嫁の話が出たのと新しい薄い本が良作揃いだったので久し振りに投下。
257重てええええって叫びたくなるぐらい重い依存を目指してみた。
スレチの危険要素も無いと思うんで直貼りで良いと思うんだが。

冬の間。
いつもより少し阿求の風邪が長引くな、と思ったところでその熱が重くなりほとんど起き上がる事さえ出来ない状態が長く続いた。
その熱がようやく引いて竹林の医師から、もう心配ない峠は越したと太鼓判を貰う頃には梅に蕾み生じる時節となっていた。
ようやく布団の上に体を起こして話が出来る程度に回復した阿求は頻りに残念がっていた。
随分顔色が良くなってきたな阿求。
――ええ。あなたが付きっ切りで看病して下さったからです。ご迷惑をおかけしました。
 何を言う。お前が元気になったのだ。その為なら迷惑などであるものか。
――でも……でも……。私はいつもこんな調子で。
 何故泣く。せっかく快方に向かっているのに。
――だって。だって……。一緒に初詣も行けませんでした……。ほ、他にもっ……いろいろ、あなたと色々しようと、思っていたのにっ
泣き止め。治るものも治らんぞ。
――だって。だって。
 そういう時は快気祝いだな。
――え?
 病で寝付いていた時間が惜しいならその分を取り返すよう楽しめばいい。お前が完全に治ったら新しい着物でも贈ってやろう。それを着て俺と春祭りでも如何か。
――そ、そんな。ただでさえこの冬はあなたにお世話され通しだったのに受け取れません。
 ならばお前からも俺に何か贈ってくれ。夫婦で贈り物を交換するというのも面白かろう。
 そう言って笑って見せると萎れていた阿求の顔に柔らかな光が当たったように生気が戻った。
――……はい。……はい! きっと、きっとあなたに喜んでいただける物を考えます……! 
 お前の快気祝いなのだから俺の事など気にしなくて良いが。
――いいえ。あなたがお側に居てくださらなければこの身が癒える事はありませんでした。日頃の感謝と……あ、愛を込めて。
 そうか。それなら俺も楽しみにしていよう。さ、今夜はもう眠れ。俺も少し仕事を片付けたら休むから。
 沈んでいた阿求を元気づけようと適当な事を言ったのだが阿求の喜びようは予想以上であった。先程までとは違う温もりの篭った涙を浮かべる阿求の背中に手を添えてゆっくり布団に向けて倒してやる。
阿求はその軽やかな体重を俺の掌に預けて横たわるまでの間も幸せそうに笑っていた。
――あなた、あなた。春祭り楽しみにしていますからね。お約束ですよ。

まだ朝に夕に冬の名残を感じるが春告精が春到来を触れ回ってから数日後の事であったから暦の上ではすっかり春なのだろう。
肌を蕩かすような温もりを含み始めた日差しの下、本復した阿求と約束通りに春祭りを楽しんだ。
一冬の間寝込んでいたとなれば勢い阿求の喜びようは大変な物で降り注ぐ陽光の下、春を喜ぶ里の人々の誰よりもその笑顔を輝かせていた。
夕刻になり祭りが終わって帰路についた後もその花のような笑顔は絶える事が無かった。
「うふふ。来年も絶対また行きましょうね」
「楽しんでくれたようで何よりだな」
「はい。本当に楽しかったです。それにあなたがこんな素敵なお着物も下さいましたし……。どうです? あなた。似合っていますか? 」
 歩きながら軽やかな足取りでくるり、と阿求は回って見せた。この質問は今日四度目である。
「ああ。似合っている。甲斐ある話で嬉しいぞ」
 俺が贈った藤色の着物の袖がくるくると楽しげに宙を舞う。普段の着物も見飽きる事はないが、藤の花の旺盛な生命を写し取ったように溌剌とはしゃぐ今の阿求にはこちらも似合っている。
いつも阿求が付けている花の髪飾りが良く映えるに相違あるまいと選んだ着物だが果たしてその目論見は外れなかった。
 この目出度き春の日、幻想の里に椿の花が咲き誇って候。
「このお着物、大事にします。宝物にしますからね。ふふ。あなたが夫婦で贈り物を交換しようって仰ってから私楽しみで楽しみで仕方なくて……すぐに治ってしまいました」
「ん? ああ。そういえば交換するという話だったか」
「もう。忘れてしまったのですか。私からもあなたにちゃんと贈り物をご用意してあるのに」

