今日も猟師の◯◯は夕暮れの湖畔を歩く。
既に陽は山間の彼方に沈みかけ、辺りはゆっくりと暗闇に包まれていく。
◯◯の家は、湖畔の先を超えた森と人里を過ぎた林にある元炭焼き小屋。
今から歩いて言っても辿り着くのは真夜中だろう。
そして湖畔から人里の間にある森は、人間が夜歩くには危険すぎた。
野宿をするにしても、この幻想郷で普通の野営などしていたら一晩で妖怪か獣の餌になるのがオチ。
つまり、◯◯は今極めて危険な状態にある訳である。
しかし、彼は落ち着いた態度で足を進めていく。
うっすらと漂う霧と、静かな波音だけが辺りに響いている。
やがて、桐の向こう側にうっすらとした灯りが幾つも見え始めた。
灯りはどんどん大きくなり、屋敷の形を夜の闇に浮かび上がらせた。
赤レンガで出来た大きな館が、庭園と大きな壁に囲われている。
そこは幻想郷で有名な屋敷の1つだった。
吸血鬼の姉妹が支配する妖怪たちの居住する巣窟。
ただの人間が近づくにはあまりにも危険とされる館、それが紅魔館だ。
◯◯は歩いていく、その危険極まりない筈の紅魔館へと。
立って目を開いたまま居眠りしている門番を横目に正門を抜けて屋敷へと入る。
暫く歩いてから、◯◯は腰につけているポーチから一本のハンドベルを取り出し軽く鳴らした。
チリン、チリン、チリーン
静かな夜に軽やかな鈴の音が響く。
それから少し待つと紅魔館の玄関が開き、手にランタンを持った人物が◯◯の方へ近づいてくる。
「予定通りですね。お待ちしていましたよ◯◯さん」
肩にかかる位の長さの紅いショートボブ。
黒を基調にした女性司書の服と、背中に見えるコウモリのような黒い羽。
ランタンのオレンジ色の光に照らされた彼女は、◯◯を見てにっこりと微笑んだ。
「ああ、今夜もよろしく頼むよこぁ」
「はい、わかりました! さぁさ、早く図書館へ行きましょう!」
彼女は空いている左手で◯◯の手をギュッと掴むと、急かすように玄関へと歩き出した。
紅魔館を訪れる人間は少ない。
里人は妖怪のコミュニティを恐れている為近づくわけがない。
外来人は偶に訪れるが、わざわざ危険地帯を通過してくる珍奇な人物は稀だ。
加えて外来人の大半は妖怪に喰われるか直ぐ様外界への帰還を望んで神社からさっさと帰ってしまう。
常人には危険な幻想郷に滞在する事を望み、更に紅魔館までやってくる人間は本当に希少なのだ。
猟師◯◯はその希少な部類の人間だ。
既に幻想郷における滞在は1年近くに達していた。
彼が安定してこの世界で猟師をしていられるのは、単純に彼の腕やこの世界に来て開花した気配を感知する能力だけではない。
情報収集と効率よく生きていく為の知識を手に入れる為に通っていたこの図書館の住人と接点を持ち助力を得た事にある。
たいした実力も拠点も後ろ盾もないよそ者の外来人が独力で生き抜ける程、この美しく残酷な幻想郷は優しくない。
そして彼の拠り所になった住人が魔女に仕える小悪魔だった。
外来人でありながら、幻想郷の山野を駆け巡る風変わりな男。
主人とともに紅魔館の大図書館に閉じ籠もっている司書の女悪魔。
本来なら接点を持ちようがない様に見えるこの二人だが、今やとても深い関係を築いていた。
きっかけは、◯◯が猟師を始めた頃だった。
◯◯は幻想郷の情報をしゃかりきになって集めていた。
◯◯にとって幻想の郷は、常識の範囲外に存在する未知の領域だ。
危険地帯である場所で猟をしなければならない以上、少しでも猟場とそこに棲むものの知識を得られなければならない。
慧音に貰った阿求の本だけでは知識が足らないと判断した◯◯は、危険を冒してこの図書館にやってきたのだ。
門番は何故か後頭部にナイフを生やして倒れていたので、玄関まで行って呼び鈴を鳴らしメイド長に応対して貰った。
本の持ち出しと借り出しは不許可という条件で◯◯は魔女の大図書館へと足を踏み入れた。
小悪魔と自己紹介した司書と出会い、この図書館との因果が強まるきっかけだったと露ほども知らずに。
入念に準備をして発足した◯◯の猟師業はそれなりに順調だった。
だが、それでも危険は常に伴った。外界の猟師家業よりも遥かに脅威的な水準で。
