「終わったか……。」




ただの肉片にまで解体された先代を見下ろし、彼は膝をついた。
疲労と怪我によるダメージは彼もまた深刻であり、安堵した瞬間にはもう、立つ事すら出来なかった。


“さて、これからどーするか……まあいいや、ねみぃ…。”


首に巻かれたマフラーが、より深く眠りへと誘う。
血の匂いの中にあっても尚途切れない妖夢の香りが、母の手に抱かれた様な心地よさを与え、そして彼の中には一つの願いが過っていた。


“ごめんな……約束、やっぱ守れねえや…。”


もう戻る事は出来ない。
そして、戻る事もない。

愛した恋人とも、たった一人の家族とも、共に生きる事は叶わず。
簡単に死ぬ事も出来ない身。

彼は妖夢の身代わりとも言えるマフラーを、強く握り締めた。
目が覚めれば、後は去るのみ。
触れる事が出来ない妖夢の影に縋る様に、その感触を確かめる。




「終わったんですね……。」




視界を閉ざしていた彼の耳に、忘れもしない声が聴こえた。
初めは幻聴かとも思えたその声は、しかし確かな気配を伴って彼の五感へと触れる。

目を開けてみれば、確かに見慣れた靴とスカートの裾が目に入る。
そうして視線を上へとずらした時。




「…………!?」




そこには確かに、彼の愛してやまぬ少女がいた。
ただしそれは、胸元を返り血で赤く染め。













______そしてその手には、青銀の髪が握られていた。




















初の心にさざめく夜は。-ep.9 end roll-



















「どうしたんですか?そんなに驚いた顔をして……良かった、勝ったんですね。
……ふふ、やっぱり心配になって、追ってきちゃいました。」


その光景に、○○は絶句していた。

目の前には少女らしく、とても可憐に笑う妖夢がいる。
しかしその頬やブラウスには返り血がこびり付いていて、その笑みと相まって更に異様な姿に映る。

左手には、しっかりと髪の毛が握られている。
青と銀の混ざった長い髪の先は綺麗に揃い、刃物によって切り取られたものだと彼は理解した。

何度見直しても、妖夢の肌に傷は無い。
あるとすれば、せいぜい首に薄く痕がある程度。
それらの状況が、信じ難い事実を容赦無く彼へと突き付ける。


“唯一の家族である慧音は、目の前の最愛の少女の手によって葬られたのだ”と。


「ふふ、見て下さいよ。私は私の闘いを終えたんです…あなたを苦しめていた者は、これでもうこの世にはいません。」

「………………。」




何一つ言葉を発さず、彼は血溜まりの中から立ち上がった。
疲労感は麻痺し、再生されないままでいた傷も、次々に塞がって行く。
そしてその手には、強く握り締められた愛刀があった。


「…………何でだよ、妖夢……。」

「ずーっと、邪魔だったんですよ。
だってそうじゃないですか?あの人がいたからこそあなたは闘いから逃れられないし、私達が結ばれる事も無理なんですから。
……それに、気が変わったんです。愛しているからこそ、一度本気であなたと闘ってみたいって。

くす……こうしてしまえば、あなたは殺すつもりで私と闘ってくれますよね?だから奪ったんですよ……慧音さんの『命』を。」


彼は俯いたまま、妖夢を見つめる事はしなかった。
布とマフラー、そして髪に隠されたその貌が何を表していたのかは、誰にも見えはしない。

ただ一つ。ぎりぎりと柄を握り締める音だけが、彼の感情を雄弁に物語っていた。



「へっ……上等だぁ、てめーだけは何が何でも殺ってやるよ………妖夢!!!!!」



彼の最後の闘いが、ここに幕を開ける。

最後の敵は、ただ一人愛した少女。
それを手に掛ける為、彼は再び剣を握った。










刃同士がぶつかる火花が飛ぶ。

妖怪化した現在の彼は、腕力であれば妖夢を軽く凌駕している。
しかし妖夢とて、魂魄の源流を汲む手練。そして互いを深く知った今だからこそ、最初の闘いで見せたような油断は無い。

彼の手の内は知り尽くされている。
そして一方の妖夢は、剣技以外の力はまだ見せた事は無い状況であった。


“妖夢自身、数々の異変と弾幕勝負に関わって来た……つまりこいつの強さは剣技っつーよりは……。”