本当は覚えていたが、生気を取り戻してくれた阿求の姿が胸に迫るようで気付けば間の抜けた答えを返してしまっていた。
「そうなのか。どんな物だ」
「えへへ。とっても素敵な物ですよ。本当はもっと時間が掛かるのですが以前から目ぼしい物に当たりを付けていたのと大急ぎで仕上げて頂いたので何とか今日に間に合いました」
 やけに勿体をつけるな。と思っている間に家路を歩き切り稗田家の門前に立っていた。
 しかし阿求は屋敷に入ることなくそこで立ち止まり俺の方に向き直る。
「ええと。それで私からの贈り物なのですがここには無いのです」
 阿求の奇妙な物言いに首をかしげた。
「それは未完成だというような意味か? 」
「まだ完全ではないといえばそうなのですが……ちょっと持ち運べるような物ではないのです」
 まるで謎掛けである。物自体が巨大であったり遠くにあったりするのか、はたまた物体ではなく概念的なものか。
頭の中で当て推量をしていると阿求が俺を促した。
「付いて来ていただけますか。こちらです」
言いながら阿求の足は稗田家の玄関へではなく屋敷の裏手へ向かった。
どうやらその贈り物とやらは野外にあるらしい。

「お足下にご注意くださいね」
 どこへ行くのかと思えば阿求は屋敷の裏手に回り人気のない道を辿って稗田家の裏山に入っていく。誘われるままに俺は阿求の小さな背を追った。
 稗田家の管理下にあるこの小高い裏山には偶に使用人たちが薪を求める他は立ち入る者もいない。季節によって折々の花や木々が生き生きと咲き誇るが他にこれといって見るべき所無く広くもなければ高くもない。
屋敷の裏手に位置するので便宜上、裏山と言っているが山というより丘と呼んだ方が正しかろう。
 しかしその小さな山からの景色でも振り返れば幻想郷の人里の長閑さが良く分かる。秋には黄金色に輝く水田が、今は夕日を照り返して茜色に眩しく疎らな人家からは飯炊きの煙が昇っている。
その煙が棚引く遥か先、春霞の中に深い山々の峰が並び連なっていた。
外界からやって来た俺のような男の目にはあの山々が人跡未踏の深山のように幽玄に映るのだが、あれらですら幻想郷の里人たちには慣れ親しんだ里山である。真の人跡未踏、妖怪たちの山はあれら霞んだ山々の遥か先で太古の姿そのままに猛々しく険しく聳えている。
ここからでは見る事も出来ない。この世界では自然の規模その物が異なるのだ。
そういえば夫婦になる以前、阿求があの視界の遥か彼方で霞んでいる山々を指さして――あの山を三つ超えた辺りまでが稗田家の土地です――と事も無げに言って度胆を抜かれた事がある。
 今となっては微笑ましい思い出であるが。
「あなた」
 在りし日の思い出を山の稜線に浮かべていると不意に阿求が言った。
「あなたがこの里にいらしてからもう随分立ちますね」
「どうした突然」
 俺が答えても阿求は振り返ることなく山道を行く。その足は病み上がりと思えぬほどに速かった。
「いえ……ただ。聞きたくなったのです。あなたがこの里での生活に満足していらっしゃるのかどうか」
 阿求の声は冷たく固かった。怒っている、というよりまるで何かを押し殺しているようだ。
「概ね気に入っているぞ。人も妖怪もこの里も。外よりはずっと面白味がある」
「でも外界からいらしたあなたには退屈ではありませんでしたか? 」
「いや毎日充実しているぞ。何もする事がない日はあっても何も感じない日というのが無いからな。外の世界とは逆だ」
「それでも以前いた世界が懐かしくなるのでは? 」
「無いこともないが……さっきから何の話だ」
「私と……」
ふと阿求が足を止めた。何故かその時俺にはその小さな背が更に小さく見えた。
「私と夫婦になって良かったと思いますか? 」
 問い掛けと共に阿求は振り返った。その顔は真剣そのものである。
「これからもずっと一緒にいてくれますか?

