木こりは笑い疲れたのか「ああ……」と言うような気だるい言葉と空気を漏らしながら天を仰いでいた。
正面に座る彼は、囲炉裏でチロチロと燃える火を見つめながら、微動だにしなかったが。
それでもまだ、このクソッタレな状況を懸命に理解しようとはしているらしく。眼球の動きだけは、妙にめまぐるしかった。
木こりは、たまに思い出したかのように。囲炉裏の火が完全に消えないように、火箸を手に取ってゴソゴソと作業をするが。
彼はと言うと、木こりの作業の余波で灰が多少なりとも被っても。頭の中で、今の状況を整理するのに没頭しているのか。
衣服などが灰で白く汚れても、彼はそれに気づいているのかどうかも怪しい状態であった。
そんな彼の様子を、木こりは痛々しく哀れだと思い。
そしてかつては、人間には卸されない新聞を初めて読んだ時の自分と重ね合わせてしまい。何かを喋りかける気にはなれなかった
あの時も、あまりの衝撃と心労で。食う物も満足に取ると言う以前に、空腹感や渇きを覚える余裕すらなく。
布団に包まって、何日か過ごしていたのをふっと思い出した。
もう少しだけ、時間をやるか。木こりがそう思ったのも、これで何度目なのだろうか。
彼の思考の邪魔にならぬように、木こりはごろんと寝転がって、また天井を仰ぐのであった。
彼の事は。自分が忌み嫌う、人里の住人であるから。どう足掻いても、解りあったりなどはしないし。
まかり間違っても、和解などはありえないだろう。そうは思っているのだが。
文々。新聞に限らず。昨日から、天狗の面々が嬉々として配ってきた新聞の中身を思い出すと。
彼に対しては、強力な同情心が湧いてしまうのである。
彼が、慧音先生を荷車に乗せて永遠亭に走って行ったのは。どうせ、何か全く別の思惑があっての事。
本心から、慧音先生の安否を気遣っていたわけではない。それは分かるのだが。
その後に、彼と○○以外の三人が。彼を連れずに帰ってきたのを皮切りに、凄惨な私刑に発展し。
それと同時に、里人の彼に対する過度な依存心。彼が、いきなり降って湧いた厄介事を。土壇場で、大鉈を振るって一応の解決を見せたせいで。
もうこの先は、彼に任せれば良いなどと言う。勝手極まりなく、どうしようもない依存心の塊が生まれてしまった事。
それらの事象が。筋道を立てて、順序良く。仔細に関しては、多少のばらつきはあるし。
どうせ天狗の事だから、里人の会話などと言った細かい部分は。面白おかしく脚色しているだろうから。
今日届けられた新聞記事の全てを、頭から鵜呑みにする事は出来ないが。
それでも、大筋は間違っていない筈である。
少なくとも。彼が大鉈を振るった事、彼と○○以外の三人が凄惨な私刑を受けた事。彼に対する勝手極まりない依存心の発生。
この三つに関しては、おそらく真実だろうし。彼がいきなり自分の所にやってきたのは、それを裏付ける材料になりえるはずだ。
これだから、天狗は怖いのだ。
天狗の連中は、本当にどうやっているか分からないが。人里の事を、事細かく知っている。
何の新聞に載ってたかはもう忘れたし、覚える気も無かったが。
彼と、私刑を受けた三人と。それだけに留まらず、家族関係や交友関係。
これらが事細かく記された表を載せている新聞もあった。しかも、その数は一紙や二紙ではなかった。
むしろ、載せていない新聞を探すのが難しいのではないか……
本当に……一体どうやって、そしていつの間に。あれだけの量を調べ上げたのだろうか。
……これだから、天狗は怖いのだ。里から離れて、この感情は一気に大きくなってしまった。
天狗にかかれば、秘密など何も持つ事が出来ないのではないか。
これが、木こりが人里に近づきたがらない大きな理由にもなっていた。
ここに住んでいたって、多分同じなのだろうけど。それでも、他者との交流を断てば。面白い監視対象には、なり難いはずだ。
…………彼を招き入れてしまったこれからは、どうなるかは分からないが。それが今抱えている不安材料だったが。
かと言って、彼を拒絶するのも。余りにも……と思ってしまうのだった。
「どこまで、知っている?」
天井をぼうっと仰ぎ見ながら、色々な事を考えていると。ようやく彼が、口を開ける程度までは落ち着けたようだ。
「どういう意味だ?」
「お前は、人里で起こった事を。どこまで知っているかと聞いているんだ」