「……◯◯さん、その怪我どうしたんですか?」
身体のあちこちに包帯を撒いた◯◯の姿を見て驚愕したらしく、小悪魔が抱えていた箱が床に落ちて様々な文房具が飛び散る。
お互いに数秒間膠着し、我に返った二人は慌てて床に落ちた文房具を拾い集めた。
「ああ、仕事でミスっちまってね。熊に殴られてしまったんだ。巫女さんが助けてくれなかったら死んでたよ。
回復の護符をサービスで張ってくれたから傷の治りも早くて助かった。でなきゃ、永遠亭に担ぎ込まれていたかも」
彼を襲った熊は体長5mで猪以上の突進力を持つ魔物並の化物だった。
偶然通りかかった霊夢の助けが無ければ、◯◯は既に妖怪の腹の中だったろう。
そして、恐ろしいことだがその程度の猛獣は特に珍しい存在ではなく、場所によってはもっと凶暴な猛獣や妖怪がいるのだ。
「正直、猟師を続ける自信なくしちゃいそうだ。やっぱり死に直面すると動揺するもんなんだろうな」
猟師◯◯にとって幻想郷の猟場は魅力的だった。
それこそ即時の外界への帰還を放り出すほどに。
慎重かつ信心深かった彼の亡き祖父がこれを聞いたら激怒しただろう。
僅かでも幻想郷の脅威を知った外来人達が聞けば◯◯の正気を疑っただろう。
外来人達の常識や祖父の教えを横によけてしまう程に彼は郷で猟をする事に魅力を感じていた。
しかし、同時に外界の猟場とは比較にならない程の危険度である事も理解している。
事実、巫女という通りすがりの幸運が無ければ、◯◯は既にこの世に居なかっただろう。
◯◯が弱気になっているのは、知識や他者の経験ではなく、脅威を我が身で味わったからにほかならない。
「それに、俺の銃だけで手に負える獲物はとても少ないしね。それこそ象撃ち銃か軍用ライフルじゃないと歯がたたないかも」
所持している猟銃程度では歯がたたない猛獣がこれからも出てくるかもしれない。
そんな相手と出遭ってしまったらそれこそ一巻の終わりだ。
空を飛べない◯◯にとって逃走は走って逃げるほかなく、そして殆どの獣や妖怪は人間の足よりずっと早く移動できる。
その為◯◯は己の能力を使用してスニーキングする事で脅威を回避してきたが、それを破られてしまった場合は今度こそ万事休すだ。
「うーん、そうですねぇ……手詰まりだったら、いっそ転職してみませんか?」
「ええっ」
「だーかーらー、前々から言ってるじゃないですか。猟師の様な危険過ぎる仕事よりも堅実な職業に就きましょうって」
◯◯の悩みに対し、小悪魔はアッケラカンとした口調で転職を薦めた。
「折角だから司書やってみません? 時折やって来る白黒を除けば安全な職場ですし、私が先輩として手取り足取り教えますよ?」
「いやいやいや、なんでそうなるの?」
「えー、だって猟師を続ける自信が無くなって来たんでしょ。だったら安全で安定した職場で働きましょうよー」
何故かキラキラと期待に満ちた目で、小悪魔はグイッと顔を近づけてくる。
整った唇は口紅で湿った赤に塗られていて、気合を入れたのかメイクと香水の香りが◯◯の鼻腔に漂ってきた。
幻想郷に来てから続く女日照りの所為か少しクラクラする。
尚も転職を強く薦めてくる小悪魔をなだめながらも、◯◯は心中で深い溜息を吐いた。
思えば小悪魔は実に◯◯に対して世話やきだった。
単なる図書館使用者である◯◯にもあれこれと便宜を図り、猟師業を営める程度の知識を集めるのに助力してくれた。
危険度が高いとの事で◯◯が猟師になる事には反対していたが、◯◯の熱意に負けた形で世話をしてくれた。
里での装備を集めたり森の雑貨屋へのコネなど、◯◯だけではとてもまかないきれなかった。
その為、◯◯は基本的に小悪魔へは頭が上がらないのだ。
だが、それでも容易に転職だけは譲れない。
そもそもこの郷に留まっている理由が、この地で猟師をしてみたいだからだ。
辞めるぐらいだったら外界に戻る、それが◯◯の主張だった。
「うーん、そうですか……そこまで強く願うのでしたら……うん!」
猟師を続けたいと願う◯◯に対しての小悪魔の提案は実にシンプルだった。
「私と魂の契約を結んで頂ければ絶対に当たる弾を特別に作ってあげましょう。そうすれば◯◯さんは無敵の魔弾の射手になれますよ」