阿求の奇妙な様子に合点がいった。固い声も表情も、小さく縮こまった背中もこの質問に対する俺の返答を恐れての事らしい。
俺に甘えるのが好きなくせに甘え下手な事だ。全く世話の焼ける妻である。
「ねぇ。あなた? 何か仰って下さい? 」
 納得したと同時に少々腹が立った。今更そんな事を不安に思われていたとは。
 俺はずんずんと大股で阿求の眼前まで歩み寄った。
「あ、あなた……? 」
 気圧されて阿求が一歩下がる。
 俺はその肩を両手で掴み思い切り抱き寄せた。
 ひゃっ。と胸の中で阿求が小さく悲鳴を上げる。目を白黒させている阿求の耳に口を寄せた。
「当たり前だ。今更離すか」
 阿求は暫く俺の胸に顔を埋めたまま固まっていた。が、やがてその体から力が抜けて今度はそのまま、すんすんと啜り泣き始めた。
「良かった……良かった……。あなたにもう嫌になったって言われたらどうしようかって……私……」
「心外だな。そんな事で悩んでいたのか」
「ごめんなさい。だって私お正月だってずっと寝たきりだったからきっとご迷惑だったでしょうし」
「気にするなといつも言っているだろう」
 確かに阿求の介護に新年から追われていたがそれを苦と思ったことはない。
「はい……。ごめんなさい。でも本当に良かったです。あなたにそう言って頂けて。これなら贈り物もきっと気に入って頂けると思います」
 そういえばそう。贈り物とやらを見に来たのだった。
「もうすぐそこです。こちらへ」
その指示した先に綻び始めた蕾を付けた桜の木立がある。
 阿求は涙の滲んだ瞳のまま嬉しそうに笑うと俺を木立の中へと誘った。
「あ。やっと見えてきましたね。ちょっと遠いですけれどこれぐらい人気のない場所の方がいいですよね。静かですし二人きりになれますし」
 背の高い桜木に守られるように。光沢を放つ長方形の石柱があった。加えて言うとそれは外界でも幻想郷でも良く見かけるものである。
だがそれがそこにある意味もそれが贈り物だという意図も分からず俺は漠然とした問を阿求に投げかける事しか出来なかった。
「……阿求? これは」
「うふ。何だと思います? いえ。私も少し早いかな? って思ったんですけど。せっかくの機会ですし……えへへっ。思い切って用意しちゃいました」
 阿求はまるで手編みの襟巻でも贈る少女のように可愛らしい照れ笑いを浮かべている。
 俺は少し目眩がする。
「阿求。もう一度聞くぞ。これは何だ? 」
「もうっ。あなたったら分かっている癖にっ。ふふ。言わせたいのですか? 」
阿求の指が石柱の表面をつるりと撫ぜる。
「お墓です。私とあなた二人だけの」
 木立の中を先程までの陽気が嘘のような木枯しが一筋薙いだ。
「稗田家先祖代々のお墓では二人きりになれませんから。四季様のお手伝いが終わった後ならお許しがいただけます。
ねぇ、あなた。素敵だと思いませんか。私たちは死後この下で絶対に誰にも邪魔されることなく永遠を過ごすんです。私たちは霊魂だけになってもずっとずぅっと一緒ですからね。
えへへ、な、なんてさすがに照れてしまいますね」
 阿求はまるで――実はあなたに初めて名前で呼んでいただけた日の夜は嬉しくて眠れなかったんですよ――と打ち明けた時と同程度の気安さではにかんでいる。
「御影石で良かったと思いますか。少しありきたりのような気もしましたが、あまり外観に拘るのもどうかと思いまして」
 はは。と先ず乾いた笑いが無意識の内に俺の喉から発せられて相槌の代わりとなったが次いで肩がずんと重くなった。
 いや。重いなどというものではない。体全体を真っ直ぐこの地に押さえつけられているようだ。まるで阿求の愛の如くに。
この病弱で細身の清楚可憐、純粋無垢なる小さな少女が俺に向ける愛はそれほどまでに重く強い。

「も、もちろん私たちは生きている間もずっと一緒ですし、お墓なんて無くても死後も変わらず一緒ですけれど。
やっぱり完全に外界から隔絶された石の部屋と結界の中で無限の時を寄り添っているんだって考えるととってもロマンがあるじゃないですか。
い、いえ我ながら少し少女趣味だなという事は分かっていますよ? ただやっぱり結婚して何年経ってもそういうお互いを想い合う心をはっきりとした形で伝え合うのは大事な事だって思うんです私。
ふふ、いつもあなたが私にして下さっているように」
 そして阿求は自分がどれだけの重さをその言の葉に籠めているのか自覚が無い。結婚前から度々感じることはあった。幻想郷の女たちの、特に阿求の恋愛観は外来人のそれと大きな大きなズレがある。
比べ物にならないほどに重く、密に、苛烈なほど純粋な方向へ。
「私たちが二人溶け合って見下ろすこの山の下でまた新たな御阿礼の子が産まれこの里の歴史を記していく姿。それを先達たる私たちが二人きりで見守っていく……。とても素晴らしい事です」
 幻想郷の女たちにとって伴侶は唯一、心身の秘めたる領域を許し得る者。魂ですら躊躇なく曝け出すたった一人。
人妖の別無く伴侶という絆に見出す強さが外界の比ではない。そこを見誤ったり気付かなかったり耐えられなくなったりした外来人が刃傷沙汰に巻き込まれ或いは命を落とす事例が後を絶たなかった。
「ここが私たちの魂の終の棲家。未来永劫の奥都城です」
 その中にあっても阿求の愛の重さは人一倍であろうが。
「あ、あの。あなた? お気に召しませんでした……か……? 」
 どういう反応を返したものかと物思いに耽っている俺の顔を阿求が不安気に覗き込んだ。
その思いを受け止めなければ阿求の心が壊れかねないと知っているから俺は慌てて誤魔化した。
「いや……気に入った……。ただ、どうせなら桜が満開の時に来れば更に美しい場所であったろうなと思ってな」
「あ、そうでしたか……。でも本当に仰る通りです。私もどうせなら桜吹雪の中でご覧になって頂きたかったのですが……。
春祭りだというのに今年は開花が遅くて……残念ですよね」
 その場凌ぎの嘘で阿求は胸を撫で下ろし、その顔から不安げな色が消えた。だが本当に安堵したのは俺の方である。
「そ、それであなた? 墓碑銘に刻む詩を幾つか考えてきたのですが。漢詩と和詩ではどちらがお好みですか? 」
 更に。阿求がもじもじしながら差し出してきた紙には幾編かの詩が認められていた。
いずれも流麗にして優雅、古の大家に勝るとも劣らぬ傑作であると思われたが俺は同時に最近阿求の書架に古今の詩集が増えた理由に思い至って、それらの美文が頭の中を上滑りするばかりであった。
 ああ。成程。病の床の中でさえ擦り切れるほど何度も何度も詩集を捲っていたのはこういう訳か。
 再び乾いた笑いが出た。