「特に……俺がいなかった時の事を知りたい」
彼の口から出てくる質問は、一言一句悲痛な感情が重くのしかかっていた。
それ聞きながら、木こりは湯呑に手を伸ばした。中身は、もうすっかり冷めてしまい、えぐ味が際立っていた。
冷めた茶のえぐ味。そんな物よりも……彼の質問に対して、果たして馬鹿正直に答えていい物か。
交友関係や家族構成など、全てすっぱ抜かれている事を。果たして、話してもいい物なのか。
「頼む!!」
渋い面構えのままで、黙りこくっていると。彼がまた、声を荒げる。このまま放っていたら、地面に頭を擦り付けかねなかった。
「どこまで……話せばいいんだろうな」
「全部だ!頼む、全部話してくれ!」
仕方なく、ぽつりと呟くが。案の定彼は、全てを知りたがった。
「全部と言うが……こっちは、本当に全部知ってるんだぞ…………何もかも」
「……何もかも?」
木こりがぽつり、ぽつりと喋る度に。苦々しく、重々しく、渋かった面がより一層渋くなる様子に。
彼の方も、喋りたくなくて。意地悪がしたくなくて、木こりが黙っている訳ではないのだと悟る。
「そうだ……何もかもだ」
木こりは、“何もかも”と言う言葉を使って彼への回答を濁してくるが。それが、ある種の優しさである事はすぐに分かった。
怖かった。彼が一体、何処まで知っているのか……引いては彼にとって最大の情報源である、天狗の新聞。
これに、一体どれだけの内容が。どこまで踏み込んだ内容が書かれているのだろうか。
それを想像すると、怖くて仕方がなかったが……
「構わない……」
「良いのか?」
「良い……何もかも、話してくれ」
多分、知らないままでいた方が余計に怖いはずだ。それに、彼自身……もう絶対に後戻りできない場所にいる事ぐらい分かっていた。
だったら……知る事が出来る物は、全部知っていた方が良いはず。そうやって、無理にでも物事を前向きに考えていた。
と、必死に考え続けていた。彼の必死の強がりは、物の見事に打ち砕かれてしまった。
「話した俺が言うのも、何だが……大丈夫か?」
家族構成、交友関係。それが全て知られているだけでも、十分に衝撃を受けるのに。
「まだ……お前の半生の項が途中なんだが…………」
「もう良い……よく分かった。本当に、何かもなんだな……」
あろう事か、天狗達は自分達の半生や、情事や秘め事など。
誰にも知られたく無い事まで全て。天狗達は、把握していた。
勿論、書かれていたのは彼だけではなかった。彼の妻や、例のチンピラやその家族。
それらの人物に対しても。事細かな寸評や解説が乗っていると、木こりは触れてくれた。
「慰めになるかどうかは分からないが。新聞によって……書かれている情報量には多少の差はある」
新聞をたたみながら、木こりは慰めてくれた。自分で言っている通り、慰めかどうかは疑問だった。
木こりが言いたいのは。全ての天狗が、全ての情報を持っている訳ではないと、慰めてくれているのだろうが。
持っている情報に、多少の欠落はあるのかもしれないが、その欠落の程度など。自分でも覚えていない、雀の涙程度の量でしかないだろう。
つまりは……多勢に影響は無いのだ。天狗は、里に住まう全ての人間の、全てを知っている。
その事実に、変わりは無かった。
「どうするんだ……?これから」
頭を抱えたまま、また動かなくなってしまった彼に対して。多少残酷だとは思ったが、話を進める事にした。
もう、小窓から見える日の様子も。少しばかり、傾きが目立ってきた。
随分長い時間、二人はこの小さな小屋で相対していたことになるが。その殆どの時間は、二人とも黙っているだけだった。
彼も木こりも、心労が深くて余り喋る気になれないのだ。
特に、彼の抱えている心労は。木こりからしても、察するに余りある所か。かつての自分の生き写しに殆ど類似していた。
だから、この状況で口を動かさせる事が。どれほどの負担になるかは、分からない筈では無いのだが。
木こりの考えでは。このまま、彼をこの小屋に逗留させる事だけはしたくなかったのだ。
別に、彼の事が憎いのではない。
わだかまりが無い訳ではないが、それ以上に大きな同情心で。彼に対しては、優しくせねばならぬという思いが出てくるのだ。
但し、彼に対して過度な依存心を発生させた。彼以外の里人……こいつらは例外だった。
