「ああ、○○。もう大丈夫だよ、寝かせたから。解熱剤も回ってきたから、だいぶ楽になってるはずだよ」
昨日から、ちょいちょい見る。多分、ウサギ耳の子たちの中では、大分上位に座っている子。
「……睡眠薬も、それなりの量を与えたから。目が明いてたとしても、分かってはいないよ」
向こうはこちらをしっかり覚えてくれているらしく。随分、楽な感じで話しかけてくれた。
「頭がはっきりするのは、早くても今日の夜遅くだね……」
ただ、少しばかり。その“楽さ”が○○の目には無理をしているように思えた。

「ほら、心配なのはわかるけどさ。多分、慧音先生はあんたがそう暗い顔してたら、余計に体悪くしちゃう性質だよ?」
○○にも。少し楽になるように促しては来るが。やはり、どこかぎこちなかった。


「えっと……てゐさん?」
「そう。覚えててくれたんだね、嬉しいよ」
「まぁ……名前を覚えるのは、教え役をするので大切ですから」
「……そうだね。仕事熱心何だね……まぁ、今は慧音先生の傍で、彼女の事だけを考えてあげなよ」
少しばかり、間があったが。てゐは○○に慧音の傍にいてあげるようにと促して部屋を出てしまったので。
○○が、その間に何らかの感情を芽生えさせる事は無かった。

「慧音先生」
そう声をかけたが、慧音からの反応は何も無かった。
それもそのはず、○○が見た慧音には。腕には点滴の管が通っており、薬の影響なのか目元は開いてこそいるが、トロンとしており。
口元を動かしてうわ言らしき物を呟いているが、言葉になり切っていなく。呼びかけた○○の声にも、反応があるような無いような。
心ここにあらずと言った、非常にぼんやりとした見た目を晒していた。

「…………」
およそ、普段の姿とは程遠い姿を晒す慧音の姿を見ていると。自然と、○○の心中も痛々しい感情が広がっていく。
「……はぁ」
多分、この状態では○○が何を語りかけても。慧音は何も返答や反応など返してはくれないだろう。
かと言って、何かをしてやれる訳でもなし。無力感に打ちのめされるだけであった。
八意永琳の言う通り、傍にいてやるだけで。病人にとっては十分に心休まると言うのは理解できるが。
だからと言って、それ以外に何も出来ない事に変わりは無く。
虚ろな表情で横たわる慧音の姿を見て。やり場のない感情を、ため息で吐露する以外の行動は。取る事が出来なかった。

それでも。もしかしたら、反応を返す事が出来ないだけで聞こえてはいるかもしれないと思って。
努めて、暗い顔は作らないように努力するが。
しかし、どう頑張っても。ため息を出さない程度でしかその努力は実らない。
「凄いな、てゐさんは」
そしてまた、○○は。事実を誤認した。
てゐの見せたぎこちなさが、○○を慮っている所までは正しかったのだが。
その理由については、相変わらず大きな誤解を抱えたままだった。





しかし、今の○○は存外、幸せな状況にあったのかもしれない。
裏で起こっている事など、何も知らないから。ただただ、上白沢慧音の事だけを気にする事が出来る。
それは多分、とても幸せな事だった。少なくとも、里に住まう彼と比べれば。

「…………クソッ」
彼は、逃げるように里の人口密集地から離れて。かの木こりの家に、例の世捨て人の住まいの戸口の目の前までやってきた。
後はこの戸を常識的な強さで叩くだけなのだが。その最後の踏ん切りがつかないで、いくらかの短くない時間、棒立ちでいるままだったのだ。

彼には、一つの不安材料があった。
それは、例の木こりが自分の話をまるで聞いてくれない。
彼が木こりにとって、忌み嫌う里の住人であるから、まるで取り付く島を与えてくれない。
そういう最悪の展開が、頭を駆け巡って仕方がないのだ。

中に人がいるのは、気配を感じ取る事が出来るから。多分、いるはずだ。
しかし、最後の一歩が中々踏み出せないのだ。
助けを求めるかのように、ここまで来たのに。一秒でも早く、自分の話を聞いてくれそうな最後の希望にすがりたかったのに。
にべもなく拒絶される事の不安感が、この愛想もこいそも無い小屋との距離が縮まるごとに。
残りの距離と反比例して、増大していくのだった。

そして今。彼の目の前には、小屋の扉が。
残された距離は一歩を遥かに下回り、心中で蠢く不安感はもはや計る事が出来ないでいた。
棒立ちのままなのに、渦巻く不安感のせいで。彼の視界はぐるぐると回っているかのような錯覚を覚える始末であった。