「実はもう一つ贈り物があるのです」
「……まだあるのか」
 夜も更けた寝室への襖の前で阿求が言った。一瞬身構えたが、あれ以上のものはそうは出てくるまい、と考え気を落ち着ける。
「い、いえ実はお見舞いに来て下さった紫様に贈り物に関して御相談したのですが……もっとお手軽な物の方が絶対良いって強く言われまして」
 隙間妖怪の引き攣った顔が想像できる。
「でもその時には既に石材屋さんに頼んでいましたし、やっぱり私はあれがいいって心に決めていたので……。それで二つ贈り物を用意すればどちらへ転んでも喜んでいただけると思ったのです」
八雲紫は最悪の場合、俺があの贈り物に、通俗的な言葉を用いればドン引きして稗田家九代目当主の夫婦仲に亀裂が生じた結果、幻想郷の史記に影響が出かねないとまで先読みしただろう。
胡散臭く見えて意外に苦労人なのだ。
阿求の贈り物に関する意思が文字通り石の如く固いと知った時の八雲紫の苦笑いが目に浮かぶ。
「それで紫様が一緒に選んで下さったのが……それが、そのぅ、これなのですが」
 すぅと襖が開くと見慣れた寝所が桜の色に染まっていた。
 いつも二人で使う一組の布団が新しいものに変わっている。
「い、如何でせう? お布団を変えてみたのですが……」
 見ればその布団の生地はわずかに薄桃色に染められており、それが明かりを照り返して室内が淡い桜色の輝きに満たされるのである。
だが決して目に痛い色ではない。じんわりと肌に温もりを与えるような、気持ちの安らぐ発色である。その桜色より余程、紅に染まっているのが阿求の頬だ。
「い、いえ分かっていますよ。桜色のお布団なんて、ちょっと慎しみに欠けますよね。いえ、違うんですよ。
もう一つ贈り物を決める際にあなたのお疲れを少しでも癒せる様な物にしようと決めたので新しい寝具にしようと思い至ったのですが……。
紫様と一緒に稗田家で贔屓にしている寝具屋さんにお邪魔したところ、お若いご夫婦の売れ筋といえばこちらでゴザいますと勧められまして、
それで紫様も絶対あなたが喜ぶに違いないからって強く仰いまして。それで。つい……」
 今度は八雲紫のにやにや笑いが目に浮かぶ。
 墓石を贈る等という行為をさらりと行う一方、たかが布団の色一枚でこんなに恥らって必死になって喋っている。
前述のとおり幻想郷の女たちの、特に阿求の恋愛観にはズレがある。そのズレが愛おしく思えるようでは俺もいよいよ年貢の納め時だ。
魅力を増すために女は様々に着飾るものだが阿求は俺のために寝具の色で着飾った。その奥ゆかしい夜の支度。
品良く淡い、におい立つような薄桃の布団と不安や恥じらいで赤みのさした阿求の白過ぎる肌の対比はどんな女の化粧よりも俺の心を熱くした。
「あ、あなた? ちゃんと明かりを消して下さい。せっかくの布団が見えないって……そ、そんな、もう……」
あの桜木の木立の中もこの寝室の桜色も距離にすれば目と鼻の先。大した違いなどありはしない。
生きている間阿求の隣で眠る事が決まっているのと同じように死んだ後、眠る場所も決まっている。ただそれだけの事だ。
その夜は桜桃の園で阿求と蜜月を過ごす夢を見た。
最終更新:2013年09月16日 18:01