こいつらは、今でも顔も見たくなければ、口も聞きたくないと。はっきりと断言できるし。
それ以上に、新聞で報道された通り。私刑を率先して行うまでの、酷い暴走状態に陥っている。
このまま、彼をここに逗留させたら。
今の、明らかに悪い熱に侵された奴らの頭では。木こりが、彼を里に戻らせないようにと監禁していると。
そう言う、突飛な発想に行きつかないとも限らないし……多分、木こりが思っている以上に早くに、その発想に辿り着くはずだ。
きっと彼は、里人がこの小屋に押し寄せても。盾となってくれるだろうが……それで防ぎきれるとは思っていないし。
何より……そんな事態に陥ったら。彼の心労がまた更に、深く重い場所にまで到達してしまう。
話を無理にでも進めて、彼をこの小屋から追いだすのは。巡り巡ると、彼の為にもなるのである。
「はっきり言おう。お前以外の里人の暴走が怖いんだ……話を少し進めて、今日はもう帰ってくれないか」
酷い言い草だ。そんな言い草しか言えなかった事に、自己嫌悪に陥るが。
かと言って、身の安全には代えられない。言葉を濁して、時間をかけたくなかった。
彼以外の里人の暴走が怖い。そう言うと彼は、はっとした表情で、勢いよく顔を上げた。
「そうだ……確かにそうだ……!すまん……余り居ると、迷惑になるな」
「ああ……はっきりと言って良かったよ」
皮肉な事だが。異常事態に陥れば陥るほど、彼と木こりは分かりあう事が出来そうだった。
彼は、唯一まともに話が出来る人間を死なせたくないという思いで。必死に思考を回していたし。
そんな彼の姿に、木こりは。同情心を通り越し、自らの事のように悲しくなってきた。
「で、どうしたいんだお前は。これから」
「……今まで、相手にしなかったのに。こんな事を言うのは、お門違いだとは分かっているが」
前振りと一緒に。彼は、一呼吸置いた。そして、喉の奥から、一言だけ絞り出した。
「助けてくれ……!」
「…………無理だ」
彼が必死に絞り出した言葉だったが……木こりには、彼を救う事が出来ない。
そして多分、木こりでなくとも。もう、誰にも救えないだろう。
しかし、笑い飛ばしたりして。否定する事は出来なかった。
「分かっている……助けて欲しいのは俺じゃない」
「……どういう意味だ?」
最初は、“助けてくれ”と言う言葉が。彼自身を指している物だと木こりは思ったが。
どうたら、彼の考えは全く違っていた。
「助けてほしいのは……子供達だ!俺の子供に限らず、全ての子供だ!」
その言葉に、木こりは絶句した。
「もう、俺が駄目な所にまで行ってしまった事は……嫌ってほど分かってる」
彼は、もう……自分が助かる道を完全に諦めていた。
そして、自分が助からない代わりに……せめて、子供達だけでも。
その、粉う事無き自己犠牲の精神に。彼は絶句し、目頭が熱くなるのを感じた。
「俺は……慧音先生と、○○。この二人の為に動く。そのついでで良いのなら、協力は出来る」
木こりが言えるのは、これだけだったし。里にはもう足を踏み入れたくない木こりが出来るのは、多分これだけだ。
「構わん!それでも全く構わん!あの二人の平穏は……里の平穏とつながる」
しかし、彼は。木こりの出した回答に、何も異論を唱える事は無かった。それどころか、全面的な肯定の意を示した。
木こりの回答に、彼は嬉しそうな顔を見せるが。
対する木こりは、全く浮かない顔だった。
「どうした?」
「おい……一つ、覚えておけ」
木こりには、一つの罪悪感があった。
「慧音先生と○○の平穏を作り出す過程で……○○には、幻想郷に永住して貰わなければならん」
「……帰りたいと言うだろうか」
「そういう意味じゃない」
彼は、謀が上手く行くかどうかの心配をしていたが。その様子に、木こりは声を少し荒げた。
「犠牲となるのは、お前だけじゃない!○○には、外の世界を綺麗さっぱり諦めてもらう!」
「俺が里を捨てたのとは、訳が違う!その意味を、よく考えろと言っているんだ!!」
木こりは、生まれ育った人里を捨てた。しかしそれでも、行こうと思えば行ける距離だし。
足を向けなくても、天狗の新聞を読めば。里の情報は、わざわざ行かずとも手に入る。
しかし、○○には。そのどちらも、無理な話だった。
「もう○○は!生まれ育った場所の事を、見る事はおろか!感じる事も出来ないんだぞ!!」