一度鍔迫り合いから離れ、彼は後ろへと跳ぶ。
すかさずにそこへ初弾の弾幕が放たれ、掠った弾が彼の肌を切り裂いて行った。

剣技を用いた弾幕。
実際の殺し合いよりも遥かに多くの弾幕勝負を経験して来た妖夢にとっては、弾幕こそが最も得意とする攻撃だった。


そしてその逆を行く彼にとって、弾幕による距離の開いた攻撃は、最も不利なものでもある。


“やっぱ来たか…まじぃな、詰めらんねえ事には…”


至近距離であれば確実に被弾し、距離を取れば避ける事は出来るものの、攻撃には出られない。
苦手とする弾幕に対しては、今までは敵を障害物の多い場所に誘導する事で戦況を覆して来た。
しかし、現在彼らのいる戦場に障害物は無い。
○○にとっては、まさに嬲り殺しに近い状況であった。



「ふふ、追い詰められていますね…卑怯だなんて思わないでください。
だって、“何をしてでも殺す覚悟”と言うのは、あなたが教えてくれた事なんですから…。」

「…………!?」



眼前にいる妖夢の姿に、彼は強い違和感を覚えた。


“半霊がいねえ!?”

「がっ…………!?」


しかしその違和感の正体に気付いた時にはもう遅く、彼の腹部から刃が突き出た後だった。
妖夢の姿に変化した半霊が手にしていたのは、魂魄の者だけが扱える長刀・楼観剣。
その異常な長さは傷から刃を抜き出す事すら許さず、彼の動きを完全に封殺した。


「あくまで私は半人半霊…その半霊の姿を見てください、私そのものでしょう?
半霊もまた身体の一部、私の第二の手足なんですよ…。」

「へっ…やる、じゃねえの……。」

「ああ、その半霊を攻撃しても無駄ですよ?
あくまで本体は私。だけどこれだけの距離が開いていれば、もうどうしようも無いですね。ふふ…。」



色彩を失った瞳と微笑みが、○○を捉える。
背後の半霊もそれに呼応してか、くすくすと小さな笑い声を上げた。

それを目にした時、彼は微笑んだ。
それは、彼女にだけ見せた優しい微笑みではなく。




________敵を目の前にした、残虐な微笑み。




彼は迷い無く、腹部に刺さる刃を握り締める。




「少しはやるよーになったなぁ……だが甘ぇよ、全然甘ぇ…。」

「おや、そんなにしっかり刃を握り締めて……その間合いで、長い楼観剣を引き抜くつもりですか?
それとも……まさか勝負を捨てて自害するとでも?」

「半分正解、ってえ所だな………オラァアアアアアァ!!!!」

「っ!?」


彼は躊躇いもせずに、それを真横へと動かした。

引き裂かれた傷からは滝の様に血が流れ、そして腸が零れ落ちて行く。
自ら脇腹を犠牲にする事で、彼は楼観剣の拘束から逃れて見せたのだった。


「はぁ…はぁ………だから詰めが甘ぇんだよ、てめーは。
縦なら流石にヤバかったが、刃を横にして突いた時点で、俺がいっぺん脇腹捨てちまえば逃げられる。
今の俺ぁ“元人間”だ…痛えのは一瞬、だが死にゃあしねぇ…。」

