掴まれた手をぼうっとしながら、○○は見つめていた。
そんな折に、誰かが茶菓子つきで何か飲み物を持ってきてくれたから。
やる事も何も無いし、折角なので頂こうと思い。片手で、少しおぼつかない様子とは言え、湯飲みに茶を注いで。
湯飲みから沸き立つ香りを吸い込みながら。結構いい茶葉を使っているなと、感心して。
一口目をすすろうと、顎を上向けようとした瞬間だった。

「あっ……」
そこまでしてから、○○はある重要な事に気づき。慌てて湯のみを降ろす。
沸き立つ香りの混じった湯気を見ながら。
「あんまり飲んだら……来るよな。間違いなく」
しかも、水ではなくお茶だ。水以上に、ある種の作用が強い。

仕方なく、湯飲みの茶を諦めて。茶菓子を食むのだが。
当たり前だが、茶菓子と言われるだけの事はあって。こういう類の菓子は茶と一緒に頂くのが定石。
菓子だけでは口内も乾くし、何より喉の渇きが口内の乾き以上に厄介な代物となりそうだと。一口食べただけで気付かされる。
結局、茶と同様。茶菓子も食べる事をやめてしまった。

茶が良い物を使っているだけに。茶菓子の方も、中々上等な味がしているだけに。
このままこいつ等を放置するのは、余りにも忍びないし申し訳なく思いはするのだが。
沸き立つ茶の香りをもう一度。横目と鼻で確認してみると。膀胱の辺りに、キュンと締まるような感触を感じる。
この程度の軽い物なら……頑張れば一晩くらいは、何とかなるのかもしれなかったが。
これ以上は明らかに不味い。

「茶は……良くないよなぁ……今は立てないし」
相変わらず。慧音は寝ていると言うのに、○○の腕をガッシリと握り締めている。
少し手を触れてみるが、生半可な力では外せそうもない。
八意先生から止められたように、こいつを外そうと思うならば。慧音が起きてしまう事は、無視しなければならなくなる。
多分、八意先生の懸念は。無理に起こされた慧音がまた暴れる事を気にしているのだろう。
それは、間近で見て、解熱剤を飲ませる所まで世話をした○○だって。気にならないはずはなかった。


「茶の利尿作用って……結構鋭いからなぁ。良いお茶なら尚更」残った片方の手で頭を押さえ。本当に困った顔と声で唸るしかなかった。
流石に垂れ流すのは、例え○○でなくても。いい加減良い年齢を迎えた者ならば、誰だって嫌に決まっている。
おまるを借りようかと一瞬だけ思ったが。生理的に無理なのはどっちも変わる事はなかった。
やはり、花を摘むならそれ相応の場所でしかやりたくないのが。良い大人ならば、当然の感覚だろう。

はぁっと。大きな溜め息をつきながら、茶と茶菓子を仕方なく脇の方に片付けるしかなかった。
チラリと、慧音の寝顔を見ると。○○の葛藤など何処吹く風と言うような、健やかで穏やかな寝顔だった。
少しばかり苦笑が漏れたが「まぁ、仕方ないか」と言って椅子の背もたれに深く腰掛けて、○○は眼を閉じた。


目を開けると。自分のいる部屋には、明るい光が差し込んでいた。寝ようとは思っていたが、まさか目を閉じてすぐに、意識が眠りの世界に飛ばされて。
そして目を開けると。朝日が差し込む時間帯にまで意識を隔絶されてしまうとは。正直思っていなかった。
やはり、疲れていたようだ。あの短時間で眠ってしまえると言う事は。
しかしながら、寝覚めの感覚は。これは残念ながら最悪の一言で全て説明できた。
どうにも、全身の節々がだるいし。夕飯も取らずに、大分眠ったはずなのに、全く寝たという感慨や気分が沸き立ってこない。

夕飯を取っていないから空腹感が。風呂にも入っていないから、体のベタつきが気になる。
その二つを合算しても。多分、全身のこのけだるさの方が酷いような気がしてならなかった。
この状況の原因は、椅子の上で寝たと言うのが悪かったのかもしれない。それ以外を疑う根拠が思いつかなかった。