「魔弾? 射手? こぁ、それってカール……えと、マ、マリア・フォン・ウェーバーの?」
「そうそう、この世で狩り程の楽しみがあろうか!? って感じのアレです」
ウェーバー作曲の歌劇『魔弾の射手』。
1650年代のボヘミアに広がる魔の潜む深い森を舞台とした歌劇だ。
そこで狩りをして暮らす猟師たちと、猟師カスパールに必中の弾を与えた狼谷に潜む悪魔ザミエルの物語。
◯◯はよく知っている。
某吸血鬼漫画で出てきた魔弾の射手があまりに印象的だったので、実際の歌劇の方もネットで観てみたのだ。
絶不調だった若手猟師を魔と契約した猟師がそそのかし、呪いの銃弾を使わせて代償である魂を他者から充てようとする。
しかし因果応報の言葉通り、最後の銃弾は若手猟師とその婚約者には当たらず、悪魔の望むままガスパールの命を契約通りに奪った。
魔弾の射手の歌劇にかぎらず、悪魔と契約した者の末路は悲惨だ。
ガスパールは浅はかな目論見を破られ命を落とし、骸は悪魔の嘲笑と共に狼谷の谷底へと投げ捨てられた。
では、小悪魔と◯◯が契約を結んだ場合……その結果はどうなるのか?
「あ、大丈夫ですよ。あの悪魔さんみたく面倒な期限とか制約は付けませんから。
最終的に◯◯さんの魂を私に頂けると約束シてくだされば……契約完了です」
司書室の机の中から、小悪魔は一枚の羊皮紙を取り出して卓上に置く。
羊皮紙には◯◯には理解し難い文字がびっしりと書き込まれ、中央に2つの円が描かれていた。
片方は既に黒ずんだ血が滲みこんでいたが、小悪魔が指差した方は綺麗なままだった。
「ここに貴方が自ら傷つけ出した貴方の血を一滴落としてください。そうすれば契約は自動的に合意となります」
小悪魔はニッコリと笑い、同じく引き出しから取り出したペーパーナイフを卓上に置いた。
「さ、どうしますか◯◯さん。猟師を続けたいのなら……良い提案だと思いますよ?」
小悪魔から魂を対価とした提案を受けて、その時の◯◯が何を考えたのか本人しか分からない。
一番賢明な判断は翌日神社に向かい、きっぱり猟師から足を洗いこの世界から外に戻る事だったろう。
見かけは友好的な美少女である小悪魔だが、その実何を考えているのか分からない点があった。
魔術だの魔法だの錬金術だの、科学以外の未知の技術など◯◯には全く理解の範疇の外である。
そんな得体の知れない技術によって、他者である小悪魔に自分の魂を授ける契約を与える。
契約を受けるという判断自体が、正気の沙汰ではないだろう。
だが、一方で禁忌を犯してでも力を欲しがる者も多いのだった。
例えば、他に手段が思いつかず結局小悪魔の力を借りる事を是とした◯◯の様に。
「ありがとうございます。私と契約を結んでくださって……◯◯さんっ!」
突然紅い唇が◯◯の唇に重ねられ、◯◯の脳内がものすごいスピードで煮沸していく。
自分の血を円の中に滲ませた直後、小悪魔が抱きついてきて濃厚なキスをしてきたのだ。
「こ、こぁ!?」
「緊張しないで。◯◯さん、少々突飛ですけど……ずっとこうしたかったんです。契約してくれて嬉しくて、我慢出来なくなっちゃいました」
小悪魔は◯◯にひっしりと抱きつき、首筋に顔を埋めている。
彼女は◯◯より頭半分程度背が低い。その所為か、彼女の髪の毛が目の前にきている。
サラサラとした手入れの行き届いた紅い髪からは、かすかに香料の匂いが漂ってきた。
息が荒くなるのを自覚し必死に整えようとするが、見越したように小悪魔がクスリと微笑った。
「◯◯さん、私に、欲情してくれてますね?」
「そ、それは……うっ!?」
彼女の掌と指先で軽く撫でられ、大きく腰がビクッと動いてしまう。
「いえいえ、女として興味を抱いてくれたって事じゃないですか。魅惑を司る悪魔の一人として嬉しい事ですし。
………それに、知ってますよ、私の身体をよくジロジロと見ているのを。胸とかお尻とか、◯◯さんも殿方ですねフフフ」
そう言うと、小悪魔は◯◯の手を引いて歩き出した。
その先は、何度か招待された地下居住区にある彼女の部屋。
彼女がなぜ其処に◯◯を招くかは…………言うまでもない。