「くっ……だけどまだ私の有利、半霊!!」


背後にいた半霊が、再び剣を構える。
しかし、妖夢の焦りから操作にミスが生じ、それは長刀の楼観剣の間合いには余りに近過ぎた。


「がはっ……!?」


そして半霊の鳩尾に、深々と拳が突き刺さる。
しかし腹を抑え膝をついていたのは、本体である妖夢の方であった。


「睨んだ通りだな……半霊が剣を握れる程形を作るにゃ、それなりに感覚の共有が要る筈だ。
一か八かだったが、しっかり殴った感触があって安心したぜ……。」

「ふふ……よく…解りました、ね……。」

「しきりに本体本体言ってりゃ、つまりは逆に考えろってアピールしてるも同然よ。話術も戦術の内だ、覚えとけコケシ。」

「ええ……ですが…。」



瞬間、激しい熱が彼を襲った。

吹き飛ばされる最中に彼の目に映ったのは、半霊が自身に弾幕を放つ姿。
光弾の熱に背中を焼かれながら、受け身を取る猶予も無く地面へと叩きつけられる。

そして妖夢は倒れ伏す彼へと近付き、それまで彼が見た事の無い狂気じみた笑みで彼を見下ろしていた。



「く、しくったぜ………んな…気持ち悪りぃツラして見てんじゃねぇ、よ……。」

「くす…私は単に、今のあなたに闘い方を合わせているだけですよ。
でも変ですね、不死身同然となった今も、あなたは闘い方を変えようとはしない……本当は解らないんじゃないですか?今のあなた自身の力が。」

「…………。」

「強い力を得ても、“何処まで出来るか”“何が出来るか”が解らなければ、それは赤子も同然。
無意識に力がセーブされているあなたに勝つ事は、とても容易い事です…。」



火傷の傷はまだ完治しておらず、○○は動く事が出来ない。
妖夢はそれを確かめると、その愉悦の貌を更に深め、楼観剣を手に取る。

彼女の舌が、艶かしい動きでその刃を舐める。
これから成そうとする事への恍惚を確かめる様に、それは酷くねっとりとした動作であった。


「あなたは優しすぎる……そう、誰かの為に自身の全てを犠牲にしてしまう程に。
だからこそ、自身の因縁に他者を巻き込まない為、このまま何処かへ消えようと考えている……ですが、それじゃダメなんです。

私が最も愛し、そして欲しいものはあなたそのもの……あなたの身も心も、愛情も憎しみも、その全てが欲しい。
手に入らないのなら、例え殺してでも永遠に私のものにしたい。

だからあの人を消して、そしてあなたも殺すんです。……その首、貰い受けます。」


首筋を舐める様に、刃先が触れる。
○○は視線を逸らさず、ただ真っ直ぐに彼女の光の消えた目を見つめていた。

そう、互いの視線が逸らせなくなる程真っ直ぐに。


「へっ……随分思い詰めたツラぁしやがって………だが。」


故に、妖夢は気付けなかった。
彼の手には、最後の隠し弾が仕込まれている事を。


「…………っ!?」


妖夢の脇腹を、刃が掠めた。
それは腕に巻かれた鉄甲から伸びる仕込み刀による一撃。


“しまった…まだ隠し武器が…!”

「余所見した時点で詰みだぜ……オラァアアアアアァ!!!!」


横薙ぎに放たれた蹴りが、深く脇腹へとめり込んだ。
体内で肋の折れる音が響き、その激痛と乱れた呼吸は彼女を打ち捨てられた様に地面へと縫い付ける。

苦痛に歪む彼女の頬を、刃が掠める。
先程とは真逆に、彼が妖夢を見下ろす態勢へと変わる。

形勢は逆転した。深手を負った彼女には、最早立ち上がる事は不可能だった。


「あのジジィは悪趣味な改造が好きでよ…こないだお前を連れてった時、頼んでもいねーのにこの改造をしやがったのさ。
役に立たねえと思ってたが、案外使えるモンだな。」

「ふふ……また、負けちゃいましたね…。」

「……わざと、だろ?
俺の手の内解ってんなら、アレも想像付いた筈だ。あんなベラベラ喋らねえで、とっとと首を撥ねりゃいい。
………妖夢、何でこんなバカをやったよ?」

「さっき言った通りですよ……あの人が憎かったんです。
さぁ、憎い仇はここですよ…遠慮無く、首を撥ねて下さい…。」

「……………。」




ぽたり、と、妖夢の頬に冷たいものが触れる。

それは、彼の頬から流れた雫。
殺意に目を鋭くしながらも、際限無くその瞳からは涙が流れていた。


「結局、何も守れやしねー……慧姉も、何よりてめえの心も守れなかった……。
そんなに思い詰めさせちまってたなんざ、つくづく俺ぁバカな奴よ…。
妖夢……てめえの事は一生忘れらんねえだろうな…これで、お前は満足か?」