「あややぁ~?私以外にここにお客さんが来るなんて。とっても珍しいですねぇ~」
棒立ちのままブルブルと震えていると。随分、わざとらしい調子の声が聞こえてきた。
しかしそれは、例の木こりではなかったし……それに加えて声は後ろの方から聞こえてきた。
ビクリと体を震え上がらせながら、蒼白とした顔面で後ろを振り向くと。そこには一人の女が立っていた。
口元を天狗が持つような団扇で隠し、小脇には新聞の束を抱えていた。
口元は隠れていたが、その女が誰かはすぐに分かった。

文々。新聞の発行者、射命丸文である。
里に出入りする化け物連中の中でも、特に機嫌を損ねぬように気を使わなければいけない相手だった。
そんな存在が、彼の目の前に立ち塞がっている。彼は自分の体から、血の気が引く音を聞いたような気がした。

射命丸文は、天狗の団扇で口元を隠してこそいるが。その感情は、全く隠れてはいなかった。
目元だけでも、笑っている様子が見て取れた。しかも、かなり嘲るような笑い方だった。
しかし、もしかしたら。彼女は隠す気がなかったのかもしれない、彼女はどう見ても天狗だ。対する彼は、ただの人間。
横柄な態度を晒しても、それがもとで不興を買っても。不興を買う相手がただの人間なら、天狗の力をもってすれば、どうとでも出来るから。

「誰だ!?」
薄板一枚なのだ。当然、この天狗。射命丸が出した声は、小屋の中にいる木こりの耳にも飛び込んでいた。
「ヒッ!?」
「あはは、これはまた。分かりやすい驚き方で」
「お前は……」

射命丸と、例の木こりに挟まれて。彼は思わず、情けない声を出したが。
射命丸はその様子に大層笑っていて。木こりの方は、彼の顔をまじまじと見ながら。
「お前……昨日、永遠亭に残った方か?」
彼に対して、昨日永遠亭に残ったかを確認してきた。

「何で、お前が……その事を聞く?」
この木こりは、世捨て人。里との交流は、完全に断っているのに。昨日起こったばかりの事実を何故?
彼は消え入るような声で、なぜこの木こりが知っているのか。その事に対する疑問を口にしたのだが。
「どっちなんだ!?」
一度、弱気になって。勢いに取り残されてしまった彼が。凄むような調子で問いただす木こりに、抗えるはずが無かった。
彼は無言で首をブンブンと、勢いよく縦に振り。彼の質問に対して、肯定の意思を示す。
木こりは「そうか……」と言って何かを考え込むような、神妙な面持ちになって。
射命丸は「あややややぁ~」と言いながら。ケラケラと笑っていた。




「あのぉ~。積もるお話があるのは分かりますが。とりあえずは新聞を受け取っていただけませんかね?」
木こりは何かを考え込むし。彼はそんな木こりと、人間よりはるかに強い天狗に挟まれて。生きた心地がしなかったが。
射命丸の方は、何か用があるらしく。ここでの用を済まして、早く帰りたがっていた。
その様子に、ほんの少しだけ。彼は安堵した。

「ああ……すまない射命丸さん。文々。新聞は朝一で届けてくれたから……そいつはもう一個の方で?」
「ええ。私の友人、姫海棠はたてが書いた。花果子念報の方です」
彼の頭越しに、会話が進められていた。
頭越しに状況を進められる事よりも。もっと大きな事実に、彼は目を奪われていた。
この木こりが、多少敬った態度とは言え。天狗とそれなりに会話している事に。尋常ではない驚きを感じていた。

「はい、どうぞ。いつもはたての新聞を読んで下さって有難うございます」
「良い口直しになりますから……文々。新聞や他の新聞と違って、人の風聞を面白おかしく書く。そういう下種さが全くありませんので」
「あややややぁ~」
はっきりとは口にせず、ボソリとした声だったが。それでも、彼からすれば。こうやって、天狗に対して憎まれ口を叩く木こりの姿が信じられなかった。

「だからと言って……読むのを止めるわけにはいかないんじゃないんですかぁ?」
「そう何だ……読むのを止めたら、里で何が起こっているか分からなくなる」
苦々しい顔で、木こりは射命丸文から花果子念報と言う新聞を受け取る。
何故、射命丸文は。自分が作っていない新聞を配るのだろうか。

「じゃ、私はこれで失礼しますねぇ~」
新聞を渡すと、これまたニヨニヨとしたいやらしい笑顔で。彼と木こりの双方を交互に見やりながら。
天狗、射命丸文は空の彼方へと消えて行った。




「さて……とりあえず、中に入ったらどうだ?茶ぐらいなら出すぞ……昨日の仔細も聞きたい」
促しているのだか、強制しているのだか。木こりは、彼の首根っこを引っ掴んで、グイグイと。こちら側に来るように引っ張ってくる。
全く話も聞いてもらえないと言う。そういう最悪の状況ではなさそうだったが。今の状況も、あまり良いとは言い難かった。