「ふふふ、夜は長いです。重要な契約を交わした同士なんですから……お互いを深く理解し合えるようにゆっくり楽しみましょう」
まるで自分の巣に獲物を引き込むかのような動き。
だが◯◯は、小悪魔の誘いに全く抵抗しなかった。
誘蛾灯に飛び込んでいく夏の虫の様に。
女と肌を合わせる事を◯◯は少しだが知っていた。
大学時代に短い期間だけど彼女が居たからだ。
だが、人間の女性との僅かな経験など吹き飛ぶ程に、小悪魔の身体は快楽に満ちていた。
欧州中世では悪魔との性交は極刑に値する背徳の罪だったらしいが、確かにこれは極刑に値する。
人間は苦痛にはある程度耐えられても、快感に対しては耐性が無いという。
こんな頭がおかしくなりそうな快感を一晩中与えられて、悪魔に従順にならない人間が居るだろうか。
同衾中小悪魔は◯◯の精を優しくそして激しく搾り取った。
行き過ぎた快楽を与えて◯◯の心身がおかしくならないように、そして彼が理性を保てないように見極めながら。
信じられないほど長く交わり、流石に体力の限界が来て薄れゆく意識の中。
小悪魔が何事かを耳元で囁いた後、愛しあった恋人にするように身を寄せてきたのが◯◯の記憶の最後だった。
「◯◯さん、やっと、やっと貴方を……」
翌日、大図書館の司書室。
ゲッソリと精気が抜けた面持ちで、◯◯はリロードツールのハンドルを動かしていた。
パチュリーの工房から拝借してきたという魔法銀を弾頭にし、火薬を詰めた薬莢へと機械を使って差し込んでいく。
「フフフ、◯◯さんの魂。うふフフフ」
どこか楽しそうに笑う肌ツヤが非常に良い小悪魔を疲れたように見た後、◯◯はリロードツールを動かす。
キコキコと薬莢に弾頭を挿入していると、昨日の夜の生々しい情景が脳裏を過ぎり◯◯はやや前のめりになる。
当然小悪魔はそれに気づいてはいたが、艶笑を僅かに浮かべただけで気づかない振りをした。
やがて薬莢に包まれた8発の銀の銃弾が完成した。
小悪魔は完成した銃弾をつまみ上げ満足そうに観察している。
「さて、あとは術式を組み込むだけですね。パチュリー様から譲って頂いたものを使用して……と」
卓上に広げた羊皮紙に描かれた魔法陣の中央に、小悪魔は銃弾を7発転がしていく。
「そうだ。どうせなら嵐でも起こしてみますか? 歌劇では一発作る毎に暴風が吹き荒れ雷鳴が轟いたというじゃないですか」
「勘弁してくれよこぁ。それに屋内で嵐なんて起こしたら魔理沙が来た時以上の被害が出るだろ?」
「……それもそうですねー。パチュリー様の怒りが天元突破しそうですし普通にやりましょう」
冗談ですよと肩を竦めた後、小悪魔は背筋を伸ばし深呼吸する。
両手を魔法陣にかざし、目を閉じて瞑想するように意識を集中する。
彼女の唇から、朗々と◯◯には理解できない言語の言葉が紡がれ始めた。
「うわぁ……」
◯◯にも見える程圧縮された小悪魔の魔力が、銀の銃弾へと流れこんでいく。
時々見えるかどうかのサイズの小さな文字が、銃弾の表面を点滅している。
やがて魔力の奔流は終わり、見た目は何事もなかったかのような銃弾だけが残された。
「完成しました……◯◯さん、使用方法を説明します」
魔弾の使用方法は拍子抜けする程簡単だった。
弾を装填し目標を殺意を持って狙い引き金を引く。ただこれだけ。
殺意によって敵を判断した魔弾は相手を自動的に追尾し、その急所を撃ち抜くまで決して止まる事はない。
七匹の狩猟対象を絶対に逃すことなく仕留める事の出来る最強の銃弾。
「でも、お約束事が2つだけ。これだけは守ってくださいね」
小悪魔に与えられた銃弾を感慨深げに見つめている◯◯に、改まった雰囲気で小悪魔は注意を促した。
「まずはこの契約が結ばれている間は郷から出ない事。結界という遮断によって契約が損なわれてしまいます。
普通の人間である◯◯さんが正式な手順を経ず契約を損なうか破戒した場合……契約違反と判断され間違いなく命を落とすでしょうね」
「わ、分かった。ちゃんと約束は守るよ。この郷で猟師をしたくて残る事を選んだ訳だし……それで、2つ目はなんだ?」
「決して、七発の銃弾を一度に使いきらない事。最後の一発は絶対に使わず私の元に持ってきて欲しいんです。これも必ず守ってください」