「ええ……それで、あなたの中に残れるのなら。」


意を決した微笑みが、彼を捉える。

握られた柄は震え、彼の迷いをその刀身に映し。
暫しの間、妖夢の目には揺らぎとしてその光が踊っていた。




「…………………あばよ。」




震える刃が止み、引き抜かれると同時に彼女の喉を裂こうとした。




____________その時の事だった。














「待て!!」













声の方を振り向いた時、彼は己の目を疑った。
そこには死んだ筈の慧音が、息を切らしながら立っていたのである。

彼女の髪は短く切られ、そして腕と肩から血を流していた。
しかし、確かに生きている。

まるで狐に化かされた様に呆然とした顔で、彼はその姿を見つめていた。




「あーあ…やっぱり邪魔するんだなぁ…こんなに早く目覚めるなんて……。」

「……オイ、どー言うこった……?」

「嘘は言ってませんよ?
確かに命を奪ったんです……ふふ、“髪は女の命”、ですからね…気絶はしててもらいましたけど。」

「…………ほー、じゃあアレか?俺らが必死こいて殺り合ってたのは…。」

「くす……まんまと引っ掛かりましたね。全ては私があなた達に仕組んだ茶番ですから。あーあ、本当、もう少しだったのになぁ……。」



観念した様子で、妖夢はだらしなくその場に寝転んだ。
一方の彼はと言えば、『非常に良い笑顔』でそれを見下ろしている。

そのこめかみと手に、血管が血走っている事を除いてではあるが。



「はは……ふざけんなこのコケシがあああああぁ!!!!!」

「痛っ!?ちょっと、今またコケシって言ったでしょう!?私にはちゃんと妖夢って名前があるんです!!」

「うるせえよバカ……ったく、ちくしょー……本当クソッタレだぜ………はは……。」



どさりとその場に倒れ込むと、彼はけらけらと笑った。
その頬を伝う涙は、今は安堵から来るものへと変わっている。

最愛の少女を手に掛けずに済んだ事に、彼は心から安堵していた。




「○○……今まですまなかった。私がちゃんとお前に向き合ってやれていれば、こんな事には……。
妖夢に言われて気が付いたんだ…私はきっと、お前の心や存在から逃げていたと……本当に、本当に……すまなかった……。」

「良い歳した女が泣くんじゃねーよみっともねえ。
……ま、俺が勝手にやって来た事さ、気にする事じゃねえ。
どうあろうが俺の家族はあんただけさ、だから弟分としちゃあ、とっとと行かず後家は卒業してもらいてえなあ?」

「な!?お前、私がどれだけお前たちの事で気を揉んでいたか……。」

「へっ、その調子じゃあまだまだ先見てえだなあ……さて。」

「……………はい。」



鋭い視線が、再び妖夢を捉える。
その視線の意図を察した彼女は、一度呼吸を整え、ゆっくりとその口を開いた。


「………こうするしか、無かったんです…。

○○さんはもう、人間に戻る事は出来ない。そして、全てが終わった後に去ってしまう事も解っていました。
私がどれだけ止めても、その覚悟と決意は変わりはしないって…。

それに、慧音さんを疎ましく思っていた事も事実です。
……蒸し返すようで申し訳ありませんが、○○さんと向き合おうともしないで、それなのに怒りの矛先全てを向けられた事。
それについては、反省して欲しかったですし……欲を言えば、私の気持ちを許して欲しかった。

あなたは、私たちを思っていてくれるからこそ去ろうとしていた……それは私にとっては、とても苦しい事でした。
何日も、何日もあなたが去っていく姿を夢に見ては、目を覚ましてしまう程に。

……でも、ここはあなたにとって、とても苦しい世界です。開放されるのであれば、それがきっと、一番の幸せだって……。
だから全てを忘れて、自由になって欲しかったんです。

慧音さんを死んだ事にしてしまえば、あなたはもう里にも宿命にも囚われないで済む。
そしてその犯人が私であれば、憎い仇としてあなたの心は離れていく。
…私があなたに殺されれば、それで全て丸く収まると思ったんです。
例え慧音さんが生きていると知っても、その頃にはもう、私の真意は闇の中の筈でしたから…。


ふふ………だけど本当は、あなたに執着していただけなのかも知れませんね。


闘いの最中に言った事は、私の本音です。

“叶わないのなら、憎しみや傷跡としてでもあなたの中に残りたい”