「あら、起きたの?大分疲れていたようね、まさか朝まで起きないとは思わなかったわ」
聞こえてきたのは、八意先生の声だった。どうやら、検温の時間と被ったようだ。
でも、眠り方が悪かったから。却って疲れてしまったのが何とももどかしかった。
節々の痛みを和らげる為に。両手を大きく上げて、伸びのような姿勢を取った。
そこでやっと気付いたのだが。いつのまにか、慧音が掴んでいた腕が離れていた、それは別に良いのだが。
掴まれていた箇所を見ると、手の痕がくっきりと。爪まで食い込んで、少し肌がへこんでまでいた。

「うわ……」
幸い、血などが滲んでいる様子はなかったが。周りとは明らかに違う圧迫された証拠を示すその色味に、少し気圧されてしまったのは事実だった。

少し引いている○○の顔は、勿論八意先生の目にも留まった。
「……お腹、空いてるでしょう。昨日は茶菓子も一口しか食べてなかったみたいだし」
「まさか一晩も起きてこないとは思わなかったから……一応おにぎりは置いておいたんだけど。食べる?」
八意先生の目線の先を見ると。確かに、少し干からびているおにぎりと漬物が皿に置いてあった。

色々な事があって、精神的にも肉体的にも疲れている○○の身を気遣ってくれているのか。
「それとも。先にお風呂に入る?愛想もこいそも無い物で良ければ、着替えもあるわよ」
八意先生は矢継ぎ早に、○○に対して食事や風呂の事を気遣ってくれた。
「正直な話、後もう一日はいてほしいしね……慧音さんの容態もそうだけど。精神的な意味でも落ち着いてるか分からないから」
しかし、いつの間にか。まだ寝起きで頭がぼうっとしている間の隙を縫うように。○○がもう一日、ここに逗留することが決まってしまったような気がした。

「気にしなくても良いわ。永遠亭は案外広いから。貴方1人分くらい、増えても。どうってことないのよ」
いや、気がする所ではなかった。もう八意先生の頭の中では、○○がもう一日逗留することが。決定事項として動いていた。

「ん……?」
しかし、慧音の様子が気にならないと言えば。それは明らかな嘘だから、看病してやれるのならそれに越した事はないが。
間違いなく、里の子供たちは心配しているだろうから。またここに戻るにしても、一度帰りたいのは事実だった。
「おにぎりは……作り直しましょうか。随分干からびているし」
とは思ったが、八意先生の様子は確かに優しげな雰囲気が主だってこそはいたが。
どうにも、○○に対して。有無を言わせないような、威圧感が何処かに感じられて仕方がなかった。

矢継ぎ早に出てくる○○を気遣う言葉たちも。
いわゆる、お節介と断じてしまう事も。出来ない訳ではなかったが……
「いた方がいいですか?もう一日くらい」
「勿論よ!」
○○を気遣っているのは、多分本当なのだとは思うが、それ以上に。それ以上に、○○を外泊させる事にこだわっている節が。
そんな思惑が見え隠れしているような気がしてしょうがなかった。
無論。確証などは何処にもない。随分失礼な感想だとも、○○は分かっていたが。
「確かに……慧音先生の看病は…………でも、専門的な知識なんて無
「居てくれるだけでいいのよ。病人の傍に、見知った人間が居ると言うのは、精神的な薬よ」
このモヤモヤ感は、確かに事実だった。
そして、また。○○は遮られる様に逗留を勧められた事で、モヤモヤとした消化不良の感覚がまた一段階、大きくなった。


「ええ、まぁ。それは構わないんですが……」
慧音がこのような状況では、授業などとても出来ない。自分は何処まで行ってもただの助手だし。そうなると、今日一日はやる事もないし。
そんな事を思ったが。そのような事を例え欠片でも口からこぼれ落としてしまえば、また矢継ぎ早にまくし立てられて。
ただでさえ、押し切られている今の形に対して。駄目押しの一手を与えるような物だろうから。
多少、不自然な間が出来てしまったのは気にはなるが。どうしても。口数は少なくならざるをえなかった。