半ば強引に、木こりが住んでいる小屋に、彼は招き入れられた。
その小屋の中には、中央にはよくある囲炉裏。木こりを営んでいるだけあって、何種類かの斧が壁に掛けられていたが。
一際異彩を放っていたのが、大量の新聞だった。
それらが、火の気を避けるように壁際に積み上げられているのだった。
高い物では、彼の腰以上の高さがあった。

「触るなよ?崩れたら、直すのが大変なんだ。」
そう言われたので、触る事は無かったが。まじまじと見ることはやめれなかった。
この幻想郷では、新聞と言えば天狗が作るものだった。
そして、天狗の新聞と言うのは。程度の差こそあれ、どれもこれも人の風聞を主題にした下世話な物だった。
こう言うのが好きな者は、里にも大勢いるし。彼の妻でさえ、時たま読んでいるのを見る事があった。

「新聞は読むか?まあ座れ、立ち話も疲れる。茶を持ってきたからよ」
「自分では買わないが……」
促されて、囲炉裏の前に座ったが。彼は入れ替わるように、新聞の束に向かった。
「じゃあ、最後に読んだのはいつだ?」
新聞の束を確認しながら、木こりは彼に対して質問を続ける。

「……一週間ぐらい前だったと思う。妻が買ってきた文々。新聞を、表紙だけ」
「文々。新聞……特に酷いのを読んでいるな」
確かに、文々。新聞は下世話な話が多かったが。
彼からすれば「下世話だなぁ」と少しせせら笑う程度の感想だったが。木こりの方は、非常に苦々しい顔で新聞の束からいくつかを抜き取った。


「ほら、先週の文々。新聞だ。お前が知っているのと、比べてみろ。一番酷いのを選んでやったぞ」
投げつけるように渡された事に。彼はいくらかの大きさで、舌打ちを打ったが。
渡された新聞の表紙を見ただけで、彼は絶句しそして理解した。
この木こりがなぜ、文々。新聞を特に酷いと言い捨てて。投げるように渡した理由を。



「何だこれはあ!?」
「酷いだろ?」
彼が見た文々。新聞の一面は。かつて、定期的にとり行われていた。
あの寄合の事を、酷く嘲り笑う記事だった。
「おい……どういう事だ!?あの寄合の事が何故新聞の記事に!?」
泣きそうな顔で、彼は木こりに対して説明を求めるが。木こりはと言うと、哀れな顔で彼の事を見ていた。

「俺は知らんぞ!こんな新聞!こんな……里の事が、馬鹿にされている新聞…………見た事無いぞ」
いつもは、畳やちゃぶ台の上に置いてあるのを。一面ぐらいしか読まない彼が。
泣き叫びながら、一枚また一枚と。ページをめくって行くが。
いくらページをめくっても里を馬鹿にして、蔑み、嘲り笑う記事しか出てこなかった。
里以外の事が乗っている記事もあるが……それも同様で。里で見れる新聞よりも、きつい表現ばかりで記事が組み立てられていた。
段々と、彼の泣き叫ぶ声も。小さくならざるを得なかった。


はらりと、彼は力なく新聞を手からこぼれ落とした。
他にも、木こりから投げて渡された新聞はあるが……読む気になど到底なれなかった。

「妖怪や神様用だよ、その新聞は」
「……どういう意味だ?」
彼が放心して、静かになったのを見計らったように。木こりは言葉をかけた。

そして、説明してくれた。
「人間用……人里に卸されてる新聞は、人里以外の話で組み立てられているんだ」
「お前達が、里の外に住んでいる妖怪や神様。それらの風聞や醜聞で嘲り笑うのと同様に」
「妖怪や神様も。人間の醜聞や風聞で……嘲り笑ってたんだよ」

頭が割れるように痛かった。別に風邪など引いていないのに、心労だけで体の調子がここまで悪くなるとは思わなかった。
木こりからの説明は、それをさらに加速させるが。
「俺は……人里を完全に見限って、捨てたからな」
「漏れる心配がないと思ったんだろう……人間用以外のが面白いですよって。向こうから売り込んできてくれたよ」
木こりは、彼の体調になど。知った事かと言わんばかりに、説明を続けていた。
「最初はさ……酷過ぎて吐き気すら感じたけど…………段々、酷すぎておかしくなってきたんだよ」
段々と、やけっぱちになってきたのか。木こりはもう笑うしかないと言わんばかりに、ゲラゲラと笑っていたが。
笑いながらでも、その眼には。はっきりと、大粒の涙が零れ落ちていた。

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最終更新:2013年10月23日 02:56