これは、私の嘘の無い気持ちですから。


それ程に………狂ってしまう程にあなたを好きになってしまった自分が怖かったはずなのに……。
ぐすっ……なんで…なんでこんなバカな事をしちゃったんだろう…………。


……○○さん。どうか私を、許さないで下さい…。」



辺りには、静寂だけが漂う。

○○と慧音は、暫し声を掛ける事すら出来ず。
ただ泣き濡れる妖夢の姿を、沈痛な面持ちで見つめる事しか出来なかった。



「妖夢……お前はそこまで○○の事を…。」

「はぁ………シラけちまった。行くぞ、慧姉。」

「○○!!お前……。」

「……最近外来人の奴が新しくカフェ出したろ?そこぁ甘味が評判らしくてなぁ。
本当なら屋台で熱燗としけこみてえ所だが、こーもビービーうるせえガキがいるんじゃしょうがねえ。
まあ、シケた事ぬかしてるぐれえなら、甘いモンでも喰って頭冷やしたらいいんじゃねーの?

………こーなったのも元は俺の責任だ、メシ代ぐれえは出してやんよ。」

「ふ……全く、そんな風に捻くれているから女を泣かすのだぞ?」

「……うるせー、バカ姉貴。」



血の繋がりの無い姉弟に、漸く少しばかりの雪解けが訪れた。
妖夢はただその背中を、微笑みながら見つめている。


“やっぱりあなたは捻くれていて、そしてとても優しい人なんですね………だけど。”


その手は、そっと胸元へと伸び。





_______そして、ベストの中の小刀へと手を掛ける。






「何やってんだよ妖夢さんよー。とっとと行くぞ………………オイ!?」




振り返った○○達の目に映ったのは、小刀を自身へと突き立てようとする妖夢の姿。
恐怖からその手は震えているが、しかし、その目には強い覚悟が漲っていた。



これから全ての決着として、自害をする覚悟を以って。




「………止めないでください。
私は剣士として失格です……あなたを守るつもりが自身の闇に囚われ、慧音さんも、そしてあなたさえも深く傷付けてしまった…。

剣士が腹を斬るのは、守ると決めたものを守れなかった時。
…そしてもう一つは、自身の守るものを裏切ってしまった時!!

私はもう、その罪の重さに耐えられそうもありません……。
○○さん……どうか、幸せに……。」

「やめるんだ!妖夢!!!」



二人が止めようとした時には、もう小刀は振り下ろされていた。
その間僅かコンマ何秒。
しかし、それはその場にいた者にとっては、走馬灯の様にゆっくりとした物に感じられた。







“ちっ……んのバカが!!”






そして、刃が皮膚を突き破り。
辺りには鮮血の花が舞い踊った。

しかし、突き刺された時に生ずる筈の熱い痛みは妖夢に走る事は無く。














________________その刃は、○○の背へと突き立てられていた。















「あ……ああ…あ…。」

「がはっ…………ったく…ビビらせんじゃ…ねー、っつーの…。」


刃が突き刺さる瞬間の感触を、しっかりと妖夢は覚えていた。

迷わず心臓を一突きした手応えが、はっきりと刃を伝い、彼女の触覚に触れていた。
そしてその心臓は、彼女のものではなく、○○の心臓である事。

彼の背中の傷から零れる出血の量が、その事実を容赦なく彼女へと突き刺す。



「そんな………。」

「へっ……これ、以上…てめえの前、で…情けねえマネ出来るかよ……。」



彼は妖夢を抱き締める形で、身を呈して刃から彼女を守った。
その位置が、自身の心臓を貫くであろう事を解りながら。

心臓は、生物にとっては急所である。
妖怪と化した者にとってもそれは変わらず、死にはせずとも、そのダメージは計り知れない。



“身体が、冷たくなってきてる……!?”