「何か?」
「ええ……」
こう言うのは、果たしてお節介と言ってしまって良いのだろうか。やはり、何か圧迫感のような物が感じ取られて仕方が無かった。

「子供たちにね……心配は要らないと言うことぐらいは。戻って、報告しておきたいんですが」
「あら、その事?」
笑顔の裏に篭る圧迫感。意識しすぎなのではないかという思いも相まって、○○の脳内は自縄自縛を繰り返す。
結果。この言葉を紡ぎだすのに、随分時間が掛かってしまった。
不自然な長さの間が、○○と八意永琳の間を流れる間も。八意永琳はニコニコとした顔を維持し続けていたし。
ようやく言葉を紡ぎ切った○○を更に追い詰めるかのように。間髪居れずに、受け取った言葉に対して答えを返してきた。


「そのことなら、心配は要らないわ。もう1人、残ってくれた人が居るのよ」
言い切った後に、ふぅと溜め息一つ。そして「お節介よね」と、言葉を付け加えたが。
その付け加えた言葉に。声の調子には現れていない、何がしかの、剣呑な空気を○○は確かに感じた。

「あら……噂をすれば」
八意永琳の目線が、○○の肩よりも少し高い所に移った。彼女の作った線を辿るように、○○は視界を真後ろに移動させた。


「やぁ、お早うございます○○さん。どうやら、上白沢先生の方は……少しは落ち着いたようですね」
カラカラと、軽めの笑顔を見せながら。彼は挨拶と一緒に慧音の身を案じる。
少なくとも○○には、そういう風に受け取れる言葉を。
少なくとも○○には、優しげに聞こえるような雰囲気を持って。声をかけてくれた。

彼の顔と言葉を聞いて、ふぅっと軽い空気を○○は感じた。
何となく、救われたような気がした。今までの空気が、○○にとってはどうにも重苦しく感じられてしまっていたから。
一種の清涼剤の役割を。彼は図らずとも担ってくれたのだった。


「おはようございます。ええ、おかげさまで」
「その……昨日は有難うございます。貴方が音頭を取ってくれなかったら、中々こっちにはこれなかったでしょうから」
○○は彼に対して、深々と頭を下げたが。
「別にそんな、大層な事はしてやせんよ!」と見た目の上では、謙遜するばかりだった。

しかし、頭を下げている○○には見えることなど無いが。この時の永琳の顔は、非常に苦々しく変化していた。
声にこそならなかったが。別にそんな物必要ないのにと言う風に、口元もモゴモゴと動いていた。
そして、その表情の変化は。彼にとっては当然、視認出きる立ち居地に合ったのだが。
ある種の開き直りに達してしまった彼は。腹の底で何を考えているかは別としても、その顔は○○に向けているそれを崩す事はなかった。


「ねぇ、貴方。今日は里の方に……戻るわよね?」
しかし、事情を知らない。ある意味一番幸せな立場に居る○○に。永琳もまた、慧音と同じように。
事情の一端ですら、知る事の無い様な配慮を忘れる事はなかった。
何処かしら強く促すような言葉でこそあったが。この時にはもう、永琳の顔は先ほどまでのニコニコ顔に戻っていた。

これは慧音の心中に対しての気配り。そして、慧音と○○が一緒になる上での。余計な障害を増やそうとしない。
永琳なりに慧音と○○、この2人に対する最大限の配慮だった。
慧音にとっては。この配慮は喜ばしい事ではあるのだが……



「ええ、お医者様。○○さんの事は宜しくお願いします……2人が居ない間は、まぁ何とかやりますんで」
永琳は断定するように、彼に対して里への帰還を促し。
彼の方も、正直な話さっさと帰りたいから。
2人の間に、剣呑な空気こそあれ衝突に発展するような火種は無かった。

彼にとっては、生贄と生贄を捧げる相手が共に居るのだから。もうそれ以上の介入は必要なかったし。
永琳にとっては、唾棄すべき場所の里に。○○と慧音を帰らせたくなかったから。
平穏そうな空気に隠れていながら、永琳と彼は知ってか知らずか。

敵対する者どうしで仲良く。○○の首を全力で絞めていた。

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最終更新:2013年09月14日 13:40