「え……何が起こるんだ?」
首を傾げた◯◯は小悪魔の方を見てギョッとした。
彼女は7発の魔弾をじっと見ながら、全くの無表情だったからだ。
「呪詛返しが発生します。最後の銃弾は貴方の心臓を撃ち抜きます。これは呪術の約束事なのです。
最後の一発とは六体の急所を撃ちぬく為の頸木なんです。魔弾の力を敵へと向かわせる為の守り弾なのです。
一組7発の弾を全て使い切るという事は六体まで敵を倒すために使われた力が、頸木をはずされて使用者に返されるという事なんです。
だから、決して魔弾の力を過信せずに、7発目の魔弾を使わないように計画的に無理なく猟のお仕事をしてくださいね」
小悪魔の言葉に、◯◯はただ深く頷くしかなかった。
「あ、そう言えばなんで八発作らせたんだ?」
小悪魔が手にとったのは7発だった。
儀式に供したのも7発だった。残りは机の端に転がっている。
最後の一発は薬莢の中にパウダーが入っていない。
小悪魔の指示でパウダーを入れなかったのだ。
「ああ、それは私が欲しかっただけですよ」
最後の一発を卓上から指先でつまみ上げた小悪魔はニッコリと笑う。
「◯◯さんから色々プレゼントを頂きましたけど、貴方の手作りは初めてです」
「そ、そうだけど……それってプレゼントって言えるかな?」
「言えますよ。私、とても嬉しいです……チェーンを通してネックレスにしてみますね」
嬉しそうにはにかむ小悪魔の笑顔をみて、◯◯は照れくさくなって俯いた。
こうして、七発の魔弾は◯◯にとって絶対の切り札となった。
何と比較せん猟の楽しさよ。
限りの無きその喜びよ。
角笛の鳴り響くまま野山を越えて獲物を追う。
それから、◯◯の猟師としての生活はまさに天にも昇る心地だった。
魔弾がある限り、低級の化生など相手にすらならなかった。
どれだけ素早く動こうとも魔弾は正確に無慈悲に彼らの頭を撃ちぬいた。
あの熊の同類も同じだった。どう足掻いても勝てそうにないバケモノが魔弾を装填し引き金を引くだけであっさり斃せた。
空を飛ぶ魔鳥にしても同じだった。どれだけ逃げようとしても、魔弾は容赦なく追い詰め最後に地へとたたき落とした。
魔弾で妖怪や猛獣を撃退し、妨害を受ける事なく通常の弾で獲物を狩る。
彼にとってまさに望んだ生活だった。怯える事も息を潜める必要もない猟師の猟師たる狩りの日々。
懸念された七発目の銃弾の呪いも、◯◯の慎重かつ計画的な行動により残弾に余裕がある状態で猟を切り上げている。
妨害や迂回の無い分新鮮な状態で獲物を里へと搬入出来、◯◯は順調に金子を稼いでいった。
里の人々は危険極まりない里から外れた猟場で活動し、悠々と獲物を持ち帰る◯◯を訝しんだ。
だが◯◯は危なげなく動物性蛋白質を提供してくれるので、交換時の金子の相場が普通であれば問題なかった。
里にとって里外で行動する外来人の評価など、所詮その程度であった。
この時が◯◯の猟師としての絶頂期だったのだろう。
しかし、栄枯盛衰は誰にでも容赦なく訪れる。
美酒に酔い浮かれはしゃいで調子に乗っていても、いずれは酔いが醒める日が来る。
長い勝利と栄光が、慎重だった◯◯の鉄則を緩めた。
決して欲を張らずに、陽が暮れる前に戻る事。
戻れなかったら守りに適した野営地で防御を固め朝まで気を抜かない事。
◯◯はあろうことか、見張りの途中でうたた寝をしてしまった。
気を抜いた獲物に対し、山は容赦なく牙を剥いた。
近づく殺気を能力が感知した時には、既に牙を剥いた化生が◯◯の傍まで接近していた。
「うわっ!?」
慌てて手にした銃を構え、殺意を持って引き金を引く。
弾は直線的に飛び、獣が数秒前まで居た場所にあった樹の幹をえぐった。
「まだん、魔弾……っ、込めてなかった!!??」
何時もなら緊急対応出来るよう、必ず込めてある弾がただの弾になっていた。
普段なら必ず確認しておくことすら、◯◯は怠ってしまっていたのだ。
慌てて手動で魔弾を込める◯◯に、再び獣が近づき―――
乾いた銃声が鳴り響き、重いものが倒れる音がした。
ハァハァハァと荒い息を吐きながら、◯◯は銃を構えたまま固まっていた。