そして妖夢には、それだけではない彼の身に起きた変化が理解出来た。



「げほっ…あー、クソッタレ……せめて明日までとは、思ったが…どーも…もうダメみてえだ、な……。」

「嘘……何で…だってあなたはもう妖怪の筈じゃ……。」

「……あのクソ野郎をぶっ殺した時によ……こう、思ったのさ…。
“ああ、これで俺の役目は終わった。”ってよ………そしたら…解ったのさ……俺の中の何かが、もう切れちまったんだってよ…。
どうもさっきお前とやりあった時が……最期の力だったみてえだなぁ…。
妖怪は心がへし折れてもくたばるもんだが……どうも、満足しちまっても…逝っちまうらしい………。」

「……………っ!?」


妖怪は、精神にその生を左右される。
故にその崩壊は死を意味するが、同時に、未練を無くす事でもその生を失う。

彼らは絶えず退屈を避け、しかし次から次へと興味を変えて生きて行く。
心が飢える事も、満たされすぎる事も無いように。


そして己の信念の為に生きてきた○○の心は、先代を倒した時に、確かにこう感じていた。


“自身の生きてきた目的は、果たされてしまった。”と。


それは既に妖怪と化した彼にとっては、致命的な感情だった。
ましてや妖怪としてはまだ幼い部類の彼の肉体では、その皹に耐え切れる筈も無く。

自身の生命の糸が綻び始めた事を、その時点で彼は理解していた。



「解るのさ……今更生きてえって思った所で…もう取り返しはつかねえってよ…。
へへ…これで、俺の勝ち逃げだなあ……。」

「うそつき……まだ、あの約束の答えだって返してくれてないのに!!」

「………そうだな。」



血まみれの手が、妖夢の頬から涙を拭う。
それは名残惜しむかの様に、肌に、そして髪に触れ、一つ一つそれを確かめると、彼は優しく彼女へと微笑んだ。




「…………!?」



そして、彼女の唇に、触れた事の無い感触が重なる。
今も血を吐きながら、彼は驚いた様子の妖夢の表情を見て、悪戯な少年の様に笑った。

それはどこまでも優しく、そして悲しそうな笑顔だった。



「へっ……今…返したろ………?これが…俺の答えだ…。

だけど……俺の事は忘れろ…てめえは…仮にも魂魄の娘だ…。
もっとマシな男捕まえてよ…で、俺みてえなひん曲がった剣じゃなくて…ちゃんと…真っ直ぐな剣を繋ぎゃいい…。
そうやってさ……こんな血生臭え場所の事なん、て……さっさと…忘れちまえ……。」

「……ずるいですよ…こんな、こんな事されたら…一生忘れられないじゃないですか……。」

「それでも忘れな……元を辿れば…お前がこんな事になっちまったのは…俺のせい、だ……。
てめえの心を、守るどころか…ズタズタにしちまった……ったく、つくづく女泣かせの色男、なん、て、なぁ……?」


彼女の手を握っていた力が、少しずつ緩んで行く。
それは緩慢な動きで、永遠にも感じられる様な長さで、彼女の手の中を滑り落ちて行く。






「妖夢……幸せにな。」





そして、大きな掌が、力なく彼女の膝へと落ちた。
彼は微笑を携えたまま、眠りに就くかの様にその頭を彼女の胸元へと預けた。

もう永遠に、その微笑は崩れる事は無いと。
力無くしなだれかかる重みが、彼女にその事実を突き付けて。








「ねえ……またいつもみたいに悪趣味な作戦なんでしょう?
ねえ…嘘だって……また、いつもみたいに笑って……私の名前を呼んで………。

ごめんなさい…ごめんなさい…………。
…………うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」











この日、一人の退治屋がその役目を終えた。


彼は多くの妖怪を殺し、そして里でも悪評の高い荒れくれ者であったと言う。
多くの人々は、その本当の心を知らない。







____________しかし、彼の遺した意志は、その役目を次代へと次いで行く。




































その時代から、数十年が過ぎた。


結論から言えば、退治屋は大きくその役目を変えた。


個人による任務は、集団でのチームプレイへと変わり。
そして武力による抹殺では無く、あくまで行き場を無くした妖怪達への救済を主とする集団へと変わった。

地底や多数の妖怪を受け入れる命蓮寺への斡旋、自暴自棄になり暴走した者への説得、肥大し過ぎた縄張り争いへの仲裁。
それらの方向転換は、彼ら退治屋の師にあたる者の存在が大きいと言う。



