名前でしたし」
一発で当てられた事に、○○は少し驚いたが。
何となく、分からないでもなかった。
「おい、どうした。何かあったのか?」
丁度、お手洗いから帰ってきて。部屋の前で立っている、ウサギ耳の彼女に訳を聞く彼の様子と比べると。一目瞭然だった。
何がどうと言われたら、それを言葉で現すのは難しかったが。
慣れのような物を、○○は彼から感じていた。大きなウサギ耳を持った女性が相手でも、普通に受け答えをしている様子から。
少なくとも、一つだけ自覚できたのは。
自分が、割と異質な存在である事だった。
最も、それは彼が吹っ切れて、件の三人が思考を放棄するくらいにまで恐怖を感じているから。
件の三人が、最早その辺の石ころ程度の存在感に成り下がっていたから。
相対的に、色々と図太くなった彼の印象が強くなってしまった。タダそれだけの話でしかなかったのだが。
とにかく、情報量の少ない○○にとっては。彼の対振る舞いこそが、幻想郷の一般人の平均に思えてしまっているのだ。
「…………いえ、患者が。慧音さんが、○○さんという人を呼んでいるので。連れて来ようかと」
○○は気付かないが。彼からすれば、暗に来るなと言われている気分だった。
幻想郷で一番の医療を提供できる永遠亭の人間が、知らないはずは無いのだ。里の暗部を。
永遠亭の面々だって、気付いてはいた。自分たちが心の底では無駄に恐怖されている事ぐらい。
それでも、騙し騙し付き合っているのは。永遠亭の主、八意永琳。彼女謹製の薬が、本当に優秀でよく効くからだ。
例え怖くても、本音では付き合いたくなくても。使わざるを得ないのだ、里人達が病を治すためには。
腹には据えかねるが。相手をする事で、永遠亭側にはそれなりの額の銭は稼げるし。
人間の存在は、そして人間に恐怖されると言う事象に関しては。
永遠亭に限らず、妖怪や神様。とにかく、人外に属する者達の存在理由と言っても良かった。
だから、騙し騙し付き合えるのだ。
「慧音先生が呼んでいるんですか?」
「ええ、だから早く」
2人の間に流れていた、寒い空気。土着の人間である三人は、即座に気付いたが。
慧音の安否を強く気遣う○○が。そんな物に気づける余裕が、あるはずは無かった。
慧音が○○を呼んでいると知ると、すぐさま立ち上がった。
○○を呼びに来た彼女も、これ以上この場にいるのが本当に嫌だったから。返事を聞く前に、手を取って少々強引に連れて行ってしまった。
「ふん……まぁこっちの心中を解っている分、まだ付き合いやすいか」
少なくとも無駄にお人よしの、あの男と化物に比べれば。
履き捨てるような溜め息をつきながら、部屋に掲げられた時計に目をやる。
「あー……どうするかね、割と良い時間だ。こんな竹林だと、日が落ちて無くても、傾くだけで暗くなるし」
勿論、その独り言は件の三人に聞かせる為に。敢えて大きめに呟いたのだが。
「おい、どうするかって聞いてるんだ……んだよ、情けねぇな」
反応が全く無いので、苛立ちを隠さずに三人に目をやるが。
笑える事に、三人とも既に心ここに在らずで反応を返せる状態ではなかった。
しかも白目をむいたり、泡を吹いたり、真顔で瞬き一つしなくなったり。
心を吹っ飛ばしている様子が、三者三様で種類豊富だったのが、また彼に嘲笑と言う笑いをもたらしてくれていた。
「俺を殴り飛ばした時の威勢はどこに行ったんだぁ?」
ニヤニヤ顔で、嫌味ったらしく攻め立てるが。反応が気絶の一辺倒では、面白くもなんとも無い。
すぐに彼は真顔に戻り、また時計の針を気にしだした。
「……あの男は、化物の付き添うだろうから、帰らないだろうな」
となると日が沈んでしまえば、常識的に考えて○○は一晩逗留するしか選択肢がなくなるだろう。
それは構わない、しかし夜が明けて1人で里に戻れるかどうか。
多分、永遠亭の誰かが付き添ってくれるだろうが。それでも心配だった。
心の底では冷たくあしらっている里人のいる場所に、きちんと最後まで案内してくれるかどうか。
そうでなくても、道を少し外れるだけで命の保障が出来なくなるのだ。
軽率に進んで、野良妖怪に食われでもしたら。大事の一言などでは片付けれなくなる。
事後処理が、特に上白沢慧音の。あの化物の豹変と、相手が怖くて仕方が無かった。
吹っ切れて、図太くなって。胆力の増した彼でも、寒気がした。
そして浮かんだのは、子供たちの顔だった。勿論、その中には生まれたばかりの赤子を抱く妻の顔も在った。
厄介事を押し付けられたりはしたが。子供たちと同様、大事には思っていた。
「…………しゃーねぇか。死なれてもやっぱり困るからなぁ」
自己犠牲の精神が、彼の中では急成長を遂げていた。
「残るかぁ……」
ひいては、子供達の為だった。
「ええ!?正気かぁ!?」
「んだよ、聞こえてるんならさっきので返事しろ、馬鹿たれが」
水を差すように、件の三人の中から、彼の正気を疑う声が飛んだ。
「帰りましょうよ!今なら、日没まで間に合う!」
「ここらの道に不慣れなよそ者が、明日の朝帰る時に、通る道をしくじって死んだらどうする」
「良いじゃないか!よそ者なんだろ?」
「よかねえよ。化け物が怒り狂う」
三人は、安全な里に帰ると言う。目先の利益を追い求めたくて仕方が無かった。
対して彼は、後の事を考えて。一番、平穏な着地点に辿り着けるように。ここは虎穴に留まる事に決めていた。
議論は明らかに平行線、決着の道筋など存在しなかった。
「役に立たんな……おい、だったらお前等。もう帰っていいぞ」
手で払いのけるような動作で、邪魔だと言わんばかりに彼は三人に帰宅を促した。
どの道、押し車を動かす手が欲しかっただけで。この時点ではもう物の数として考えてなどいなかった。
思慮の浅い馬鹿共と、一緒に行動する方が鬱陶しかった。だったら、一人の方が良かった。
「……良いのか?後悔しないな?」
「帰りたいんなら帰れよ。邪魔だ……押し車は持って帰れよ。借り物だし、持ち主の明日の仕事にも差し障るだろ」
「じゃあ帰るからな!!」
「はんっ……」
一応、見送りはしてやったが。
三人は、見送ってくれる彼の方向には一度も顔を向けず。猛然と走り出して、その姿はすぐに鬱蒼と茂る竹林に隠されてしまった。
「俺を置いて帰った事で、うちの女房にどやされろ。あいつ、結構怖い所あるからな」
そう呟き、ほくそ笑みながら。彼はまた先ほどの部屋に戻って行った。
最終更新:2013年09月14日 13:32