頭を撃ち抜かれた獣は既に事切れている。ギリギリで装填が間に合い、魔弾は持ち主の身を守ったのだ。
久しぶりに味わった命の危険。
それは◯◯の中に密やかに広がっていた慢心や油断を一瞬で拭い去った。
同時に、彼は気づきたくなかったことにも気づいてしまった。
「俺、こぁが居なければ、魔弾が無ければ、猟師としてやっていけないんじゃないか……!」
それは事実だった。
ただの銃弾と彼の腕では、あの獣を倒すことが出来なかった。
魔弾があればこそ、こうして獣を撃ち倒し生き延びる事ができた。
何がなんでも、この幻想郷で猟師をやりたい。
例え、悪魔から力を借りてでも。魂を代償にしてでも。
自分の願いを満たす為に◯◯がずっと、意図して目を逸し続けて来た事実だった。
開き直ればよかったのかもしれない。
魂を捧げるという代償を持って魔弾を得たのだから、別にそれでいいじゃないかと。
只で手に入れたわけではないのだ。この生態系のイカれた郷で猟師を続けるにはそうするしかないと。
そう、割り切れればあるいは未来は異なっていたかもしれない。
だが、根が実直な◯◯はそこまで器用な人間ではなかったのだった。
その日から、◯◯にとって猟師とは天職ではなくなった。
翌日から炭焼き小屋に引きこもる事が多くなり、狩りへとは出かけなくなった。
惰性に食事をし、ぼんやりと過ごし、眠くなったら寝る。
里に行っても今まで溜め込んだ金子で食料その他を買うだけで直ぐ様帰ってしまう有り様だった。
猟に夢中になっていた時とは別人と見える位、◯◯は憔悴し落ち込んでいた。
里から帰る途中、ふと山の頂上にある神社が目に映った。
猟師を続ける気力が萎えてしまった以上、外界に帰るのも◯◯の選択肢の1つだ。
いや、1つの筈だったが、既に彼はその選択肢を選ぶ事が出来ない。
小悪魔と契約をしてしまった以上、契約を解かない限りは郷から出られない。
今更自分の都合でやっぱり解除してくれなんて◯◯からは言い出せなかった。
「それに……もう、俺は、こぁを」
今更彼女と、小悪魔と別れて外界に帰るという選択を◯◯は選べなかった。
彼女の肌の暖かさや肢体の抱き心地のよさも、共に過ごす時の楽しさも、彼女という女性に男として惹かれている事も。
小悪魔から離れられない。小悪魔の魔の力と彼女自身から離れる事が出来ない。
「………………こぁ」
小悪魔の事を考えながら歩いていたら、いつの間にか紅魔館の前まで来ていた。
ズボンのポケットを漁ると小悪魔の部屋の合鍵が指先に触れた。
◯◯はフラフラとした不審者そのものの足取りで正門へと近づいていく。
シエスタ中(顔に何故か濡れたハンカチが張り付いてた)の門番の横を通り過ぎ、玄関へと入る。
訝しげな顔でこちらを伺う妖精メイド達を無視し、◯◯は大図書館へと降りていく。
白黒の襲撃が最近なかったのか、限りなく続く本棚も薄暗い廊下も普段通りだった。
司書室に入るが、休憩中なのか誰も居ない。
辺りに漂う彼女の匂いが、◯◯の焦燥を何故か掻き立てた。
半ば駆け足で図書館の居住区に駆け込み、合鍵でドアを開け小悪魔の部屋に入る。
「こぁ!」
「◯◯さん、どうしたんですかその格好……最近は全然来ないから心配して……きゃっ!?」
「こぁぁぁぁ………!!」
その場で小悪魔に縋り付き、◯◯は彼女の胸の谷間に顔を埋めて呻くように叫ぶ。
自分に対する情けなさと自己嫌悪、心のなかに溜まったドロドロとした負の感情が溢れ出す。
一端の猟師としてのプライドがあったのに、それを粉々に砕かれて感情の嵐が止まらない。
泣きじゃくる◯◯を小悪魔は優しく抱きしめ、ボサボサの髪を撫でながら彼の耳元で穏やかに語りかけた。
「大丈夫ですよ、私は◯◯さんの味方ですから。今夜はお泊りですね。たっぷり慰めてあげます……フフフ」
抱きついていた◯◯がその時の小悪魔の表情を見れなかったのは幸いだった。
落ち込んだ自分に対し慈悲の言葉をかけてくれる女性が、獲物を組み敷いた捕食者の笑みを浮かべていたのだから。
(ああ……◯◯さんの成熟した負の感情がこぁの中に流れ込んでくるぅ……ぐっと我慢して放置プレイにした甲斐がありました!