魂魄流師範代、魂魄妖夢。
まだ年若い、半人半霊の麗人。


彼女の指導は技だけに留まらず、退治屋として、剣を振るう者としての心構えをもしっかりと弟子達に伝えるものであった。

『殺す為でなく、守るための剣を。』

彼女が最も多く弟子達に説いたのは、この言葉だったそうだ。



白玉楼の一部を間借りした彼女の道場には、今日も弟子達の声が響く。
彼女の志を弟子達はしっかりと受け継ぎ、真剣に稽古に打ち込んでいる。

そしてその様子を見守りながら、彼女は自室の更に奥の扉を開ける。

そこは隠し扉によって守られた、彼女の秘密の場所。
部屋の中央には一つの布団が敷かれており、そこにはある人物が眠りに就いていた。


その人物は、かつて退治屋が血みどろの闘いを繰り広げていた時代、独りその前線で戦い続けていた男・○○。


彼は正確には、死んではいなかった。
精神の大半が壊れてしまっているが、まだ僅かな心が彼には残り、ギリギリでその死を食い止め続けている。
しかし、それはただ肉体のみが生きている状態に等しく、目を覚ます可能性は皆無に等しい。


妖夢は彼の髪を切り取り慧音に託し、そして彼自身をここ、白玉楼へと連れて来ていた。


“もし最初に目を覚ます時は、私が傍にいたい。”


その願いを慧音は受け入れ、そして数十年、彼はこの部屋で眠り続けている。



「○○さん……。」


愛おしそうに彼の手を取り、そして今日も脈拍が続いている事に彼女は安堵する。

時代は流れ、妖夢は少女から大人へと変わっていた。
それは昔は兄妹にしか見えなかった姿も、今隣り合えば、きっと恋人同士に見えるであろう程に。



“また、冷たくなってる……。”



しかし精神もまた、時と共に磨耗する。
懸命に治療を施して来たが、もう彼の死は、避けられない物である事を妖夢は感じ取っていた。


以前四季映姫が白玉楼を訪れた時、彼女は妖夢にこう語った。

“彼の地獄行きは避けられず、亡霊として白玉楼に置く事も出来ない”と。

彼が多くの命を奪ってきた事は、避けられない事実。
その罪の重さは、閻魔の目から見れば重刑は避けられぬものであった。


彼の死は、二人を完全に分かつ事を意味する。




そして、妖夢の胸に去来するのは________










“○○さん…私、こんなに大きくなりましたよ…。
弟子達も、あなたの志を継いで立派になってくれました。

だけどやっぱり…あなたがいないこの数十年は、とても寂しいものでした。



_________だから……もう、いいですよね?”






手に握られたのは、あの日と同じ、桜のあしらわれた小刀。
そして目の前の彼の呼吸は、確実に弱いものに変わっていく。

魂魄流の師範となり、多くの弟子達に囲まれて尚も、彼女に空いた穴は埋まる事は無かった。
意志を継ぎ、何十年と待ち、それでも彼女が欲して止まないのは、隣に彼がいる事。


故に、その死を悟った彼女の心は、もう揺らぐ事は無かった。



“○○さん……愛しています。だから私も、共に地獄へと赴きましょう。
あなたは怒るでしょうけど……あなたと共に在れるのなら、それも苦ではない。”



少女だった頃の迷いは、もう消え失せていた。
刃は真っ直ぐに彼女へと向かい、







__________そして。










「何だこの隠し扉……師匠ー、ごはんですよー?師匠!?」









弟子が彼女を発見した頃には、彼女は既に息絶えていた。
その傍らには、衰弱死したばかりの男の亡骸が寝かされていた。

彼女の顔は、大よそ死人とは思えない程美しく、そして安らかな微笑を湛えていたと言う。


二人の亡骸は、主である西行寺幽々子の意志により、西行妖の下へと埋葬された。

その年から、西行妖はその花を優しくさざめかせるようになった。
まるで二人を眠りから覚まさぬように、優しく包み込むかの様に揺れ続けていたと。

後に全てを知った弟子達はそう口々に語っていた。




彼女の。そして彼の。
初の心のさざめきに呼応するかの様に。







西行妖は、今日も夜の闇に、静かにさざめき続けている。















初の心にさざめく夜は。了。 

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最終更新:2013年11月22日 02:13