「その意味が分からないんなら、俺は協力できない!絶対にだ!!」
言いたい事を全てぶちまけて、荒い息を整えるために。すっかり冷えた茶に木こりは手を伸ばした。
「……良いな?今の俺の言葉、よく覚えておけ。じゃあ、今日はもう帰れ」そして茶を飲み干した後、静かにこういった。
木こりの言葉に、彼は何も言い返す事が出来なかった。
全て、正論だったからだ。
「…………もう、限界なのかな」
藤原妹紅は、自宅で新聞を読みながら。何度も同じ言葉を呟いていた。
昨日の夕刊の見出しに。“上白沢慧音、倒れる!”と大きな見出しを見た時、妹紅は思わず叫んだのをよく覚えている。
そして、慧音が倒れたと同時に。人里が物凄くきな臭くなっている事は。文々。新聞に限らず、天狗達は嬉々と報道していた。
普段は、天狗の新聞などと言う、あんな下世話な物。囲炉裏の焚き付け程度にしか、価値を感じなかった妹紅だが。
今日に限っては、旧知の仲である上白沢慧音が倒れた事。
そして、裏側を知っていても。諦めずに居を構え続ける、人里での出来事。
これらが事細かく載っているせいで。一言一句に至るまで、目を離す事が出来なかった。
「やっぱり……もう…………無理にでも、連れ出すべきなのかな」
読めば読むほど。妹紅は、慧音が居を構える人里への諦めの感情が濃くなっていく。
最早、怒りや憤りを感じるという部分は、完全に通り過ぎた。
怒りや憤りを感じるという事は、相手に対して悔い改めてほしいと言う感情が残っている事に他ならない。
しかしもう妹紅は。人里の面々に、悔い改めてほしいとは思っていないし。
悔い改めれる良心が、残っているなどとも思っていなかった。人里の事はもう完全に、見放した格好だった。
「妹紅さん!永遠亭の鈴仙優曇華院です!お伝えしたいことがあります!!」
苦虫を大量に噛み潰した表情で、新聞を読んでいると。自宅の戸を叩く、けたたましい音が鳴り響いた。
それと同時に、永遠亭の鈴仙が。扉を開けてくれと、伝えたいことがあると。これまた大きな声で訴えて来た。
「ちょっと待ってろ、今開ける!」
何か、緊迫した事態が起こったのは間違いなかったし。
慧音が倒れて、永遠亭に運び込まれた。その次の日である……慧音絡みの何か不味い事態が起こった。
そう考えるのが自然であろう。慧音の事を心配する妹紅の顔が、険しくなる。
「何があった!?慧音がどうかしたのか!?」
戸を開けて、開口一番。妹紅は鈴仙の肩を揺さぶりながら、事情を聞こうとしてきた。
「揺らさないで、話しますか、ら」
「す、すまん」
思い切り揺さぶられた物だから、鈴仙は喋りにくくなり。その旨を妹紅に伝えると、妹紅はバッと手を放して後ずさった。
「で、何があった!?慧音の病気は大丈夫なのか!?」
「慧音さんの病状は、安定しています。投薬を施しつつ、安静にしていれば。一週間もあれば」
病状は、悪くは無い。その報に、妹紅は胸をなで下ろす。
「じゃあ、何があった?人里絡みでか?」
しかし、それを伝えるだけなら。鈴仙はここまで険しい表情は作らないだろう。
「いえ……・人里絡みの方がまだマシです。森近霖之助が……」
森近霖之助。
この名前を聞いて、妹紅は一気に顔面蒼白となるまで血の気が引いた。
「アイツが!何かやったのか!?」
「まだやってません。でも、慧音さんと○○さんの近くで。何かをやろうと考えているのは間違いありません」
「だから、妹紅さんに釘を刺してほしいのです」
「分かった!すぐにアイツの店に行く」
「妹紅さん!!」
鈴仙の横を通りぬけて、急いで飛び立とうとする妹紅を。鈴仙は呼び止めた。
「何だ!?」
「慧音さんのお見舞い!行かなくていいんですか!?」
「……行きたいさ、そりゃ!」
急いでいる所を呼び止められて、機嫌の悪そうな態度が。慧音の見舞いと言った途端、一変してバツが悪そうになった。
「じゃあ!行けばいいじゃないですか!」
「輝夜がいるんだ!」
「姫様だって!そこまで無粋じゃありませんよ!!」
「分かってるよ!でも、分かるだろ!?じゃあ私は急いでるからな!!」
妹紅に、慧音の見舞いに来るようにと。必死に鈴仙は訴えるが……それを妹紅は無理矢理振り切った。
「この、馬鹿ぁ!!大馬鹿者お!!!」
飛び立って、小さくなる妹紅の姿に対して。鈴仙は精一杯、罵る事しか出来なかった。
最終更新:2013年10月23日 03:06