弱音を吐く◯◯さんを見ながらの自慰だけじゃ物凄く物足りなかった。弱っていく◯◯さんの家に押し入りして言葉責めしながら犯したかった!
でももうその必要はありませんよね。◯◯さんがヘタれてくれて自分の方から来てくれたから大丈夫ですよね! 大丈夫だ問題ない!!
安心してくださいね◯◯さん、これからはずっと私が側にいて貴方の面倒を見てあげますから……ずっと縋って、私だけに依存していいんですよ)
彼女は無関心を除く◯◯の精神全てを心から愛していた。
こうして、◯◯は小悪魔のヒモになった。
ヒモになった翌日、◯◯は小悪魔に黙って家に戻り、猟師の装備一式を身に付けて山へと入っていった。
少し歩いた後、普段なら避けて通る三匹の低級の化生が野犬を食い殺しているのを発見した。
3発の銃弾を装填し、続けざまに引き金を引く。三体の頭が爆ぜ、大地に倒れた。
死体をなんの感慨も無く見詰めた後、新しく魔弾を3発込め、更に奥へと入っていく。
普段なら使用するタイミングを見定め、慎重に使用する魔弾を◯◯はまるで通常弾の如く浪費していく。
それからたった1時間の間に、残りの3発を野犬相手に発砲した◯◯は最後の一発を薬室に込めた。
遠巻きに自分を囲んでいる野犬の群れ、手下を殺され怯えながらも猛り狂っているボスらしき犬へ無造作に銃口を向けた。
『呪詛返しが発生します。最後の銃弾は貴方の心臓を撃ち抜きます』
小悪魔の言葉が脳裏を過る。
引き金を引く指が僅かに震えた。
何故、自分はこうも無謀な、自棄な行動をとっているのだろうか。
猟師としての矜持、プライドを粉々に粉砕されたからか?
好きな女の好意に縋って生きていく事を選択した自分の浅ましさに絶望したからか?
「なら、これは自殺という奴だろうか」
言いつけを破って自らを死に招いた◯◯を、小悪魔は悲しむだろうか。それとも失望するだろうか。
ただ、自分が死んだとしても小悪魔に損がない事は、◯◯にとって安心材料だった。
魂の契約は人間の死によって完遂とされる。ここで◯◯が死んで魂が出たとしても、契約に基づき小悪魔の手に渡るだろう。
「あ、ははは……なんて、無様だ。ごめんな爺さん。山の中で自棄を起こすなんて、俺、猟師失格だ……」
自嘲の笑みを浮かべ、◯◯は引き金を引いた。
撃ちだされた魔弾は、◯◯には向かわなかった。
野犬のボスの頭を最初に打ち抜き、◯◯を包囲していた野犬達の頭を次々と砕いていく。
全ての敵を撃ち倒した後、弾はまるで嵐のような弾道を描いてグルグルと◯◯の周りを駆け巡る。
「どうしたんだ………何故、俺の心臓を穿たない?」
そうつぶやいた瞬間、銃弾が◯◯の前でぴたりと止まった。
弾頭が◯◯の方を向いている、そのさきにあるのは。
「俺の、し、心臓」
ギュッと目を瞑り、◯◯は最後の瞬間を待った。
だが、いつまで立っても臓腑を撃ちぬく感触と血の飛び散るヌメリは来なかった。
◯◯が恐る恐る目を開くと、最後の魔弾は胸元の直前で回転しながら宙を舞っていた。
やがて、銃弾はグルリと弾頭の向きを変えたかと思うと、木々の間を縫うように猛スピードで飛び去っていった。
「……………! あの、方向は!!」
胸騒ぎが収まらない◯◯は、転がるようにして山を駆け下り麓へと急ぐ。
頭を抑えて悶絶している金髪の少女の横を駆け抜け、脇目も振らずに紅魔館を目指す。
湖畔を息を切らせながら走りぬいた◯◯は、頭部に銃創を作ってピクピク痙攣している門番を跨ぎ穴が開いた玄関のドアを開き館へと入る。
館の廊下を走りぬけて辿り着いた図書館のドアには、一発の銃痕が開いていた。
「ま、まさか……こぁ、こあ!?」
司書室のドアを開けた◯◯の目には、床に倒れ鮮血の血だまりの中に沈んでいる小悪魔の姿が映った。
意識はあるらしく、痛そうに顔を歪めながら起き上がろうとした。
「こ、こぁ! 動いちゃダメだ!! 今パチュリーさんを呼んでくるからそのままじっとして!!」
「大丈夫ですよぉ◯◯さん、かなり痛かったですけど消滅に至るような攻撃ではありませんでしたから。
あはは、やっぱりこうなっちゃいましたか。蘇生まで時間がかかるなんて我ながら気合を容れ過ぎましたねぇ」
胸から溢れる血を抑えつつ、小悪魔は気張るような声をあげる。
すると胸の血が溢れている辺りから、ゆっくりと何かがせり出してきた。
「……最後の、魔弾」
「はい、◯◯さんの為に作ってあげた七発目、ちょっと威力が強すぎましたか」
少し潰れていびつになった弾頭を傷口から引っ張り出し、小悪魔はクスクスと微笑った。
気がつくと既に血は止まっていた。僅かに見える胸の間の傷口がゆっくりと逆再生の様にふさがっていくのが見える。
「下級か中級悪魔程度なら魔術的加工がされた銀の弾丸を急所に受ければ滅びちゃうんです。でも、私って名前と違って結構凄いんですよ?」
取り出した銀の弾頭の先端に軽く口付けた後、小悪魔は◯◯の耳元でひっそりと囁く。
「教えてあげましょうか。私の本当の名前。教えたら私の従属の契約者がパチュリー様から◯◯さんになっちゃいますけど」
小悪魔の血にまみれた舌がヌルリと動き、◯◯の耳たぶを軽くしゃぶりたてる。
「私は、それでも構いませんよ? 従属すれば、今以上に身も心も捧げれますから……どうします? ねぇ◯◯さぁん」
悪魔は朗らかな笑顔のまま、長年仕えた主を裏切っても良いと言い切った。
まるでランチのメインディッシュは肉か魚がいいか、そんな感じで軽く言い切った。
「い、今はそれよりも、最後の魔弾についてだよ! どうして、どうしてこうなったんだ!?」
話を切り替える為に小悪魔に問いただそうとした質問をした◯◯だったが、小悪魔の返答はより常軌を逸していた。
「それは契約通りに貴方の心臓を撃ちぬいてみようとして駄目だったから、術者の私に呪いが返ってきたみたいなんです。
貴方を殺すだなんてやっぱり無理だったから私に呪いが返ってしまったみたいなだけなんです。術式を組んだ時の気の迷いのせいですねぇ……。
あ、でもこうして貴方が無事で安心している一方でちょっと残念だなぁ、とか思っちゃったりしている私も居るんですよ実は。
胸を撃ち抜かれた貴方から出てきた魂をそっと囚えて、魔界に連れ去って私の領地に閉じ込めるんです。勿論肉体もお持ち帰りですよ?
貴方が私だけの◯◯さんである事を物理的精神的に刻みこむ為にあんな事やこんな事まで………ああ、ちょっと引かないでくださいよぉ!
でも大丈夫ですよ◯◯さん、次からはちゃんと七発目の設定を安全設定に直しますから。気を取り直してヒモ&猟師ライフを……あ、あれ?
あ、どうしてパチュリー様の名前を呼びながら部屋から飛び出すんですか!? ちょっと待ってください◯◯さぁ―――ん!!!」
その後、散々すったもんだの挙句に◯◯は猟師を引退し小悪魔と夫婦となったそうな。
今でも◯◯は時たま狩猟をしに山に出る事があるものの、休日限定で妻である小悪魔同伴だという。
そして昼は大図書館の司書として図書館の管理と整理に精を出し。
そして夜は夫婦の部屋にて小悪魔に対して汗だくで精を出しているという。
狩人の生き様はこんなもの、昼も夜も休みなし!
最終更新:2013年10月22日 14:57